江戸時代 - みる会図書館


検索対象: 「文明論之概略」を読む 下
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1. 「文明論之概略」を読む 下

に必要であった以上に、「第二段」まで生きのびると病理が顕在化してくる。権力の偏重もその 例で、生きのびるほど、「遺伝毒」が甚しくなり、それを除去することがますます困難になる そういう見方です。それを徳川の天下泰平の例で説明するのです。 徳川幕藩体制についてだけでなく、どんな歴史的制度でも、それ自体が悪かったというもの 2 はなくて、必要であった以上に生きのびたがために、いろいろな病理が出てくるというのは、 そ ・・ノーマンも、かって述べていたことです ( 「クリオの顔」参照 ) 。 現 げんなえんぶ 発元和偃武による天下泰平ということが、江戸時代を通じて長い間一つのプラス価値として強 動調されていました。戦国乱世を収めて天下泰平をもたらしたのは全く権現様のおかげである、 のといった表現は、江戸時代の文献にいたるところ出てきます。・べラーは、天下泰平が目標 価値であった間は有効だ「た、それが「目標」でなくて、当然の現象とみられるようになると、 けだんだんそれだけでは有難味がうすれる、と言「ています ( べラー「徳川時代の宗教」 ) 。福沢は に同じ過程を「次歩」への過程にすぎない「初歩」が自己目的化したもの、と見ます。「初歩を以 領て次歩を妨ぐるものなり」というのがそれです。 。偏重の政 泰平がつづけばつづくほど、思考と行動がだんだんステレオタイプになってい 講 っ 治があまりに巧みにおこなわれると、初歩から次歩へという順序が忘れられるだけでなく、 第 いに「人間の交際を枯死」させるにいたる。そうなると、足利の尾大掉わずも、徳川の「首大 ふる 173

2. 「文明論之概略」を読む 下

は、「村」といった地域的な限定性がないことです。たとえば一向一揆は阿弥陀信心に基づく信 仰共同体を基盤にしていますから、北陸なら北陸、三河なら三河のある地方で勃発すると、た ちまち燎原の火のようにひろがる。このダイナミックな横への伝播力と団結の強さには、信長 も家康もにがい経験をなめている。この経験から彼等は信仰共同体のおそろしさを知り、それ がやがてのちのキリシタン弾圧にいたる一つの背景になっています。 徳川幕府は徹底的にキリスト教を弾圧するとともに、仏教寺院が政治権力に対して自立性を もたないよう、完全に行政単位のなかに組みこんだのが幕藩体制です。江戸時代において仏教 は、その自立性を剥奪されただけでなく、宗門改の制度と人別帳の作成 ( 寺請制 ) などによって、 キリシタン邪教禁圧の末端組織としての役割をになうことになります。福沢もとくに江戸時代 の仏教を例として、 其の勢力なきの甚しきは、徳川の時代に、破戒の僧とて、世俗の罪を犯すに非ず、唯宗門上の戒 を破る者あれば、政府より直ちに之れを捕へ、市中に晒して流刑に処するの例あり。期の如きは 則ち、僧侶は政府の奴隷と云ふも可なり。 ( 文一九七頁、全一五八頁 ) おさだめがき と言っています。宗門上の戒を破った僧を俗権が罰する。いわゆる「御定書百箇条」にも「女 さら ただ によ

3. 「文明論之概略」を読む 下

の魂の内部におけるともに実存する二つの精神の格闘です。いやそれは本書上巻の冒頭にも触 れたように、広く今日の第三世界の思想家・知識人的指導者の魂にひそんでいるディレンマに幻 シンバシー ほかなりません。そのディレンマへの内的な理解と共感なしには、ついに彼らの思想と行動は つかめないでしよう。 福沢に戻るならば、西洋から学んだ「天地の公道」をたんに「建て前」とするだけでなく、 本当に「慕う」ことによって、まさにそれを、権力政治で立ち向ってくる列強の胸にさかさま につきつける資格ができるはずです。さあ、お前たちは国境を撤廃し、政府権力を廃止する覚 悟と「術」 ( 方法 ) があるか。もしインターナショナリズムの行きつくところを知らないで言っ ているのなら、「結構人の議論」であり、またもし知りながら「情実」を美化しようとするなら 偽善ではないか、と迫る福沢の鋭いまなざしが、このあたりの文章から浮んでくるようです。 なおこの段で、国際関係を、江戸時代の藩の相互関係とのアナロジ 1 で説明しているところ は、福沢の世界認識が西洋人の著作からの、たんなる借り物でないことを実によく示しており ます。オックスフォード大学の日本学者であったハドソン (). F. Hudson) は、戦前に書いた名 著『世界政治における極東』 ( The Far East in world politics, 1937 ) のなかで、日本が江戸時代 に藩という体制をもったことが、維新前後に国際関係を理解し、これに適応するうえで他の東 アジアの諸国よりも比較的に有利な条件となった、という卓説をのべています。

