士の持っポストオフィス切手を一枚一〇〇ポンドで買うという申し出だった。結局切手は出てこず、 ネイサンはそのとき眺めていた切手帳を五ポンドで買うことにした。そしてポストオフィスがある なら、一枚一一〇ポンドで買うと一言うと、紳士は翌朝には連絡して実物を見せると約束した ( どこ かにまぎれていると言わんばかりの態度だった ) 。だが切手は見つからなかったのだろう。以後二度と 紳士に会うことはなかった。自宅に戻ったネイサンが、五ポンドで買った切手帳を開いてみたとこ ろ、めばしい切手はいつのまにか抜きとられていた。ネイサンはこんな風に述懐している。「あれ ほど見事ですばやいトリックは見たことがない。あの老紳士は人生を誤ったと思う。手品師になれ かなりのところまで行ったのではないか」 それから時代は下って、一九二一年一月にもウィ 1 ンで切手詐欺 ( まがい ) 事件が起こったが、 二つの話にはなぜか催眠術という共通点がある。フランツ・ラ 1 1 という職人は、「自分は一八 四七年発行のモ 1 リシャス切手を七枚も持っている幸運な男だ。しかもそのなかには、有名な青い 二ペンスも入っている」と信じていた。 1 の話によると、ウィ 1 ンの切手コレクタ 1 協会の会長を名乗る男がやってきて、貴 重な青い切手と、大して価値のない切手を交換させようとした。ラー ヾ 1 はすぐさま警察に届 けたが、調査すると意外なことがわかった。ラ 1 バーは、有名な催眠術師であるアンドルッセ ンの犠牲者だったのである。アンドルッセンは彼に催眠術をかけて、ありもしないことを事実 だと田 5 いこませていたたから切手交換詐欺の話は、全部ラ 1 1 の夢のなかのできごとだっ た。おそらくモ ーリシャス切手を持っているというのも、ただの思いこみだろう。 200
たときのことを、「ディリー ・メ 1 ル紙上で回想している。そのなかで彼女は、切手帳はまず自 分がディーラーのところに持っていったと語っている。ところが、形ばかりの金額しか提示されな かったので、ディ 1 ラーは興味がないものと思い、彼女は切手帳を売らずに持ちかえることにした。 せつかくの掘り出し物を逃がしたくなかったディーラーは、彼女のあとをつけてポナーの家まで行 ったという。トマス嬢とポナ 1 が、切手帳を手にとったら、たまたまモ 1 リシャスの切手が貼って あるべージが開いた。その瞬間、二人は郵趣品にくわしい競売会社にまかせようと決意した。 「スタンレー・ギポンズ・マンスリージャーナルー一九〇三年一二月号に掲載された記事も、トマ ス嬢の後年の証一言を裏づけている。それによると、同年一一月には、最初のディーラーがポストオ フィスに信じられない安値をつけたため、持ち主がパティック・アンド・シンプソンに持ちこんだ ことが、噂として流れていたようだ。その噂はほんとうだった。その不運な切手商は、「誤った印 象」を正すために、わざわざ「マンスリージャーナルー編集部に連絡している。切手商の話による と、切手帳を持ちこんだ女性に二四ポンド ( ! ) という金額を提示したのは、彼女が「二〇ポンド で手ばなせれば持ち主も満足だ」と言ったからだという どうやらトマス嬢も、切手の知識はポ ナーといい勝負だったようだ。名前は伏せられているその切手商は、翌日六〇〇ポンドから七〇〇 ポンドを提示したが、 : ホナ 1 は交渉に応じるつもりはなかった。 切手を持ちこまれたパティック・アンド・シンプソンのほうも、発見から一五年ほどあとにシン プソン自身が証一言している。彼らはポナ 1 「競売に出せばものすごい高値がつく。ただ世界中 に宣伝したいので、充分な時間をかけたい 」と申し出た。こうしてパティック・アンド・シンプソ ンは、世界の郵趣界に向けて発表を開始する。現存する「ポストオフィス・モ 1 リシャスーのなか 148
