ネズミ - みる会図書館


検索対象: パニック・裸の王様
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1. パニック・裸の王様

という疑いがわたしの頭を掠めたのも事実である。それほど熱に浮かされたような喋り ぶりだった。 そうして書き上げられた作品が「ノ ヾニック」である。この題名はいかにも開高健の情熱の 発作にふさわしい。泰山鳴動してネズミ一匹という諺とは反対に、ネズミの大群が文字通り 人間世界をパニック状態におとし入れる。或る年の秋、或る地方で、一二〇年に一度花を開 き、実をむすぶといわれる笹の実がなった。ネズミの大群がこの実をめざして集まった。雪 に蔽われた広大な笹原の下で、ネズミはたえ間なく仔を産み続け、尨大な数に繁殖していっ だれ 王た。が、地下に蓄積されたネズミのエネルギーは、まだ深い雪に蔽われて誰の目にもっかな 裸かった。やがて春の到来とともに、食料不足となったネズミの大群は地下の穴から、野に街 だいきようこう クにあふれ出て大恐慌を起こすことになるのだが、開高健の内部に蓄積された創作のエネル 」ギーが、堰を切って奔出するその速度とびったり対応する具合に、このネズミ騒動はだんだ ん大きくひろがってゆくのである。雪ダルマ式にふくらんでゆくその過程の叙述のなかに、 わたしはまがいもなく作者のエネルギーを感じとることができた。「 パニック』という小説 の独創性と力は、もつばらその点にかかっているように、わたしには思える。 ぐうわ いつべん 「パニック」は一篇の現代寓話であるが、しかし、だからといってすぐにカミュの「ベス ト』を引き合いに出す必要はない。 この作品は「ベスト」のミニアチュアでもなければ、当 節流行の組織と人間論の絵解きでもない 「パニック」の新鮮さは、かかって巨大なエネル せんりつ ネズミの大 ギーの物理的運動にたいして覚える作者の戦慄に似た感動にあると云っていし 278 おお せき かす ことわざ ばうだい

2. パニック・裸の王様

「やつばりばくにはわからないね。君は無抵抗なのかと思えばそうでもない。積極派かと思 えばチャッカリ計算もしている。その点ばくにはどうも正体がハッキリしないんだな。ぬら りくらりしているくせに非常に清潔なところもあるらしいし、さつばり本音がっかめない 農学者は投げだしたようにそういうと、苦笑をうかべながら、グラスをさしだした。俊介 は自分のグラスをそれに軽くあて、ウイスキーを舌でころがしながら、なんとなく、 ( ひょっとしてこの男なら愛せるかもしれない ) ネズミ騒ぎが終ってから、一度ゆっくり話しあおうと彼は思った。 四 しゅんすけ ある日の夕方、俊介は役所からの帰り道で小さな異常を発見した。町のまんなかを流れる 丿にかかった橋のうえを歩いていて、なにげなく下をのぞきこんだ彼は思わず足をとめてし どろ まった。 月岸の泥のうえにおびただしい数のネズミが集まっていたのである。そこには川岸 りようてい の食堂や料亭の捨てる残飯がうず高く積みかさなり、ネズミがまっ黒になってたかっていた。 彼らは大小さまざまで、いずれも我勝ちにおしあいへしあい餌をあさっていた。なかにはま ねこ るまる肥って猫のように大きなのもいたし、ほんの這いだしたばかりの子ネズミのようなの もいた。猫のようなネズミ、それは料飲街の壁裏に住む特有の種族だ。彼らはみんな下水管 ふと えさ

3. パニック・裸の王様

を伝ってそこへでて来たのだろうが、そのなかにはきっと飢えに追われて山や野からもどっ て来た連中もまじっているにちがいなかった。彼らはちょっと数えきれないほどたくさん集 かんだか まり、甲高い声で小学生のようにさわぎつつ食事をしていた。橋のうえにはたちまち見物人 の山ができたが、 ネズミはいっこう逃げる気配を見せなかった。橋をわたってから俊介は舗 道のしたに暗い王国を感じた。 むね ネズミを捕えた者には一匹一〇円の賞金を交付する旨の布告をだしてから、一週間になる。 彼はその攻撃命令を新聞、ラジオを通じて流し、ポスターやチラシにもして三つの県のあら 王ゆる町と村に伝えたのだった。また、激害地区では小学生や中学生を総動員した。子供たち 裸は毒ダンゴを入れたバケツを持ち、一列横隊になって畑を横ぎり、林をかこみ、丘にのばっ クた。ネズミ穴を見つけ次第にダンゴを投げこむのである。街道にとめたトラックのうえから 」子供の列がのろのろと野原を進んでゆく光景を見ると、まるでナポレオン時代の戦場を思わ せられた。そのときには劇薬一〇八〇剤を使ったので、一夜あけて訪れるとネズミは巣穴の 周辺でバタバタ死んでいた。この薬は微量でも神経をたちまちマヒさせるから、ネズミは自 分の死体をかくす余裕なくその場でたおれてしまうのである。 町では賞金目あてに狩猟がおこなわれた。ひとびとは争ってパチンコ・ワナや " 千匹捕 みぞぐち り ~ を買い、壁穴や溝ロや倉庫などに仕掛けた。捕えられたネズミは交番や区役所に届けら れ、日に何回となく集配に来る県庁のトラックに積まれて俊介の課に送りつけられた。俊介 らは無数の捕虜にもとの正しい任務をあたえて釈放した。すなわち彼らは大学や病院や衛生

