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検索対象: 「文明論之概略」を読む 下
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1. 「文明論之概略」を読む 下

から、そういう諸領域の活動に被治者が無関心で、俺の知「た事じゃないという態度だと、下 からの自発的エネルギ 1 を発揮する余地が少ない。それでは「外国交際」、とくに国際関係が逼 まっと 迫したとき、果して日本の独立を全うできるか、それでいいのかという問し 、の伏線となってい るわけです。ですから、これは文化の問題でもあるのですが、まず分りやすい戦争の例を出し てきます。 甲越の合戦とか、上国 ( 上方のことです ) と関東との取り合いとかいうと、まるで国と国とが 争「ているようにきこえるけれど、実際は両国の治者としての武士相互の争いであ「て、人民 し はどちらが勝とうと負けようと関係ないと思っている。実際はヨ 1 ロ " ハでもフランス革命以 国前はこれに近いのですが、ただ、日本の場合はーーあとで改めて触れますが 「くに」と、 りう非常に古くからあるコト、、 ハが通用しているので、その盲点を衝くためにこういう問いを提出 あ 府するわけです。 本 元来敵国とは、全国の人民一般の心を以て相敵することにて、仮令ひ躬から武器を携 ~ て戦場に 日 おもむ 赴かざるも、我が国の勝利を願ひ、敵国の不幸を祈り、事々物々、些末のことに至るまでも敵味 講 方の趣意を忘れざるこそ、真の敵対の両国と云ふ可けれ。人民の報国心は此の辺に在るものなり。 第 ( 文一九一頁、全一五三頁 ) かみがた たと みず たずさ 105

2. 「文明論之概略」を読む 下

も之れを天与の物の如くに思ふて、之れを費し之れを散じて一も意の如くならざるはなし。概し て云へば、之れを費散するを知りて、蓄積の道を知らざるものなり。 ( 文二一九ー一三〇頁、全一七六頁 ) ここではむろん蓄積の種族と費散の種族との分裂を、納税と政府財政との関係として論じて いるわけです。政府が財政収入を「天与の物の如く」心得ているかどうかはともかく、人民の 側にタックス・ペイヤーの意識がうすいのは、現在でさえそうですね。そのつぎの比喩がまた 抜群に面白い 経済の第一則に、蓄積と費散とは正しく同一様の事にして、正しく同一様の心を以て処置す可き ものなりと云へり。然るに今、此の有様を見れば、同一様の事を為すに、二様の心を以てし、之 たと へんつくり れを譬へば、一字の文字を書くに、偏と作とを分ちて二人の手を用ふるが如し。如何なる能筆に ても、字を成す可からざるや明らかなり。 ( 文一三〇頁、全一七六頁 ) 財の支出と蓄積とは同じことの両面なのに、それぞれの担い手が分裂しているために両者が 全く無関係になっている。したがって、費やすべきところに費やさず、費やすべからざること に国財を費やす結果になる。前に「権力の偏重」のところで天秤の例を出したので、ここでも まさ 190

3. 「文明論之概略」を読む 下

おもむき かえりみ 顧て彼の欧洲諸国の有様を見れば、大いに趣の異なる所あり。其の国民の間に、宗旨の新説、漸 く行はるれば、政府も亦これに従て処置を施さゞる可からず。昔日は封建の貴族をのみ恐れたり しが、世間の商工、次第に繁昌して中等の人民に権力を有する者あるに至れば、亦これを喜び、 ヨーロッパ 或は之れを恐れざる可からず。故に欧羅巴の各国にては、其の国勢の変ずるに従て政府も亦其の しつかい 趣を変ぜざる可からずと雖ども、独り我が日本は然らず。宗旨も学問も商売も工業も悉皆政府の ろうらく 中に籠絡したるものなれば、其の変動を憂ふるに足らず、又これを恐るゝに足らず、若し政府の すなわ 意に適せざるものあれば、輙ち之れを禁じて可なり。唯一の心配は、同類の中より起る者ありて、 政府の新陳交代せんことを恐る、のみ。 ( 文一九〇頁、全一五二ー一五三頁 ) 右の節は注釈するまでもないでしよう。「宗旨の新説」は宗教改革のことであり、「中等の人 ツ。ハでは政府というのは社会 ル・クラスの勃興です。要するにヨーロ 民」云々というのはミド におけるいろいろな権力の変動 ( 国勢 ) と関数関係にあるということです。社会にブルジョワジ とこ ーの勃興というような変化がおこると、それに対応して政府の形態も変らざるをえない。 ツ。ハと逆の関係になり、政府が社会の諸権力 ろが、日本はど、つかとい、つと、むしろヨーロ 宗教・学問・商工業などをみんな手のうちに「籠絡」しているから、たとえば宗教の権が衰え 100

