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検索対象: 「文明論之概略」を読む 下
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1. 「文明論之概略」を読む 下

ごとに新しく注釈する必要のある個所はほとんどありません。ですから以下は、論旨の脈絡に 主眼をおいて構成を明らかにするにとどめます。 総括は大きく前半と後半の部分から成っています。前半は「国の独立は目的なり、国民の文 明は此の目的に達するの術なり」という目的と手段の関係を論じています ( 文二五九頁一行ー二 六三頁一行、全二〇七頁一一行ー二一〇頁一四行 ) 。後半の部分は、その目的達成のために複数的 な「術」を組み合わせてゆく思考法の問題で、もっとも広い意味において成熟した政治的思考 とは何か、が典型的にのべられております ( 末尾まで ) 。 このことを頭において、さらに、すでに分析のすんでいる段落をとばしながら読めば とえば文庫版二六〇頁 ( 全二〇八頁 ) の「或人云く」の一段をとばしてその前行の「心身共に穎 敏ならんことを欲するのみ」から、文二六一頁 ( 全二〇九頁 ) の「故に又前説に返りて : : : 」云々 の段を読み進み、文二六二頁三行目 ( 全二一〇頁二行目 ) の「唯文明とのみ云ふときは : ・ 一段をまたとばして、二六三頁 ( 全二一〇頁 ) の「斯の如く」云々 ( これが第二の総括です ) から 終りまで読んでゆけばーー議論の筋道はつかめるでしよう。 文二五八頁一三行ー二六〇頁八行全二〇七頁七行ー二〇八頁一三行 文二六一頁一〇行ー二六二頁三行全二〇九頁一二行ー二一〇頁二行 びん 朗読 290

2. 「文明論之概略」を読む 下

出ることは叶ふ可からず。 ( 文二〇二頁、全一六二頁 ) 「論語に日く」は子罕篇にあります。ここでの福沢の解釈は、いかにも彼らしい独特の解釈 だと思います。ふつうの注釈では、「後生畏る可し」云々は、将来は現在の人間をしのぐほどの すぐれた後進の若者が出てくるかもしれないと、孔子が将来に対する期待を述べたものと解せ られております。ところが福沢は、徹底して尚古主義批判の立場から、これも意地悪く読んで、 後進の者が一生懸命勉強すれば今の人に追いつくかもしれない、油断はならぬと、孔子が戒め たと解釈しているわけです。つぎの「孟子に日く」は『孟子』の滕文公上篇にある顔淵の言で、 「又日く」とあるのは、魯の賢者の公明儀の言葉です。いずれにしても、季世ーーっまり末世 にうまれた我々だって、がんばって修養につとめれば、古の舜や文王のような聖人になれると うことですね。「文王は我が師なり」というのは、周公旦の言葉で、周公がそう言っているの だからうそではない、 という意味になるわけです。 こういう福沢の解釈は、一つは儒教の尚古主義批判ですけれども、もう一つの意味として、 福沢の実験と試行錯誤を中心とする新しい学問観および教育観がそこにあらわれています。 「御手本の通りに」といっているように既成の「模範」を設定して、その模範に近づいていこ うとするような教育のやり方への対決です。典型的にはそれが儒教の教育観に現われているの かな 144

3. 「文明論之概略」を読む 下

づけられております。論理的な首尾一貫性はしばしば一元論の立場に立っ思想家にみられます し、極端にいえば。ハラノイア的思考のなかにも見出されます。福沢が論理的にも価値判断の上 でも多元論者であるだけに、ますますこの方法論的な貫徹は光を放つように思われます。 朗読文二六三頁二行ー二六五頁八行全二一〇頁一五行ー二一二頁一四行 総括の後半、つまり第二の部分は「期の如く、結局の目的を自国の独立に定め : ・ : ・」云々 ( 文 二六三頁、全二一〇頁 ) から終りまでです。これは第十章の結尾部であるとともに『概略』全体の 結尾をも構成します。その命題の要点は「試みに見よ、天下の事物、その局処に就て論ずれば、 一として是ならざるものなし、一として非ならざるものなし」 ( 文二六三頁、全二一一頁 ) 以下「都 て世の事物は諸よの術を集めて功を成すものなれば、其の術は勉めて多きを要し、又多からざ るを得ず」 ( 文二六四頁、全二一二頁 ) というところにあります。それ自体本質的に善とか、本質 的に悪とかいうものはない、多くは楯の両面をなしている、という命題も、第一章で正直と頑 えいびん 愚、怜悧と軽薄 ( 田舎の百姓と都会の市民の場合 ) 、あるいは実着と頑陋、穎敏と軽率 ( 古風家と 改革家の場合 ) という例で説明していることのくりかえしです。ですからこの個所では、さき にさんざん批判した「国体論の頑固なる」も、「民権興起の粗暴論」も、忠臣義士の論も、耶蘇 れいり 294

