論 - みる会図書館


検索対象: 仏教入門
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1. 仏教入門

えじようろん ールジ = ナ著述説もある ) 、ナ 1 ガ 1 ノ、 残る『方便心論』 ( ナーガ レジュナ著の『廻諍論』といったテ クストに、論理学への発言が伝えられ、それらに用いられる諸術語は、後代の仏教論理学にも インド論理学のニヤ 1 ャ学派にも、ほばそのまま共有される。 仏教論理学は精密な理論体系を誇る唯識説において磨かれ、そのひとりディグナーガ ( 陳那 ) が、知識論ー認識論とともに樹立する。 じゅりようろん ディグナーガには『プラマーナ・サムッチャヤ』 ( 知識集成論、『集量論』と訳される。チベット しようちゅうろん いんみようしようりもんろん 訳のみ ) の主著のほかに、漢訳の『観所縁論』『掌中論』『因明正理門論』などがある。 ディグナーガは、正しい認識 ( プラマーナ、量という ) の根拠として、直接知覚 ( プラティヤクシ ヤ、現量 ) と推論 ( アヌマ 1 ナ、比量 ) との二種のみを承認し、直接知覚は分別 ( 判断に相当しよう ) を離れていて無内容であるが、それに推論が加わることによって具体的な認識として成立する という ( このあたりはカントの感性論と分析論とにおける認識の成立と酷似する ) 。このように推論 が効果 ( アルタクリヤ↓を有することは、日常の経験から確認される ( この点でアプリオリⅡ先天 的、またトランスツェンデンタールⅡ先験的〔超越論的〕を説くカントから離れる。ただしカントも弁 証論では、対象との接触を欠いた理性は仮象を生むという ) 。 さらにディグナ 1 ガは、推論を「自分のため ( スヴァ・アルタ ) の推論」と「他人のため C ハラ・ アルタ ) の推論」とに二分して、その認識論を進め、以後この二種の推論を論証に用いつつ、か 202

2. 仏教入門

ーリ文献ではアビを「優れた、過ぎた」を意味すると 究」をあらわして、対法と訳される。 して、アビダンマを「優れた法」と解する。 ーリ上座部には、紀元前二五〇 ~ 前五〇年ごろの約二百年間に、『カターヴァットウ』 ( 論 ノ 事 ) をふくむ七つの論が成立し、この七論が論蔵 ( アビダンマ・ビタカ ) とされ、その他の註釈書 や研究書などは、すべて蔵外と扱われる。 ろんじよ ほっちろん 有部 ( 説一切有部の略 ) でも、『発智論』のほか六種の足論と呼ばれる論書がつくられ、一般に はちけん 「六足発智」と称する。これらは前一世紀ごろまでに成立した。なかでも『発智論』 ( 異訳『八腱 かたえんにし ろんじ どろん 度論』 ) は、大論師カ 1 ティャ 1 ャニープトラ ( 迦多衍尼子 ) の著で、その広汎な内容が有部の教学 しんろん の基本を示すところから、身論と称する。これらの七論は漢訳が揃う。それらのサンスクリノ ト語のわずかな断片が中央アジアから発見され、ドイツに校訂出版がある。 以上のほか、論蔵には加えられない註釈書や解釈書、また論書も多数つくられた。 ーリ文献では、二世紀のウ。ハティッサのあと、五世紀に南インドからスリランカに渡来し ぶっとん 長期間滞在したブッダゴ 1 サ ( 仏音 ) が、三蔵のほば全部に詳細で厖大な註釈書をつくり、また しようじようどうろん 独自に名著『ヴィスッディマッガ』 ( 清浄道論 ) を著わした。かれの解釈が上座部教理の標準と して、現在もたえず引用される。 ハーリ語には、スリランカ史を伝える『ディー。ハヴァンサ』 ( 島史 ) と『マハ 1 ヴァンサ』 ( 大史 ) うぶ 0 、 ノ ノ そくろん

