人々が日常生活の中で使用するようになった製品も多数存在する。 たとえば、家庭用は、日本のソニーが世界で初めて製作に成功した。家庭用 は、その後、ビクターが開発した方式が世界の主流となった。 今では世界で一年間に約四〇〇億食も消費されているというインスタントラーメンも、日 ももふく しゅんかんゅねつかんそうほう 本人の発明による。現在の日清食品の会長である安藤百福は、瞬間油熱乾燥法という方法 を発明し、一九五八年、世界初の即席麺を誕生させた。 現在、メキシコでは日本の即席ラーメン「マルちゃん」が国家的規模の人気食品となり、 一一〇〇四年には一年間で約一〇億食が消費された。「マルちゃん」という一言葉が「簡単にで きる」「すぐにできる」という意味で一般的に使用されているという また、胃ガンや胃潰瘍など消化器系疾患の診断に欠かせない胃カメラを世界で最初に発明 国したのは、オリンパスの主任技師・杉浦睦夫ら三人の日本人である。現在でも日本は内視鏡 テ 先進国だが、その礎となったのがこの発明だった。この技術は消化器系ガンの早期発見に大 きな威力を発揮するなど、世界の無数の患者の救命に多大な貢献をしている。 その他にも、「ヘッドホンステレオ」、「コンパクトディスク」、「乾電池」、「カラオケ」な ど、日本人の独創から生まれた発明品は、世界の人々の日常生活の中になくてはならないも
ひと昔前までは、「外国人が日本に来たらサムライがいないので驚いた」などという話が 面白おかしく言われたが、現在ではそういう認識の人々もさすがに減った。サムライが今は いないことを外国のほとんどの人々はよく知っている。 しかし同時に、「日本人は結局やつばりサムライなんだよ」という受け止められ方をされ ることも珍しくない。前述の日本人選手たちの姿は、アメリカの人々に「サムライ」を連想 ち させるし、また、ヨーロツ。ハでは中田英寿の言動やプレースタイルがやはり「サムライ」的 丿だと評されている。 ス ア よく知られているとおり、中田も余計なことは喋らず、自分のプレーをストイックに追求 本するタイプである。派手なパフォーマンスに馴染みのあるイタリア、イギリスの地において、 る中田は「ミステリアス」な存在に映ることか多いのだ。 躍 活 で 界 世 章 七 第 【相撲】 ・適性 妻の肥満に悩んでいる男がいた。結婚する前は細身だったのに、結婚した途端にみる 205
かのようにバットを自在にコントロールする打者など、それまでのメジャーリーグの歴史に も存在しなかった。ロサンゼルスでは野茂の投げ方を、シアトルではイチローの「振り子打 法」の真似をする子どもたちが激増したという。 メジャーではあまり投げる投手のいないフォークボ】ルを駆使して、その年の新人王に輝 いた佐々木主浩の活躍は、「カズ・マニア」と呼ばれる熱狂的なファンを生んだ。 ち 二〇〇四年のシーズンでは、シカゴ・ホワイトソックスに入団した高津信吾のアンダース ローが大きな話題となった。地面すれすれから投げる高津のフォームは、シカゴのファンを ア完全に魅了した ( 高津は二〇〇五年にニューヨーク・メッツに移籍 ) 。 本「日本のプレイヤーは本当に個性的だな」とは、アメリカの野球ファンからたびたび漏れる る感想である。 躍 活 で 日本人像と一致するプレースタイル 界 世 個性溢れる日本人プレイヤーの活躍が、「日本人Ⅱ没個性ーというイメージを崩している その一方で彼らのプレースタイルが非常に「日本的」なものとして 七ことに前段で触れたが、 見られることもある。 203
が後日、調べてみたところ、空手はもともと「唐手」と書かれていたらしいことがわかっ た。少林寺拳法をはじめとする中国拳法の影響を強く受けながら発展したことがその理由の ようで、大正時代になってから禅の理念に基づく「空」の字に変えたのだという。ただ、セ ルビア人がそんなことを知っていて「唐手」と書いたのかどうかは疑問である。もっとも、 教室に日本人がいないことは想像がつくので、あるいは中国人がやっているのかもしれない 現在、空手の道場はアメリカや西ヨーロッパにはもちろん、東欧の小さな田舎町にまでも 存在する。海外の人々のほうが、空手に対する興味や憧れが日本人よりもずっと強い。 ルーマニアとユーゴスラビア ( 当時 ) の国境でもあるドナウ河の河畔にある田舎町トウル ヌセべリン。ル】マニア側に位置するこの町にも、しつかりと空手道場があった。その道場 では、ルーマニア人の先生のもと、三〇人近くの子どもたちが一生懸命に汗を流していた。 東欧の空手の先生は、ドイツやフランスなど、西ヨーロッパに研修に行って学んだ人が多 いようである。その西ヨーロッパの先生たちはといえば、日本人から習っている人が多いの で、日本の空手の技術や精神は、西ヨーロッパを経て、ほばそのままの形で東欧の片田舎に まで届いていることになる。 210