4. 「文明論之概略」を読む 下

朗読文二一九頁二行ー一三三頁三行全一七六頁一行ー一七九頁六行 経済にあらわれる権力の偏重 まえに日本では人間交際が治者と被治者とに固定的に分化してしまった、と述べましたが、 それが経済の領域では、生産者と非 ( 不 ) 生産者の社会的峻別となって現われます。これが「蓄 積の種族」と「費散の種族」との固定的分裂ということです。いうまでもなく、幕藩体制下で は武士階級が後者に当り、農工商の三民が前者に当ります。 此の二種族の関係を見るに、其の労逸損徳の有様、固より公平ならずと雖ども、人口多くして財 本の割合に過ぎ、互ひに争ふて職業を求むるの勢ひに迫れば、富者は逸して貧者は労せざるを得 ず。是れ亦、独り我が邦のみに非ず、世界普通の弊害にして、如何ともす可からざるものなれば、 深く咎むるに足らず。 ( 文二一九頁、全一七六頁 ) 財本は資本と読みかえてもよいでしよう。要するに右の文の「深く咎むるに足らず」に注意 して下さい これはすぐそのあとで、西洋諸国に比べて特にどこが日本の経済の不都合なのか、 とが もと 188

5. 「文明論之概略」を読む 下

「さまざまの権力・原理・システムがここでは相互にまじり合い、修正し合い、しかも不断 に闘争し、ある時は勝ち、ある時は敗れますが、けっして完全に征服されたり、完全に征服す るということがないのです。 ( 中略 ) もろもろの形式・観念・原理の多様性、それらの間の闘争 とエネルギ 1 は、ある種の統一へ、ある種の理想へと向います。むろんそうした統一や理想は けっして達成はされないでしようが、人類が自由と労苦とによって絶えずそれに近づいている のです」 福沢の冒頭の一段と対比すれば、個々の該当個所を指摘しないでも、右のギゾー第二講の文 源章に依拠していることがお分りになると思います。ここで再引用を略した本書上巻にあげた訳 的文 ( 一三三頁以下 ) で「互いに他を根絶しえなか「たので、種々の原理はやむなく他の原理に堪え 多ねばならず、そこから諸々の原理が共存し、一種の相互理解に到達することが必要にな「たの であります」というところが、福沢の文では「勝敗久しく決せずして互ひに相対すれば、仮令 ひ不平なりと雖ども共に同時に存在せざるを得ず。既に同時に存在するを得れば、仮令ひ敵対 ロ 一」する者と雖ども、互ひに其の情実を知りて互ひに其の為す所を許さゞるを得ず」に当りますし、 それにつづく福沢の「各自家の説を張りて文明の一局を働き」云々が、ギゾ 1 の「各々の原 講 理は自分の持分となった文明の部分だけを所有することに同意した」を要約しているわけです。 第 上巻で展開した福沢の根本命題の一つーー自由は多事争論の間にあるーーがこのギゾ 1 の叙述

6. 「文明論之概略」を読む 下

朗読文一六七頁一〇行ー一七一頁一〇行全一三三頁一〇行ー一三六頁一五行 西洋の文明史的特質 西洋の文明の他に異なる所は、人間の交際にて其の説一様ならず、諸説互ひに並立して互ひに もつば 和することなきの一事に在り。譬へば政治の権を主張するの説あり、宗教の権を専らにするの論 あり。或は立君と云ひ、或は神政府と云ひ、或は貴族執権、或は衆庶為政とて、各よ其の赴く所 源 淵 に赴き、各よ其の主張する所を主張し、互ひに争ふと雖ども互ひによく之れを制するを得ず。一 的 たと 元 多 も勝つ者なく一も敗する者なし。勝敗久しく決せずして互ひに相対すれば、仮令ひ不平なりと雖 の 明 ども共に同時に存在せざるを得ず。既に同時に存在するを得れば、仮令ひ敵対する者と雖ども、 文 互ひに其の情実を知りて互ひに其の為す所を許さゞるを得ず。我に全勝の勢ひを得ずして他の所 ロ為を許すの場合に至れば、各よ自家の説を張りて文明の一局を働き、遂には合して一と為る可し。 是れ即ち自主自由の生ずる由縁なり。 講 ( 文一六七ー一六八頁、全一三三 ー一三四頁 ) 第 右の段がこの章の総論になります。ギゾーの『文明史』では第二講にこれに当る叙述があり ゆえん たと おもむ