3. 仏教入門

しゅう 量部に転じ大衆部説なども考察にいれて、「理に長ずるを宗 ( 根本 ) となす」という立場から、批 しんだい 判的で詳細なはるかに長い散文を同書に記す。漢訳二種 ( 玄奘訳は三十巻、真諦訳は二十二巻 ) 、 チベット訳、また一九六七年刊のサンスクリッ ト本も揃う。 この『倶舎論』はたんに一、二の部派の教説だけではなく、仏教学全般の基本と諸分野にわた る精髄とを、まことに適切に伝えており、その著述直後から絶えることなく現在まで、インド、 中国、チベ、 ノト、日本などの仏教者にさかんに読まれており、全世界の仏教学者の必読書とさ ゆいしき れる。なおヴァスパンドウは、このあとさらに大乗仏教に転じて、後述する唯識についての名 著その他を著わした。 あびだつまじゅんしようり しゆけん 『倶舎論』が有部に批判的であることに抗して、サンガバドラ ( 衆賢 ) は『阿毘達磨順正理 ろん あびだつまけんしゅうろん 論』八十巻を著わして、有部説を強調し、また別に『阿毘達磨顕宗論』四十巻の著述もある。 それでも『倶舎論』は広く読まれて、数種の註釈書がつくられ、またその内容を踏襲した論書 に『アビダルマディー。、 ト本のみ ) などが知られる。 ノ』 ( サンスクリ しやりほっあびどんろん ハーリと有部系との完全な論蔵のほか、法蔵部の論書『舎利弗阿毘曇論』三十巻や、訶梨跋 じようじつろん 摩 ( ハリヴァルマン、二五〇ー三五〇年ごろ ) の『成実論』十六巻の経量部系などが、漢訳されて 残る。なおこれら以外の多数の部派の多数の論書が、玄奘によって中国にもたらされたが、玄 奘訳は有部と大乗との経と論のみ ( ほかにインド哲学の論書 ) で、他はすべて失われた。 ま ッ かりばっ

4. 仏教入門

否定する説も根強い。 アサンガも、ヴァスヾンドウも、ガンダーラのプルシャプラ ( いまの。ハキスタンのペシャワー ル ) に生まれ、それぞれ化地部・有部で出家し、のち大乗に転じた。 しようだいじようろん アサンガには、 上掲の『摂大乗論』を主著として、『瑜伽師地論』のかなりの部分、『大乗阿 びだつまじゅろん 毘達磨集論』ほかがある。 ヴァス、、ハンドウは、厖大な著述を残し、そのうち最も重要なもののみに限っても、最初の有 だいじようじよう′」う すす きようりようぶ くしやろん 部ー経量部の時期に『倶舎論』、兄のアサンガに勧められて大乗に転ずる過程の『大乗成業 ゆいしきさんじゅうじゅ 論』、転換後に唯識説を大成してそれを簡潔に論述した『唯識二十論』と『唯識三十頌』があ る。そのほかマイトレ 1 ャ ( と伝えられる ) とアサンガとの諸著述への註釈、多数の大乗経典へ 史の諸註釈、なかでも『十地経論』『法華経論』『浄土論』などは欠かせない。あまりに多方面に 想 思活躍して著書が多種多彩多数にわたるために、ヴァスパンドウ二人説が古くから現在まで主張 教されている。 以下には、『唯識二十論』と『唯識三十頌』によって、唯識説の入門的な要点を記す。 ン ノー 1 トラター ときにヴィジュニャーナ・ヴァ 1 ダと 唯識の原語は、ヴィジ = ニャプティ・マ 部 いう。ジ = ニヤ 1 ( 知る ) という語根にヴィという二分を示す接頭辞を付して名詞化すると、ヴ 第 イジニヤ 1 ナとなり、ジニャーの使役活用形を名詞化すれば、ヴィジ = ニャプティとなる。 ろん だいじようあ 177

5. 仏教入門

かいおうじゅ 誡王頌』『菩提資糧論』などの著述があり、一部を除いて、サンスクリッ じゅうじゅうびばしやろん だいまんはんにやきよう 訳がある。また『大智度論』 ( 『大蟲般若経』の註釈 ) と『十住毘婆沙論』 ( 『十地経』・の註釈 ) と『十 二門論』 ( 『中論』の抄出 ) は、漢訳のみが伝わり、全体がかれの著述か否かの疑義をふくむもの の、後世への影響はすこぶる大きい ナ 1 ガ 1 ルジ = ナは晩年に故国に戻り、南インドに四百年間以上も安定を保ったサ 1 タヴァ ハナ王朝の王と交流し、勧告している。 『中論』は、原本は不明ながら、五世紀初期の羅什訳から七世紀のチャンドラキ 1 ルティの 註まで、計六種の註釈書が現存する。 『中論』は約四百五十の詩が二十七章に区分される。同書は、ことば、実体 ( 本体 ) 、運動、機 能、原因と結果、主体と作用、主体と客体など、また仏教の諸術語を徹底的に考察して、ひと ことでいえば、実体的思惟を否定し去り、複雑な相互関係による成立を浸透させて、空の解明 を果たす。 けろんじゃくめつ 同書冒頭の八つの否定 ( 八不、あらゆるモノ・コトの否定 ) は、かれ独自の縁起説と戯論寂減と に連なる。それは、ことばそのものが、どれほど完全を期しても、ことば本来の拡大による虚 構性を免れず、おのずから限界があることを明らかにする。しかもそのことばに不可避の虚構 と限界とを前提としつつ、以下にことばの論議を尽くすさまが、この八不に籠められている。 はつぶ 162

