しようね。「私は美人で目立ちたがり屋なので、女子アナになりたいと思いました ! 」と 言って、人社することはやつばり難しいのでしようか。 ちやほやされるといえば、昔ほどではないとも言われますが、だっていまだに人気 はため 職業です。しかし実情は、傍目に思うほど羨ましい仕事ではまったくありません。プライ べートではビジネスクラス以上の男性にかしずかれている 0 の女性たちが、エコノミー クラスの乗客の無理難題に四苦八苦するストレスは計り知れません。なおかっの経 営破綻もあったのに、相変わらず志望者が後を絶たないのは、まだまだという看板で 得することを皆が知っているからでしよう。 女子アナやが玉の輿に乗ったり、稼ぎの良い旦那さんを得るチャンスが他の職業よ りも多いのは確かです。女子アナは言わずもがなですが、だって商社マンや医師との 合コンなどでは相変わらず引っ張りだこ。前にも触れましたが、一流航空会社からのお墨 付きを得た女性には、最初から男性も安心しますし、何よりも「結婚後も笑顔でサービス してくれそう」と思ってしまう人がいるらしい。 女子アナは「三十歳の壁」とか言われることもありますが、そこそこの知名度で年を重 ーベージに出た ねて退社した女子アナだって、新聞や雑誌のタイアップ広告のインタビュ 143 第四章野心と女の一生
高校時代のクラスでいちばんの美人だった子が、市役所の人と結婚してごくごく平凡な 人生を送っていたり、もったいない美人の例が後を絶ちません。私なら、どれだけ美貌を 有効に使ってあげられたか : : : と歯噛みしてしまいました。 美魔女だって、私から見れば、あんなに綺麗だったら当然、次は男を作るでしよ、と思 うのに、不倫している気配が皆無なのが不思議。美しさと若さを保つことにエネルギーを 使い果たし、自己完結できるからなのでしようか。私の小説の中でも特に売れた『不機嫌 な果実』 ( 一九九六年 ) 時代の美人妻とはずいぶん違うなあという印象です。 そのまた昔は、森瑶子さんの『情事』 ( 一九七八年 ) を読んで、女性はみんな「女だって セックスしたいよねー」って共感したのに、いまや淡白な女性が主流になってきた。性的 な話を持ち出すと「まあ淫乱 ! そんなにしたいんですか ! 」と呆れられそうな時代で す。男性だけでなく女性の性欲も地盤沈下を起こしているようにも思えます。 さて、もったいない美人がいる一方で、美人であることを十分に自覚して、それを最大 限に有効利用している人たちが女子アナではないでしようか。 ーワンです。「子どもたち いまや女子アナは、日本で女性がちやほやされる職業ナンバ に読み聞かせをしたいから入社しました」なんていう志望理由も実のところはどうなんで 142
第三章 野心の履歴書 不採用通知の束を宝物に / いじめられっ子だった中学時代 / 「新規まき直し」作戦 / 生まれて初めて努力をする / 電気コタッで泣いた、どん底時代 / 小さな成功体験を 大切にする / 有名になりたい ! / ついに野心にエンジンがかかる / 「マイジャー」で はなく「メジャー」 / 激しいバッシングの日々 / 知名度を再浮上させるには / 作家に なりたい ! / カリスマ編集者・見城徹氏の登場 / スランプーーー霧の中の十年 第四章野心と女の一生 ママチャリの罪 / 〃絶対安全専業主婦〃の存在 / 他人を羨まずに生きていけるか / 子 育てと仕事の両立 / 自己顕示欲の量 / 働いているから確認できる愛情 / オス度の高 い男性ほど美しいメスを選ぶ / 自己完結の「美魔女」、美人の有効利用「女子アナ」 / コスプレに見える女性政治家 / 女性経営者の野心のバネは「悔しさ」 / ュ 聖子の野心を考える / 働く女性がウサギからトラへと変わる時 / やがて哀しきマス コミ独身女性 / 結婚の良さは「チーム」を組めること / 子どもで再確認した仕事の 大切さ / 生むタイミングの難しさ / いま振り返る「アグネス論争」 119
