あります。 『ルンルン』を出した直後は、単に有名人になれればいいや、とか、テレビに・出るのって 楽しいとはしゃいでいた私でしたが、悪口を言われ始めてから、次第に「テレビに出てる ばっかりじゃん」と言われるのは悔しいと思うようになりました。書く仕事に本気で取り 組むようになっていったのです。 しかし、依然としてテレビにも出ていましたから、両立させるのは大変でした。テレビ の収録で上がった熱を冷まして、書くための集中力を内側に向けていくには、どうしても 二 5 三時間はかかるわけです。夜十一時くらいに帰宅したとして、書こうと思ってもすぐ には書けない。ようやく二時頃から書き始めて徹夜になることもしばしばでしたから、丈 夫が取り柄の私があの頃はよく貧血で倒れたりしていました。 その後しばらくしてテレビに出るのを一切やめたのは、レギュラーで 0 をしていた番 組の視聴率が悪くて一クールで打ち切りになったこともありますが、テレビ業界の誰とも 仲良くなれなかったことも大きかった。プロダクションに入っているわけでもないので、 当然マネージャーさんなどはいません。着替えの洋服も自前で持って行っていました。一 人でテレビ局に入り、昼や夜なのに「おはようございます」なんていうのも絶対に嫌だっ 103 第三章野心の履歴書
自分の求めていたものとは、いったい何だったのだろう。 キリコのそれは、そのたびごとにめまぐるしく変わっていったような気がする。 仕事、金、肉欲、名誉 : : : 。けれども誰が自分を責めることができるだろうと、キリ コは思う。それが欲しいと思う時、いつもキリコは空つぼで、ひもじかったのだ。余裕 をもって、自分の欲望を見つめた時などただの一度もない。 就職試験にすべて失敗して、お金のために植毛のアルバイトをするなどした後で、徐々 に野心を開花させて成功するコピーライターの主人公が生まれました。 初めての小説を執筆する過程で、私は学んでいったのです。書くからには内臓までお見 そむ せする気で、目を背けたくなるような自分をも切り刻んでいかなければならないことを。 たとえ小説という虚構の世界において自分とはまったく違う人間を描く時であっても、そ れこそが自分にとっての「書く」という行為なのだ、ということを。 ある記者さんが昔、おっしやった言葉はいまも忘れません。 「男がね、″大きい方〃をする時は、すどく恥ずかしいんですよね。トイレの個室に入る 時、人に見られると、死んでしまいたいほどの気分になる。だけどみんなにね、『オレは 18 第三章野心の履歴書
たのかなあと思います。自分でどうにかしなければ、と思えたのは、やはりそれなりに追 いつめられていたのでしよう。 スタートラインが後ろだから、最初からカを入れて走るしかなかった。でも、そのぶ ん、後で加速がついたのかもしれません。 とにもかくにも、怠惰な私が、生まれて初めて「努力」ということを始めたのです。最 初は英文タイプを習ってみたり、英会話の勉強を始めたのですが、もともと英語が苦手な せいもあって、長続きするはずはありませんでした。さて、どうしたものか そんなある日、銭湯に行こうと歩いていた道すがら、アパートの向かいの部屋に住んで すがも いた女の子に会い、彼女がコ。ヒーを書いたという巣鴨信用金庫のパンフレットを見せても らいました。私が初めてコピーライターという職業を意識したのはこの時です。 本を読むのは好きだったので、自分は文章を書くことも好きかもしれない。また、当時 は糸井さんの功績で、コ。ヒーライタ 1 という職業がもてはやされ始めていた頃でした。も と 1 も A 」、、、 1 ーでしたし、お向かいの彼女が書いていた巣鴨信用金庫のコピーを見て、不 遜にも「この程度なら私だって書けるかも ! 」と思ったのです。 よし、コビーライターを目指してみよう、と決めた私は、彼女が教えてくれた「宣伝会
