てテープルからテープルに案内した。画家や教育評論家や指導主事など、各界各派の審査員 あいさっ がテープルについていたが、大田氏はその誰ともそっなく挨拶を交わし、冗談をとばし、笑 いあって、円転滑脱の様子であった。彼は審査員のうしろをそっと歩いて、床に画がおちて いるとひろいあげ、傲らず、誇らす、たくみに快活な慈善家としてふるまった。彼はすべて の審査員を支配しているにもかかわらず、そんな表情はおくびにもださなかった。ある男が 一枚の画をさしてクレバスののびのよさをほめ、そのついでに作品についての感想を彼に聞 くと 様 「子供の指にかかる重さは一七〇グラムでしたかな、私のほうではジスどおりにできるだけ 王抵抗を感じさせないよう気を使っておりますが、事実どんなもんでござんしようね」 のそんなことをいって審査員の仕事にはぜったい口をはさもうとしなかった。 「ごくろうさまでございます」 ひとりひとりの審査員に彼はいんぎんに頭をさげて歩いた。壇上でホールをみくだして高 笑いしたときとはうってかわった態度であった。こんな商人のしたたかさにはぼくはついて ばくは大田氏からはなれてホールを一巡したが、画をみてすっかり失望してしまった。審 査員たちは各派さまざまな理論を日頃主張しているのに、ここではまったく公平であった。 どのテープルにも申しあわせたようにおなじような画が選ばれていた。彼らは公平であるば かりか、正確で、美しくて、良識に富み、よく計算していた。ことごとくそのような画が選 199 おご
くは自分にむかって肉薄の姿勢をとった重い体をいくつもひしひし感じた。誰かが声をだせ ばばくはたちまち告発の衝動に走っただろう。ぼくはかってそのときほど濃密な感情で太郎 を愛したことはなかった。 審査員たちは息苦しい沈黙のなかでたがいに顔をみあわせ、山口をみた。彼はさきほどの はげしいまなざしを失って肩をおとし、みすばらしげに髪をかきあげた。壇上から審査員を げんき 侮蔑し、画家をののしった自信と衒気はもうどこにもなかった。彼は細い首で大きな頭を支 えた、みじめなひとりの青年にすぎなかった。すでに彼は画家でもなく教師ですらなかった。 様 彼は苦痛に光った眼でばくをみると、なにかいおうとして口をひらいたが、言葉にはならな 王 かった。 の緊張はすぐとけた。審査員たちは山口を見放した。彼らはそっと背をむけ、ひとり、ふた りと礼儀正しく壇をおりていった。画家はハンカチでひっきりなしに顔をぬぐい、教育評論 ねこぜ 家はつんと澄まし、指導主事は世慣れた猫背で、それぞれ大田氏にかるく目礼しながら去っ ていった。大田氏はなにも知らすにいちいちていねいに頭をさげ、満足げに微笑して全員が 立去るのを見送った。 はげしい語悪が笑いの衝動にかわるのをぼくはとめることができなかった。窓から流れこ こうしよう ーのなかでぼくはふたたび腹をかかえて哄笑した。 む斜光線の明るいハⅡ ( 「文學界」昭和三十一一年十一一月号 ) 209
「ーーじゃないか、ぬり画の」 山口は吐きすてるようにつぶやいて顔をしかめた。男は有名な画家であった。ぬり画が子 供に悪影響をあたえるのはぬり画のフォルムが粗雑だからだという理論を流布して自分の描 いた " 高級ぬり画 ~ なるいかさまを売った男である。かねがね山口の論敵であった。 「どうしてあんな馬鹿まで入れるんだっておやじさんに聞いたら、まあだまって面子だけは たててやってくれだってさ。しようがねえよ」 「面子じゃないだろう」 様 「じゃ、なんだね ? 」 王「ぬり画だってクレ。ハスを使うからだよ。大田のおやじさんはクレバスが売れさえするなら の誰とだって握手するんだよ。このコンクールだって目的はそれだ。アンデルセンなんてつけ たしにすぎないよ」 山口は不興げな表情をかくさなかった。これはすこし意外であった。