ません。しかし、「、 1 ドルが高い」男性には「高い」ゆえの錯覚もセットでついてくる ので、容姿だって数割増しに見えるんです。 安らげる人、一緒にいて楽な人であればいい、などと言って最初からハ ードルを低くし ているから、いつでも跳べると思って、なかなか跳ぼうとしない。その結果、結婚できな い女性が増えているのではないでしようか。 お金持ちじゃなくてもいいけれど、知的で話が面白いとか、仕事ができて尊敬できる人 であるとか、理想の最低ラインは、いくら″最低〃でも高めに持つべきなんです。 男性の側だって、同じこと。 夜景の綺麗な高級マンションに暮らし、モデルと付き合ったり、 女子アナとは合コンし 放題、っていうのは、なかなか叶うことではないと思いますが、まずは、できるかぎり上 を目指して努力する人生であってほしい。 後で徐々に軌道修正をしていけばよいのです。そうすれば、気立てのやさしい女性と結 婚して、居心地の良いマンションで休日は可愛い子どもと遊ぶ、そんな幸福な人生が待っ ているはずです。 そして、ここからが大事。詳しくは後述しますが、野心が上手く回り始めると、「強 かな
がしばしばあります。 某美人タレントさんの整形前画像にはとりわけ衝撃を受けて、マガジンハウスの担当者 の鉄尾さんに「私も二十代で美人に整形しておけばよかったー」とぼやいたことがありま した。返ってきたのは「あんたの若い頃に、その時代の技術で整形していたら、いまどろ 顔グチャグチャだよ」という一刀両断のリアクション : : : 酷すぎる。 歯列矯正など長年の努力が実を結び、「ハヤシさんは年を取るほど綺麗になる。女性の 美しさも尻上がりのほうがいいですよね」と言ってくださるかたもいて、それはもう嬉し い言葉です。でも、やつばり女性の美しさは、二十代で前途有望な男の人をつかまえ人生 の伴侶とする戦いの勝者になるために使うのが理想でしよう。だからこそ、生物学的にも 二十代がいちばん綺麗になるようにできているんですから。 自己完結の「美魔女」、美人の有効利用「女子アナ」 しかし一方で、世の中にはせつかく整形の必要も無い美人に生まれついたのに、有効利 用しないままで人生を送ってしまうケースもけっこう多いんですよね。 ″美人の持ち腐れ〃です。 141 第四章野心と女の一生
舎の商業高校や工業高校に行くから、中学を卒業したらもう関係ありません。では、私を 心の底で見下している女の子たちから逃れるにはどうしたらいいか。 自分の成績からすると近くの女子高に進むのがごく普通のコースでしたが、そんな子た ちが来られないレベルの高い高校に行こう、彼女たちとはサヨナラして「新しい自分に生 まれ変わりたい ! 」と思ったのです。 ひかわ 当時の県立日川高校は、地元では名門として知られていて、女子は中学の成績がトップ の十人くらいしか入れない高校でした。自分の成績ではとても無理だったので、必死で勉 : としたいところですが、私は先生に「いずれ大学に行くので日川高 強をし始めました : 校に行きたいんです」と拝み倒して内申書の宛名を書き換えてもらったんです。こういう 。手段を選ばない″抜け駆け〃戦法でし ところがまた私のイヤなところなんですけど : たが、めでたく私は日川高校へ進学できることになりました。 日川高校は男女共学校でしたから、女子高に進学する同級生の女の子たちからは妬まれ て、「ずるい」とか「汚い」とかさんざん言われました。中学の卒業アルバムにも「あん たなんか嫌い ! 」という捨てゼリフが書かれています。でも、私にしてみれば、「言わせ ておけばいいや。どうせみんなとはお別れだしね—」という余裕の構えでした。心の中 ねた 79 第三章野心の履歴書
樋口一葉の再来といわれた母の人生 ついでに、もう少し、母の話を続けさせてください。 私の結婚式の時には ( 一九九〇年 ) 、出席してくださった堤清二さんや栗本慎一郎さんが、 「ハヤシさんのお母さん、ただ者じゃない顔をしてる」 と言ってくださったものです。 『本を読む女』 ( 一九九〇年 ) は戦前から戦後にかけての母をモデルにした小説ですが、い まの母を見てもたいした女性だと思います。すっかり足腰は弱ってしまいましたが、難し いクロスワードパズルを解いたり、頭は昔と変わらず、とてもしつかりしています。 先日、山梨に行ったときには、 「自分も作家になりたかった。チャンスはいくらでもあったのに、努力しない自分がいけ なかった」 と、九十七歳にして本気で悔しがっていたので驚きました。 母は大正四年生まれですが、当時の女性、それも山梨の田舎ではとてもめずらしく女子 専門学校 ( いまの女子大 ) まで進んだ人です。娘の自分が言うのもなんですが、幼い頃か 41 第一章野心が足りない
