けれども政治的集中が社会的活動の多様な分野での発揮を伴わなければ、それは停滞と腐敗を 生まずにはおられません。そうして後者は自発的な自主活動ですから、必然的に人民が主役を 占める問題になります。民主的原理は人民の政治関与を前提としますから、人民の活動は政府 レヴェルと社会レヴェルと二様に及んでいるわけですが、力点の所在は、 ( 国会を含む ) 政府に おいては政治的集中にあり、人民においては多様なジャンルかっ広汎な地域に根を下した社会 的活動にあります。ギゾーにおけるさきの二つの契機は、理念型としてはこのような形で入り 組んで結びつけられているのです。 福沢の論著に多少とも親しんだ人なら、右のはなはだスウィービングなギゾ 1 の要約だけか らでも、福沢がいかに多くをギゾーに負うているかが推察されると思います。むろん、なかに はギゾ 1 に負う、というよりも、福沢自身の持ち前の素質との間の共鳴盤があった、と見られ るものもあります。たとえば福沢のイギリスびいきはギゾ 1 を読む以前からのものですが、抽 象的思考よりも良識と実際的経験を重んじるのがイギリス人の伝統だ、というところなどは、 福沢の人柄そのものでもあって、あるいは福沢は読みながらニャリとしたかもしれません。で すから他方でギゾーが、あらゆる原理は必ずしもフランスから生じたものでなくても、それが 全ヨーロツ。ハ現象として普遍化するためにはフランスを通過せねばならなかったのであって、 それまでは、純粋君主政にせよ、自由探究にせよ、スペインとかイギリスとかの一国現象にと
人身にて云へば頴敏な に此の処に在るものにて、防戦を以て云へば、備を設けざる要害の如く、 へきえき るきうしょ ( 急所 ) の如くにして、一度び之れを犯さるれば忽ち辟易し、我が微弱を示さヾる者な し。宗教の本分は、此の幽冥の理を説き、造化の微妙を明らかにするものと称して、敢へて人の いやしく 疑惑に答ふるものなれば、苟も生を有する人類にて誰か之れに心を奪はれざる者あらんや。 ー一三七頁 ) ( 文一七一ー一七二頁、全一三六 まず冒頭にある「 : : : 決して此の独権を以て欧羅巴全洲の形勢を支配するに非ず」の一句も 簡単に読みとばせない意味があります。ギゾ 1 は封建制の形態は、教会にも自治都市にも、王 源権にさえも浸潤したけれども、これを以って封建的原理が十世紀以後のヨ 1 ロツ。ハ社会に普遍 と警告し、封建的原理とならんで神政的原理・君主政的 的化したことを結論づけてはならない、 元 多原理・民主的原理も依然として競争的に存続していた、とい「て、彼の得意なテ 1 ゼである多 元的諸原理の併存と対抗とをここでも確認しております。いわゆる中世を「封建社会」の名で というわけです。福沢の短い一句はその趣旨を受けているのです。 ぬりつぶせない、 ロ しかし右の文章について何とい「ても私たちに一番興味があるのは、福沢がここでめずらし 門題に触れていることです。三行目の「抑も : : : 」以下 く「そもそも宗教とは何ぞや」というロ 講 がそれです。福沢は宗教の社会的効用如何ということは『概略』著述の以後にもしばしば論じ 第 ますが、あらたまって宗教とは何かという本質論については、晩年の『百話』のような随想に ところ えいびん
のなかだけで「外国交際」という一言葉を理解しようとすると、その意味がせますぎて、福沢の 「門い」のなかに内包される意味の広さも深さもとらえきれないのではないか、と私には思わ れるのです。 結論から先にいえば、最大の困難としての「外国交際」とここでいうのは「西欧的国家シス テム」 (The Western state system) といわれている近代国際社会に日本が自主的に加入する、 という問題です。西欧的国家システムを手短かに定義すれば、十七世紀にグロチウスが『戦争 と平和の法について』 (). Grotius, Dejure belli ac pacis, 1625 ) の古典的著述で基礎づけて以来 そうして西欧外交史上の事件でいえばウエストファリア条約以後ーー十九世紀後半までに 西欧を中心としてほば完成を見た主権国家を構成員とする国際社会のことです。 「主権」という一一 = ロ葉はきわめて多義的に用いられてきましたので、講義調になって恐縮です が、念のためにここでつぎの点だけをはっきりさせておきます。それは国家内の主権 (Souve ・ ränität ぎ Staat) と国家の主権 (Souveränität des Staates) との区別ということです。国家内 の主権とはいわゆる人民主権とか君主主権とか国会主権とかいうような、国家における最高権 カー・ー憲法制定権力ともいわれますーーーの所在の問題です。これにたいして国家の主権という のは一つの国家が一定の領域内で他の諸国家から完全に独立した自主的な統治権をもち、諸外 国と対等の条約締結その他の外交関係をむすぶ権利のことです。といっても歴史的に見ると、 248
