速に消化され、日常化され、根をおろした。危機はこれが習置に編人されたときに芽ばえた のである。大衆の味覚は徐々に、しかし決定的に移動していく。長い戦争の中断期があって、 終戦後もう一度私たちはプームを味わうことができたが、大衆はそのときすでに私たちを追 いこしていた。彼らはただ甘さに飢えた舌をなぐさめるため、あるいは戦前の生活への郷愁 からキャラメルを争いもとめたにすぎなかった。生活と秩序が回復され、皮膚に液がみちわ たったとき、キャラメルにはもはや初期の力がなかった。私たちの商品には説得力が失われ、 ころ 飽かれてしまったのである。壁の線が山頂を発したのはこの頃だ。素朴でわびしい模倣の本 目【ヒヒゞ ム月カ大衆のなかにあったので、私たちは戦勝者のかんでいるのとおなじ味のチューインガム 玩 を売って一時的人気を得るには得たが、それだけではとても資本の利潤活動を支えることが と できなかった。もう一度、なにか新しい思想と味を発明しなければならないのだ。 人 こうした考えから実験室の男たちは香料の開発にのりだし、さまざまな試作品を考え、そ 巨 のいくつかを発売した。エキゾチズムならアーモンド・キャラメル、消化器学ならペプシ - っ / 、・つ ン・ガム、ロ腔衛生とむすびついて抗酵素剤入りキャンデー、また伝統の甘さをさらに強調 するための塩味と甘味の二層キャラメルなど、各社とも手を替え品を替えて大衆の舌と抗争 こうりようびん したが、いずれも大きな活動力をもつにはいたらなかった。老人たちは林立する香料瓶のな かで深い吐息をついた。 戦争中はサムソンもヘルクレスもアポロもいっせいに乾パンや携帯ロ糧や熱糧食をつくっ て剣と難民に仕えていた。戦争がおわったとき、各社とも工場を破壊されて深い傷を負って
である。それは編集者によって「オオ、ジュニア ! 』と題され、「ありふれた少女の非凡な 一日』という副題がついていた。グラビア六頁にわたるカ作であった。それは週刊誌に大き な話題を提供し、『カメラ・アイ』は創刊以来の反響を呼んだ。私はこれを見て、はじめて 合田と春川の二人が新しい型の発掘に成功したことを知ったのである。レンズをとおして京 子は完全につくりなおされていた。 「オオ、ジュニア ! 」は貧しい少女の生活報告だった。春川は刑事のように京子を追いまわ し、朝起きてから夜寝るまでの彼女の一日を演出と記録をまじえて描きだしたのだ。彼は京 王子をいくつかの型にわけて表現した。貧乏や孤独や小さな虚栄やわびしい歓楽など、そのい 裸ずれについても彼はためっすがめつ吟味して、彼女独特の個性がもっとも痛切にでていると ク同時に背後にひかえる何百万人かの十代少女の大群がそのまま想像される、そんなものだけ 」を選んで発表したのである。解説によれば春川は十二枚の作品のために六〇〇枚のネガをむ だにしたということであった。 表題どおり京子はありふれた少女だった。彼女の生活を代表するものは満員電車やプロマ イドや屋上の日なたばっこであった。三時のアミダ。服飾店の飾窓。公開録音の長い列。夜 ふけの大衆食堂のラーメン。おそい銭湯のどぶの匂い。スー ーマン気どりで毛布をかぶつ て押人れからとびかかる弟。そんなものが彼女の身辺を飾っていた。 きんぎよばち やっ しよくようがえる 「あ 0 子は会社 0 炊事場 0 隅金魚鉢」オタ「ジ ~ →を飼「〔るんだよ。それも小さな 奴じゃない。フグみたいな面をした、食用蛙のオタマンヤクシさ。餌にはカツオプシがいい つら えさ
となっていることにふれまいと神経を使っているようだった。町角や公会堂の弾劾者たちが 彼の名をまたたく間にせまい田舎町にひろめてしまったので、彼自身は役所内で苦しい立場 におかれる結果となっていた。彼の背後にある勢力のはげしさと大きさのためにうつかり口 しっと にだすことはできないものの、同僚たちは嫉妬を、上役たちは反感の感情を抱いて彼を眺め ていた。その事情を知って局長は会話にこまかい気を配る様子だった。 俊介は鼠害の本質を局長に説明するために試験林の結果を引用した。研究課では去年の冬、 いったんぶ 官有林の一反歩ほどの面積をトタン板でかこって実験をした。雪のふるまえに課員たちはそ 王のプロック内のネズミを一匹のこらず殺し、巣穴という巣穴を破壊し、下草をすべて刈りと 裸ってからトタン板で周囲をかこい、雪がすっかり積ったところを見はからってトタン板をは クずしたのである。