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検索対象: 最強のプロ野球論
46件見つかりました。

1. 最強のプロ野球論

ウイニング・ショットを狙い打っ これは落合について語る時、必ず出てくる話である。ピッチャーの切り札を先にしておく ことによって戦いの主導権を握り、自らのペースに引きずり込む。おそらく落合の脳には、各 チームのエース級のウイニング・ショットの軌道がすべてインブットされていたはすである。 「確か落合が三冠王をとった年でピッチャーは山田久志。一死満塁の場面でダブルプレーをと りたくてウイニング・ショットのインコース低目のシンカーを要求した。高さ、切れともに見 事なシンカー。よしー と思った直後、ウワッー にかわったよ。落合の振り出すタイミング とバットの軌道がシンカーの沈む位置にピタリと合っているんだ。打球はレフトスタンド。長 年、野球をやっていて、振り出す瞬間にやられたと思ったのは落合ひとりだね」 ( 中沢伸一一氏、甲 府エー阪急 ) バッターポックスの白線ぎりぎりに立ち、ホームペースの縦のラインに肩、腰、ヒザ、スタ ンスを平行に合わせる。バットは両手の小指で締める程度に軽く持ち、ほば垂直に立てるとい う独特のフォーム。少年の頃、建築家を志望して秋田工の建築科に進学した落合は、あたかも イメージ上の立体的な設計図に沿うかのごとく、自らのフォームを組み立てる。 「あるとき、どうも構えがしつくりいかないのでホーム・ヘースを見直したら、ホーム・ヘースが ずれていた。地方球場のことだけどね」 落合は親しい記者にそう語っている 121 補説 1 史上最強の打者は誰か

2. 最強のプロ野球論

かずお 松井稼頭央がカットに入りました。辻の肩じゃ間に合わないんてすよ。ライト線に落ちた 打球はさすがに辻が処理しますが 私は一九九五年の日本シリーズがひとつの象徴だと考えています。オリックスプルー ウェープは、ヤクルトに敗れこそしましたが、内外野陣の守りは一分のスキもありません てした。とりわけ田口壮、本西厚博、イチローて構成する外野トリオの守備力は完璧て、 野村監督をして「どこへ打ってもヒットになるような気がしない」と一言わしめました。 西武もこの鉄壁の外野トリオには相当苦しめられました。九五年七月二日の試合ては、 二塁ランナーの俊足ジャクソンがセンター・イチローのバックホームに刺され、勢いの差 がはっきりと表れてしまいました。これは。、 ノ・リーグの〃盟主交代〃を告げる象徴的なシ ーンともなったわけてすが、サードベースコーチとしての伊原さんの感想は ? 伊原シーズン後、あるスポーツ番組てそのシーンをもう一度目のあたりにしたのてすが、 何度見てもイチローの肩はすごいてすね ( 笑 ) 。加えて捕球の体勢がいい。だからあれほど 正確なバックホームがてきると思うんてす。 まあ、あまり思い出したくはないのてすが、ジャクソンの走塁には非がありません。と ころがドンピシャのバックホームが返ってきたため、ホームペースの二メートルも手前て アウトになってしまった。もし、ここて一点入っていればオリックスを追い上げる態勢が 208

3. 最強のプロ野球論

当時、韓国の三星ライオンズに在籍していた竹田光訓 ( 現横浜べイスターズ広報担当 ) に案内 され、私はネット裏の席に座った。はっきりポールの軌道が確認てきる位置にいながら、 スライターとストレートが同じように見えるのてある。つまり、スピードの差がほとんど 感じられないのだ。 高速スライダー、とても表現すればいいオ のごろ - フか、不ット裏からてもストレートとの 違いを確認てきないのだから、わずか十八・四四メートルの距離てバッターが判別てきる わけがない。私の取材経験ていえば入団間もない頃の西崎幸広 ( 現西武ライオンズ ) がスト レートの速さに遜色ないスライダーを投げていたが、宣と比べれば、まるて大人と子供。 西崎の場合はホームペースの手前三メートルあたりて軌道に〃たるみみが見られたが、宣 のスライダーはホームペース付近てもストレートとほば同等のスピードと球道を持続して いるのてある。そして、ホームペースを通過する直前、かすかにボールがスライドする。 ールひとっか二つ分、ススッと横に曲がるのてある。いや、曲がるというよりは、ズレ るという表現の方が正しいかもしれない。 「あれつ、今のはスライダーてすか、ストレートてすか ? 」 私は何度目をこすって、隣 ) にいた竹田に訊ねたかわからない。 「こんなボール、日本じや見たことないてしよう ? 」 1 5 2