の使用ずみペアがいっしょに落札されたし、二三年にはハインドが未使用ペアを購入している。テ オドル・シャンピオンは、一九二三年四月に一ペニー単片をフェラリ 1 から二一〇〇ポンドで買っ た。「探偵小説ーに「レッド 1 リシャス [ が掲載されたのは一九二三年二月だから、作者のマ ルコム・フィールドがこの短編を書きおえたあとの話だが、作品では市場価格が二五〇〇ポンドと なっているので、けっこう現状に近い価格を設定していたことがわかる。 その後、知名度で劣るレッド・モ 1 リシャスが小説に登場するのは、半世紀以上もあとのことに なる。今度も犯罪小説で、ポストオフィス切手の盗難が軸になっていた。それはハワード・ファス トが・ > ・カニンガムの筆名で書いた 「一ペニーオレンジ事件ーで、一九七七年に発表された マサオ・マストは、ロサンゼルスのべヴァリーヒルズ警察に勤務する刑事で、褝宗修行者の顔も 持つ。マストは切手ディ 1 ラ 1 の死を調べていたが、手がかりはディーラーの日誌に書かれていた の文字だ ごけ。切手が関係しているとにらんだマストは ( 「切手と言っても手紙を出すために郵便 局で買うやつじゃない。人びとが必死になってコレクションする切手のほうだ」 ) 、切手を収集している 義父のイシドウに、「人を殺してでも欲しい切手はあるのか」とたずねる。そして一八四八年にモ 1 リシャスで発行された一ペニー切手の存在を知るのだ。とはペニー リシャスの略だっ だが発行年が一八四八年とは ? 年代のうつかりミスか、下調べの不足か。だが続きを読むと、 。彡リ市、、、 1 ナ 1 ドの 作者のハワ 1 ド・ファストはかなりポストオフィスにくわしいことがわかる周亥自ノ 果たした役割や、 OFFICE の文字がエラ 1 かもしれないという話、さらには原版発見のことまで書 きこまれているからだ。実はこの年代の「誤り」は、マストが別のディーラ 1 を訪問するために意 234
つまり最初の発見者は男子生徒ではなく、金額は不明だが、彼も誰かから買ったのではないかと示 唆しているのだ。 この男子生徒かどうかはともかく、ポルドーの手紙の発見者は、一九〇三年一月一七日に二通の 手紙をテオフィル・ルメ 1 ルのところに持ちこんだ。ルメ 1 ルは手紙を買いとり、二週間後、自分 が出している新しい郵趣誌「郵便切手相場」にポストオフィス発見を公表した ただし、二種類 の切手が貼られたほうたけである。ル メ 1 ルはつい二号前の同誌で、。、 ホストオフィスをはじめ稀少 切手を良好な状態で持っているコレクタ 1 は、自分のところに持ってくれば高額買い取りすると呼 ひかけたばかりたった。そのインクもまだ乾かぬうちに、とルメ 1 ルは続けている。ひとりのコレ クターが、古い手紙類のなかからこのポルド 1 の手紙を見つけて持ってきた。その人物について、 ルメ 1 ルは「アマチュア」という表現をしている。おそらく本格的な郵趣家というより、もっと気 楽な切手コレクタ 1 という意味だろう。郵趣誌はサブタイトルが「フィラテリストのジャ 1 ナル となっていて、ルメールはそのなかでこの一言葉をよく使っている。切手を愛する人、という程度の のこし J か ~ もしれ . ない いずれにしても、男子生徒に関する記述はどこにもない それでも もしかするとルメ 1 ルは、発見にまつわるくわしい話を知らなかったのかもしれない 有能なディ 1 ラ 1 として、できるかぎり情報収集に努めたはずだ。舞踏会の封筒を売ったアンリ・ と もっともアダムの場合は、すぐに身元 アダムと同様、発見者は匿名を条件で売ったのだろうか 男かわかってしまったが。 モエンスは、一八九九年にアダムの封筒発見を報告する文章のなかで、受 章取人は自分の名前を消すように要望したが、写真を見ればすぐに読みとれるとして、アダムの名前 第 を何のためらいもなく出した。その後ルメ ールも「発見者はアダムだと正式に認めた。 135
