るなら、彼がその適役である。そして若しエジプトが自重すれば、シリア一国ではイスラ エルと戦えない。そうなれば長い将来は知らず、今年一年くらいは中東の危機が避けられ こ、つい、つ 将来も考えられるという、可能性を指摘 私は何も予言をしているのではない。 するだけである。若し私がキッシンジャーであ 0 たなら、極力この線を推して見るのだが、 と考えるだけである。あるいは明敏な先生のことだ。もうちゃんとそんな手を打「ている のかも知れぬ。 あれだけ騒がれた。フレジネフのエジプト訪問延期なんてことが、その結果だとしたら、 とても愉快なんだがね。 〔『読売新聞』一九七五年一月十日〕 ないしよごと 更衣室のようなポックスが並んでいる一角 ローマの大伽藍を訪れた際、懺悔房という、 ハの言語なら何語でしても聞い に迷いこんで、奇異な感にうたれた。懺悔は近代ヨーロ
中東危機の年 昨年勃発したエチオビア政変は意外に深刻な影響を世界に投げかけているようだ。まず この革命の波を真っ向に浴びるのは、一一一〔うまでもなくサウジアラビアである。この国のフ アイサル国王は今年の年男だという評判であるが、現今の世界で最も強力に見えて、最も 脆い基盤しか持たないのが、彼の王朝なのだ。そのあり方はエチオビア王朝と何程も変わ ム ラ。ていない。王侯貴族は石油で大儲けしたが、人民大衆は依然として貧乏なのだ。 曜石油危機の張本人はファイサル王であ「たが、既に大金持ちにな。た今とな。ては、こ こらで形勢安定を誰よりも強く望むのが外ならぬ御当人である。幸い彼はエジプトに対し て経済援助を行う力があると共に、発一言権をも持。ている。もしエジプトの戦意を抑制す 金曜コラム
陽動と実動 中東情勢がわれわれにとって理解困難なのは、アラ。フ諸国の利害が必ずしも一致せず、 これを取り巻く諸外国の利害が一層複雑にからみあっているからである。従って中東から くる情報は、デマがあったり、誇張があったり、推測にすぎなかったり、互いに矛盾した りするのである。そこで真相に近いものに触れようとするには、何よりもまず陽動を見抜 き、実動の線だけを選んで辿って行かなければならない。 ム 一月二十一日の各紙夕刊に、べイルート発共同特派員の報告が載せられたが、それによ コ 曜ると、サウジアラビアのファイサル国王は、シリア、ヨルダン、エジプトを歴訪し、それ ぞれの国に多額の経済援助を約束し、その影響力を強めて帰国したが、彼は親米反ソの立 場から、アメリカとの協調による段階的な解決を勧め、ソ連への全面的な依存に対しては 二人の後ろ姿は 人ごみの中へ消えて行った 〔『読売新聞』一九七五年一月二十四日〕
オリエント・過去と現在 ッ 0 、ゝ オリエントま、ヨーロ ノカら見れば近東、我々から見れば「西域」という古い言葉に 当る。地理的には、西アジアに北アフリカを含めた地域で宗教上ではイスラム世界、或い は回教圏とよばれる地方に大体一致する。 オリエントの歴史を一口に約せば、古代においては最も早く開けた土地であり、現今に 現おいては最も遅れた地方と言「てよい。世界の文化は先ずオリエントから始まり、それが 去東西に伝わって各地の特色ある文化となった。どうかすると今でも世界史の教科書などに は、世界の各地に大河の流域を中心として、独立した各種の文化が発生したように書かれ、 ンナイル河のエジプト文化、チグリス、ユウフラテス両河のメソボタミア文化、インダス河 の印度文化、黄河の中国文化などがその例に挙げられたりしているかも知れぬが、だんだ オ ん研究して行くと此等の文化は別々のものでなく、 一つの文化が分れたものに過ぎぬよう であって、その根源はオリエントにある。
師強い警告を発した、とある。更に翌日の各新聞はエジプトのサダト大統領が、ソ連に対す る不信感を公表し、キッシンジャーの仲裁によるイスラエルとの和平に望みを嘱している と伝えた。これらはだいたい私の観測とびたりと一致し、現時点では恐らく大筋の実動路 線であると見て差し支えなかろう。 戦争は突発事件を除けば、双方の誤算によってのみ発生する、と言われる。だから危機 は一月でも半月でもいい、先へのばすことが肝要だ。その間に双方で自ら犯した誤算に気 付いて、仕掛けた爆弾を不発に終わらせる可能性が望まれぬでもないからだ。 〔『読売新聞』一九七五年一月三十一日〕 『噫無情』 ああむじよう ューゴーの名作『レミゼラブル』と言うよりは、黒岩涙香の名訳『噫無情』の中で、 ちばんのきかせ所は、ジャンバルジャンが、悪党の経営する宿屋で奴隷のようにこき使わ れている幼女、小雪を救い出しに行く場面であろう。意地悪な主人の二人娘にいじめられ るいたいけな小雪が、ジャンから女王様のような豪華な人形を貰って喜ぶことで読者の溜