6. 仏教入門

チャリャーヴァターラ、邦訳『悟りへの道』 ) 『大乗集菩薩学論』 ( シクシャーサムッチャヤ ) の著があ り、ともに六波羅蜜の修行を解説し奨励し、また他者への奉仕をとくに強調する。 他方、スヴァータントリカ派は、スヴァタントラの語が自立や自起と訳されるように、自力 で活動する意であり、みずからの空の立場を充分にねりあげた論式により主張する。ここには じん 他者と共通する認識論や論理学への配慮があって、これは後述する同時代のディグナーガ ( 陳 にたい 那、四八〇ー五四〇年ごろ ) の仏教論理学に通ずる。ただしバヴィヤは『中論』の重視する二諦 三つの真理 ) に関して、第一義諦にはことばが達し得ず、論式を世俗諦のみに限定する。かれ ちゅうがんしちゃくえん には右の『中論』の註のほか、『中観心論頌』とその自註の『中観思択焔』 ( タルカジヴァ 1 ラ だいじようしようちんろん ー ) 、また『大乗掌珍論』などがある。 右の二派の論争は暫時つづくが、やがて消え、中観派そのものが、部分的ながら唯識の思想 を受けいれ、一般に瑜伽行中観派と呼ばれる派があらわれる。これを果たしたのが、 タラクシタ ( 寂護、七二〇ー七九〇年ごろ ) とその弟子のカマラシーラ ( 蓮華戒、七五四ー七九七年ご ろ ) であり、前者が三六四〇余の詩を、後者がその註釈を書いた『真理綱要』 ( タットヴァサングラ ハ ) という大著がある。この書は、サンスクリット本二十六章 ( チベット訳は三十一章 ) にわたっ て、当時繁栄したインド正統哲学の諸学派の批判、論理学をふくむ仏教諸学説を綿密に考察し、 最後に一切智者 ( サルヴァジュニヤ ) を論証する。 な じゃく′」 198

7. 仏教入門

その交点は別の場に移って、そこにあらわれる現在も異なる。そのような時間論が有部の議論 について示されよう。 さらに『倶舎論』は、三世の別がどこから生ずるかについて、つぎの四種の主張を紹介する。 まず①類 ( 状態 ) の相違、図相 ( ありかた ) の相違、③位 ( 位置 ) の相違、④得 ( 関係 ) の相違をあげ、そ れぞれを詳述してから批判を加える。そのあとそのうちの③を最善とし、作用 ( はたらき ) につ いて、その位置に別があると説く。つまり、諸法のはたらきがまだないのを名づけて未来、は たらきが現にあるのを名づけて現在、はたらきがすでに減びたのを名づけて過去とし、その実 体に異なりがあるのではない、 というのが有部として正しいと結論する。 きようりようぶ うたい なお、上述の「三世実有」を説いた有部に対して、それを批判した経量部は、「現在有体、過 かっ そうう まさ 未無体」を説き、過去の法は曾て有ったがいまは無い ( 曾有 ) 、未来の法は今後当に有るであろ じつう うがいまは無い ( 当有 ) であって、現在の法のみが実在 ( 実有 ) である、と主張した。 以上は『倶舎論』を中心に論じた。ナ 1 ガ ールジュナほかの別の論師たち ( とくに日本の道元 など ) は、それぞれ異なる「時間論」を展開する。それは、西洋の思想史 ( 哲学・宗教・科学など ) の時間論の多様と対応する。 とうう 130

8. 仏教入門

が、五世紀前半に成立し、さらにあと十八世紀までを書き加えた『チ 1 ラヴァンサ』 ( 小王島 史 ) がある。これらは仏教史としても、また政治史としても価値が高く、つねに参照される。 」爿インドのカシュミ 1 ル = 堅固な根拠を構えた有部は、約二百年を要して、『発智論』に註釈 だいびばしやろん を施しつつ新しい教学を述べた『大毘婆沙論』を完成する。これは多くの学説を紹介しては厳 しい批判を記し、玄奘訳は二百巻に達する。中央アジアからインド中部に達する一帯を征圧し たクシャーナ王朝のカニシカ王 ( 約一二九ー一五三年在位 ) の名が、この大著中に引用されてお あらかん ルにカニシカ王が阿羅漢 ( アラハット、アル 巻末の玄奘の「跋」には、仏減四百年カシュミ 1 、尊敬される修行完成者 ) 五百人を集めて三蔵を結集し、そのさいの論蔵にこの書が該当す るという。なお毘婆沙 ( ヴィ、、ハ ーシャー ) は註釈を意味する。 こうかん この書があまりにも浩瀚であり、諸説の羅列が多くて、やや組織性を欠くために、これにつ びばしやろん づいて、有部の学説を体系的でコン。ハクトに述べる綱要書がつくられ、漢訳に『押婆沙論』『阿 びどんしんろん 教毘曇心論』ほかがある。 その後、卓越した論師のヴァスパンドウ ( 世親、天親、約四〇〇ー四八〇年、別説三二〇ー四〇〇 あびだつまくしやろん ンヤ . ヾ 1 シャ ) を著わした。 年 ) が出て、最も優れた論書『阿毘達磨倶舎論』 ( アビダルマ・コー 一かれはまず有部に学んで、この書にふくまれる韻文六百頌あまりをつくり、それは『大毘婆沙 論』の最良の綱要書として、有部の人々から絶讚を博した。しかしヴァスパンドウは、のち経 せしんてんじん