舎の商業高校や工業高校に行くから、中学を卒業したらもう関係ありません。では、私を 心の底で見下している女の子たちから逃れるにはどうしたらいいか。 自分の成績からすると近くの女子高に進むのがごく普通のコースでしたが、そんな子た ちが来られないレベルの高い高校に行こう、彼女たちとはサヨナラして「新しい自分に生 まれ変わりたい ! 」と思ったのです。 ひかわ 当時の県立日川高校は、地元では名門として知られていて、女子は中学の成績がトップ の十人くらいしか入れない高校でした。自分の成績ではとても無理だったので、必死で勉 : としたいところですが、私は先生に「いずれ大学に行くので日川高 強をし始めました : 校に行きたいんです」と拝み倒して内申書の宛名を書き換えてもらったんです。こういう 。手段を選ばない″抜け駆け〃戦法でし ところがまた私のイヤなところなんですけど : たが、めでたく私は日川高校へ進学できることになりました。 日川高校は男女共学校でしたから、女子高に進学する同級生の女の子たちからは妬まれ て、「ずるい」とか「汚い」とかさんざん言われました。中学の卒業アルバムにも「あん たなんか嫌い ! 」という捨てゼリフが書かれています。でも、私にしてみれば、「言わせ ておけばいいや。どうせみんなとはお別れだしね—」という余裕の構えでした。心の中 ねた 79 第三章野心の履歴書
じめる意地悪な私、という構図になっていました。しかし、尖閣諸島問題があり、銀座や 京都の三つ星料理店に中国人のお金持ちが押し掛けているいま、アグネス論争が起きたら 果たしてどうなっているかなあとは思います。 「アグネス論争のせいで、子育てネタで書けなくてお気の毒」なんて意地悪く言われるこ ともありますが、そもそも、面白い子育てエッセイを読んだことがないから、その手のも のを書きたいとまったく思わないんです。物書きが子育てエッセイを書いたとたん、どん いろあ な人でも急に色褪せて見えてしまう。ただ、漫画家の女性による子育てマンガだけは別 で、やつばり戯画化できるせいか面白いですね。 「よその家の子の成長は早い」とはよく言ったもので、他人の子育てなど、普通の人は興 味がないのが当たり前ぐらいに思っておいたほうが良いのではないでしようか。年賀状の 家族写真でさえお腹いつばいなのですから。世の中には、子どもが嫌いな人だって大勢い るのを、子どもを持った人間こそ心に刻んでおかないといけない。 私の秘書のハタケヤマは、編集者の方々から「ハヤシさんの運が強いのは、超敏腕かっ 超美人の秘書さんがいることでもある」と折に触れて褒めていただくくらい、たいそう有 能な美女です。彼女は結婚していますが、大の子ども嫌い。子どもを欲しいと思ったこと 171 第四章野心と女の一生
た。その具体的な第一目標はやはり直木賞を取ること。実際に、直木賞候補になってか ら、「才能なんてこれっぽっちもない女」という悪口は少しずつ消えていったんです。 幸運にも二作目から四回連続で直木賞の候補となり、この頃には完全に、私の野心と努 力は上手く回るようになっていました。とはいえ、『ルンルン』の松川さんもそうです が、やはり編集者がついてくれたことは大きかった。編集者と〆切の存在なくしては、私 みたいな怠け者は無理。「すごい才能 ! 」とか「いずれ直木賞を取れますよ」と言ってく れたのも、物書きの孤独な作業にはたいへん励みになりましたし。だから、新人賞の応募 で、編集者もいないのに長編一千枚くらい書く人って、たいしたものだと感心します。 デビュー後しばらくして、当時は角川書店の編集者だった見城徹さん ( 現・幻冬舎代表 取締役社長 ) とも出会いました。最初、「ケンジョウさんって読むんですよね ? 」と訊い たら、「この野郎、業界で超有名なこの俺を知らないのか」って怒られた後で、こう言わ れたんです。 「三つ、君と約束しよう。ひとつめはまず、うちで連載を書こう。ふたつめは直木賞を取 ろう。それから : : : 」 三つめの約束は、「オレに偬れないでくれ」でした。 112
も高給を得るべく、千葉のクリニックでハゲのおじさんに植毛する毛を注射針に一本ずつ 人れていく、あまりにも地味なアルバイトをしていました。 綺麗なは上り電車に乗って都心に向かうのに、汚い格好をして下り電車で千葉に通 う日々。当時の私は、上池袋の家賃八千六百円、風呂なしの四畳半のアパートに住んでい ました。四枚入り四十円の食パンで食いつないでいたこともあります。貸本屋さんで本を 借り、今川焼をたまに買って食べるのが至福の瞬間でした。 貧乏で先の見通しは何も立っていなかったけれど、不思議と、落ち込むほどの悲愴感は ありませんでした。当時は日記を書いていましたが、それも、いまに私は大金持ちになっ て貧乏時代を懐かしむ日が来る、と確信していたから。これほどの貧乏はもう自分の人生 にはないはずだから、将来の自分がすっかり忘れてしまうであろう貧乏生活の記録をつけ ていたのです。大金持ちになる根拠など何ひとつないのに、このままの私であるはずがな い、と思いながら、いつも何年後かの自分を想像していました。 アンジェラ・アキさんの代表作に、「手紙 5 拝啓十五の君へ—」という歌がありま す。「十五歳の僕」と「大人になった僕」が手紙を交換する名曲ですが、この曲の歌詞と 同様に時空を超えて、私は未来の自分によく手紙を書いていました。 73 第三章野心の履歴書