何カ月かして春になり、雪がとけた。実地検証の結果、はっきりした結論 」がでた。林はそのプロックだけほば完全に生きのこり、あとは全滅だった。 「 : : : ということは、つまり、冬の雪のしたではネズミの行動範囲がせまい。そのため巣穴 附近の木を手あたり次第、集中的にかじるということなんです。トタン板をはずしているの に侵入しないのですからね。植栽林は結局、冬の間にすっかりやられていたんですよ。春に なってからいくらネズミをやつつけたところで、何にもならないのです。もちろん無視はで きません。連中は飢えて気ちがいじみていますからね」 ストレート・グレーン 局長は話の途中でポケットからパイプをとりだした。みごとな柾目模様のダンヒルであ しかがわ る。俊介の話を聞きながら局長はせっせとそれを鹿皮でみがいた。癖なのかもしれないが、
ていった。新聞や放送を通じていくら事実無根を証明し、デマに対する警告を発してもむだ だった。この内的な。ハニックをおさえるため、県の衛生課はしぶしぶ腰をあげて・・ さんぶ を戸別訪問して撒布したり、予防注射をおこなったりしたが、それはすでに病気の存在を公 こだいもうそう 認するようなもので、まったくの逆効果だった。医師たちは誇大妄想におちいった風邪ひき や頭痛持ちや神経痛患者などの応対に音をあげ、衛生課の無能をうらめしげにのろうのだっ た。患者たちは正しい症状を告げられても満足せず、コレラやチフスなどを一言葉のはしに匂 わせられるとやっと安心した表清になった。老練な開業医はたちまち熱病患者の大群をつく りだしてアスピリンの滞貨を一掃した。 田舎町には桜が咲き、やわらかな春風が日光を絹のように漉して流れた。しかし、ひとび ニとのこころのなかにあるパニックの密度は中世の暗黒都市の住人が抱いたのとおなじものだ った。役所、銀行、学校、会社、商店、駅、市場通り 、いたるところでひとびとは不安な視 線をかわしあいカカしー目 こゞ ) こ艮や言葉の裏をさぐりあった。こうして心理現象にかわった自然 現象は、ついで政治現象へと発展したのである。 ます叫びだしたのは落選した進歩政党の県会議員候補者である。彼らは伝染病の噂が発生 すると待っていましたとばかりに立ちあがり、ひとびとのこころの傾斜をいよいよ急なもの ほうむ にしようと必死の努力をそそいだ。彼らはひとびとに失政を説き、うやむやに葬られた過去 の不正事件の数々をあばきたて、官僚の腐敗をののしり、ピロッティ・スタイルの県庁舎を 貯指さして鼻持ちならぬまやかしの近代主義だときめつけたのである。彼らの一人はその採光
研究課の学者や技術官たちはすでに去年の春、ササの開花にさきだって一年後の恐慌を予 想していた。なにしろ一二〇年ぶりの出来事なので、被害の規模がどれくらいのものになる のか、こまかいことは専門家にもわからなかったが、とにかく例年の域をはるかにこえたも のになるだろうというので俊介の勤める山林課に警告が発せられたことは発せられたのであ る。被害の予想と対策の腹案が持ちこまれたが、平安になれた山林課では事態が見通せず、 ほうむ 予算の不足を口実にうやむやにこれを葬ってしまった。課長会議でも根本的な問題はなにひ とっ討議されず、もし予想どおりに恐慌が発生したら、いままでのどれよりも効果のある毒 さくさん 薬をばらまいておさえてしまおうではないかということで、モノフロール醋酸ソーダの使用 法や、それに関する衛生法の制限緩和策が検討されたにすぎなかった。 ニ山林課が研究を実行に移さないかぎり、学者たちの報告書はホゴの山になってしまうので ある。俊介は課長会議の結果を聞くと、研究課の資料や技官たちからの助言を借りて綿密な 対策書を書きあげそれを上申書という形式で直接局長宛に提出した。対策書の結論はササ原 をいくつもの小区分にわけて秋までに焼いてしまうということだった。ササがみのるのを防 そがい がないかぎり鼠害はさけられないという考えで、彼は三県にまたがる広大なササ原を山火事 にならぬようプロックごとに仕切った、くわしい地図までそえて提出したのである。研究課 の学者や技官たちは、表面は悲観的でも内心ひそかにこの書類の効果を期待していた。これ に反し、作成者の俊介自身は毎夜おそくまで仕事に没頭しながらまったく成果を信じていな かった。 あて