てもキリスト教徒ならこういう言い方はしないでしよう。 しかし、それにもまして重要なことは次の点です。すなわち、ギゾー『文明史』が、宗教と まれ は何ぞやについて「人間の魂」の問題としてのべているところは、この一個所のほかは稀なの です。ギゾ 1 は第五講と第六講との全部を中世キリスト教に当てていますが、そこで終始、中 心課題となっているのは、一つの社会、一つの統治体としてのキリスト教会の組織と歴史的役 割です。ここにはきわめて興味深い対照が見られます。すなわち世界宗教に共通する超越性と 人格的内面性の原理が歴史的伝統を形成してこなかった日本において、福沢が文明史の問題と 源してキリスト教をとりあげるにあたっては、ギゾーの二講にわたる長広舌をわずか数段に圧縮 的しながらも ( したがって修道院の役割をはじめ、多くのテーマを省略しながらも ) 、やはり宗教 元 多の存在理由を、福沢なりに「人心」の本性から説かざるをえませんでした。これにたいして、 ギゾーの力点はそこにはありません。そんな問題はいわばあたり前のことなのです。 むしろギゾ 1 が力説したのは、宗教はけっしてたんなる個人的感情ではなく、また個人の内 ロ 一面的信仰にとどまるものでもなく、それが必然的に一つの社会形成力であった、ということで す。キリスト教の場合もきわめて早期から一つの組織ーーそれも教権的組織であったこと、そ 講 の内部に俗世界におけると同じような政府と階層制と、いな強制権をさえ持ち、したがって俗 第 政府と同じような専政の堕落と腐敗とにたえずさらされていたことを、あちこちでギゾーは指
主権概念はもともと十六、七世紀絶対主義の発展期に、中世の教会とか封建領主とか自治都市 とかにたいする論争的概念として成立し、フランス革命前後の国民国家の形成期にも、右の二 つの意味合いはからみ合って発展して来たのですが、近代国家論では、概念整理の必要上、こ の両者の意味を区別することが常識になりました。そうして当面ここで「主権国家」というの はむろん後者の意味ーーっまり国家の対外的主権性を示す意味で用いております。こうした主 権国家を平等の構成員とする国際社会が一つの「システム」をなすと考えられるのは、もと「ク リスト教的共同体」という普遍社会をなして来た西欧が、近代になってそれぞれ主権をもった 領域国家に分裂し、その大小の国家が国家平等原理の下に、国際法 ( 自然法もふくめた ) という ~ 共通の規範の承認の下に立って外交関係をとり結んできた由来があるからです。戦争もまた外 形交の一つの表現であり、まさにクラウゼヴィッツの有名な定義のように「他の手段をも「てす バランス・オヴ・パワー 国る政治の継続」と考えられてきました。狭い意味では国際政治上の勢力均衡原理も西欧的国家 国体系を構成する要因です。 権こういう意味でもってーーっまり日本を囲繞する当時の国際関係という意味よりはヨリ広く、 さりとて古代からの国際関係という意味よりはせまくーー「外国交際」という言葉を福沢が用 講 いるのは、このテキストにはじまったことではありません。すでに幕末の『西洋事情』初編の 第 巻之一「備考」に「外国交際」という項目を置いています。そこにのべられていることは基本 249
岩波新書から 社会科学における人間大塚久雄著置Ⅱ 社会科学の方法大塚久雄著 ーとマルクス 社会認識の歩み内田義彦著 資本論の世界内田義彦著 近代民主主義とその展望福田歓一著置 1
日本史の上で二度しかなかった。その第一の機会は「儒仏の教を支那より伝へた」上古の場合 で、そのイン。ハクトとして大化改新から律令制の確立にいたる大変革が行われた。そうしても う一つの機会が福沢の同時代における西洋文明との遭遇です。幕末維新の大変革がこの第二の 遭遇を契機におこった次第は、すでに第九講 ( 中巻 ) の、同時代史としての明治維新論のところ でのべた通りです。 ばんきん 「緒言」でいっていることは、上古の場合と「輓近の外交」との基本的相異です。上古の場 合は同じアジアの「元素」の伝播であった。ですから粗密の差はあっても、儒教にしろ仏教に しろ、そういう考え方の断片は、大陸文化移植以前にもあった。ところが「輓近の外交」はま 「つたく事態が異なります。ここでいう輓近の外交は、むろん直接にはこれまでたびたび出てき 位た「外国交際」を指しますが、たとえば結章でいわれている「西欧的国家システム」への日本 書の加入というよりは、もっと多様な意味を含みます。それは国家レヴ = ルの接触だけでなく、 さまざまの社会領域における接触、そうして文字通りに西洋人との個人的な「人間交際」とい う三つのレヴ = ルにおいて、したが「て制度や学問から日常風俗にいたるまで「特殊異別のも のに逢ふて頓に近く相接する」という現象です。そこには二つの契機が内在します。一つは文 び 化の異質性ということ。これに「急激」という第二の契機が重なります。それだけに「極熱の 結 火を以て極寒の水に接する」ようなものだ、というここでの比喩が非常によく利いています。 とみ 307
