結論を先どりして私の考え方をいえば、この第八章はつづく第九章および第十章とともに、 大きくいってこの『概略』の大結尾をなしている、ということです。第八章は第九章「日本文 明の由来」の伏線をなしているだけでなしに、一見無関連にみえる、日本の独立を論じた最終 章の前提をもなしており、この三つの章は相互関連性において捉えるべきだ、というのが私の 読み方です。第八章の段落ごとの説明に入る前になぜ右のように考えるか、の根拠をできるだ け簡単にのべておきます。 まず提起したい問題は第一にどうしてここでバックルでなく、ギゾ 1 をもってきたか、と、 うことであり、第二に、なぜ「西洋文明の由来」と題する章が終り近くに置かれたか、という 問題です。この二つの問題はむろん密接に関連しておりますが、便宜上第二の問題を先にとり あガましよ、つ。 なぜここで西洋文明の由来を説くのか 『概略』の章の分け方を見ても、既に私たちが読んだように第二章は「西洋の文明を目的と する事」、第三章は「文明の本旨を論ず」と題せられ、その中の「政統」論議とか社会の諸類型 をあげて消去法によって文明を定義していくところですでにギゾーを駆使していました。どう してこの第八章になってあらためて西洋文明の歴史的由来を説くのか、本書全体の構成の上で
まえがき 序古典からどう学ぶか 開講の辞にかえて 第一講幕末維新の知識人 , ーー福沢の世代ーー 第二講何のために論ずるのか ーー第一章「議論の本位を定る事」 第三講西洋文明の進歩とは何か 第二章「西洋の文明を目的とする事」一 第四講自由は多事争論の間に生ず 第二章「西洋の文明を目的とする事」二 第五講国体・政統・血統 第二章「西洋の文明を目的とする事」三 第六講文明と政治体制 第三章「文明の本旨を論ず」 第七講文明史の方法論 ーー第四章「一国人民の智徳を論ず」一 第八講歴史を動かすもの ーー第四章「一国人民の智徳を論ず」一一 第九講衆論の構造と衆議の精神 ーー第五章「前論の続」 第十講知的活動と道徳行為とのちがい ーー第六章「智徳の弁」一 第十一講徳育の過信と宗教的狂熱について ーー第六章「智徳の弁」一一 第十二講畏怖からの自由 ーー第七章「智徳の行はる可き時代と場所とを論ず」一 第十三講どこで規則 ( ルール ) が必要になるか ーー第七章「智徳の行はる可き時代と場所とを論ず」一一
朗読文一三九頁一行ー一一三三頁一一行全一八三頁一行ー一八六頁一七行 策 応 対 の 々第十章の位置づけ 福沢が、この「自国の独立を論ず」の章をなぜ結章にしたかをまず問わねばなりません。な 空 ますと、同時にそのことが、福沢についてのーーー必ずしも誤解とはいえ 真ぜそれが大事かといい 精ないにしても、ーーすくなくも解釈を多岐亡羊にさせる大きな原因とな 0 ている。つまり、いち 後ばん最後にもってきたのだから、自国の独立がこの書物の根本的なテーマであって、すべては 新そこに収斂するのだというふうに考えられやすい。そうでなければ、まったく逆に、この章は 先行する章から何か浮き上っているように解釈されます。そのどちらでもない、と私は思いま 講 す。そこでまず、前の考え方について私の考えをのべます。たしかにこのテ 1 マは結章たるに 第 値するのですが、しかし、ここにほかの章の叙述が収斂し、すべてがここに流れこむのではあ 第十九講維新直後の精神的真空と諸々の対応策 第十章「自国の独立を論ず」一 203
のです。 目的としての日本の独立 前述したように本章の結論的な総括は、当時の国内国際状況にたいするさまざまな意見や所 論を次々と批判したのちに、「然らば則ち之れを如何んして可ならん。云く、目的を定めて文明 に進むの一事あるのみ。其の目的とは何ぞや。内外の区別を明らかにして我が本国の独立を保 っことなり。而して此の独立を保つの法は文明の外に求む可からず」 ( 文二五八頁、全二〇七頁 ) にはじまり、以下全巻の末尾にいたる文章です。けれどもこの結尾の一部はこれまでに抜き出 ~ して論じましたし、またこの総括全体がいままでこの章だけでなく、本書の全体にわたって論 形じてきたテ 1 ゼのくりかえしです。 国本書全体をソナタ形式の構成として考えれば、巻之一の第一章が導入部、第二、三章が主題の 国提示部に当り、巻之二 ( 第四、五章 ) から巻之三 ( 第六章 ) を経て巻之四の第七章までが、さまざま 権な形での主題の展開部です。第八章以下が前述のように、本書全体の大結尾に当るわけです力 そのなかの第八章と第九章は主題の変形された再現部とも見られるでしよう。そうして最後の 講 第十章が狭義の結尾部を構成しますが、このコ 1 ダのなかにはさらにこれまでの動機の音型が 9 第 くりかえし登場します。とくに右の総括の前半部においてです。したがってここは。ハラグラフ ほか