112 オリエント古文化の両中心、エジプトとメソボタミアとは、比較的土地が相接している ので、両文化は互に影響し、影響されながら発達したものであることは容易に考えられる。 どちらがより古いかは未だ決定されないが、此の地の文化の発達の古さは考古学的の発掘、 研究が進めば進むほど古さが増して行くように見える。その面白い例は、メソボタミアの 古代都市ウル市の発掘である。新バビロニア王国の最後の王ナポニダス ( 前五五五ー五三 九年 ) の時、王はその娘をこの都市の神殿の神官に任じ、礼拝堂を立ててそこに住ませた。 ところがこの王女はその父王と共に立派な考古学者であった。彼女は父王の援助を受け、 地方の官吏に命じて古物を蒐集して送らせ、自己の礼拝堂を考古博物館にしていた。陳列 品にはちゃんと説明書をつけ、古い碑文などは当時の言葉で翻訳を付していた。遺品の最 も古いものは当時から更に二千年も溯るものであった。それは丁度現今の我々が漢鏡に対 すると同じ古さである。このウルという古代都市の発掘によってメソボタミアの古代文化 がどんなものであったか明かになったのであるが、今から二千五百年も前の考古博物館を 掘り出し、その中に更に二千年も前の遺品が列。へてあったとは、愈々以て珍らしい話であ
は、既に屡に指摘されているが、上述の如く、仏教渡来以前の先秦時代から既にそれが始 まっていたのである。 『韓非子』説林上第二十二に斉の管仲が道に迷った時、馬を放してやって、その後につ いて行くと自然に道が見つかったという話がでている。 管仲、桓公に従って孤竹を伐ち、春往いて冬帰る。迷惑して道を失う。管仲日く、老 馬の智、用う可きなり、と。乃ち老馬を放して之に随うに、遂に道行を得たり。 とあるが、もちろん寓話であるから、管仲の名は出鱈目である。ところがこの話は、そっ くりそのままイソップ物語の中に出てくる。ここでは管仲の代りに只の老人、桓公の代り にその息子との二人で、老人が息子を教育したことになっている。イソップは普通には紀 元前六、七世紀の頃のギリシア人とされているから、この方が『韓非子』よりはずっと古 但しそのイソップ物語は原本が残っていないので、これをはっきり断言するためには 旦しイソップ物 文献学的な検討が必要になり、そうなるとこれはもう私の手に負えない。イ 語中のあるものは、更に古いエジプトのパピルス文書の中に見出され、その淵源は随分古 く溯ることができるという。この場合もイソップ物語の方が本歌と、ごく大雑把に見当を つけても大した間違いは起こるまいと思う。
その例外である場合には、彼等は遠慮なく不正直である。平然として虚偽を言うこと面憎 きばかりである。これに反し日本こそなっかしき君子国であったのだ。 河上は英国へ行ってからも、屡と英人から、君は英国をどう思うと聞かれると、いつも、 日本を除いたなら、英国が一番好い国だと答えていた。その英国にしても、今日、インド、 ジーランド、 オーストラリア、カナダ、ニュ エジプト、南阿等、苟くも植民地として価 値あるものは、みなその所領とし、もったいないほど土地を濫用しながら、他人種の人り 来るのを拒絶している。ところがその本国へ来てみると、田舎には有産者階級があって、 無産者階級に向って、同じことをやっている。これでは世界に人種的戦争が絶えぬと同じ ように、国内での階級的闘争も益に熾んになる筈である。然るに日本には、西洋における と。 ような強い平等思想もないが、同時に西洋における如き峻烈なる階級の思想もない、 また、西洋の文明は比較的理解し易い性質の文明であって、吾々日本人も明治維新以来 僅々四十余年の間に、その科学、その機械を輸人して、その文明の長所を利用しつつある。 逆に西洋人が日本の文明を理解することは、甚しく難事と見受けられる。嘗て河上はベル 丿ンの素人下宿において、主婦が食事の際に肉片を皿にのせて、飼大に食わせているのを 見た。その皿は一同が食卓で使うのと同じ皿である。そこで汚いではないかと抗議すると、