き冒犢行為は、ヾ 1 ナ 1 ド自身がデザインしたものも含めて、その後モ 1 リシャスで発行された切 手でますますひどくなったようだ。 1 リシャスの切手ーの筆者は、「ポストオフィス」の後続で 発行された「ポストペイドー切手について、「多彩な特技を持っバ 1 ナ 1 ド氏も、歯科の知識まで は持ちあわせていなかったようだ。もしあったならば、歯のない女王陛下の肖像など彫らなかった はずである ! 」と書いている。 額面ごとに五〇〇枚ずつの「ポストオフィス」切手は、一八四七年一二月にバ 1 ナード自身の手 で印刷されたようだ。だがこれつばっちの数では、売りきれるのもすぐナ ご。最初の印リ。 届カら一年も たっていない一八四八年六月には、ヾ 1 ナ 1 ドは一二面シ 1 ト ( 三枚 x 四列 ) の新しい切手の原版 を彫りあげていた。こちらもデザインは「ポストオフィスー切手とほとんど同じで、ただ「ポスト オフィス」のところが「ポストペイド」になっていた この文字の変更が、のちにさまざまな億測を呼ぶ。最初につくられた「ポストオフィス」は、郵 ポ趣用語で一言うェッセイ、つまり正式に発行されていない、たたの試作品たったのではないか ? アや、本来「ポストペイドとするべきところを、まちがって「ポストオフィスーと彫ってしまった ンのでは ? 実際バ 1 ナ 1 ドがつくった二ペンスの「ポストペイド」一二面シ 1 トには、彡 周るし」 M-J に 手元が狂ったのか、一枚だけ Z O の O が O になっているものがある。これは Z O エラ 1 切手と呼ばれ、郵趣家たちが求めてやまない珍品として、数万ドルの値がついている。このころ セ 刄は機械的な工程がまったくなく、すべて原版を人間の手で彫っていたから、こうしたエラ 1 が出る 章のも無理はない。 そしてエラ 1 があっても、切手はそのまま使用された。バ 1 ナードが原版を彫っ 第 た「ポストペイド」切手は、 Z O エラ 1 のものも含めて、およそ一〇年間使用された。
ス号だ。部数を伸ばし、切手に興味を持ってもらうために、「軽く読める記事やストーリー、ファ ンタジ 1 」を詰めこんたおいしいプディングにしなくてはならない このことを考えると、「盗ま れたモ 1 リシャスーも話半分で読んだほうがいいたろう。実際、この話の最初のほうは、ジャベ ス・ジョ 1 ンズが一八六四年に「スタンプコレクタ 1 ズ・マガジンーに掲載した放浪記の引きうつ しである。 たた、モーリシャス切手がからんだ犯罪は実際にあったようだ。やはり立派な郵趣家だったウォ ルタ 1 1 」に載せた一連の回想録のな ・ネイサンは、「スタンプコレクタ 1 ズ・フォ 1 トナイトリ かで、一八九〇年以前に起こった詐欺事件について書いている。あるとき彼は、ひとりの紳士が出 1 リシャスおよびオ 1 ストラリア植民地と盛ん した広告に目がとまった。一八四七 5 五七年に、モ に文通していたというその紳士は、ポストペイド六枚とポストオフィス二枚を売りに出したのであ る。自分の目で確かめようと思ったネイサンは、ロンドン北部にある住所を訪ねた。「南太平洋の どら ひすい 一カヌ 1 と武器、マオリ族ゆかりの品、日本のほうろう細工、中国の銅鑼、象牙、翡翠、真鍮細工な ~ を ( , 刀一 ) 4 も、一口田 クい」はい」 : : が雑然と置かれーた部屋は、座る場所を見つけるのもひと苦労だ。そこよ、。 コ広い趣味を持っ旅行好きのコレクタ 1 の仮住まいという感じだった。切手の持ち主は初老の紳士で、 「自分の生まれ、受けた教育、旅の数々ーをえんえんと語りだす。それを聞きながら、ネイサンは ね「メスメルの磁気にかけられているのではないかと思い ( 当時は催眠術という言葉は医学用語で、まだ 大 一般的でなかった ) 、あわてて警戒した」。 とにかく切手を見せてほしいと頼むと、紳士はポストオ o フィス・モ 1 リシャスが六枚あると言いだした。そしてがらくたの山から切手を探しはじめたとき、 第 ドアをノックする音がした。電報が届いたのだ。差出人はフィリップ・フォン・フェラリ 1 で、紳 199
