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検索対象: 東風西雅抄
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1. 東風西雅抄

してくる。だから遠方から眺めると、草色の烟がたちこめているように見えるので、さて はもう芽を出したかと思って近寄ってみるとそうではなく、 何もない裸の枝が滑らかに光 っているだけである。枝は幹に近い太いほうから青味を増し、だんだんそれが細い末の方 に及んで、端まで届いた三月の半頃になると、枝の所々に結節ができ、そこから新芽が吹 き出して、やがてまはゆい緑の若葉が伸びてくる。その美しさはえも言われない。 じようしよう 嫋々として千絲、復た万条 ( 呂居仁 ) さすがに宋の詩人は描写がうまい 柳とし言えば、我々はともすると、すぐに花柳の巷というような造語の先人観から、好 ましからぬ連想を思い浮。へがちであるが、物の見方、感じ方は時代により、また民族によ って、随分ちがうものである。例えば古代の中国人にとって、柳は軍営の樹であり、そう でなければ隠者の伴侶となる樹であった。 よ 戦国時代の弓の名人、養由基は百歩の距離から柳葉を射て百発百中の手並みであったと 陽いうが、弓の的とするのに、何を好んでわざわざ柳の葉を選んだかと言えば、柳は根付き がよい上に成長が早いので、しばしば軍営の周囲の生垣に植えられたからである。そこか 鸛ら将軍の陣屋を柳営と呼ぶようにな。たので、それは単に漢の将軍、周亜夫が細柳という

2. 東風西雅抄

最初に案を立てる時、有益な本にしようか、それとも読み易い本にしようかと迷った。 有益な本とは、学校の副読本などに指定され、授業の進行にあわせて、しぶしぶ読まされ る本のことである。読み易い本とは、歴史学に直接関係しない人でも、大した苦痛を伴わ ずに、一週間位で読破できそうな本のことを言う。全書本という外形からすると、書店に とっては前者のほうが為になるかも知れないが、まかり間違って受験の参考書にでも利用 されると心外でもあり、後者のほうに定めた。 読むための本にはリズムが必要である。人類の歴史にはリズムがある。それをどう捉え、 どう表現するかが、現在の私の関心事である。一日五枚は少し速すぎるようだが、これ位 でないと、思考の流を文章のリズムに写すことはできないのだ。本を書くのはもちろん、 人に読んで貰う為だが、同時に著者が自己を表現する為でもある。自己を抑えてまで、有 益な本を書かねばならぬ理由もない。 録 と思うかも知 日書く方では興に乗って書いたつもりでも、読者のほうは、何だ詰らない、 書 コンチキショと唱えながら読 れぬ。併し買ったからには読まねば損です。コンチキショ、 読 むと印象が深くて反ってよい。孤灯の下、 本は身銭で読むべかりけり

3. 東風西雅抄

ⅵたればこそ、これまで何とか人並みに勉強が出来たと思っている。それでも時々雑文の 執筆を依頼されることがある。そして書く以上は私は本気で筆を執ったつもりである。 いにくいことを、よくぞ一 = ロって下さった、これ だが時には私の記事を読んだ方から、一 = ロ で胸がす 0 きりした、と感謝されて面喰うことがある。これはいったいどうしたことだ ろ、つカ 現今は言論が自由で、新聞の数は数知れず、何れも投書欄を開放して、誰でもどんな意 見でも述べられるように思われる。ところが実際はそうでないようだ。それぞれの機関に は一種の官僚機構があって、投書の採否を決定する人が必ずしも自由ではないらしい。但 し名の通。た、木戸御免の評論家がいくらもいるから、何でも庶民に代「て一一一一〔論してくれ そうに思われる。ところが評論家は一度それが商売になってしまうともう駄目だ。その途 端に、自由ではなくなるものなのだ。そして一番大事なことは言わなくな 0 てしまう。商 売になってしまうと、商売に不利な反応を起す言論は控えねばならぬからだ。そこへ行く と評論家でない素人は、どこにも怖いものがないから全く自由に物が言える。併し一面、 言いたいことがあった時に丁度ものを言う出番が与えられることはあまり多くない。併し 私は反ってそういう稀少性を誇りにしたく思う。若しも好条件が噛みあった上での作でな