4. 「文明論之概略」を読む 下

ち、上皇の宣旨を読むことができたのは武蔵国の藤田三郎一人だけであ「たという例が出てき ますが、これは『吾妻鏡』に出ている話です。 数十百年の騒乱の間、学問はもつばら僧侶によって維持されてきた、その点では儒教は仏教 にはるかに及ばない。ただし、これは日本だけの現象とはいえない。福沢はおそらくギゾ 1 に よって、ヨーロ ツ。ハにおいても、世間に学問が開けていくのは千六百年代以降のことだといっ ております。一六〇〇年代といえば、日本では江戸時代以降になります。 江戸時代になって、幕府はいわゆる文治政策をとりますから、学問がさかんになってくる。 のみならず、仏教や神道の その点ではヨーロ ツ。ハに比しても日本もそんなに遅れてはいない。 教義やあるいは民間信仰にある迷信 ( 虚誕妄説 ) を排した点に、福沢は儒学の「合理主義」の役 割をむしろ評価します。にもかかわらず、西洋とは学問のあり方が出発点からちがった。その 両者の相違とは何か。ここに問題があるというのです。 乱世の後、学問の起るに当りて、此の学問なるもの、西洋諸国にては人民一般の間に起り、我 が日本にては政府の内に起りたるの一事なり。西洋諸国の学問は学者の事業にて、其の行はる、、 あたか いわゆる や官私の別なく、唯学者の世界に在り。我が国の学問は所謂治者の世界の学問にして、恰も政府 の一部分たるに過ぎず。 136

5. 「文明論之概略」を読む 下

あたか く、その議論の精密なる事、着々意表に出て、恰も我々に固有する旧漢学主義の心事を転覆し たり」と語っています。西洋の学 問について、もちろん数学・物理学・化学の発達に驚倒した ことはあちこちでのべていますが、人文社会の学問のなかではもっとも経済学に興味を覚えた ようです。 なお蛇足ですが、経済は江戸時代には主として「経国済民」を意味しましたが、江戸の中頃 からはほば今日と同様な狭い意味に近い経済の用い方も登場し、両者の意味が併用されました。 福沢は伝統的用法を踏襲しながらも、主として「ポリチカル・エコノミー」の翻訳としてこの 語を使っております。 さて福沢はまず冒頭で、経済論は複雑かっ難解であって、西洋の経済論をそのまま公式的に わが国に適用することはもちろんできないけれども、ただ国や時代を問わず普遍的に経済の得 失を判断する基準となるルールがある、といって、以下、経済における第一則と第二則を提示 します ( この経済に「二法則」があるといっている出典はまだ私には分りません ) 。 第一則は、財の蓄積と費散、その相互関係です。その場合、福沢は公費の収支 ( つまり公共体 の財政 ) と私的な財の蓄積支出とを基本的には同一の経済法則によって支配されていると見て います ( これについては『西洋事情』二編巻之一の「収税論」を参照して下さい ) 。福沢が紹介 を譲った、と言っている神田孝平の『経済小学』 ( 慶応三年刊。ちなみにこの書物はウィリア だそく

6. 「文明論之概略」を読む 下

についての自発的結社をつくる伝統がないことの指摘です。つまり逆にいえば福沢や森・加 藤・津田とい「た維新の啓蒙知識人がつく「た「明六社」がまさにそういう「私の企」の意識 的形成の試みだったといえます。さきに「官私の別なく、唯学者の世界に在り」といったこと と対応しております。 そのあとにのべる、儒学が上からの治国平天下の学で官途につかなければ用をなさない、 の いうのは前にも出てきた議論です。 現 発 ただ、右の問題でも、福沢がここでのべている叙述に誇張があるのは否めません。儒学者の の 動家塾では、たとえば山崎闇斎の崎門でも大阪の懐徳堂でも、はじめから平民が一緒に学んでい のて、「其の生徒は必ず士族に限」ってはいません。また伊藤仁斎のように大名に招かれても終生 第仕官しなか「た大儒もいます。学者の自発的結社はたしかに稀ですが、結局は弾圧されたもの けの、例の蘭学者の「蛮社」などはそう称する資格があるでしよう。 お むしろ、近代日本と江戸時代とをくらべると、江戸時代の儒者相互の方が同じ聖人の道を学 領ぶ「知的共同体」の成員であるという意識がヨリ強く、かえ「て明治以後の近代化の進展とと もに、学者も教育機関に組織化されて、組織所属性の意識の方が、同じ学問をしている仲間た、 講 という意識を上まわるようになる、という歴史の皮肉が見られるくらいです。新聞雑誌や人名 録の肩書に、政治学者とか思想史家というより何々大学教授と書く方が現代では依然として一 ただ と 139