く下敷なしに書かれた章であり、福沢の散文家としての特色がよく出ていますが、この段にな ると、こんどはいわゆる国権論の問題に深くかかわってきますので、おのずから評価も分れて きます。 ところで、前章の「西洋文明の由来」を受けて「日本文明の由来」という。ハラレルな題でつ づいていますけれども、これは第十四講のはじめにものべたことで、繰り返しになりますが、 この二つの章は、題から予想されるほど対応したものではなく、構成もまったく別といってよ いほど異ったものなのです。第九章の「日本文明の由来」では、前の第八章とちがって、日本 文明の由来を歴史的に叙述しているわけではありません。 と同時に、この章で福沢が歴史論をそれ自身として展開していないことの反面として、福沢 の日本史観は、必ずしも本章だけでなく、別の章で個々。ハラバラに現われているのです。明治 維新論とか武家政治論とか、建武中興論とか、すでに読んだところで出てきました。そういう ところの叙述は、史論という形では表面に出てこないけれども、それぞれ卓抜な史論です。で すから、その両面を見てゆく必要があり、福沢がつけた章の題名にあまり引きずられないで、 実質的な内容を読みとることが大事です。 この第九章は、非常に簡単にいえば、第一にイデオロギ 1 批判なのです。ここでイデオロギ 1 批判というのは、特定の宗教とか学問とか制度とかを、その教義や建て前の内面的構造から
ョリ透明にするためには思いきって本文の順序を大きく変更した方がよい というのが私自身 の見解です。したがって、その責任はもつばら私にあります。 前に申しましたように、『概略』は筆の速い福沢にしては推敲に推敲を重ねて成「た著作であ 「て、そのことはそれぞれの章に二種類から五種類にわたる断片的な異稿が現存している ( 紛 失したものもあると推定されますから、もともとはさらに多か「たかもしれません ) ことに、な によりよく証明されます。ところが最後の二つの章だけは一種類の草稿しか残 0 てないのです。 この場合、紛失という先行章と同じ可能性を考えても、異稿が皆無という他章とのちがいへの 疑問は残ります。 「日本文明の由来」と「自国の独立を論ず」はテーマそのものが日本に即していますから、 当然、直接に下敷として依拠するヨーロノ ハの原典はないわけです。第九章はそれでも、先行 する「西洋文明の由来」の章の論述を受けて論じているのですが、この結章は、先行する全章 を受けながら、すくなくもその初稿は一気呵成に書いたように私には思われます。一気呵成だ からこそ前述した福沢の直情がここに爆発的に噴出している、と私は見ます。そこに一種の 「福沢節」ともいうべき調子が出ているという本章の得難い特徴もあるのですが、まさにその 反面に、文章の運びが論理的構成よりは心理的な連想にしたが「て次の段落を導き出している としか思われない個所が二、三にとどまりません。福沢もその「快調」のマイナス面を成稿の最 212
〈凡例〉 『文明論之概略』全篇を新書版で上中下の三巻に分け、上巻に は、巻之一の第一、第二、第三章の講読を収めた。中巻には、巻 之二の第四、第五章、巻之三の第六章、巻之四の第七章を宛て、 巻之四の第八章以下巻之六第十章まで、および緒言を下巻に収め 『文明論之概略』のテキストの頁数を記す場合、岩波文庫版 ( 青 一〇一「ー一 ) は「文」、全集版 ( 福沢論吉全集第四巻 ) は「全」と略 記した。 ③『文明論之概略』をはじめ、福沢の著作からの引用は、原則とし て新字体に改め、適宜、句読点、送りがなを補い、ルビを付した。 ただし『学問のす、め』は、岩波文庫現行版の表記にしたがった。
