がでていないじゃないか」 山口はしばらくばくの顔をみつめていたが、やがて蹴るようにして席をたち、だまって壇 をおりていった。みていると彼は「親指姫」と貼札をしたテープルにいって作品を選んでい たが、すぐに二枚の画をもってもどってきた。 「子供の現実がでていないというのはいいすぎだよ。これは一例にすぎないがね」 彼は二枚の画をテープルにならべた。みると、一枚は親指姫が野ねずみの變さんにいじめ られ、一枚は彼女が女王になって花にかこまれている図であった。山口はそれをひとつずつ 王さして説明した。 裸「ねずみのほうは男の子が描いたんだ。ハッピー・エンドは女の子だ。これだけでも子供の じよじよう ク現実がでているじゃないか。男の子は闘争の世界、女の子は抒情の世界と、はっきり反映し ←一ているじゃないか」 ばくは彼をのこして席をたっと壇をおりていった。そして、「裸の王様」と書いたテープ ルにまっすぐ歩みよると、いちばんうえにあった一枚をすばやくとり、山口にみえないよう 床にかがんで、それまで新聞に巻いてもっていた画をほどいた。その二枚をもって壇にもど ったとき、ちょうど審査が完了したらしく、大田氏を先頭に審査員一同がどやどやともどっ しようさん てきた。彼らは大田氏にねぎらわれ、そのお礼に大田氏の事業を賞讃し、和気あいあいと談 笑しながら壇をのばっていった。せまい壇はたちまち人でいつばいになり、席はひとつのこ らずふさがった。 はりふだ
山口はばくの顔をみると、まわりでがやがやしゃべりだした連中とみくらべて、早くも敏 感な眼つきをした。延期のサインなのであろう。ぼくはそれを無視して、ずかずかと彼に近 づくと、テープルに二枚の画を投げつけた。一枚では王冠をかぶったカイゼルひげの裸の男 えっちゅう が西洋の銃眼のある城を背景に歩き、一枚では越中フンドシの裸の殿様が松並木のあるお堀 まゆ ばた 端を歩いていた。ばくはめいわくそうに眉をしかめている山口にかまわず説明した。 やっ 「チェスのキャッスルがある奴は入選作だ。フンドシは落選作だ。入選作の子供はなにかを みて描いたんだよ。トランプのキングかもしれないし、絵本かもしれない。外国の風景をこ 様 れだけまとめるには相当の下敷きがいるからな」 王山口は二枚の画をみくらべてはっきり虚をつかれた表情をうかべた。当然だ。ぼくだって のじっさいこれがとびだすまでは予想もできなかったのだ。山口は越中フンドシをすばやく裏 返したが、名前もなにも書いてないのをみて、けげんそうな表情でつぶやいた。 「農村か漁村の子だろう : : : 」 ばくは彼の敏感さにひそかに脱帽しておいて一言葉をつづけた。 : この二つをくらべたらどちらが日本の子供かわかるじゃないか。どちらがアンデルセ ンを地について理解したか、どちらが正直か火をみるよりはっきりしているよ。どうして王 冠が入選してフンドシが落選したか」 ばくの声は思わず高くなった。山口はあたりをはばかってみじめな顔をした。なぜかばく は彼のそんなこざかしい眼のうごきをみると、しやにむに彼をたたきつけてやりたかった。
191 子供たちをつれていってやれなかった。そこで、一日じゅう童話をしゃべったのだ。その反 応は太郎の画のひとつずつにはっきりあらわれていた。「マッチ売りの少女」や「人魚のお 姫様」や「シンデレラ」などがたどたどしい線と、関係を無視した色彩とでとらえられてい た。ぼくはくわしく各作品をしらべてみて、太郎のめざましい成長と努力を感じた。どの作 品も、表面的にはほかの子供とたいしてかわらなかったが、何カ月かまえの太郎は完全に窒 息していたのだ。混乱状態にもせよ、それがこれだけのイメージを生むようになったという ことは注目すべき開花だとぼくは思った。ただ、少女や人魚や馬車などのなかにある理解が 様 類型的なエキゾチシズムをぬけきれていない点にばくは自分の才能の不足と空想画の限界を 王暗示されるような気がした。 の ばくは五枚の作品を一枚ずつ観察してはべッドのよこにおいた。