飯島宗一安全性の考え方武谷三男編 豊田リ幸編著 核廃絶は可能か 牧寺郎 庄司光 恐るべき公害 宮本憲一 蠍鮴経済の歩み上・下』 小林・空山訳ごみと都市生活吉村功 庄司光 宮本憲一 死の商人〔改訂版〕岡倉古志郎水俣病は終。ていない原田正純日本の公害 原田正純 水俣病 現代経済を考える伊東光晴 高島善哉国土の変貌と水害高橋裕 都市政策を考える松下圭一社会科学入門 地域開発は 宮本憲一社会科学の方法大塚久雄四日市・死の海と闘う田尻宗昭 これでよいか 野間宏 内田義彦狭山裁判上・下 社会認識の歩み 自動車の社会的費用宇沢弘文 中野好夫 マルクス・エンゲルス 沖縄戦後史 新崎盛暉 大内兵衛 小伝 書社会 資本論の経済学宇野弘蔵 新 向坂逸郎 波社会科学における人間大塚久雄資本論入門 内田義彦 環境政策を考える華山謙資本論の世界 高島善哉 早川和男アダム・スミス 住宅貧乏物語 マックス・ウェーバー青山秀夫 七つの国の労働運動マルチネ 熊田亨訳 上・下 ケインズ 伊東光晴 公害摘発最前線田尻宗昭 サル ル ユダヤ人 安堂信也訳 岡並木 都市と交通 女性解放思想の歩み水田珠枝 田尻宗昭 海と乱開発 阿波根昌鴻 米軍と農民 科学文明に 武谷三男編 未来はあるか 野坂昭如編著原子力発電 0 ( 1986 ・ 1 )
ます。前述のように、福沢は 0 ・・ヘンリ 1 校注の英訳版 ( 福沢手沢本は一八七〇年版 ) で読ん でいますので、以下もまぎらわしい原語や明確な誤訳をのぞいて、原則としてこの英訳本で摘 一三四頁 出していくことにします。すでに当該の一節は上巻で紹介しましたので ( 上巻一三三ー 参照 ) 、その前後の部分を訳してみましよう。 「アジアであれ、他の地域であれ、近代ョ 1 ロ ツ。ハに先行した諸々の文明ーーギリシャおよ びロ 1 マ文明を含めてーーを見るとき、それらを支配しているところの性質が一致しているこ とに驚かずにはいられません。それぞれの文明はあたかも単一の事実、単一の観念から流出し 社会が何か たかのように見えます。ほとんどっぎのように主張することもできるでしよう ある単一の原理の影響下にあり、その原理が普遍的に支配し、その文明の制度・様式・意見・ 要するにその文明のあらゆる発展の性格を決定した、と」 「近代ヨーロ ツ。ハの文明に関してはすべてこれらのことと何と事態が異っているでしよう か ! ( 中略 ) 社会組織のあらゆる原理がそこには共存しております。俗的権力、霊的権力、神政 的、君主政的、貴族政的、民主政的な要素、社会のあらゆる階級、あらゆる社会制度がごちゃ まぜになってそこに現われております。自由・富・権勢の無限の段階も同様にそこにあります。 これらの諸々の権力もまたここではお互いに不断の闘争状態にあり、そのうちの一つの権力が 他を征服して社会を独占するということがありません」
そじよう つまりそれらがどういう社会的 = 政治的役 俎上にあげるのではなくて、いわば「外から」 割を果しているかとか、どういう階級的あるいは党派的利害関係を隠蔽したり、美化している か、という観点に重きを置く批判様式です。現実には政治闘争の過程で「敵」の思想の隠され た動機や役割を暴露するときに用いられるのですが、カール・マンハイムなどはこの批判様式 を一つの社会学的な方法論として確立しようとしました。それはともかく、私がこの第九章の 福沢の批判をそういう名で呼ぶのは、日本の宗教なら宗教について、その教義内容およびその 理念の内在的な歴史的発展などには目もくれないで、それが日本文明において占める社会的地 し 位とか政治的役割とかを白日下に曝しているからです。 国しかも第二にここで福沢は「権力の偏重」という彼独得の用語によ「て、あらゆる社会的、 、、てつけっ て 文化的領域に潜んでいる人間関係の「構造」的特質を横断的に剔抉しているのです。したがっ あ 府てこの点でも、福沢の批判は、思想史もふくめておよそ日本文明の足跡を歴史的にたどろうと する目から見たならば、あまりにスウィービングであることを免がれないでしよう。しかしそ 本 んなことは福沢にいわせれば百も承知なのです ( むろん福沢が挙げる個々の歴史的事例の不正 日 確さは別の問題です ) 。第十四講のはじめにも申しましたが、むしろここでは福沢は意識的に 講 6 非歴史的にふるまっているのです。この章で歴史的変動の考察や教義の内在的理解が不足して 第 いることは、そこに示されたおどろくべく斬新な社会学的な分析が払わなければならなかった さら