4. 最強のプロ野球論

プル・イズ・ベスト。この単純さが長持ちの秘密てす。 松坂残念ながら、僕にはまだそこまてのコントロールがない。アウトローにびしびし決 まるようになれば、バッターから一番遠いコースてもあるし、もっとピッチングが楽にな ると田 5 うんてす。だからまだまだ技自 ( ~ 一丁勺こよ未熟だと田 5 っています たとえばゲームの途中て調子の悪さに気付いたとき、フォームを矯正する方法はある のてすか ? 巨人の桑田真澄などはゆるいカープを投げることて体にタメをつくり、 みにフォームを矯正しています。 松坂僕の場合、そのボールが何かは特に決めていません。ただ、 微調整という力しし フォームに戻す方法は僕なりに考えています。 スライダーは何種類ありますか ? 松坂スライダーは人指し指て徴調整がきくのて、一一種類ても三種類ても投げられます。 縦スラ ( 縦に鋭く曲がり落ちるスライダー ) 〃は中指て切りますか ? 松坂はい。 ウチのチームていえば西口文也さん系の落ちるスライダーてすね。石井貴さ んのは横に滑るスライダーてすから、僕のとはちょっと違います。 ーーー守備についてお聞きしますが、ライオンズはいい外野手が揃っているのに、守りが深 くはないてすか ?

5. 最強のプロ野球論

: 。ピッチャーの疲労度も大違いてすよ」 どれだけ助けられたことか : つまり四番バッターばかりじやゲームには勝てないと ? 「そう思いますね。四番バッターを揃えるということは、ファーストとサードの選手ばか りになるということてしよう。ピッチャーの立場ていえば四番バッターよりも一番バッタ ーが何人もいるようなチームの方がこわいてすね」 巨人はマルチネスがレフトを守ったり、 清原がサードのポジションについたこともあ ります。このように三塁線が不安だらけだと、思い切って右打者のインコースを突くピッ チングがてきないのては ? 「いや、僕の場合は逆てすね。むしろ、アウトコースを有効に使えなくなるかもしれない。 というのも、アウトコースの変化球を引っかけさせるピッチングに自信が持てなくなりま オ・・か、ら」 ジャイアンツの中て興味を抱いた選手はいますか ? 「ウーン、上原はいいんじゃないてすか。キャンプてもプルペンに入ろうとせず、遠投て 彼は遠投の方 肩をつくっていく彼流のやり方を通しました。いろいろいわれましたけど、 が腕がしつかり振れると考えているんてしよう。僕も若い時はそうてした。腕がしつかり 振れないうちからプルペンに入っても仕方ないんてす」 2 う 1 打者の思想、投手の論理

6. 最強のプロ野球論

補説 2 史上最強の投手はか 人類が ポールを誰よりも速く投げてみたい、それを地の涯までも遠く打ち返してみたい 本能的に持っ欲望が、ペースポールというゲームを成立させた。ならば、日本のプロ野球史上 もっとも速い球を投げたのは誰なのかこれは野球に親しむ人全員が共有する間いにちがいな あまた い。その答えを見出すべく、これから数多の豪速球伝説を探る旅に出るとしよう。 本稿も、補説ーと同様、一九九一年に発表したものである。多くの野球関係者に証言してい 故人となった方もいらっしやるが、時とともに豪球伝説が色あせるはずもなく、あ えて発表当時の形のままとしたい。 銃弾と沢村、どっちが速いか ま、一九三四年十一月ニ十日、静岡市草薙球場で行なわれた日米野球第十戦だ 最初の伝説 ( 全日本チームは十七歳の沢村栄治 ( 京都商ー巨人 ) をマウンドに送った。沢村は七回、ヤンキー スの主砲、ルー・ゲーリッグにホームランを浴び、惜しくも 0 対ーで敗れたものの、被安打わ はて 167 補説 2 史上最強の投手は誰か

7. 最強のプロ野球論

私にレクチュアしてくれた際の野茂の動作をそのまま伝えておこう。ポールをはさんだ 人指し指と中指をやや内則 仁に弓かくようにして投げる。すると三本の指の間からフワリ とポールは抜け、下方向にスピンかかカる しかし、あくまてもそれは理論上の話てあって、下回転のスピンのかかったフォークが ストレートと同じ軌道てストライクゾーンに迫り、しかもホームペース手前て五十センチ 前後も落下するためには、本人が言うように「反復練習の中から、体て覚える」より他に 方法がないのてはないだろうか いくら頭ては分かっていても、体て覚え込まないことには本当の技術は身につかない。 事実、野茂は社会人時代、一日四十球から五十球、フォークのみ投げ込むことによって、 落差と精度を自分のものにしていった。 最初はホームペースの手前一メートルの位置てバウンドさせる。それを五十センチ、三 十センチ、二十センチ、十センチ : : : と徐々に近付けていくうちに、やがてキャッチャー ミットにすつばりおさまるよ - フになるとい , フのてある 「フォークボールはワンバウンドが基本てすよ」 野茂はさも当然そうな表情て言った。 さらにいえば、野茂は手首を使わない。フォークポール投手には珍しく、手首を固定さ 159 フォークとスライダー