4. 東風西雅抄

人間は古代へ行くほど荒つぼかった。剣道やフ = ンシングは死ぬまで敲きあい、突きあ いしたのであろう。相撲やレスリングは相手の骨を折り、時には投げ殺しても構わなかっ た。時代が進むにつれて、真剣勝負から競技にかわり、色々な規則を設けて、生命身体の 危険を避けながら、勝負を決めるようになった。 大ぜいの若者を集めて其の中から最優勝者を定めるにも、初めは危険の多く伴う方法で あったであろう。それが最も怪我の少なくてすむ毬の奪いあいとなり、それが遊戯化され たのがサッカーであり、ラグビーであろう。 えよう 岡山市の近く西大寺に会陽という祭事があり、若者たちがバトンを奪いあい、その年の 福男を定める。この際は最も怪我の少ないように、寒中にも拘わらず、ふんどし一つの裸 でぶつかりあいながら。ハトンを争うのである。 婿択びというのは、言いかえれば多数の若者の中から最優勝者を決定することである。 録それを闘争という形を去。て、成るべく優雅な方法でやろうとすれば、誰も考えつくこと 風は同じで、期せずして同一の形式に落ち付かざるを得なくなるのである。 東 洋の東西を問わず、人間は誰しも考えることは結果が同じくなる。これは実に重大な事 実である。人類の均質化が出来上がっているのである。実際それでなければ人道という一一一一口

5. 東風西雅抄

6 列車で一路パリに向った。それ以後、われわれのグループ以外の人たちには殆んど会って いなが、ただ横光さんとは偶然にもパリのオデオン座の裏でばったりと出会った。当時 オデオン座の周囲の回廊はフラマリオン書店の売店になっていたが、その人口のあたりだ ったかと思う。 やアやアと声をかけながら近付き、互いに近況を尋ねあったが、私の下宿はボアの近く で、 「お仲間の cn さんが前にとまっていた所だそうです」 と言うと、横光さんは目を丸くして、 「ほう、えらく豪勢な所じゃないか。あれは君、大ブルジョワなんだよ」 と驚いた振りをして見せた。その実、私の宿はいわゆる。ハンション ( 素人下宿 ) で、横光さ んのホテル、牡丹屋よりはずっと安くついていたのだった。そんな短い雑談を交して別れ てから、ついぞ再び会う機会がなかった。 その年の八月、ベルリンにオリンピックが開催され、横光さんは『毎日』に頼まれてい るのだから当然取材陣に参加した筈であり、私もパリからわざわざ見物に出かけたのだが、 前景気に違わぬ大賑わいで、世界中から集まった群衆の人波にもまれ、到底偶然の再会な

6. 東風西雅抄

続フランス人の知恵 敗戦直後の苦しい記憶が薄れかけた頃、今度は石油危機に見舞われた日本は、再び已む を得ず、資源愛護とか消費節約とか言い出さざるを得なくなった。ところでこのお題目は、 いざ有効に実施しようとすると、なかなかむつかしいもので、そう易々とできることでは ない。たとえば食物を無駄にするな、と言われても、やりようによっては反って害を招く ことがある。腐りかけた魚や、子供が残したご飯を、もったいないと言っては食べ、もっ たいないと言っては取りこむと、主婦の胃袋はごみ捨て場の代りになる。もし運よく中毒 しなくても、肥満が加速され、洋服があわなくなったり、血圧が高くなったりする。その 位ならばいっそ余った食物は捨ててしまった方がよい。そういう悪い結果を招かぬように 陽しながら無駄をなくすには、それだけの周到な用意がいるのである。 食物の無駄をなくすという一事をとっても、責任を主婦にばかり負わせず、家族全員が 協力することの必要なのは言うまでもない。併しただ全員が食。へ残さないと申合わせるだ 〔『洛味』第二七五集、一九七五年八月〕

7. 東風西雅抄

設者と規定したのに比べて、その間に徴妙な差違があることが感ぜられる。 併しこの事実もよく考えてみるとおかしな点がないではない中共政権成立以後、従来 国民政府革命の下では温存されていた悪徳地主は完全に一掃されて、いわゆる奴隷的な小 作人も解放されて十分な基本人権を回復した筈である。そして恐らく将来も、再び従前の ような大地主制度が復活しようとは到底考えられない。すると孔子を以て悪徳地主として さりとてあれほどに執拗なまで、 」にそれが何の役にも立ちそうに見えない。 批判しても、泓 孔子批判を続けるのは、無効と知りながら、暖簾に腕おしするの愚を知らぬとは、猶更考 え難い。そもそも孔子批判の真の目的はいったい何処にあるのだろうか。 こうなってくると、これから先は仮説を立てて推測するより外はない。中国の国民性と して、あからさまに意志を表明する露骨さを避けて、遠まわしにすぐその隣まで言って後 を言わぬのは、日本の京都人の慎み深さに共通した点がある。それが戦術に応用されると、 将を射んとせば先ずその馬を射よ、ということになる。そこで孔子批判が馬ならば、その 将はいったいどこに居るのであろうか。 現今の中国で最も緊急な問題は何かと言えば、恐らくそれは人口問題ではないか、と私 は思う。或いはこれに反論が出るかも知れない。先頃ブカレストで開かれた世界人口会議