れはアルトウール・ド・ロスチャイルドが二三年間 ( 一八七〇 5 九三年 ) 手元に置いたあと、フェ ラリ 1 が一九年間所有していた ( 一八九三 5 一九一二年 ) 。二ペンスのほうが状態は良く、赤い消印 がかすかに見られるだけだ。これはポシャ 1 ル夫人が見つ け、デボワ夫人が売ったものの一枚で、 ペリネルが一一年間 ( 一八七〇 5 八一年 ) 持っていたあと、フェラリ 1 ・コレクションで三〇年以 上を過ごした ( 一八八一 5 一九一二年 ) 。その後フェラリーは、アメリカのディ 1 ラーとの取引で、 このポストオフィスを貴重なポスコーエン切手と交換する。それからしばらくして、ラガーローフ は両方のポストオフィスを購入するのだ。彼はもとから、これらを柤国スウェーデンに寄付するつ もりたったようた。ヾ ヘルリンの郵便博物館に負けたくない気持ちがあったらしい。一九〇六年に創 設されたスウェ 1 デン郵便博物館は、、 しまも二枚のポストオフィスが収蔵品の白眉になっている。 フェラリ 1 コレクションが処分されてからしばらくのあいだ、ポストオフィス市場にはほとん ど動きがなかった。 一九二〇年から四〇年のあいだに、テオドル・シャンビオンが持っていた二枚 しカこのコレクタ 1 はいまだ の一ペニ 1 のうち、評価の低いほうを匿名コレクターに売ったぐら、ご。 に正体不明で、切手に関しても七〇年間音沙汰なしである。一九三〇年代に入ってまもなく、モー リシャス切手の重要なコレクタ 1 二人が、あいついでこの世を去る。一九三一年にヘンリー・マヌ スが、そして三三年はじめにア 1 サー ・ハインドが死んだのである。オランダ人のマヌスが所有し ていたのはアンリ・アダムの封筒で、博物館や王室コレクションに入っていない唯一の舞踏会封筒 マヌスはこの封筒を一九〇九年から所有していたが、一九三三年一二月一〇日、最良の状態 トム・アレ を誇る未使用二ペンスと合わせて売却する。それを買ったのはイギリス人ディーラー ンだった。大恐荒で経済がどん底だった時代だが、 ) 力なりの金額を積んだと思われる。数年後、ア 202
第 9 章大物ねらいのコレクター 手の届かないところを自由に疾駆する理想だけが、狩るに値する獣だ。コレクターならそのことを わかっている。郵便切手コレクターの不思議な感情については、私は推測することしかできないが、 透かしや目打の研究に血道をあげているのを見て、彼もまたコレクターなのだと確信した。古い ンボランドの臨時切手を全部そろえただけでは、ほんとうの満足は得られない。それらをアルバム に貼りながら、彼の心は途方もない夢を追いかけている。いつの日か、 5 がさかさまに印刷された オイルリヴァーズ保護領五セント切手を手に入れたい。それは、一枚だけ存在が知られていて、サ ンフランシスコのノブヒルに住む億万長者が持っていたのだが、中国風ゴシック建築の屋敷ととも に焼けてしまった。 「イヴニング・ニューズーロンドン ( 一九一四年 ) 一九二一年六月の午後。フィリップ・ラ・レノティエレ・フォン・フェラリ 1 の切手を一枚でも ささか ノリのオテル・ドルーオ前は、い 手に入れようと、あらゆる階層のコレクタ 1 が集まった。。、 けんのん 剣呑な空気に包まれる。正面玄関の扉が開くやいなや、彼らは全速力で階段を駆けあがり、オ 1 ク ションル 1 ムの入り口でもみあい、良い席をとろうと争奪戦を展開したーー結局すべての席が埋ま コレクションがようやく競売にかけられることに った。何か月もの準備期間を経て、フェラリ 1 なったのだ。落札額は五〇万ポンド以上になると言われていた 185