まわりに大田氏がい ないのだからぼくは彼が賛成するものと思っていたのだ。ばくは自分の言葉が彼の審査員と しての自尊心を傷つけたことを感じた。彼は審査員をののしりながらも自分は内心得意がっ ていたのだ。馬鹿とののしる男と結構仲よくやっていたのではないかという疑いと反感がば くの語気をつよめた。 「これは外交事業としては意味があるけれどね、それだけだよ。あとは大田のおやじさんが もう 儲けるだけだよ。それに、君たちの選んだ画は描かされた画ばかりで、ちっとも子供の現実 201
ばれているのだ。どの一枚をとってもそのまま絵本の一頁になりそうな、可愛くて、秩序が ほほえ あって、上手で微笑ましい画ばかりであった。理解のない空想、原型を失った感情、肉体の ない画が日光を浴び、歌をうたい、笑いさざめいていた。ばくにはこの部屋にあるものがす がたざんがい べて趣味のよい鋳型の残骸としか考えられなかった。いったい 、何万冊の絵本が手から手へ、 家から家へ流れたことであろう。 ばくはうんざりして講壇へひきかえした。ちょうど入口から入ってきた山口と、ばったり そこで会った。彼もシャツを肘までまくりあげ、髪を乱し、頬を上気させて、自信と衒気に 王みちていた。壇上のテープルにつくとさっそく彼は不平を鳴らした。 けんか 裸「大田のおやじさんに喧嘩するなっていわれてね、朝からあいつの顔やらこいつの顔やらた クてるのに追われどおしさ」 ニ彼はいそがしげにタバコをふかしながら、ひとしきりそんな不満を幸福そうにこぼすのだ った。審査員のなかで彼はもっとも若かった。児童画の前衛派の主将として彼は選ばれてい るのだった。彼の提唱する自動主義はわずらわしい子供の自我との闘争をさけたものである にもかかわらず外見の新奇さによって彼は最進歩派と目されていた。 彼は審査員の顔ぶれの雑色さを非難して 「なにしろあんな馬鹿までいるんだからな。やりきれないよ」 すみ ふと 彼のさすホールの隅には肥った長髪の男がハンカチで顔をぬぐっていた。 200 かわ、 げんき
めて太郎の画をみたときに感じた酸の気配をばくは夫人の皮膚のしたにもまざまざと感じて 沈黙におちた。大田氏が部屋を陰険に領していた。あきらかに夫人は編んでいるのでなく、 殺しているのだった。 : 山口にはそれからしばらくして会った。個展の招待状をくれたのでぼくは画廊に彼を 訪ねた。彼は小学校がひけてから画廊にまわるということだったので、行ったのは夕方であ った。ばくは彼と話をするまえに署名帳にサインし、陳列されてある二十点ほどの抽象画を けいこうとう 一点ずつみてまわった。蛍光燈に照らされた壁には ) しすれも快適な室内用の小旋律がただよ 様 っていた。しかし、結局彼とばくとはすっかりはなれてしまったのだ。彼は屈折の苦痛を忘 王れ、マチェールの遊びを心得すぎてしまったようだ。はっきりいって、ニコルソンの気分的 のな小追随者としての意味しか彼にはなかった。 ・つけつけ 画廊の受附のよこにある小部屋でばくは彼としばらく話をして、大田家に関するさまざま の知識を得て帰った。 やっこ おれ 「奴さん、またなにか企らんでるらしいね。俺にも審査員になれとかいってきたよ」 昨夜おそくまで作品に手を入れていたという山口の髪は乱れて、かすかにテレピン油の匂 いがしみついていた。めいわくそうなことをいいながらも彼には児童画コンクールの審査員 ばってき に抜擢されたことをよろこんでいるらしい様子がかくせないようであった。 大田氏は終戦直後にそれまで勤めていた絵具会社をやめて独立し、自分で工場をたててク レョンやクレバスなどの製造をはじめた。工場といっても、創業当時はカルナバ・ワックス 179 たく