また、フランスではベルギー人を同じく「愚か者ーの対象として笑いのネタにすることが 多い。オーストラリアとニュージーランドのあいだには、お互いを笑うジョークか多く存在 する。しかし、それらは差別や確執といった深刻なものではなく、どちらかと言うと軽ロ (bante 「 ) のようなものであり、あくまでもユーモアの範囲内にある場合がほとんどである。 そうした中に、本書で紹介しているような日本人を扱ったジョークも存在していることにな る。 日本人Ⅱお金持ち という構図は、その中でも代表的なものの一つである。 ・ある計画 ロシア極東に位置する小さな自治共和国。主な産業もなく、経済は破綻し、人々の生 活は困窮しきっていた。政府は連日、話し合いを重ねたが、やがて一つのすばらしい結 論を導き出した。それを実行すれは、国民は今よりも確実にずっと豊かになれるだろう
日本語の特徴 同一性の強いムラ集団の中においては互いに意思疎通を図ることが比較的容易であり、そ の和を乱すような強度の自己主張の必要性は薄い。日本では明確な断言は忌避され、婉曲的 な表現が好まれてきた。日本語の持っ言語構造も、そうした基盤の上に確立されている。一一一口 語とは文化の在り方と分かち難く存在しているものである。 日本語の文法は、主語を言わなくてもわかるように成り立っている。たとえば「好きです」 という言い方には一も you も存在しない。主語も目的語もなく、あるのは動詞だけである。 主語ー動詞ー目的語という文型を基本とした言語を母国語とする人々からすると、動詞だけ で意味が通じるという日本語は、特異な言語に映る。逆に日本人からすれば、主語をわざわ ざ明確にしなくても、「誰が誰を好きなのかは状况や話の流れでわかるはずということに なる。 前述の例だけではなく、一般的に日本語は主語がなくても通じるようにできている。それ なのにわざわざ主語を冠することは、「自己主張が強くなり過ぎないかー「相手に嫌な気持ち を抱かせないか」とい、つ心配を生じさせることになる。このよ、つな、い情は欧米人にはなかな か理解されない。彼らからしてみると、主語、主体を明確にして話すことはより論理的に話 120
第一章ハイテク国家像 は、もし侵入者があった場合、自動的に シャッターが切られるとい一つ優れものだ ったのである。これなら、万が一、自分 がまた眠ってしまっても、犯人の顔はわ かるのだ。 それから一週間はまた何ごともなく過 ぎた。しかし、その翌日の夜、彼のあの 悪癖がまた顔を出してしまったのである。 朝になって眼を覚ました彼は、ガラス窓 が破られているのに気がついた。彼は青 くなったが、しかしカメラの存在を思い 出し、フィルムをチェックしょ - っとした。 しかし、なけなしの金をはたいて買った カメラも、跡形もなくなっていたのであ る。
第五章神秘の国ニッポン 「それで ? そのあとはどうなった ? 」 彼の友人たちは鼻息荒くそう聞いた。彼は言った。 「そのあと ? そのあとはニューヨークと同じだったよ」 ・幸福論 「人生における最高の生活とは ? 「アメリカで給料をもらい、イギリスの住宅に住み、中国人のコックを雇い、日本人を 妻にすることさ」 「では、最低の生活とは ? 」 「中国で給料をもらい、日本の住宅に住み、イギリス人のコックを雇い、アメリカ人を 妻にすることさ」 日本女性へのイメージ 前述のジョークは世界中でよく知られたもので、エスニックジョークの代表的な存在であ る。欧米はもちろん、アジアでも好んで楽しまれている有名なものだ。 149
イギリス人のように料理し、フランス人のように運転し、イタリア人のように冷静で、 日本人のようにユーモアがあり、スペイン人のように謙虚で、ポルトガル人のように勤 勉で、ベルギー人のように役に立ち、オランダ人のように気前がよく、韓国人のように 忍耐強く、インド人のように上品で、ロシア人のように酒を飲まず、トルコ人のように 計画性があり、イラク人のように温厚で、ルクセンブルク人のように存在感がある人の ことである ・わかるように : あるアメリカ人が、日本人にこう言った。 「日本人を題材にした、とっておきのジョークがあるんですがね。言いましようか ? 」 日本人は無表情のまま答えた。 「しかし、私がその日本人なのですが」 アメリカ人は言った。 「わかってますよ。だから、わかりやすいようにゆっくり話しますから」
先に、『世界の紛争地ジョーク集』、『世界反米ジョーク集』と上梓したが、その後の読者 からの反応として多かったのが、「日本人を扱ったジョークはないんですか ? 」というもの だった。 意図的にそうしたわけではなかったのだが、 確かに前作までは日本人をオチ (punch line) にしたジョークはあまり収録していなかった。そんなわけで読後に、「ジョークの世界でも 日本は影が薄いな」と感じた方々が多くいたのは仕方のないことだった。 しかし、ジョークの世界にも日本人が「出演」するものはしつかり存在する。全体に占め る割合としてはアメリカ人やイギリス人、ロシア人やユダヤ人らを笑うものと比べれば少な いものの、それでもそこでは多種多様な日本人像が描かれ、笑いの対象となっている。 そんなジョークや小咄には、彼らの日本人観が色濃く反映されている。言わば、日本人ジ ヨークは日本に対するイメージの発露であり、日本人独特の普遍性を含む結品のようなもの まえがき