解 説 279 群が一直線に走って、高原の湖のなかにまっしぐらに飛びこむ壮大な光景を目のあたりにみ たときの主人公の感動こそ、まさしく「パニック」の製作モチーフにほかならないだろう。 しゅんすけくっぞこ なが 「俊介は靴底を水に洗われ、寒さにふるえながらこの光景を眺めていた。朝もやにとざされ た薄明の沖からはつぎつぎと消えてゆく小動物の悲鳴が聞えてきた。その声から彼の受けた ものは巨大で新鮮な無力感だった。 一万町歩の植栽林を全滅させ、六億円にのばる被害をの こし、子供を食い殺し、屋根を剥いだ力、ひとびとに中世の恐怖をよみがえらせ、貧困で腐 敗した政治への不満をめざめさせ、指導者には偽善にみちた必死のトリックを考えさせた、 らんび その力がここではまったく不可解に濫費されているのだ。」 読者がそこにどのような寓意を読みとろうと、それは読者の自由である。だが、作者の目 だいこうずい の前には、その瞬間、先を争って水に飛びこむネズミの大洪水が本当に見えていたにちがい たか ないし、作者はひたすらその光景だけを見つめながら、心を昂ぶらせていたに相違ない。だ からすべてが終ったとき作者は次のように書くよりほかはなかったのだ。 「俊介は、新鮮な経験、新鮮なエネルギーが体を通過したあとできまって味わう虚脱感をお ばえた。」 これが、全エネルギーを作品のなかに放出し終えたあとの作者自身の虚脱感を云いあらわ す言葉にほかならないことは、もはや説明を要しないだろう。「 パニック」のリアリティは、 ほかならぬ作者のこの内的エネルギーが、まず笹の実とネズミの繁殖という自然現象に転化 され、ついでそれのおのすからなる発展として、社会不安という心理現象が生じ、さらに政
力のない、 しかしもっと力を有効に使いたいと思う人は距離は遠いが確信のある目標をたて、 それにむかってときには速く、ときには遅い足どりで歩いてゆくだろう。その目標がなにか、 私にはわからない。私はこの時代がどちらをむいているのかわからない。ゞ、 カ皇帝打倒はお そらくその目標の最たるもののひとつだ。岩砂漠、官庁、刑場、書店、露地裏、いたるとこ ろで人びとは目くばせや、ささやきから出発してやがてあらゆる細流を集めた大河となるだ ろう。私たちは現在の停滞にはとうてい耐えられないのだ。皇帝の自然死までの期間、この かんべき 川はぜったい地表に出現しない。 いまの警察網は完璧である。性急な野心家の地方的叛乱は はれもの 王あちらこちら腫物のようにあらわれるかもしれないし、脱走者や青年たちは彼に利用される 裸かもしれない 。しかし、皇帝が死ぬまでは警察と軍隊を味方にすることはぜったい不可能な クのだ。洪水の出現はおそらく皇帝の死後である。暗殺であれ、自然死であれ、彼の死が、と にかく、最大の契機だ。 しかし、私は、長城が始皇帝の死によって消えるとは、とうてい思えないのである。私た かずい ちは彼によって教えられてしまったのだ。つぎにどんな男がカーテンの花蕊の部屋のなかに 入ろうとも、逃げることはできない。ふたたび彼が万世一系を宣言しようと、あるいは主権 在民を宣言しようと、彼は始皇帝からまぬがれることはできないのだ。彼のやることは長城 の延長工事である。粘土製の長い、重い建造物のことだけではない。馬車の乗客、登記所の 役人、衛生局の医者。長城はいたるところにあるのだ。この方式によらないで人びとを支配 することはできないのである。彼はつぎからつぎへと大量の夫役人をつくりだし、系を無数 274
関するかぎり、それはまったく私たちの幼稚さの愚劣きわまる拡大にすぎなかったのである。 ひばれんが 私たちは町の城壁を築くときとまったくおなじように黄土をねり、日乾し煉瓦をつくり、そ れを営々として砂漠のただなかに一箇ずつつみあげていったのだ。あるいはこのシステムに よって皇帝は全従業員に帝国がその版図の広大無際限さにもかかわらずなおひとつの町にす ぎず、それ以外のなにものでもないのだという連帯感覚が発生することを期待したのだとい う説が生まれるかもしれない。宮殿前広場のけばけばしい演説者たちは孤独の克服を私たち に説くにあたってそういった。六日めのさいごの夜の私たちのヒステリーと首都から辺境ま 王での長距離行進の苦痛をささえた、私たちの、外を志向するただひとつの憎悪、こうしたも 裸のはピタリとそれをさし、それに呼応している。しかし、長城の予定線のあちらこちらに労 働部隊が配分されて、いざ仕事にとりかかってみれば、何カ月もたたないうちにたちまちこ めいもう ←一の説の迷妄がさらけだされた。 