さいごの一枚が色の泥濘 のしたからあらわれたとき、思わずばくはショックを感じて手をおいた。ばくはすわりなお してその画をすみからすみまで調べた。この画はあとの四枚とまったく異質な世界のもので えっちゅう ほりばた ) あった。越中フンドシをつけた裸の男が松の生えたお堀端を歩いているのである。彼はチョ かつぼ ンマゲを頭にのせ、棒をフンドシにはさみ、兵隊のように手をふってお堀端を闊歩していた。 こうしょ・つ その意味をさとった瞬間、ばくは噴水のような哄笑の衝動で体がゆらゆらするのを感じた。 ひざ ぼくは画を投げだすと大声をあげて笑った。ばくは膝をうち、腹をかかえ、涙で太郎の顔 がにじむほど笑った。べッドのよこの机にころがっていた中古ライターに没頭していた太郎 でいねい
封筒のなかには写真が一〇〇枚ほど入っていた。合田は一枚ずつ綿密に、しかしすばやく それをしらべ、またたくまに写真の山を二つにわけてしまった。さいごの一枚をおいたとき、 さいほうの写真の山をさ 彼の顔には満足の微笑が浮かんでいた。彼はタバコに火をつけ、小 して春Ⅱにいっこ。 「イケるね」 「イケるだろ」 春川は顔をほころばせた。 シャン 具 「あの子はネガ美人だよ。素顔じゃとてもいただけない」 玩 合田は苦笑して手をふった。 と 「でつかい口をしてやがる。笑うとあんパンが一コまるごと入りそうじゃないか」 ・人とんきよう 「頓狂な子だよ。ペロッと舌をだして鼻の頭をなめてやがんの。驚いたね。十八番だって 巨 ーサルのギャラの相談などをして帰っていった。合田 春川は合田としばらく世間話やリハ は私に写真をわたし、あすかっておいてくれといった。私はそれを部屋にもって帰り、全部 点検してからひきだしに入れて、鍵をかけた。機密費のなかから高額の撮影料を払ったにも かかわらす合田は二度とその写真にも京子にもふれなかった。 それつきり私は春川にも京子にも会わず、日をすごした。二人の行動は翌月号の写真雑誌 「カメラ・アイ」がでてからすべて判明した。春川は京子をテーマにして作品を発表したの かぎ
流 亡 記 249 な法令を発布した。彼はありとあらゆる角度から事態の厖大な複雑さを検討した結果、かっ てどんな為政者も思いおよばなかった結論をくだしたのである。すなわち、全官庁職員は一 きん 日の執務量をきめられて、一日に官公文書一二〇斤を処理しなければならないことになった のだ。 この数字はあくまでも数字である。それは徹底的に量であって、いっさいの問題の解決者 はかり は秤である。私たちは役所へいって、各課長の机のうえにおかれた、小さな、みすぼらしい 器具を見た。背骨の穴のなかまで埃りがつもったかと思われるような課員たちはめいめいの てあか 机にむかって必死になって小刀をふるっていた。彼らは手垢のために皮革のような光沢をお ちくかん びたカバーを腕にはめ、前垂れを腰につけ、机のうえにおかれた竹簡へ文字をきざむことに すみ 没頭していた。机の隅には竹簡の山が築かれ、課員たちは一枚きざみおわるたびに眼もあげ ずに左へ移し、右から一枚とった。そこになにが書かれているのか私たちにはわからない。 夫役の流刑囚たちはおどおどしたまなざしで部屋へ入ってゆき、自分の出身地と名前を告げ た。役人はどんなわかりにくい方言でどんなむつかしい名前をいわれてもたじろがなかった。 はたして自分の名前がそこにきざまれたものかどうか、まったく疑わしいかぎりである。部 屋のなかには夫役人たちの声と、小刀と、竹のきしみがみちているだけだった。人びとは入 ってきてつぶやき、でていって廊下にならび、部屋から部屋へ、廊下から廊下へと歩きまわ った。役人たちはときどき体をおこしてきざみおわった竹簡の山に魚の眼のようなまなざし を投げ、一二〇斤にたりないと見てとるとふたたび小刀をとりあげてかがみこんだ。ときど