4. パニック・裸の王様

あらゆる人間の訪問と電話と陳情書がおしよせて、応接にいとまがなかった。どの地方でも ヒノキ、スギ、カラマツの植栽林は雪に埋もれていた腰から下をすっかり剥がれ、木質部を さらけだして、まるで白骨の林となっていることが発見されたのである。過度の繁殖のため に食料不足となったネズミは雪の下で穴からあふれ、手あたり次第に木の幹をかじっていた のだ。雪のために遠くまで餌をさがしにでかけられなかった彼らは手近の木に牙を集中し、 しん 芯まで食ってしまったのである。山林地区の被害は主としてこうした若い植栽林にはげしか ったが、早くから雪のとけたふもとの耕作地や田畑では、まいた麦がまったく発芽しないの で百姓たちはうろたえた。それは本格的な春になるまでわからなかった。ネズミはもともと 夜行性の動物であるから、麦粒がぬすまれていても現場をおさえることができないため、芽 ニをだすまではそれと知れなかったわけである。百姓たちは中心部だけが緑いろになった奇妙 みぞあぜ な畑と、溝や畦のおびただしいネズミの穴を発見していっせいにさわぎだした。また、どの 村でも、倉庫や製粉所や穀物倉にはネズミの先発隊がそくぞく侵入し、夜の間に畑から村や 町へ入ろうとして街道でトラックにつぶされるネズミの数も日ごとに殖える一方だった。 そがい 山林課では殺到する苦情を処理しきれなくなって、ついに専任の鼠害対策委員会を設ける こととなり、俊介は日頃の職務をとかれてネズミと全面的に取組むことを命じられた。さっ そく彼は特別予算を計上して近県のあらゆる動物業者からイタチやヘビを買い、マークをつ りんざい あひさん けて野山に放した。また、アンツー剤や亜砒酸石灰や燐剤など、手に入るかぎりの殺鼠薬を 業者から買い集めて被害地の村に配る計画をたてた。ことに一〇八〇番と呼ばれる猛毒薬、 えさ

5. パニック・裸の王様

舌打ちしたり、ののしったりしている相手のとりみだしように俊介はあっけにとられた。 かっこう 農学者は後部席に酔いたおれた俊介のだらしない恰好を見て吐きすてるような口調で説明し 「移動だよ、ネズミが移動をはじめたんだ。早く行かなきや間に合わない。おれは生まれて はじめて見るんだ」 おだてられるような日本酒特有の酔いにしびれていた俊介は農学者の言葉でショックを感 じ、ふらふらしながら体を起した。 一匹がさいしょに衝動を感じて走りだしたのかわからないが、ネズミの軍団 王どの林にいこ しようちゅう 裸の一部がその夜移動したのである。一人の木こりがそれを目撃した。焼酎を飲んで村からの ク帰り道にその木こりはおびただしい数のネズミが雑木林や草むらからあふれて路上を横ぎる 」ところを発見したのだ。彼はそのまま自転車をもどして村の駐在所にかけこんだ。若い巡査 は博物学者ではなかったので説明しようのない異常をそのまま電話で県庁へ報告するよりほ かに方法を知らなかった。ニュースがまわりまわって農学者の家へとどいたときはすでに一 ちょうちん 〇時をすぎていた。その間にも村人たちは懐中電燈や提灯で道を照らし、総出でネズミをた 勝負はつかなかった。暗がりのためにくわしいことはわからな たき殺し、踏みつぶしたが、 いか、殺された数とは比較にならないほどのネズミの大群が道を横ぎって夜の高原に消えて いった。この知らせがふたたび電話で県庁にったえられたとき、農学者は市内の屋台店や安 酒場をシラミつぶしに歩いて俊介をさがしまわっていた。彼はイ介から秘密会議のことを知