私たちはある王の遺跡の終ったところから出発することになった。このあたりはちょうど 黄土地帯が終って、砂漠と山岳地帯のはじまろうとする地点であった。地平線のかなたまで されき 見わたすかぎり砂礫の荒野がばうばうと広がっていた。 灰色の密雲に閉ざされた空がぬかる みのように地平線にのしかかり、半砂漠の荒野がそのかなたから空が流れだしたようにおし どじよう よせてきた。酸性土壌の乾ききった土のしたを無数の岩脈がいらだたしげにいまわり、 たるところで巨大な、陰惨な脊椎が浮いたり、沈んだりしていた。風は密雲の奥を流れて長 いこだまをひびかせ、空のあちらこちらでは雲が切れて、雲層の断面がまるで無数の壁をも 264 せきつい
から街道へ、郡、県、市を通過していっせいに首都をめざして行進していた。綱につなかれ むち ている一群もあれば、鞭に追われて歩いている一団もあり、道ばたにごろ寝する小隊もあれ こうさてん ば、夜昼なしに歩きつづける中隊もあった。平野を網の目のように蔽う無数の道の交叉点で 部隊と部隊が出会うとそれはくつついてひとつになり、市庁、県庁の広場でさらにその地方 の東西南北から集った諸部隊に合流して大旅団となってつぎの旅行に出発した。私たちはや がて綱をとかれたが、 厳重な点検をうけて、およそ武器と目されるものなら革帯からピン一 本にいたるまで没収された。部隊が大きくなるにつれて私服の憲兵にかわって完全武装した 王兵士が私たちを監視するようになった。彼らは馬や兵車にのって部隊の前後を守り、逃亡し 裸たり、抵抗したりするものがあればその場で切り殺した。病人や老人たちが過労にたえかね ざんさっ クて倒れると、これまた容赦なく斬殺し、死体をそのまますてて行進をつづけた。彼らは犠牲 ヒ者が他界に再生することのないよう、かならず首を切りおとした。沿道の町村の人びとはそ ほうむ のような死体を公墓地に葬る習慣をもたなかったので、死体は陽に蒸され、雨にぬれて、と けたり、くずれたりするままになった。私たちはばろぎれのようになったシャッと服のうえ に縄一本をしめ、これらのもうもうとした狂気の腐臭を発散する影たちといっしょに街道を 歩いていった。 兵士たちは私たちのうえにいっさいの権力をふるった。法は彼らが恣意によってその運搬 する筋肉の群れを左右することをゆるしていた。もちろん、彼らが限度以上に私たちを虐待 することは長城建設の労働量を減退させることになるから、その点いくらかの注意が払われ なわ ぎやくたい
流亡記 241 やり眺めているだけで、追われた町民が綱をくぐって左地区へ入ろうとするのを見ても眉ひ とつうごかさなかったし、右地区のなかを走りまわる兵士たちも右に左に走っているように 見えながらよく注意すればひとりひとりはきわめてせまい活動面積しかもっていないことが わかった。はじめに彼らは一〇メートルおきぐらいにわかれてたったので、狩りこみをはじ めてもその間隔内でしか活動しないのだ。彼らは自分の領域内にいる町民には苛烈な精力を 消費したが、他人の受持区域の人間にはほとんど関心をしめそうとしなかった。追う人間よ り追われる人間の数のほうがはるかに多いからカを分散させないように、という計算からか もしれない。しかし、あきらかに彼らの狂暴さは粘着力をもっていなかった。なぜなら、ほ びんしよう とんど右地区の人間が逮捕されたなかで二、三人の敏捷なものだけはたくみに兵士それぞれ の領域線上だけを縫って走ったために左地区へ逃げこむことに成功したからだ。兵士は領域 線まで追いつめても相手が他人の受持区のなかへとびこむのを見とどけるとそれ以上積極的 に追おうとしなかった。そのため領域線を走る人間は右と左から迫る二つの力をなんの労力 もなく殺しつつ走れることになるのだ。ひしめきあう雑踏のなかでそのカの地図を瞬間的に さとった人間だけが逃走に成功した。あとはみな逮捕された。私はひとりの兵士がまっしぐ らに走ってくるのを見て、背をおこし、殴られるまえに綱のほうへ自分から歩いていった。 隊長の命令はきわめて忠実に果された。綱から右の男はことごとく犯罪者にされた。左地 区に住んでいながらたまたま道路の中央より右にたっていたものも、一瞬まえまで左にいた のに綱をはられるときにおしのけられたためにころんで右へ入ったものも、また右でもなく