4. 「文明論之概略」を読む 下

「児戯に等しき名分」とはずいぶんひどいいい方ですね。独一個の気象と対照させるために、 こういう極端な表現をしている。王室と武家の関係を、ここで名と実とでとらえるのは、前に も出てきましたが ( 中巻六八頁以下および一〇六頁 ) 、本来、名実論は儒教の基本範疇で、それを かりながら、本来の意味とはちがった用い方をしているのです。儒教においては、名というの 1 は大義名分ですから非常に大きな意味をもつ。実とは単なる事実関係です。日本人の考え方は、 そ どちらかというと実質主義ですから、名と実というと、実の方に重点がおかれる。建て前はそ 現 発 うだけど本音は、というのに似てくるのです。名を捨てて実をとる、というのも同様です。け の 動れどもたとえば孔子が「必ずや名を正さんか」 ( 『論語』子路篇 ) という「名」は、事実関係にたい 偏 のする正統性の関係を意味し、比重は「名」にあります。周の王室が事実上どんなに衰弱しても、 というのが、儒教の名分論または正名論の本 諸侯は周の臣下としての分を忘れてはいけない、 る 質です ( したがってこの名実の区別は君臣上下の関係を前提にしています ) 。 お そこで福沢は、ここでもイデオロギー暴露のために、むしろ日本人の考えの傾向に即して名 域 領実のコト、、 ハを使っているのです。上巻に出てきた「虚威」と「実威」との区別三〇〇頁以下 ) と 似た用法です。 講 すこし先にとんだので、室町戦国の例のあと、武人がいかに権力偏重の法則に支配されてい 第 るかを総括しているところに後戻りします。 レジティマシー 155

5. 「文明論之概略」を読む 下

たしかに幕府という中央政府を一応別にしますと ( もっとも幕府も徳川氏という側面では所 領ーー天領ーーをもった一個の大名ですが ) 、藩間関係というのはちょっと近代の国際社会に 似たところがあります。大国も小国も国家平等原理にしたがって外交関係をもつように、百万 石の大藩も三万石の小藩も藩として平等であり、両方の大名も家老も対等につき合います。戦 争こそ幕末をのぞいてはありませんが、藩の閉鎖性、法規範の制定・執行権や課税の原則的自 策主性、くに境の明確性と厳重な防備など、国家相互関係に似ています ( 前にも申しましたが、江 対戸時代の漢文で「国家」というのは藩を意味していました ) 。幕末の動乱期において藩間外交で 々きたえられた武士たちは、国際的権力政治の現実と国家相互関係を律する一種の規範の存在と という二重の規準で国際社会を見る目を、すくなくも、中華帝国の士大夫官僚よりはヨリ容易に 空 真養うことができたでしよう。 精話がそれましたが、福沢はこの章のすぐ後の個所でも、また他の論著においても、国際関係 後をしばしば幕藩体制とのアナロジーで説明しております。それは「対等」の側面だけでなしに、 新たとえば西洋列強がアジアの諸人民にのぞむ行動様式を、旧幕府時代における武士の庶民にた いする差別とか「切捨御免」の態度とかに類比させています。こういう類比はおそらく読者に 講 四たいする説得力という点でもすぐれていたのではないかと思われます。 第 さて、以上のようにキリスト教立国論から「天地の公道」論まで説明がとんだわけですが、 241