6. パニック・裸の王様

うな 彼の耳では足音や唸り声をどのけものはどれとすぐに判別することはできなかったが、イタ チ、テン、キツネ、フクロウなど、この地方の山野に住むあらゆる肉食性のけものや鳥が灰 との動物も背に冬を感じているらしい気配 色の地下組織の攻撃に参加しているはずだった。、 どんらんえさ がその貪婪な餌の追い方に察しられた。パチンコ・ワナにかかったネズミが朝になるとイタ チに食いちぎられて首だけしかのこっていないこともあったし、フクロウの羽の音は一晩中 そうぞうしかった。 一度なぞ、林からとびだして草むらのネズミをつかんだフクロウが林へ もどるはずみにテントの支柱にぶつかったことがある。一人用の携帯テントは軽い竹の棒で 王支えられていた。ぶつかったはすみにフクロウはよろめいて、テントごと俊介の顔の上に落 裸ちかかって来た。俊介は息をつめて身動きしなかった。フクロウの重い、乾いた羽音と、ま クだ死にきっていないらしいネズミのもらす小さな悲鳴が聞えた。俊介は顔に肉食鳥のするど ニい爪とネズミのもがきを、厚い布ごしに、傷のようにはっきりと感じた。 さいやく 日を追うにしたがって災厄が土のしたでいよいよ広範囲なものにひろがってゆくことが手 にとるようにわかったが、俊介としてはなにひとつ手の打ちょうがなかった。夏から秋にか けて、彼は何回となく山へやって来たが、それはいずれも名目出張で、山林課としては彼に わく ただ余った予算を使わせて次年度に少しでも余計な枠をとるその実績稼ぎを命じたにすぎな かったのである。いわば彼は山でただ散歩だけしていてもよかったのである。ネズミは完全 に無視されていた。 つめ

7. パニック・裸の王様

・つまりだナ、どうしてそれほどネズミがいるのにいままでわからなかったかというこ とだ。ついこないだまで、日報はどれもこれも特記事項ナシばっかりで、なにもネズミのこ となんかにふれていなかったじゃないか」 俊介はばからしさのあまり、あいたロのふさからないような気がした。 。いいかげんなことをいってるぜ、雪がとけてみたら木がまる 「その報告書を読んで見給え 裸になってたんでびつくりしたなんてトッポイことをヌケヌケ書いている。どうしてそんな ことかいままでわからなかったんだ」 王課長は目的を発見したので語気するどく、かさにかかった口調でそういった。俊介にはそ 裸の思わくがすぐのみこめた。この男は早くも責任回避の逃げ道を発見したのだ。予防策をな クにひとっ講じなかったくせに、 ) しまとなって事の原因がまるで派出員の怠慢だけにかかって ニいるかのようなもののいい方をする。派出員がどれほど熱心に山のなかを歩きまわったとこ ろで、雪のためにネズミの音信は完全に断たれていたのだ。かろうじて雪の上にでた木の幹 だけがネズミの活動を知らせる唯一のアンテナだったのだ。それに、なによりも問題なのは こうしよう 派出員が幹の咬傷をどれほどくわしく熱心に調査したところでいまさらどうしようもなかっ たということである。いっそここでいやがる相手に動物学を講義して真相をすっかりさらけ だしてしまうか、それともその場かぎりのいいかげんな同意でお茶をにごすか、あるいはこ れを機会に相手の歓心を買うべくはじしらずに媚びるか。いろいろと手はあると思ったが、 事件ははじまったばかりなので、いままでどおり俊介はどっちつかすに黙っていることにし

8. パニック・裸の王様

晩秋の雑木林を俊介は忘れることができない。落の風景美にうたれたのではない。彼が その落葉林で見たものは秋の青空を漉す枯枝のこまかいレース模様ではなかった。忘れつば しがい いモズがあちらこちらの枝につき刺した子ネズミの死骸に彼は眼を奪われたのだった。それ は枯枝になった、時ならぬ灰色の果実であった。おびただしい数のネズミがひからびて点々 と木にぶらさがっていた。すでに予想はしていたが、 こうした情景を眼のあたりに見ると、 やはり恐慌の進行がひしひしと体に感じられるようだった。 もちろん、しるしはそれだけではすまなかった。高原の村から村へ調査に歩く彼の道はい たるところ徴候に飾りたてられていた。 空にはたえずタカやノスリが舞って、ときどきする ニどく急降下するのが見かけられたし、ササの枯れた茎のあいだで宝石のようにきらめくへビ の姿や、閃光より速いイタチのひらめきもめずらしいことではなかった。湖岸の湿地にはさ まざまな小動物の足跡が入り乱れて印されていたし、茂みにはきっとなにかの気配が感じら れた。どの動物もネズミを追っているのだが、相手が習性を変えたために、夜行性のけもの までが白日に全身をさらして活動していた。 夜になると、昼間は気配やひらめきにすぎなかったものが、それぞれはっきりと疾走する 足音や悲嗚や歯ぎしりなどに変って俊介の耳をそばだたせた。村から村へゆく途中で日が暮 れると、彼は雑木林などのかげに携帯の一人用のテントを張って野宿することにしていた。 すると、日没時や明方など、とくにネズミが活発に動く頃は騒ぎがひどかった。経験の浅い せんこう しる ころ