治現象にまで拡大してゆく抜きさしならぬ過程に支えられている。それにくらべると、県庁 の山林課に勤務する主人公俊介がときどきもらす、ピラミッド型の堅固な組織のなかでの処 世に関する感慨などは、ほとんど取るに足りないたわごとのように思われる。 「裸の王様」では、作者は打算と偽善と虚栄と迎合にみちた社会のなかで、ほとんど圧殺さ れかかっている生命の救出を描いている。ネズミの群の巨大なエネルギーは、こんどはフン ほりばた ドシ一枚の裸の殿様を、松並木のある濠端を背景にして描いた子供の、深層心理のなかに移 されたわけである。このテーマは別に目新しくはない。北月 ー民次の「絵を描く子供たち」や、 王羽仁進の同じ題名をもっ映画のなかに、類似のテーマを発見することはたやすい。しかし、 裸ここでもまたこのテーマは一篇の現代寓話に昇華されている。そしてそのような寓話化が ク再び、組織と人間とか、秩序と生命とかいった図式にあてはめて解釈される主な原因をなし そばく ただひたむき 」ているのだが、作者はおそらく、単純素朴に、それこそ文字通り単純素朴に、 レ」・つけい に、狂暴な野性への産景を語っているにすぎないように思われる。ただ、眠れる生命をよび 覚された少年が、一枚の絵を描くほかにあのネズミのような活発な運動を起こさないため、 作品はとばロで終っているような観を呈している。しかし、「 パニック」と「裸の王様」を 並べてみれば、外部の運動と内部の運動を描く一一様のスタイルの根底に、同じ一つの志向が 横たわっていることが直ちに感知されるだろう。つまり人力をもってしてはいかんともし難 か い不可抗の自然の暴威や、人間の自律性をすべて咬み砕きつつ進む巨大なメカニズムの自転 ものすご きようたん 運動が内蔵する物理的エネルギーの物凄さに驚歎し、戦凍し、感動すると同時に、開高健は がた
である。それは編集者によって「オオ、ジュニア ! 』と題され、「ありふれた少女の非凡な 一日』という副題がついていた。グラビア六頁にわたるカ作であった。それは週刊誌に大き な話題を提供し、『カメラ・アイ』は創刊以来の反響を呼んだ。私はこれを見て、はじめて 合田と春川の二人が新しい型の発掘に成功したことを知ったのである。レンズをとおして京 子は完全につくりなおされていた。 「オオ、ジュニア ! 」は貧しい少女の生活報告だった。春川は刑事のように京子を追いまわ し、朝起きてから夜寝るまでの彼女の一日を演出と記録をまじえて描きだしたのだ。彼は京 王子をいくつかの型にわけて表現した。貧乏や孤独や小さな虚栄やわびしい歓楽など、そのい 裸ずれについても彼はためっすがめつ吟味して、彼女独特の個性がもっとも痛切にでていると ク同時に背後にひかえる何百万人かの十代少女の大群がそのまま想像される、そんなものだけ 」を選んで発表したのである。解説によれば春川は十二枚の作品のために六〇〇枚のネガをむ だにしたということであった。 表題どおり京子はありふれた少女だった。彼女の生活を代表するものは満員電車やプロマ イドや屋上の日なたばっこであった。三時のアミダ。服飾店の飾窓。公開録音の長い列。夜 ふけの大衆食堂のラーメン。おそい銭湯のどぶの匂い。スー ーマン気どりで毛布をかぶつ て押人れからとびかかる弟。そんなものが彼女の身辺を飾っていた。 きんぎよばち やっ しよくようがえる 「あ 0 子は会社 0 炊事場 0 隅金魚鉢」オタ「ジ ~ →を飼「〔るんだよ。それも小さな 奴じゃない。フグみたいな面をした、食用蛙のオタマンヤクシさ。餌にはカツオプシがいい つら えさ