いじめられっ子たった中学時代 さて、そろそろ「もしかして、ヘンな人 ? 」と不安に思われている気配がします。「貧 乏時代に未来の自分へ手紙を書くとか、結局ハヤシさんの特異体質なんじゃないです か」という声も聴こえてくるような。 では、なぜ私はそんな特異体質の人間になったのか。 さかのぼ ここで、私がいじめられっ子だった時代の話に遡りたいと思います。 中学時代にいじめられていた話を切り出そうとすると、お約束のように、 「またまた 1 。。 とうせハヤシさんのことだから、それは、いじられて面白がられていたっ てことでしよう ? ポケ役の人気者だったんでしよう ? 」 というリアクションが返ってきます。 しかし、私が、山梨の中学時代に「林真理子を百回泣かせる会」を結成した同級生の男 がびよう の子たちから、画鋲を載せられた手を無理矢理に握らされたり、お習字の時間に顔に墨を 塗られたりした経験を話すと、皆が信じられないといった表情で絶句してしまいます。私 自身が夢物語のように思っている話なので、当たり前の反応なんですけどね。 椅子の上に剣山を置かれたり、っていうこともあったのですが、そういう肉体的いじめ
ったら、喜んで芸人さんになっていたと思いますし ( 私が「しずちゃん」 0 号になってい たかも ) 、もしも私が美人で「ホステスになりませんか」と声をかけられていたら、今ご ろは銀座で夜の蝶たちを仕切っていたのではないでしようか : さて、コビーライターの新人賞もいただき、広告業界では少し有名にはなっていました が、もっと一流の仕事、たとえばサントリーのコピ 1 とか大きな仕事がしたいのに、それ はなかなか叶わない。自分でもコビーの才能に限界を感じ始めていた時にいただいたお話 が、主婦の友社の編集者、松川さんの書籍企画でした。 松川さんとは秋山道男さんの事務所で知り合い、当時あった主婦の友社の「アイ」とい う女性誌で取材や記事のまとめをさせてもらったりしていました。また、 ( 東京コ ビーライターズクラブ ) の新人賞を取った私は業界誌「ブレーン」で広告を批評するエッ セイを書かせてもらっていたのですが、文章や視点が面白いと気に入ってくださって、書 籍の企画を通してくれたのです。 「いままでにない女性の本音をェッセイにして、一冊作りましよう」 というのが松川さんの依頼でした。すごく嬉しかった。 しかし、私はその依頼を一年間も放置したのです。 93 第三章野心の履歴書
も高給を得るべく、千葉のクリニックでハゲのおじさんに植毛する毛を注射針に一本ずつ 人れていく、あまりにも地味なアルバイトをしていました。 綺麗なは上り電車に乗って都心に向かうのに、汚い格好をして下り電車で千葉に通 う日々。当時の私は、上池袋の家賃八千六百円、風呂なしの四畳半のアパートに住んでい ました。四枚入り四十円の食パンで食いつないでいたこともあります。貸本屋さんで本を 借り、今川焼をたまに買って食べるのが至福の瞬間でした。 貧乏で先の見通しは何も立っていなかったけれど、不思議と、落ち込むほどの悲愴感は ありませんでした。当時は日記を書いていましたが、それも、いまに私は大金持ちになっ て貧乏時代を懐かしむ日が来る、と確信していたから。これほどの貧乏はもう自分の人生 にはないはずだから、将来の自分がすっかり忘れてしまうであろう貧乏生活の記録をつけ ていたのです。大金持ちになる根拠など何ひとつないのに、このままの私であるはずがな い、と思いながら、いつも何年後かの自分を想像していました。 アンジェラ・アキさんの代表作に、「手紙 5 拝啓十五の君へ—」という歌がありま す。「十五歳の僕」と「大人になった僕」が手紙を交換する名曲ですが、この曲の歌詞と 同様に時空を超えて、私は未来の自分によく手紙を書いていました。 73 第三章野心の履歴書