9. パニック・裸の王様

さくさん あて モノフロール醋酸ソーダを大量に用意して、使用制限の法規を緩和すべく知事宛に特別申請 書を提出した。また、薬のゆきわたらない村には、要所要所に深い穴を掘ったり、水を張っ たカメを埋めたり、パチンコ・ワナを仕掛けたりするよう、大急ぎでパンフレットを刷って 各地に流す手配をととのえた。これらのことを彼はまったく手ぎわよく、そして精力的に運 んだので昨春以来彼を非常識な空想家としてしか見ていなかった同僚たちは完全に圧倒され てしまったのである。彼にしてみれば、それは昨年上申書が却下されてから一年ちかい月日 の間、研究に研究をかさねた棋譜を公開しただけのことにすぎなかった。冬の間も彼は人目 王をさけて研究課から資料や文献を借りだしてネズミの習性や毒薬を検討し、地図を眺めて暮 裸していたのである。 ク : しかし、春の山野にあふれた暗い力は彼の想像をこえて余りあった。ネズミは地下水 」のようにつぎからつぎと林、畑、川原、湖岸、草むらのあらゆる隙から地表へ流れだして来 てとどまるところを知らなかった。地下の王国には飢えのために狂気が発生しかかっている らしく、ネズミの性質は一変していた。彼らは夜となく昼となく林や畑に姿をあらわし、人 間の足音がしても逃げようとしなかった。春はまだ浅い。やっと雪がとけたばかりだ。地上 には穀物もなく、草も芽をださず、ササの実もすでにない。飢えに迫られた彼らは白昼農家 わらやね の藁屋根にかけのばったり、穀倉で人間の足にとびかかったり、また昼寝している赤ン坊の ほおわら 頬を狙ったりなど、あちらこちらで異常な情景を展開しはじめた。 俊介は多頭の怪物ヒドラと闘っているようなものだと思った。ネズミが横行するのは山や

10. パニック・裸の王様

ク らの牙は樹皮から木質部まで、ほとんど素裸にちかく幹を剥いでしまうにちがいない。それ は植栽林の五年や六年の若いカラマツにとっては致命傷だ。春の恐慌は決定的である。雪ど けとともにネズミは土からあふれ、灰色の洪水となって林になだれこみ、田畑にひろがって どんらん ゆくことだろう。この牙と胃袋だけの集団、貪婪で盲目的なこのカの行手をはばむものはな にもないのだ。 一匹一匹のネズミはたわいないものである。その行動半径はせい・ せい一〇メートルから一 五メートルくらいで、三〇メートルも離せば、もう巣穴を見失ってしまうほど無能力な生物な のだ。また、彼らには広場恐怖症ともいうべき衝動がある。たとえば彼らは部屋を横ぎると き、決して対角線や垂線をコースとして選ばうとしない。遠道になってもかならず壁にそっ びんしよう こうさてん ニて走るのだ。溝や穴のなかではあれほど敏捷な彼らがしばしば広い電車道や交叉点のまんな かでつぶされてしまうのもこの習性のためである。広い道を横ぎらねばならないという、そ のことだけで異常な努力を強いられた彼らは遥か遠方から近づいてくる電車の音や光や重量 せきつい を予知しただけで神経がマヒしてしまい、むざむざ脊椎をくだかれる結果となるらしいのだ。 おくびよう ところが、これほど臆病で神経質なネズミでも、いったん集団に編入されたとなると、性 質はまったく変ってしまうのである。集団のエネルギーは暗く巨大で、狂的でもあれば発作 的でもある。オーストラリアの異常発生の記録では野ネズミの大群が一〇キロの平原を一直 線に移動して、途中の植物を根こそぎ平らげ、そのまま海につき進んでおぼれ死んだという うかい 事実が報告されている。彼らは迂回することを忘れ、発生地から正確に一直線を延長した海 はる