がでていないじゃないか」 山口はしばらくばくの顔をみつめていたが、やがて蹴るようにして席をたち、だまって壇 をおりていった。みていると彼は「親指姫」と貼札をしたテープルにいって作品を選んでい たが、すぐに二枚の画をもってもどってきた。 「子供の現実がでていないというのはいいすぎだよ。これは一例にすぎないがね」 彼は二枚の画をテープルにならべた。みると、一枚は親指姫が野ねずみの變さんにいじめ られ、一枚は彼女が女王になって花にかこまれている図であった。山口はそれをひとつずつ 王さして説明した。 裸「ねずみのほうは男の子が描いたんだ。ハッピー・エンドは女の子だ。これだけでも子供の じよじよう ク現実がでているじゃないか。男の子は闘争の世界、女の子は抒情の世界と、はっきり反映し ←一ているじゃないか」 ばくは彼をのこして席をたっと壇をおりていった。そして、「裸の王様」と書いたテープ ルにまっすぐ歩みよると、いちばんうえにあった一枚をすばやくとり、山口にみえないよう 床にかがんで、それまで新聞に巻いてもっていた画をほどいた。その二枚をもって壇にもど ったとき、ちょうど審査が完了したらしく、大田氏を先頭に審査員一同がどやどやともどっ しようさん てきた。彼らは大田氏にねぎらわれ、そのお礼に大田氏の事業を賞讃し、和気あいあいと談 笑しながら壇をのばっていった。せまい壇はたちまち人でいつばいになり、席はひとつのこ らずふさがった。 はりふだ
きほど彼が壁や母親から遠くはなれて独走している瞬間はこれまでにかってなかっただろう。 彼は父親を無視し、母親を忘れ、松と堀とすっ裸の殿様をためっすがめつ描きあげ、つぎに 中古ライターを発見した瞬間、その努力のいっさいを黙殺してしまったのだ。大丈夫だ。も う大丈夫だ。彼はやってゆける。、、 とれほど出血しても彼はもう無人の邸や両親とたたかえる。 ばくは焼酎を紅茶茶碗にみたすと、越中フンドシの殿様に目礼して一気にあおり、夜ふけの べッドのうえでひとり腹をかかえて哄笑した。 様 それからしばらくたったある日、ぼくは大田氏の秘書から電話をもらった。児童画コン 王クールの審査会があるからでてこいというのである。ばくは太郎の画を新聞紙に包んで会場 のの公会堂へでかけた。入口で案内を請うと二階の大ホールにつれてゆかれた。日光のよく射 す大広間には会議用のテープルがいくつもならべられ、何人もの男がおびただしい数の画の なかを歩きまわっていた。テープルのひとつずつに童話の主題を書いた紙が貼られ、作品が 山積されていた。 応募作を主題別にわけてそれぞれ何点かずつ入選作を選ばうということら しい。各テープルに二人、三人と審査員がついて作品を選んでいた。落選した作品は床や壁 にところきらわず積みあげられ、絵具会社の社員らしい男たちが汗だくで運びだしていたが、 そのかたわら部屋の入口からはたえまなく新しい荷物が運びこまれて、流れはひきもきらな かった。部屋のなかには日光と色彩が充満し、無数の画からたちのぼる個性の香りで空気が 温室のような豊満さと息苦しさをおびていた。どうやら大田氏はみごとに成功したようであ 197
人れて巻頭にかかげ、挿画の審査員には教育評論家や画家や指導主事など、児童美術に関係 のある人間、それも進歩派、保守派、各派の指導的人物をもれなく集めていた。さらにぼく は巻末の小さな項目をみて、計画が完全に書きかえられたのを知った。すなわちこの企画に 応募して多数の優秀作品をだした学校には″教室賞〃をあたえようというのである。それは 感嘆符もゴジックも使わず、隅に小さくかかげられていた。デンマーク大使館と文部省の協 賛者として社名をだす以外に大田氏はビラのどこにも自社製品の宣伝を入れていなかった。 「どうです、お宅でも傑作を寄せてくださいよ」 様 大田氏は満足げな表情でソーフアにもたれ、足をくんで細巻の葉巻をくゆらせた。