6. 「文明論之概略」を読む 下

会集団を一つの単位としてみると、個人間の関係と同じように単位相互間に権力の偏重が内在 しております。 政府の官僚制のトップから末端の村役人に至るまでの権力の偏重を述べるところは、福沢得 意の議論だけに、描写がまた一段と面白い 政府の吏人が、平民に対して威を振ふ趣を見ればこそ、権あるに似たれども、此の吏人が政府中 なお に在りて上級の者に対するときは、其の抑圧を受くること、平民が吏人に対するよりも尚甚しき し ものあり。譬へば地方の下役等が村の名主共を呼出して事を談ずるときは、其の傲慢、厭ふ可き びんしよう 民 が如くなれども、此の下役が長官に接する有様を見れば、亦愍笑に椹へたり。名主が下役に逢ふ 国 こまえ にく て て無理に叱らるゝ模様は気の毒なれども、村に帰りて小前の者を無理に叱る有様を見れば、亦悪 あむ可し。甲は乙に圧せられ乙は丙にせられ、強圧抑制の循環、窮極あることなし。亦奇観と云 政 ふ可し。 ( 文一八三頁、全一四七頁 ) 本 日」 ここには、権力の偏重が実体概念でなく、関係概念なのだということがよく示されています。 講 特定のある人間が権力の偏重を「体現」しているのではなく、上と下との関係においてある。 第 ですから、上にたいしてはペコペコし、下にたいしては威張っているという「関係」が、ずつ

7. 「文明論之概略」を読む 下

第十九講の冒頭で申しましたように、国の独立が目的で文明は手段だ、という総括の前半部 分は文脈的理解がとくに必要な個所です。それは二つの意味でいえます。一つは目的と手段と の多層的連鎖関係ということです。それはこの個所では紡綿と製糸と織綿と衣服と防寒のそれ ぞれの段階での手段ⅱ目的関係を例として説明されていますが、私が講義でよく出す例でいえ ばこうなります。東京駅にタクシ 1 で行くというときは、東京駅へ行くことが目的でタクシー は手段となり、新幹線にのって大阪へ行くというときは、大阪へ行くことが目的で、東京駅に 行って新幹線にのることが手段となる。さらに何のために大阪へ行くか、それは商用だ、と、 うことなら、商用が目的で大阪へ行くことが手段です。目的手段の連鎖関係とはそれを指し へます。よくマキアヴェリズムのことを「目的のために手段を選ばず」と俗にいいますが、本当 形のマキアヴ = リ的思考は、も「とも適合的な手段をえらぶところにある点は別としても、目的 国のために手段を選ばないやり方は、右のような目的手段の連鎖関係に盲目な結果、恣意的に 国或るレヴェルで線をひいて或る目的を絶対化し、それがヨリ上級の目的にとっては一つの手段 的 権にすぎない たとえば革命も絶対目的であるはずがありませんー・・ーことが視野に入ってこな いのではないでしようか。福沢が「此の幾段の諸術、相互に術と為り又相互に目的と為」るこ 講 とを、この時点でハッキリ認識していたことは驚嘆に値します。ですから、国の独立が目的だ、 1 、則に読ん というときも、その目的はけっして絶対化されません。文明は手段だ、といっても一