巨人と玩具 113 あおられて道を走った。ひしめく自動車の車輪を危くよけてとまったところを見ると、埃り 一つない、ま新しい明灰色のソフト帽であった。やわらかくて軽く、めざましいほど新鮮な はだ 肌をしていた。タールやガソリンやポロぎれなど、道のしみがすべてその一点に吸収された かと思うほど、それはあざやかだった。しかし、私が息をついたつぎの瞬間、一台の自動車 が目のまえをかすめた。帽子はあえなく車輪のしたにつぶされた。その瞬間私ははげしい滅 形を感じたのだ。車の去ったあとには一枚の平たい布が道にしがみついているばかりだった。 私は顔をあげてあたりの群集を眺めた。人びとは夕暮れのなかを平然としてざわめきつつ 歩いていた。私は異常な領土にいるらしかった。私にとってそれはひとつの事件だったのだ。 私には帽子がつぶされても叫声をたてず、血も流さなかったのが理解できなかった。どうし て骨の砕ける音が道にひびかず、自動車はとまらす、警官が駈けつけないのだろう。たしか に異変が起ったのだ。私はカにつらぬかれ、体の奥に崩壊を感じ、ほとんど圧倒されそうに なったのだ。私の皮膚からぬけてその力は街のどこへ消えたのだろう。街は暮れて埃りにみ ち、さわがしく、強固であった。私は広場を歩きながら、さまざまな人や車や建築物や記念 碑が体内を疾過するのを感じた。自分の衰弱の深さに私は抵抗のしようがなかった。 四 そのことのために私たちの肩の荷がおりることはなにひとっとしてなかったけれど、興味 めつ
ク 「早にえの多い年は雪が早えというなア」 たとえばモズのいけにえの異常なおびただしさも彼らはそんなふうな予想でお茶をにごし てしまうのだった。なるほどササのみのる年にネズミが多いということはよく聞く話だ。し かし、ネズミは多少なりとも毎年わくものなのだ。とくにササがみのったからといって目く じらたてるほどのことはあるまい。 ) しままでこの地方の林はネズミのために被害らしい被害 を受けたことなんか、一度だってありはしないのだ。モズのはりつけが多いのはきっと雪が 早いために冬の備えをいそいでいるからだろう。彼らはそういって俊介の警告や暗示をはね つけるのだった。 なかごろ 冬は意外に暖かった。いつもなら三月の末までいるスキーヤーも中頃にはみんな都会へ引 揚げてしまい、毎日、よく晴れた日がつづいた。雪どけのニュースが新聞にちらほらあらわ しゅんすけ れはじめたある日、俊介は課長から呼ばれた。イタチを実験してから、かれこれ二カ月ほど たっていた。 ふろしき 課長は彼を呼びつけると、だまって一枚の風呂敷をわたした。あちらこちら穴があいて、 ぽろばろになった風呂敷である。 「なんだと思うかね」
巨人と玩具 109 がかかげられ、京子の微笑はひとつもおちていなかった。彼らは遊園地の入口と野外劇場の ぶたいそで 舞台袖に懸賞の小動物や小鳥を展示していたが、それには子供が黒山のようにたかり、ちょ っとした小動物園の観があった。さがしてみたが、キャラメルの空箱は散乱しても、賞品の カードは一枚もおちていなかった。日光にむれ、埃りにまみれ、頭から藁のような匂いをた てて子供たちははしゃぎまわっていた。 回転木馬や猿ガ島にまじってアメリカ式の風車や蛸ノ足が初夏の積乱雲を背景に陽気な祝 祭気分を空と地上にふりまいていた。ウォーター ・シュートのところで私は足をとめた。暑 にせき さにうだった子供や大人が長い列をつくって順を待っていた。二隻の箱舟が入れかわりたち かんばん かわり急坂をのばっては池に突進する。箱舟の甲板には案内人が一人ずったっていた。二隻 のうち、一人は若く、一人は中年近かった。私は青年のほうに興味を抱いた。その仕事に熱 中している様子が私の目をひいたのだ。 たけざお 箱舟は池にとびこむと竹竿にあやつられて漕ぎもどされ、台にのって山頂に連ばれる。山 頂で子供たちがのりこむと、青年は水をみたしたバケツを二コつみこみ、甲板にたって笛を 吹いた。箱舟が急坂を突進しているあいだ彼はヘさきで体をかがめ、両手のバケツの水を少 しずつ線路にこばした。たいへんな速度である。彼のズボンは旗のように音をたて、風がう なった。そして箱舟が水にとびこむ瞬間、彼は二コのバケツを空高くさしあげて跳躍した。 これは反動をさけるためにやむを得ない運動らしい。中年の案内人もやつばりとびあがる のだ。ただしこの男のはショックをさけるためだけの運動であった。さもめんどうげに甲板 たこ わら