とはいえ、そんな「小説家志望の彼」でさえ、まだ見込みがあるほうなのではないかと 思ってしまうくらい、このどろの若い人を見ると、驚くほど野心が希薄になっているよう です。いまだにギラギラと野心を持ち続けているのは、お笑い界の芸人さんぐらいではな いでしようか。 作家の世界でも同じく、野心の氷河期現象が起きていると感じています。 最近の若い作家には、ベストセラーを出したはいいが、「あの売れてる本を書いた人、 誰 ? 」って気になっているうちに、二、三作で名前さえ聞かなくなってしまう人が少なく ないんですよね。 ここ数年は、金原ひとみさんのような見事な才能と美貌を兼ね備えた作家が出てきたか ら、もはや売れない芸能人やモデルを小説界へ連れてくる必要はないでしようけど、ひと 昔前には″「作家」と呼ばれる美女〃がたびたび出現していました。 ト説らしきものを一作くらい発表しただけで、あとは何かを書いている気配もない″自 称「作家」〃 そもそも私は、作家にかぎらず「本業」が何だかよくわからない人間を 一切信用していないのですーーとはまったく違って、彼ら、最近の若い作家は素晴らしい 才能を持っているし、真面目に努力もしている。なのに、あっという間に舞台からいなく
か出口が見えてくる。走ることを知っている人たちは、諦めるということも知っていま す。実際に、運が悪い人とは見切りが悪い人でもある。いまが楽しくないなら、何かを切 り捨てることだって必要です。「新規まき直し」をして、生き方を変えることは運の強さ につながっていきます。 年齢を重ねていくと、野心の飼いならし方もだんだんわかってきます。他人のことは気 にならなくなってくる。ひたすら自分の中に向かってくるんです。もっと良い仕事をした いということだけになり、野心が研ぎ澄まされていくわけですが、自分との戦いほど辛い ことはない。しかし、若いうちから野心を持って訓練していれば、その辛さに立ち向かえ る強さも鍛えられているはずです。 そして、挑戦してたとえ失敗したとしても、世の中はほどほどの不幸とほどほどの幸福 で成り立っていると達観する知恵者の域にまで達することができれば、もはやそれは「不 幸」ではない。野心の達人が至る境地といっていいでしよう。 人生に手を抜いている人は、他人に嫉妬することさえできないんです。それほど惨めな ことはありません。成功した人、幸せそうな人を見ても、自分が努力していたらまた違う 感慨があったのかもしれないのに、「ああ、私は嫉妬する資格すらない」と自覚している 181 第五章野心の幸福論
じめる意地悪な私、という構図になっていました。しかし、尖閣諸島問題があり、銀座や 京都の三つ星料理店に中国人のお金持ちが押し掛けているいま、アグネス論争が起きたら 果たしてどうなっているかなあとは思います。 「アグネス論争のせいで、子育てネタで書けなくてお気の毒」なんて意地悪く言われるこ ともありますが、そもそも、面白い子育てエッセイを読んだことがないから、その手のも のを書きたいとまったく思わないんです。物書きが子育てエッセイを書いたとたん、どん いろあ な人でも急に色褪せて見えてしまう。ただ、漫画家の女性による子育てマンガだけは別 で、やつばり戯画化できるせいか面白いですね。 「よその家の子の成長は早い」とはよく言ったもので、他人の子育てなど、普通の人は興 味がないのが当たり前ぐらいに思っておいたほうが良いのではないでしようか。年賀状の 家族写真でさえお腹いつばいなのですから。世の中には、子どもが嫌いな人だって大勢い るのを、子どもを持った人間こそ心に刻んでおかないといけない。 私の秘書のハタケヤマは、編集者の方々から「ハヤシさんの運が強いのは、超敏腕かっ 超美人の秘書さんがいることでもある」と折に触れて褒めていただくくらい、たいそう有 能な美女です。彼女は結婚していますが、大の子ども嫌い。子どもを欲しいと思ったこと 171 第四章野心と女の一生
っている。南伸坊さんが本を出したのなら、じゃあ、次は私も出したいな、っていう感 覚。現在も第一線に残っている人たちが芋づる式に出てきた時代です。 かといって、私自身は最初から、本を出したい、小説を書きたいと思っていたわけでは ありませんでした。たしかに、広告業界に入る前の植毛アルバイト時代には、当時まだ十 八歳だった中沢けいさんが『海を感じる時』で群像新人文学賞を最年少で受賞した ( 一九 七八年 ) のに触発され、さっそく原稿用紙を百枚買ってきたこともありました。でも、何 カ月もかかって十八枚しか書けなかった。何百枚も書くのは面倒くさいし、飽きつぼい性 格の自分にはとても無理だと思っていました。今は月に三百枚以上書くわけですから、不 思議なものですね。 とにかく有名になりたくて仕方がない女の子でした。お恥ずかしい話ですが、高校時代 には女優になりたくて、劇団四季に入団しようかと願書を書いたこともあります ( 結局ポ ストに入れませんでしたが ) 。アルバイト時代には、歌が上手いと言われて、石井好子さ ん主宰のシャンソンのオーディションに応募したこともありましたけど、本気で歌をやり たいわけではないから長続きするはずもなく。当時は、アルバイト生活から脱出しなきや と思う一心で、歌手でもなんでも良かったんです。あのとき、吉本興業からお呼びがかか