第十四講ョ 1 ロツ。ハ文明の多元的淵源 第八章「西洋文明の由来」一 これ以後の章の位置づけについて 第八章について福沢は冒頭に、ギゾ 1 文明史「及び他の諸書を引いて」西洋文明の由来の「百 分の一の大意」をのべたものだ、と言っております。けれども歴史的事件の引用をべっとすれ 源ば、この章の根本趣旨は「他の諸書」ではなくて、ほとんどギゾ 1 によっており、叙述の順序 的もギゾーにしたがっています。そのためか、この章はこれまでの福沢研究あるいは『概略』の 元 多研究においては、要するにギゾーの『ヨーロツ。 ( 文明史』を簡単に紹介したもの、ということ で済まされているように思います。これは第九章の「日本文明の由来」で展開されている福沢 の日本社会と日本文化にたいするーーむろんなんらの下敷もないーー鋭利な批判が早くから着 一目され、評価されてきたのと著しく対照的です。むろん第八章が第九章の日本文明批判の暗々 裡の伏線になっていることは気付かれていたでしよう。けれども、第八章の内容についてはギ 講 Ⅱゾーの文明史の要約である、という位置づけ以上には出ていません。果してそれでよいのだろ うか、というのが私のかねてからの疑問なのです。
もどうしてもっと前にもってこなかったか、に不審を抱いても不思議ではないでしよう。 この問いに表面上の答えを出すことは簡単です。題名の上でつづく第九章の「日本文明の由 来」と対になっているからです。むろん福沢もそのつもりで題名をそろえたのかもしれません。 けれどもそれがすべてでしようか。 この第九章を第八章と読み比べると、表題の類似にもかかわらず、取り扱い方が両者で ( ッ キリと異な「ていることは読者のどなたにもお分りになるでしよう。「西洋文明の由来」の方 はギゾ 1 に依拠してーーきわめて自主的な取捨をしながらも ともかくギゾー『文明史』の 源順序どおりに、歴史的に「由来」を説明しております。ところが、第九章「日本文明の由来」 的の場合は、この題名を額面どおり受けとるならば、敢えていえば見かけ倒しなのです。その点 多では上巻でも言及した田口卯吉の『日本開化小史』の方がはるかに表題と内容との一致が見ら れます。 第九章はその個所であらためて申しますが、日本文明の「由来」についての歴史的説明には 一なっておりません。これをもって、福沢が歴史家でなかったためとか、当時はまだ日本文明の 歴史的由来を説くだけの史料がなか「た、という理由に帰するのは、私には皮相な見解と思わ 講 れます。ある意味では福沢は第九章では意識的に非歴史的にふるまっているのです。「権力の 第 偏重」という独特の大命題をかざして何百年にわたる日本史の歴史的発展を裁断しているので
此の今の字は、特に意ありて用ひたるものなれば、学者等閑に看過する勿れ。本書第三章には、 文明は至大至洪にして人間万事皆これを目的とせざるなしとて、人類の当に達す可き文明の本旨 ただ を目的と為して論を立てたることなれども、爰には余輩の地位を現今の日本に限りて、 ( 中略 ) 唯 自国の独立を得せしむるを目して、仮に文明の名を下だしたるのみ。故に今の我が文明と云ひし は文明の本旨には非ず、先づ事の初歩として自国の独立を謀り、其の他は之れを第二歩に遺して、 他日為す所あらんとするの趣意なり。蓋し斯の如く議論を限るときは、国の独立は即ち文明なの。 文明に非ざれば独立は保つ可からず。 ー二六二頁、全二〇九ー二一〇頁 ) ( 文二六一 へ 成 形 、う「事の初歩」と「第二歩」との区別は、まさに第九章において「権力の偏重」を説 の 国くときの言葉と用法 ( 本書第十六講 ) とに対応しております。自国の独立は文明の本旨から見れ にわか 国ば「事の初歩」にすぎないから、「学者遽に之れを見て文明の本旨を誤解し、之れを軽蔑視して 権其の字義の面目を辱しむる勿れ」ということになるわけです。よく冒頭に仰々しい「方法論」 を掲げて、肝腎の本文の叙述には一向にその方法論が活きていない「学術書」がありますが、 講 福沢の『概略』はちょうどその逆です。結章が鮮かに第一章「議論の本位を定る事」に立ちか 3 第 えり、そのことによって第三章の「文明の本旨を論ず」と第九章および第十章が方法的に関係 」こ まさ