そこで彼は、プランドンに盗みだしてほしいと依 持ち主である切手コレクタ 1 は応じてくれない 頼してきた。探偵はそれを断り、物語は終了 : : : するはずがない 、フランドンはパーティで切手コレクターに接触し、「ブル ーリシャス」について探りを入 れる。そこでこの切手のくわしい話を聞かされるのだ。切手はあ、る船長が手に入れたものの、世紀 の変わり目ごろに行方がわからなくなった。その後インド、中国、オ 1 ストラリア、メキシコ、チ いまはダグラス・クレイグと べットで見かけたという噂が流れたが、ついにふたたび姿を現わし、 フランドンはクレイグに警土ロしようと彼の部屋 いう男が所有している。謎の訪問者に気をつけろ。。 を訪ねたが、時すでに遅かりし。クレイグは殺されていた。部屋は物色された形跡がなく、切手も フランドンはそ - フ 金庫に入ったままだった。だがこれは、犯人がすりかえたにせものではないか。、、 田 5 ったが、自分だけの秘密にしておいた プランドンは犯人をあぶりだすために、新聞に広告を出す。そして犯人に、盗まれた切手はにせ 中 ものであり、ほんものは自分が持っていて、それを証明する書類もあると呼びかけるのだ。話はさ 夢 いく。そしてプランドンは抜け目なく切手をすりかえ、 判らに進み、パズルのビースか次々とはまって 1 リシャスをいただいてしまう のほんもののブルー ス ャ シ オレだって、遊び半分でこんな騒ぎに首をつつこんだわけじゃないさ。シカゴに戻れば、好 モ きな金額を書きこめる白紙の小切手が待っているとしても、備えあれば憂いなしってやつでね。 章 まるでそんなことはいたしませんって顔をしといて。 第 1 刀 つまりいたごくわすご。 2 引
・価値を与えるのはコレクターだよ。コレクタ 1 が血眼にならなければ価値はゼロだ。で はコレクターはなぜ価値を与えるか ? それは第一にめずらしいからだ。ほかに誰ひとり持っ ていない、あるいはほとんど誰も持っていない切手の持ち主になれる。なせロ 1 ルスロイスに : 一枚の切手が神 七万ドルも出すのか ? ほとんどの人が持っていないものを持てるからだ : 話を紡ぎだし、それを盗みだそうとする泥棒や、値を釣りあげる王族や石油成金、果てはその ために人を殺す殺人者まで生みだす。 中 夢 利やがて殺されたディ 1 ラーは、ナチスの戦争犯罪者だったことが判明する ( 強制収容所があった のプーヘンヴァルトで親衛隊長をしていたのだ ) 。さらに、ディーラーの死と、その前日に起こった盗難 ャ事件とのつながりも浮上してきた。盗難にあった女性の父親は、ブーヘンヴァルトの収容所で死ん だのだが、戦前は有名なギポンズ切手カタログのドイツ版を発行していた。そこでマストは推理す モ る。女性の両親は、本人の知らないあいだに娘に大きな財産を残したのではないか。それは一ペニ 章 1 ポストオフィスが貼られた封筒である。封筒つきになると切手だけより価値が高く、おそらく三 第 〇万ドルはするだろう。ディ 1 ラ 1 殺しの犯人はわからずじまいなのだが、再現するのも困難な入 図的に入れられたものだった。そのディ 1 ラ 1 は、「一八四七年の一ペニーオレンジは、世界でい ちばん貴重な切手だ」と明言し、「その切手をめぐって殺人の歴史が繰りひろげられてきた。と語 る 小さな紙きれにどうしてそんな価値が ? と首をかしげるマストに、ディ 1 ラ 1 はこう説明す るのた 235