原だ」と、早稲田に入ってラグビーで活躍した同級生とともに私の名前を挙げてくれたこ とが、その後、どれだけ私の励みになったことか。事あるごとに、「四畳半でくすぶって る場合じゃない、私は上野先生のお墨付きなんだ」と思って自分を鼓舞していました。 辛い時代に、会社のアルバイトの人が「ハヤシさんって、いまにきっと有名人になると 思うわー」と何気なく言ってくれた言葉だって、私には大事な宝物でした。何年かにたっ た一度なんですけど、「あなたは、きっとすどい人になる」と誰かが言ってくれた。 自分を信じるということは、他人が自分を褒めてくれた言葉を信じるということでもあ ると思うんです。 一方で、野村克也さんがかって「自分は特別な人間だという自信と、自分は普通の人間 だという謙虚さ。この二つを同時に持っていたい」とおっしやっていましたが、謙虚さを 持っことも大事だと思います。そして、不思議なことに、自分を謙虚に見つめると、神様 が何か一つ、ど褒美をポロッとこぼしてくれる。 私も「自分には本当に何の取り柄もないなー」と思うたびに、何かポロッと嬉しい出来 事が起きたような気がします。たとえば、高校一年の時に山梨放送のオーディションに合 格してラジオで—をやることになったり、大学時代にはデパートの大丸が募集した作文 89 第三章野心の履歴書
いっか必ず、お母さんは働くのが好きなんだ、そのおかげで自分は物質的にも精神的にも 利益を得ているんだ、とわかる時がやってきます。 どうして女性にばかり子育ての負担が掛かってくるのかについて考えると、もちろん母 性神話もあるでしようし、前述の通り、相変わらず夫に子育てで同じ負担を求めるのは 理だという現実、保育環境が依然としてお粗末な社会のせいでもある。そして、育児休暇 などが充実していない時代遅れの企業もまだまだ存在しています。 しかし、もし幸運にも、子育てを大なり小なりサポートしてもらえる環境にいる女性に は、私は「本当に大変だと思うけど、意地でも頑張って働き続けて ! 」と声を掛け、肩を バンバン叩きたいのです。実家のお母さんの力を借りるとか、ベビーシッターを雇うとか ( 知り合いには自分の給料がまるまるシッター代に消えてしまっている人もいますが ) 、そ れでもやはり、仕事にはしがみついていたほうがいい。 二十代後半から三十代前半ぐらいの女性って、責任のある仕事も任され始めてきたの に、同期の男性との扱いの差を感じ始めたり、なおかっ仕事にもちょっと飽きてきたり疲 れてきた時期ということもあるでしよう。子育てを理由に会社を辞めて、子どもが大きく なったら社会復帰しよう、と自分に都合良く考えてしまいがちです。しかし、退職前と同 131 第四章野心と女の一生
先ほども触れましたが、私と同年代の独身女性編集者たちがいま、定年退職の年齢に差 し掛かっています。ずっと仕事もお金も不自由しなかった彼女たちが、五十代後半に入り 「あー、しまったー」と思うのは、結婚できなかったことではありません。 なんといっても、子どもがいるかいないかなんですね。かって「大変よねー」と遠巻き に見ていた同業の女性の子どもが就職したり結婚したりするのを見て、自分の人生を後悔 する人が多かったりします。 とはいえ、子どもの話となれば、まず最初にお断りしておきたいことがあります。 私が心底、軽蔑するのは「子どもを生んでいない人には何もわからないじゃない」と、 鬼の首を取ったように言う人たちです。 世 0 中には、子どもが「しくな」人も」る。子どもが」な」から 0 そ仲が良く幸せな 夫婦もいる。そして、子ともが欲しくてもどうしても叶わなかった人もいます。 私は四年間の不妊治療の末、四十四歳にして子どもを授かりました。毎回「次はきっ : これは一冊の本になるくらい、いろんな と」という期待を裏切られる辛さといったら : ことを私に与えてくれました。野心を持って一生懸命頑張れば何でも手に入ると信じてい ましたが、努力の甲斐もないことが世の中にはあるということ、自分のカではどうにもな 163 第四章野心と女の一生
のほうがましでした。私も「ああ、彼らは、私のことが好きなんだ、構いたいんだ」と考 えようとしていましたし、いえ、本当にそう思っていたのかもしれません。 そのうち、だんだん悪質になってきて、「無視無視 5 」とか「近くに寄るな 5 」と言わ れて仲間はずれにされるようになった時は、さすがにとても傷つきました。いじめのきっ かけは、中二のホームルームの時間に、私が男子に歯向かって何か言ったことらしいんで す。自分では全然覚えてないんですけど。 幼なじみの同級生によると、中一の国語の授業での最近の日本語は乱れているという話 題で、先生がいくつかの助詞を挙げてその違いを説明できるかと尋ねた時、他には誰も答 えられなかった教室で、私は一人すらすらと説明したのだそうです。また、実家の書店で 店番をしては、雑誌から大人向けの小説まで何でも読みまくっていましたから、いろんな 雑学にも詳しかった。成績は中くらいでしたが、頭だけはませている中学生でした。 ですから、弁は立ったけれど、体育は苦手だし、デブだし、服装はだらしないし、嫌わ れても仕方なかっただろうなあと当時の写真を見るたびに思います。すごく卑屈でした し。何も悪いことをしていないのに、みんなに気に入られようとして「どめんね、今日の 掃除は全部、私がするから」と言って一人で掃除をするような子でした。 77 第三章野心の履歴書