第赤く威する光は超高層ビルの証 超高層ビルの頂部や外壁の角に赤く点滅または点灯する光は、 夜間飛行する航空機に建物の存在を示す航空障害灯である。日本 国内では航空法に基づき、高さ 60m 以上の建物に設置が義務づ けられている。さらに、高さ 1 50m を超える超高層ビルの頂部 対角上には点滅を繰り返す航空障害灯 ( 中光度赤色灯 ) の設置が 義務づけられている。 夜空に点滅する赤色灯は高さ 1 50m を超える超高層ビルの証 なのである。 コラム 第破第を 3 第三 高さ 150m 未 満の高さまで、 52.5m 以下の 等間隔で設置 90m 以下の 間隔で設置 150m 60m 以上 ■ 150m 未満 以上 Om まー 〇低光度航空障害灯 (32cd) ・中光度赤色航空障害灯 e 低光度航空障害灯 ( 1 OOcd) cd : カンデラ ( 光度単位 ) 航空障害灯とその設置基準 150m 60m 3 イ
第 1 章超高層ビルの今 (b) ランドマークタワー (a) NEC 本社ピル 第第第影を第物・す ( 1990 年 / 43 階建 / 180m ) ( 1993 年 / 70 階建 / 296m ) 写真 1 ー 5 90 年代の超高層ビル 変化が現れてきた。たとえば三角形の「新宿住友ビル」 ( 写真 1-4c ) 、星形の「ホテルニューオータニガーデンタワー」 ( 同写 真 d) などがある。 ◎超高層ビルの多様化 やがて多様イヒする社会の要求に応えるべく、超高層ビルにも 大きな変化が現れてくる。それまでの機能性や合理性を追求す る整然とした構造から離れて、アトリウムや吹き抜けなどの大
(d) ホテルニューオータニ ガーデンタワー ( 1974 年 / 52 階建 / 幻 0m ) ( 1974 年 / 40 階建 / 144m ) 写真 1 ー 4 70 年代の超高層ビル② イアウトに融通性の高いことが求められた。 そこでビルの中央をコアとして、そこにエレベーターなどを 設置するセンターコア方式が採用された。また堅い地盤に基礎 を置き、センターコアを有効に使って耐震性を高めている。ビ ルの耐震構造などについては、それぞれ後述する。 やがて初期のセンターコア形式から、次第にダブルコアや片 コアも出現し、平面形も整形な正方形、三角形や円形といった
第 1 章超高層ビルの今 ◎ 1970 年イ弋以降の発展 霞が関ビルの構造や建設は、その後、改良が加えられながら 「新宿三井ビル」 ( 写真 1 ー 4a ) から「サンシャイン 60 」 ( 同写真 b) へと受け継がれ、日本の超高層ビル技術の基本となった。 標準的な高層ビルは 6.4m 程度のスパンの架構だが、 200m 級の鉄骨造の超高層ビルは、外周のスパンをほば半分の間隔の 鳥かご状の架構とし、直交する外周フレームも地震などに抵抗 させる構造とした ( 図 1 ー 2 / 217 ページ参照 ) 。 1970 年代後半からは、柱は溶接によるボックス型、梁は溶 接組み立て H 形鋼が使われるようになった。 霞が関ビルなど初期の超高層ビルは、地震に対する安全性に 慎重だったため、平面、立面ともに整形の長方形で、単純明快 な構造が採用されている。賃貸オフィスビルのため、内部はレ コア部架構 外周架構 一理ベらミにミ 基準階平面図 外周架構とコア部架構 ト十 - ト WO ・寸 9 9 【 XW9 ・の コア部 3.6mx 15 = 54 ℃ m 図 1 ー 2 超高層ビルの構造 ( チューブ架構 ) 29
(b) サンシャイン 60 (a) 新宿三井ビル ( 1974 年 / 55 階建 / 225m ) ( 1978 年 / 60 階建 / 240m ) 写真 1 ー 4 70 年代の超高層ビル① その定義に基づくと、日本の超高層ビル第 1 号は、 1964 年に 完成した「ホテルニューオータニ」の本館 ( 現ザ・メイン ) であ る ( 前ページ写真 b ) 。霞が関ビルは 36 階建てだが、高さがニュー オータニの約 2 倍の 147m ある。初めて 100m を超えたという ことで、「日本初の超高層ビル」として紹介されることが多い のだ。 28