8. 最強のプロ野球論

すが、もうそんな時代てはありません。高めに投げるから低めが生きてくるのてあって、 同じところにばかり投げていたら、いっかっかまりますよ」 九九年の日本シリーズ、ダイエーホークスは不利と言われながら、中日ドラゴンズに 四勝一敗と圧勝しましたね。その最大の要因が切り込み隊長の関川浩一を封じ込めたこと てす。工藤さんは初戦に先発し、完封勝ちをおさめた。関ー 月に対しては四打数無安打てす。 関川の狙いを全て読み切っているといわんばかりの工藤さんの表情が印象に残っています。 「、不クスト・ バッターズ・サークルての関川のスイングの仕方を見て、どこが打ててどこ が打てないか、大体わかりました。これはほとんどのバッターが気付いていないと思うん てすけど、普通、スイングする時って、誰ても一番好きなコースを振るんてす。無意識の - フちにね。っ↓り、〃 ここが一番得意だよ〃という情報をバッターは知らず知らずのうちに ピッチャーに与えているんてす」 苦手なコースを振る人はいませんか ? 「まず、いませんね。続いて、 ( バッターポックスに入ったら ) ホームペースとの距離を見ます。 大きく分けると、ホームペースにくつついて立っている人はインコースがうまい。離れて 立っている人はインコースが苦手ぞすね。バッターポックスの中ても、ピッチャー寄りに 立つ人とキャッチャー寄りに立つ人がいますが、長距離ヒッターはキャッチャー寄りに立 248

9. 最強のプロ野球論

かな。このわずかの間に、 江夏はスクイズを見破り、そのままの握りてウエストボールを 投げてみせたんや。水沼がゆっくり立ち上がったのは、それを ( 江夏が ) てきると知ってい たからてすよ」 六八年の奪三振シーンに話を戻そう。この年、江夏は抜群の制球力を身につけ、ポール をミリ単位て操ることがてきた。 2 ストライク後、辻は江夏に〃三本指〃のサインを送っ た。これは三球目に三振をとるとのシグナルて、ポール一個分ずつホームペースに近付け ていき、最後は外角いつばいに決めて三振をとった。 外角いつばいとはいってもストライクてはない。正確に言えばほんの少しはずれたポー ルなのだが、一球目、二球目、三球目と徐々にホームペースに近付けていく過程て、打者 も審判も幻惑され、正確な判断力を失った。コースいつばいに構えた辻のミットがノチ オこれが世 ( ンと革の音を響かせると、審判はそれにつられるように右手を高々と上げご。 い - フ〃江夏ストライク〃ごっご。 六八年の奪三振ドラマのクライマックスは九月十七日のジャイアンツ戦だった。江夏は この日まて二四六個の三振の山を築いており、稲尾和久の持っ奪一二振記録にあと七つと迫 っていた 江夏は初回から快調に飛ばし、四回終了時まてに七個の三振をマークした。タイ記録と 1 ろ 究極の投球術

10. 最強のプロ野球論

伊原いや、本当にそうてすよ。あのまま続けていれば、彼はもっと勝っていますよ。た った一回のボークてやめたというのは気が弱いんてしようかねえ ( 笑 ) 最後に走者の心がまえは、どうあるべきと考えていますか ししカスタート 伊原たとえば無死二塁てセンター前ヒットの場合、走者はどうすれば、 が遅れたら三塁に止まるべきてしよう。無死一、三塁となり大きくチャンスが広がります からね。これが一死の場合だったら、ある程度の危険を冒しててもホームをつくべきてし よう。て、一一死の場合だったら、四分六分の確率ても私は手を回します。次のバッターが 走者が何をすればい ヒットを打っ確率はよくて三〇パーセントてすからね。このように、 いかは状況によって全然違ってくる。 運悪く塁間てはさまれたとしても、それて終わりてはない。自分は死んても打者走者を 状況 いかにしてひとっぞも ~ 則へ進めるかということに田 5 いをめぐらせなくてはいけよい。 というスポーツの面白いところてす。 の数だけ、セオリーも違ってくる。そこが野球 215 職人たちの世界