7. 「文明論之概略」を読む 下

は、「阿弥陀の慈悲に摂取せられる」という特殊な表現を意識して使っている。罪人や悪人が阿 弥陀の慈悲によって救われて極楽往生するという意味です。「十方世界に遍く照らす」という 「十方世界」も全世界を意味する仏教語で、そういう言葉をわざわざここで使って俗権への従 属を皮肉っているわけです。いや皮肉などという生易しいものではありません。「一聞以て厭 悪の心を生ず可し」ですから、その俗物性には吐き気を催おす、というのが福沢の本音です。 の そ 「宗政」の自立性がなく、帰依する方も本当の内面的信仰があったわけではないことは、古 現 発来日本に宗教戦争がほとんどなか「たという一事をみても分かる、と福沢はつづけます。ここ だじゃく うかが 動で「信教者の懦弱を窺ひ知る可し」というのは、信教者たちが一般的性格として臆病だ「たと 偏 の いう意味ではありません。自分の価値体系を守るために俗社会の価値体系に抵抗するという勇 カ 気がなか「た、という意味です。「宗旨のみの為に戦争に及びしこと」という「宗旨のみ」が大 け事です。 お 日本の宗教史をみると、元来、そういう「信教者の懦弱」の要素はありましたが、その傾向 域 領が全面化したのは江戸時代になってからです。 その前には、教権自身が俗権に対してあえて武力的な抵抗をおこなった例がないわけではな 講 戦国期には、例の石山本願寺は、信長を敵としてあれだけ戦っているわけです。また室町 第 末期から各地におこった一向一揆、あるいは法華一揆が江戸時代の多くの百姓一揆とちがう点 129

8. 「文明論之概略」を読む 下

それ以上の解説は省きます。ただその説明の中の「高掛り」というのは村々の石高に応じて課 する税 ( 夫役も含む ) の総称です。同じく「今云ふ鍵役」は、かまど役とも、 もしカまどのト ~ に 1 じざいかぎ つるした自在鉤の数に応じて所帯単位に課した税 ( 同じく夫役も含む ) のことです。終りの方に しようこく しゆらい 近く「勝国の苛刻を厭ひ」とある勝国とは漢語で、前代の亡国をいいます。『周礼』に出てくる 言葉です。ここでは具体的には徳川の前代ですから、豊臣氏に当るわけです。そのあとの「倒 懸の急を解き」というの手足をしばって倒さ吊りにするような苦しみ、ということで苛酷な 徴税の比喩です。 次の段では、江戸時代の士農工商についての通念を批判します。つまり「農は国の本」とい うことが伝統的に強調されましたので、農民は課税による搾取はひどかったけれども、建て前 としては庶民の中ではもっとも尊重されてきました。それにたいしてエ商の二民はとかく遊民 のようにみなされる これはどういうものだろうか、という疑問です ( なお福沢がここで用 いている「逸民」という言葉は、本来隠遁者のことですが、彼は「遊民」と同じ意味で使って います ) 。もちろん富裕な商人には遊んで食っているものもいるだろうが、豪農だってその点 は同じじゃないか、という。ここでの「豪農」とはもちろん寄生地主のことです。貧商・貧工 は過当競争のために饑寒に苦しんでいる。「自から仲間の競業を以て自から其の利潤を薄くし、 却て他の便利を為して農民も亦此の便利を受く可ければなり」とある「他の便利」「此の便利」 さか

9. 「文明論之概略」を読む 下

代の支配者の家の権力が衰えただけにすぎない。だからもし、足利の尾大不掉を失政だとする ならば、徳川こそ満足すべき政治ということになるだろうといって、わざわざ首大偏重という 新造語で対立させ、皮肉っている。前述のように、徳川時代は「権力の偏重」の典型例とされ ていますが、ここでも、参勤交代とか、大小名の妻子を江戸に「人質」にする政策とか、徳川 の「偏重の政治」の巧妙さを具体例でのべます。 の そ この場合、徳川家といっていますね。すぐあとでも「徳川一家の為を謀れば」云々と出てき 現 発ます。幕府といわないで「徳川一家」といっているのが注目されます。幕府でも諸藩でも、近 動代国家における公の政府とはちがいますし、当時の一般的用語としても「お家」という名がい のちばん流通していたのですが、福沢は「国家」という伝統的用語の問題性を指摘するために、 わざわざ、半ば中央政府的な意味をもった「幕府」についても徳川家という要素を強調してい けるわけです。 お もと 領固より政府を立つるには、中心に権柄を握りて、全体を制するの釣合なかる可からず。此の釣合 諸 の必用なるは、独り我が日本のみならず、世界万国、皆然らざるはなし。 ( 中略 ) 政権の必用なる 講 は、学校の童子も知る所なり。 第 ( 文一二〇ー二一一頁、全一六九頁 ) けんべい 169

10. 「文明論之概略」を読む 下

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