第 1 章超高層ビルの今 (b) ホテルニューオータニ本館 (a) 霞が関ビル ( 1968 年 / 36 階建 / 147m ) ( 1964 年 / 17 階建 / 77m ) 写真 1 ー 3 日本の超高層ビルの先駆け によって超高層ビルの高さが揃っているのは、この航空法の規 制のためである ( 図 1 ー 1 ) 。 それはともかく、日本の超高層ビルは 1968 年に完成した霞 が関ビルに始まり、その後の絶え間ない技術開発や社会ニーズ の多様化を受けて、時代とともに変化してきた。 そこで、この 40 年に日本の超高層ビルがどのように進化し てきたかを振り返ってみよう。 ◎日本の超高層ビルの先駆け 日本における本格的超高層ビルの第 1 号は、 1968 年に完成 した「霞が関ビル」とされている ( 写真 1 ー 3a ) 。 ただし法律的には高さ 60m 以上を「超高層ビル」とよぶ。 27
1-2 日本の超高層ビル ◎航空法による制限 このように、アジアを中心に世界中でより高いビルが建設あ るいは計画されている中で、日本では 300m を超える超高層ビ ルがいまだに建設されていない。 技術的には可能なのだが、高くできない理由は、容積率をク リアする敷地面積の問題と航空法の規制による。航空法では、 空港からの同心円距離で高さ制限を設けている。東京では場所 円錐表面 1 6 , 500m 水平表面 4 , 000m 外側水平表面 24 , 000m 進入表面 外側水平表面 円錐表面 水平表面 転移表面 3 , 000m 進入表面 勾配 1 / 50 1 2 , 000m 延長進入表面 勾配 1 / 50 延長進入表面 295m 45m 着陸帯 滑走路 接点 勾配 1 / 7 転移表面 図 1 ー 1 航空法による制限表面 2
第 1 章超高層ビルの今 (d) ミラン・シティーライフ・ピル イ ~ ( 計画中 / 34 階建 / 170m ) (e) プエルタ・デ・ヨーロッパ ー物、、 3 へ ( 1996 年 / 26 階建 / 115m) (f) シカゴ・スパイヤー ( 建設中断中 / 150 階建 / 610m ) 写真 1 ー 2 ユニークなデザインの超高層ビル② 25
「トランプインターナショナルホテルアンドタワー」 ( 前ペー ジ写真 1 ー 2c ) は、「プルジュ・ハリフア」と同様に、鉄筋コン クリート造りのコア壁 + 外周柱 + フラットスラブ構造で、上層 階に向かって徐々にセットバックしている。 ◎ティルトビル ティルトビルの代表例はイタリア、ミラノで計画中の「ミラ ン・シティーライフ・ビル」で、球体表面の一部を切り取った、 きわめてユニークなデザインである ( 同写真 d の中央棟 ) 。 ティルトビルの最大の問題は、建物自体の重さによって、水 平方向に建物を変形させる力が生じることである。ミラン・シ ティーライフ・ビルは、エレベーターシャフトを構造体とし、 頂部を連結することで、球殻部の自重による水平力を打ち消す ように計画されている。建設途中にも自重により水平変形が生 じるおそれがあるため、対策を講じている。 スペインのマドリードには、 2 棟が対で傾斜した「プエルタ・ デ・ヨーロッパ」が 1996 年に竣工した。 2 棟がそれぞれ内側 に傾斜し、左右対称の形状となっている ( 同写真 e ) 。地震の ない国ならではのデザインで、地震国日本でこのような形のビ ルを建設するには、構造設計面で相当な工夫が必要である。 ◎ツイストビル ツイストビルの代表は、アメリカ、シカゴで建設中 ( 現在中 断中 ) の「シカゴ・スパイヤー」 ( 同写真 f ) だろう。 鉄筋コンクリート造の住宅、ホテルの複合ビルだが、各階で 2 。ずつねじられ、全階で 270 。ねじれたデザインのツイストタ ワーである。 2 イ
第 1 章超高層ビルの今 (a) 北東アジア貿易センター ( 2011 年完成予定 / 68 階建 / 305m ) (b) 上海環球金融中心 ( 2008 年 / 101 階建 / 492m ) (c) トランプインターナショナルホテルアンドタワー ( 2009 年 / 92 階建 / 415m ) 写真 1 ー 2 ユニークなデザインの超高層ビル① 23