8. 「文明論之概略」を読む 下

方に彼の観察の特色があります。 基本的命題の個所だけをぬき出して掲げましたが、その間にはさまれている比喩がまた実に 的を射ていてオリジナルですね。日本国中に千百の天秤をかけたとすると、天秤の大小にかか わりなく、そのすべてが一方に傾いてしまい、平均がとれているものがない。 また別の例でい うと、三角四面の結晶物をいくら細かく砕いてもやはり一つ一つが三角四面の相似形になって しまう。権力の偏重ということが日本の大小あらゆる社会関係のなかにビルト・インされてい る状態を、そういう比喩で表現しているわけです。 たとえば政府の官員様がいばっているとか、人民がこれに卑屈な態度をとるとかいうことは、 これは現象的にだれにでも見えて分る。けれどもそれは、もっと根源的な日本の社会関係を貫 通する法則が政治の場にあらわれたものなのだ、というわけです。当時はすでに民撰議院論が 興っていて、維新政府の「有司専制」ということがさかんに攻撃されていた。そういう議論と 福沢のいう「権力の偏重」とはどこで区別されるかといえば、まさにこの点です。 そして、実際に一切の社会関係に権力の偏重があることが、男女関係からはじまって、親子、 兄弟等の家族内の権力の偏重、つぎに家族外の師弟主従、貧富貴賤、新参と古参、本家と末家 といった「世間」での権力の偏重、それから次には社会集団相互間についての権力の偏重、と いうふうに具体的に挙げていきます。大藩小藩、仏寺の本山末寺、神宮の本社末社、これら社

9. 「文明論之概略」を読む 下

ますが、ここで手沢本にもう一つ「人民開化セサレハ国事ニ関ル可ラス」という書き入れをし ているのは注意する必要があります。というのは、ギゾーがこの個所で言っているのは、いわ ゆる絶対主義の時代には、イギリスのような比較的自由な国民 ( ネーション ) でさえ、課税とか 国内問題にはロをさしはさみ得たけれども、こと外交問題については全く関与できなかった、 景国際関係にまで人民が干渉できるようになるには人民の知性と政治的習慣がまだ不足していた、 命という趣旨でした。それを読んだ折に福沢は、必ずしも外交に限定しないで、一般的な国政の 大問題として右の書き入れをしているのです。 仏 英 と 宗教改革の役割 長 成 こうしてテ 1 マは宗教改革へと移ります。ギゾーではほぼ第十一講の終りから第十二講全体 の ス にかけての部分です。 ク はばか あたか なお 寺院は既に久しく特権を恣にして憚る所なく、其の形状恰も旧悪政府の尚存して倒れざるも の、如く ( 中略 ) 、顧みて世上を見れば、人智日に進みて、又昔日の粗忽軽信のみに非ず。字を知 講 ろうだん るのことは独り僧侶の壟断に屈せず、俗人と雖ども亦、書を読む者あり。既に書を読み理を求む 第 るの法を知れば、事物に就て疑なきを得ず。然るに此の疑の一字は正に寺院の禁句にて、其の勢 ほしいまま

10. 「文明論之概略」を読む 下

とするもの多きのみ。 ( 文一八二ー一八三頁、全一四六頁 ) 福沢の執拗低音である政治主義批判が、この「権力の偏重」指摘の場合にもこうして現われ ます。政府の側に立っ学者は、人民が衆をたのんで勝手な力をふるうのは怪しからんといも 民権派はもつばら政府の専制を攻撃する。しかしこの両者いずれも、権力の偏重の問題性を政 府と人民との関係だけからしか見ていない点では御同様だ。そうではなくて、日本ではおよそ あらゆる人間交際ーーっまり社会関係のなかに、権力の偏重がいわば構造化されているのだ、 というのが福沢の主張であり、また彼の最も独創的な思想です。 ここで福沢の考え方に二つ、大事なことがあると思います。 一つはいまいった人間関係の「構造」としての権力の偏重ということ。つまり人間交際のな かで権力の偏重がまず下部構造として、土台としてあ「て、その上層建築として、たとえば政 治権力の偏重もあるのだ、という観察です。 それから第二には、権力の偏重というのは、たんに事実の問題ではなくて、価値の問題であ るということです。つぎに具体例が出てきますが、たとえば封建時代には大藩と小藩があった。 ツ。ハにも大貴族と小貴族 寺院にも本寺と末寺がある。これをたんに事実問題とみれば、ヨーロ がありますし、大自治都市と小自治都市もありますから、大小の差の存在は必ずしも日本の特