7. 「文明論之概略」を読む 下

の そ 朗読文二〇九頁七行ー二一一頁九行全一六八頁三行ー一六九頁一五行 現 発 の 動権力偏重なれば治乱共に文明は進む可からす 偏 の 前講のおわりで申しましたように、 次の段は「右条々に論ずる如く」にはじまっていますが、 カ 実質的にいうと、ここからずっと先の「権力偏重なれば治乱共に文明は進む可からず」とカッ けコで要約している個所 ( 文二一四頁 ) までは、この第九章全体の結びになっています。そのあと お に経済の領域だけ別にとり出してかなり長く論じているのです。本来なら経済論のあとに「右 領条々」云々がくるのが論理的順序ですが、そのことを念頭に置きつつ、本文にしたがってこの 結び部分から読んでいきます。そのために、今いったカッコの中の「権力偏重なれば治乱共に 講 文明は進む可からず」というテーゼを先どりしてちょっとコメントしておきます。 第 ことであって、乱はいけな 「治乱共に」といっているところが大事です。ふつうは治がいい 第十八講諸領域における「権力の偏重」の発現その二 第九章「日本文明の由来」三 165

8. 「文明論之概略」を読む 下

因ではないというところが大事です。権力の偏重は人間の交際、つまり社会全体の問題で、王 室と人民との間の権力の偏重「も亦」そのあらわれなのだ、と再説しています。 ただ歴史的順序でいえば、王室と人民との間にまず権力の偏重が生じた。つぎには武家政治 の時代になった。政権担当者は変ったけれども権力の偏重という「人間交際」の構造は変らな いというのがつぎの段階です。 朗読文一八七頁一一行ー一九一頁二行全一五〇頁一〇行ー一五三頁六行 政府は新旧交代すれども国勢は変ずることなし 源平の起るに及んで天下の権は武家に帰し、之れに由て或は王室と権力の平均を為し、人間交際 の勢ひ一変す可きに似たれども、決して然らず。源平なり、王室なり、皆是れ治者中の部分にて、 国権の武家に帰したるは、治者中の此の部分より彼の部分に力を移したるのみ。治者と被治者と の関係は依然として上下主客の勢ひを備へ、毫も旧時に異なることなし。 ( 文一八七頁、全一五〇頁 ) 政権が王室から武家の手に移っても、治者と被治者との関係は固定して変らず、上下・主客 ごう

9. 「文明論之概略」を読む 下

朗読文一八五頁一四行ー一八七頁一〇行全一四九頁二行ー一五〇頁九行 治者と被治者と相分る それぞれの。ハラグラフのおしまいに、要約にもなる題がついています。これは前章のやり方 と対応しています。 最初の段の「治者と被治者と相分る」は、政治権力の発生を述べているところです。まず、 抑も我が日本国も、開闢の初めにては、世界中の他の諸国の如く、若干の人民一群を成し、其 たくま の一群の内より、腕カ最も強く智カ最も逞しき者ありて、之れを支配する歟、或は他の地方より 来り、之れを征服して其の酋長たりしことならん。歴史に拠れば、神武天皇、西より師を起した . り・」あ一り・。 ( 文一八五ー一八六頁、全一四九頁 ) とこでも政治権力はこ ここは「他の諸国の如く」ですから、何も日本だけの特色ではない。。 のようにして発生する。これと似た趣旨のことは、『西洋事情』の外編の巻之一と巻之二のとこ ろで出ています。そこではチェンヾ 1 ス社の教材などに拠っていかにして政治権力が発生する そもそ きた かいびやく いくさ

10. 「文明論之概略」を読む 下

ておりますが、「権力の偏重」という表現とその意味論は、『概略』のこの章ではじめて出てき ます。この言葉でもって日本社会の病理的な構造を法則として一般化したのは、福沢がはじめ て行なったことといっていいでしよう。 朗読文一八四頁三行ー一八五頁一四行全一四七頁一三行ー一四九頁二行 全国人民の気風 し 権力の偏重の源泉がただ政府にあるのではないという趣旨を、次段以下でさらに続けて展開 国します。 て あ 府 元来、政府は、国人の集りて事を為す処なり。此の場所に在る者を、君主と名づけ、官吏と名づ 政 くるのみ。而して此の君主官吏は、生れながら当路の君主官吏に非ず。仮令ひ封建の時代に世位 本世官の風あるも、実際に事を執る者は多くは、偶然に撰ばれたる人物なり。此の人物、一旦政府 の地位に登ればとて、忽ち平生の心事を改むるの理なし。 講 ( 文一八四頁、全一四七頁 ) 第 先天的な君主官吏というものはない。たまたまだれかが君主官吏になっただけのことです。 たちま たと