9. 仏教入門

出家して世俗のいっさいを棄て去り、各々がみずから開拓した多彩な新思想に生き、解放され て新風のそよぐ社会の歓迎を受けた。 それら新思想の数を、仏教は六十二、ジャイナ教は三百六十三とし、それぞれの大綱を伝え る。なかでも有力な六人の名を、その教説の概要とともに、仏典はかなり詳しく記録しており、 ろくしげどう かれらを六師外道と名づける。それについて一言ずつ触れれば、プーラナの道徳否定論、アジ タの唯物論にもとづく快楽主義、。ハクダの七要素還元論 ( 一種の唯物論 ) 、ゴ 1 サ 1 ラの唯物論を 伴なう宿命論、サンジャヤの懐疑論、そしてマハーヴィーラのジャイナ教となる。 ゴータマ・ブッダも、同時代のジャイナ教創始者のマハーヴィーラ ( 偉大な英雄の意、本名は ヴァルダマーナ ) も、この自由思想家に属し、仏教とジャイナ教とは、とりわけその最初期には、 たがいに関連し合い共通するところが多い。両者は、ヾ ノラモン教およびそれの変身したヒンド ウ教以外の二大宗教として、インド人に多大な感化をあたえつづけた。 なおジャイナ教が仏教と異なる主要な諸点をあげれば、ジャイナ教はもつばら実践に徹して、 たとえば苦行を過度に評価し、また不殺生を固守して、全インドに普及させた。だが大乗仏教 一のような大きな変革はみられず、またつねにインド国内にとどまる。しかし今日まで活発な経 ロ済活動を展開して、信徒数は現在約二百万人とはいえ、絶大な金融資本を掌握している。 フ ゴータマ・ブッダによる仏教の成立は、次章にあらためて論述しよう。

10. 仏教入門

カ ) と称する。まずブッダ。ハ 1 リタ ( 仏護、四七〇ー五四〇年ごろ ) が、つづいてバヴィャ ( バーヴァ しようべん ヴィヴ = ーカともいう、清弁、四九〇ー五七〇年ごろ ) が登場し、ともに『中論』の註釈書を書き、 前者の『根本中論註』はチベット訳、後者の『般若燈論釈』は漢訳とチベット訳とが残る。後 代のチベッ トでは、前者をプラ 1 サンギカ派、後者をスヴァータントリカ派と区分する ( 現在は ひっかしようくう きびゅう その内容から、前者を必過性空派または帰謬論証派、後者を自立論証派と呼ぶ ) 。それほどにともに 『中論』によりながら、その理論には対立がはなはだしい。それは、前者を承けたチャンドプ げつしよう キールティ ( 月称、六〇〇ー六五〇年ごろ ) において 、いっそう鮮明となる。 プラサンガという語を「過失に堕する」と解する用例が『中論』には少なくない。それは、 相手の主張をとりあげて突きつめてゆき、そのなかの過失 ( ドーシャ、自己撞着 ) を鋭く指摘し 史て、その主張を破り去る。そのためにみずからは主張を立てず、また自説のないことを標榜し 想 思っつ、ひたすら相手を問難し排撃する。このようなプラーサンギカ派の理論は、チャンドラキ じようみようくろん 教ールティの『浄明句論』 ( プラサンナ。 ( ダ 1 ) に詳しい この書は『中論』の註釈書六種のうち、サ ンスクー ン 丿ト本の現存する唯一のテクストとして ( チベット訳も完備、ただし漢訳はない ) 広く読 ノー まれる。かれには『入中論』 ( 中観への入門 ) ほかがあり、チベット仏教はかれの系譜を正当化し 二て今日に及ぶ。 ほだいぎようきよう この派から出たシャーンテイデーヴァ ( 寂天、六五〇ー七〇〇年ごろ ) は『菩提行経』 ( ポーディ ロ だ じゃくてん 197