中肉中 ほお 王背の男だが、その血色のよい頬や、よく光る眼にばくはしたたかな実力を感じさせられたよ のうな気がした。 「賞金をつけたんですね ? 」 留保条件のことをほのめかしたつもりなのだが、彼はそっぱをむいて、こともなげにつ ゃいた。 「ああ、それはね、つまり、今日の新聞をごらんになりましたかな。教育予算がまた削られ ましたよ。そういう事情なもんだから、個人賞より団体賞のほうが金が生きるだろうと思い ましてな」 しやこうしん ばくはあっけにとられて彼の顔をみつめた。この口実のまえで誰が教師の射倖心や名誉欲 をそそる罪を告発することができるだろうか。しかも美しいことに彼は自社製品の宣伝は一 157 め
ある事件が発生した。巨人の一人が戦線を後退したのである。三人のうちでもっとも才智に はたん 長けたアポロが予想外の破綻をおこして失脚したのである。そのことのために彼らは大衆か ら不安と恐布を買うこととなった。 七月のある日、一人の小学生がトンポ釣りから帰ってきて昼寝をした。夕方、母親がおこ しにいくと彼は意識を失っていた。顔が青ざめ、くちびるをかんだ歯は乾いていた。医者は 薬品中毒だといった。中和剤の注射で少年は回復したが、はげしい頭痛を訴えて床をはなれ ることができなかった。しらべてみると、ぬいだズボンのポケットからアポロのドロップが 王でてきた。 裸これが発端だった。母親にかわって医者が新聞の調査室欄に投書した。彼の抗議書が新聞 ク社に配達されたとき、おなじ日の午前中に編集部はすでに類似の症状を訴えた手紙を何通も 」受けとっていた。ただちに調査が開始された。記者はドロップをもってアポロに走った。ア ひづけ ポロはドロップの製品番号をしらべて製造の日附を知ると工場に自動車をとばした。ドロッ みずあめ プの原料は水飴と甘味剤と香料と食用色素である。工場の技師長は問題のドロップに用いた 原料をひとつずつ微細に分析し、食用色素に顕著な反応を発見した。 アポロはその日の夕刊で謝罪文を発表し、薬品検査の不行届を率直に認めた。彼らの公開 した食用色素の分析表は工業試験所のものと完全にデータが合致していた。おそらく徹夜の 重役会議がその夜ひらかれたのではないかと思う。翌日の朝刊で彼らは販売店からの回収が 完了するまでアポロ・ドロップをぜったい買わないようにという警告を発表した。その日ア 114
巨人と玩具 ファッション・モデルが登場すると 「あきまへんわ。あらもうジュース屋と口紅屋が手をつけよった」 そういって首をよこにふった。重役に抵抗するために彼はわざと大阪弁を緩衝材に使った。 商談や工作となると、にわかに彼は大阪弁の楯にかくれ、容易に相手にすきを見せない。宣 伝課の若いデザイナーたちとシャーンやロイピンの作品の話などをするときにはぜったいに 使わないが、代理店と話をするときにははじめからおわりまで大阪弁である。ラジオ番組が 売りこまれると、彼はさんざん辛辣な批評を下したあげく 、いざ話が内定して値段の交渉に 入ろうとすると、いきなりソロバンをふって けんか 「さあ、ほんなら喧嘩しまひょかいな」 と大きな声をだし、ニャリと笑う。私は彼が大阪弁を使うときはどれほど用心してもしす ぎることがないと思っている。 今度の会議でも彼は大阪弁で活躍した。またしても話が蒸しかえされて、一度葬られた英 雄たちがロぐちに点呼され、ぞくぞく登場したが、彼はそれをかたつばしから資格審査して ふるいおとした。その理由は、金さえやればどんな商品のお先棒でもかつぐ彼らの無節操が 鼻持ちならないからというのではなく、あくまで効果がないということに彼は重点をおいて 合田の理論によれば、つまり″口紅屋 ~ の象徴が " キャラメル屋″の象徴になれば大衆の そうさい 目には口紅と菓子の区別がっかなくなり、印象度が半減相殺しあうはずではないかというこ たて