文学のためとか、よりよき小説のため、などというもったいぶった理由なぞいらな い。それより、いい小説を書いて、銀座のいい女をゲットしたい。そんな俗な理由が、 まずわたしをふるい立たせ、わたしの能力をかきたてた。 ( 二〇一三年一月三十日日本経済新聞朝刊「私の履歴書」より抜粋 ) 「俗欲」こそ作家にとって重要だと断じていらっしやる渡辺淳一先生が偉大なのは、先日 も「気がおかしくなるくらい書いて書いて書きまくった」とおっしやっていましたが、ず っと現役で、大御所で、ベストセラ 1 作家として第一線に居続けているところ。男性の機 能不全 , ーー・平たく言えば「勃たなくなる」ことーー・を経験したことでさえ、先生にとって は「しめた ! 」と思う絶好のチャンス。誰も書いたことのなかった小説のテーマになって しまうのです。 同様に、女性作家にとっても、普通の人には不幸の因になってしまうようなこと、たと えば失恋したとか離婚したとか、更年期障害だって、「これで一作書ける」という思いに つながっていく。作家という職業とは自分を切り刻んでいく仕事でもあるからです。 もと 187 第五章野心の幸福論
三原じゅん子さんなんて、どうしたって政治家のコスプレをしているようにしか私には おおぎちかげ 見えません。現職の松あきらさんや山東昭子さん、過去には扇千景さんもいましたが、元 女優さんって、おそらく彼女たちが考えている女性政治家のスタイルや喋り方があって、 すぐにそれを実践できてしまうからなのか、本当にあっという間に政治家然とした人にな っていきますよね。 だから、なおさら女性政治家ってよくわからない。でも、たいした理由もなく政治家の 人を嫌ったり、バカにしたりすることはしたくないと思います。やはりなんといっても私 たちから選ばれた人には違いない。すべて自分たちに跳ね返ってくるからです。 女性経営者の野心のバネは「悔しさ」 私には何人かの女性経営者の友人がいますが、彼女たちのパワフルさ、強烈な個性とい ったら、かってあれこれ書かれた私でさえも舌を巻くほどです。 まず、男性社会との関わり合いかたが違うと思います。女性が財界を渡り歩いていくた めにはやつばり権力と仲良くならないといけない。財界のおじさまたちが揃うパーティー に、派手めな洋服でやって来て可愛がられる素質が必要なんですね。権力を持っオヤジた 146
野心は満ちあふれ、自分は書いたらきっとすどいんだ、と思っているのに、一冊分の原 稿を書くのは面倒くさかったし、なかなか勇気が出なかった。本を出せばすぐべストセラ ーになり、すっかり有名人になった自分を妄想している段階がいちばん楽しいわけです。 いくら自信家の私だって、実際は書けないんじゃないか、書いても面白くならないのでは ないかという懸念は当然ありました。たちまちベストセラー作家となっている、虚像の自 分を崩したくなかったのです。 しかし、やがて、松川さんから「一年間も待っているのに、書かないってどういうこと だよ」という連絡が来て、そのうちサラ金の督促みたいな電報まで来るようになり、よう やく私は腹を決めました。 よし。こうなったら、絶対に面白い、誰も出していないような本を書いてやろう。 ついに、有名になりたいという野心に本気のガソリンが注入されたのです。 当時の書店の女性ェッセイの棚には、落合恵子さんや安井かずみさんのような、女性ら しい品のある本しか並んでいませんでした。「ああ、ここに爆弾をぶち込めば売れるだろ うな」と私なりのマーケティングをしたんです。恋愛やセックスのあけすけなエビソード やちょっと下品なことまで、とにかく誰も書いていないような女性の本音を書けば絶対に 95 第三章野心の履歴書