8. 東風西雅抄

が読みとられるようになっていた。これがカードを繰るように一冊一冊ひっくり返さなけ ればならぬでは、誰の目にもふれずじまいに持ち帰られる不運な本も多かろうというもの だ。また神保町、赤門前の古本屋街の盛況も、我々京都人にとっては羨望に値いする。 古本屋はその町の文化の程度を表徴している。これは世界的に言ってもそうであり、欧 州では何と言ってもパリが本場であるらしい。というのも古本屋は特に大きな文化的使命 を荷っているからである。毎日毎日多くの印刷工場から吐き出される新刊書は、大部分は 消費財として扱われて、製紙工場へ逆戻りする。そのうち耐久財になりそうな、優秀なも のだけが古本屋の店頭で二度目、三度目の勤めをする。つまり新本が後世まで長く生命を るし 持ち続けるかどうかの第一関門は実に古本屋へ持ちこまれた時で、そこで篩にかけられる わけである。もちろんそれには読者の需要があって裏付していればこそだが、併しこの場 合、読者は飽迄も陰の存在である。直接その判決を下す責任者は古本屋であるわけだ。こ これが新本と古本との よこを通過しなければ古本となって市場に現われることはできない。 陽根本的な違いであって、新本屋なら配給会社から半ば機械的に送ってくるものを店に列べ ておけばそれですむ。別に大して選択眼を働かせないでも商売できるが、古本屋の方はそ れではすまない。広く深い学問知識を必要とする専門職だと言える。

9. 東風西雅抄

194 第一は紅衛兵という手段によって、所期の目的が達成されたかどうか。果たしてこれが 下からの革命だなどと言えるものか。もちろん彼等があれだけのエネルギーを発散するに は、彼等がこれまで実権派に対して、非常に大きな不満を抱いていたことはわかる。しか しそれが紅衛兵となって実現するには、上からの指示と軍の支援とが必要であった。いわ ば欽定革命ともいうべきものである。 毛沢東自身はしきりにかっての井崗山時代の活動に郷愁を感ずるらしい。 農民と肩をた たいて語りあい、彼等の切実な悩みをきいてやり、あたかも梁山泊の宋江のように「天に 替って道を行う」ことが、彼の究極の理想なのであろう。ところで果たして紅衛兵運動に よって彼の念願は叶えられたであろうか。実はどうも反対で、いよいよ高く雲の上へ祭り 上げられたのではないかという気がする。 つぎに紅衛兵運動が臨時的な非常手段であるとするならば、今後どういう順序で、常態 に立ち戻れるであろうか。他の分野はいざ知らず、歴史学研究の分野で言うと、文革の最 せんばくさん 初に翦伯贊教授が批判された。彼の主宰する科学院の歴史部門が少しも実績をあげていな いからというのなら話はわかる。ところがそうでなく、専門家になりすぎて紅くなり方が 足りぬというのが理由であった。我々局外者に言わせると、翦氏らは自らの史観に束縛さ

10. 東風西雅抄

子」の部分を除くと本文は四折より成り立っているが、既に四幕物で一つの物語りの筋を 演ずるとなれば、それは必然的に起承転結の起伏に従わざるを得ない。イ 旦し第三折、転の 場合は全く急転しては脈絡がっかなくなるので、クライマクスの波動となる。たとえば 『漢宮秋』では王昭君が漏陵橋において元帝と別れ、番使に擁せられて去り、番漢交界の 黒竜江 ( ! ) で身を投げて死ぬ場面、『金銭記』でいえば王府尹の門館先生となった韓飛卿 が、書房の中で柳眉児の訪問を受け、先に貰った金銭で占いを行なうが、王府尹によびた てられ、『周易』の本の中に挿んでおいたところ、運悪くそれが見つかって懲罰にあうの を賀知章が助けに来るという場面、言いかえれば重要な事件が一時に生起して、事件が再 転三転する。更に言いかえればこの第三折を見ただけで、話の筋道だけなら大体分ってし まうという急処である。但し文学的に見ると、辞曲の妙処は概ね第一、第二折にあり、第 三折以下は蛇足の感があることが多いとも言われている。 これと判でおしたように型を同じくするのがヨーロ " ハの古典劇である。十七世紀フラ ンスを中心として流行した古典劇は五幕から成るが、その第一幕は元曲の楔子と同じ性質 の発端であるから、これを除けばあと四幕となり、起承転結のリズムがそのまま宛てはま る。そのクライマクスはすなわち転で、終幕の一つ手前に来るのが普通とされる。