春川 - みる会図書館


検索対象: パニック・裸の王様
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1. パニック・裸の王様

封筒のなかには写真が一〇〇枚ほど入っていた。合田は一枚ずつ綿密に、しかしすばやく それをしらべ、またたくまに写真の山を二つにわけてしまった。さいごの一枚をおいたとき、 さいほうの写真の山をさ 彼の顔には満足の微笑が浮かんでいた。彼はタバコに火をつけ、小 して春Ⅱにいっこ。 「イケるね」 「イケるだろ」 春川は顔をほころばせた。 シャン 具 「あの子はネガ美人だよ。素顔じゃとてもいただけない」 玩 合田は苦笑して手をふった。 と 「でつかい口をしてやがる。笑うとあんパンが一コまるごと入りそうじゃないか」 ・人とんきよう 「頓狂な子だよ。ペロッと舌をだして鼻の頭をなめてやがんの。驚いたね。十八番だって 巨 ーサルのギャラの相談などをして帰っていった。合田 春川は合田としばらく世間話やリハ は私に写真をわたし、あすかっておいてくれといった。私はそれを部屋にもって帰り、全部 点検してからひきだしに入れて、鍵をかけた。機密費のなかから高額の撮影料を払ったにも かかわらす合田は二度とその写真にも京子にもふれなかった。 それつきり私は春川にも京子にも会わず、日をすごした。二人の行動は翌月号の写真雑誌 「カメラ・アイ」がでてからすべて判明した。春川は京子をテーマにして作品を発表したの かぎ

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散していた。彼は白髪のまじりだした粗い髪をかきあげ、射るような目でちらと京子を眺め た。彼女はおびえて肩をすぼめた。彼女の様子が、あまり子供つばかったので、春川はスタ ジオの階段をのぼりつつ、合田にそっと不平をささやいた。 「なんだ、まだジャリじゃないか」 合田はさいごまでつきあったらしいが、私は最初のシャッターがきられるまえに興味を失 こうお って、会社へひきあげてしまった。いままでの経験から、合田が自分ひとりの趣味や好悪の 感情だけで少女を観察しているのでないことはわかっていたが、なにより彼女があまりにみ 王すばらしすぎた。彼女は春川におびえ、ライトを容赦なく浴びせられて、ものもいえなくな 裸っていた。春川がポーズを命ずると、彼女は田舎娘のようにりきんでカメラをにらみつけた クのである。その頃には合田の考えているらしい彼女の顔の持っ特異さにいくらか私も気がっ ニいていたが、 こわばった彼女はすっかりそれを殺してしまった。 ( いかもの食い : : : ) 結局その感想をふりきることができなかった。私は肉眼でしかものを 見ていなかったのだ。 一週間ほどしてから春川が会社にやってきた。合田と私は喫茶室で彼と会った。あいかわ どんよく らず彼は貪欲と衰弱のまじった顔をしていた。酒の重い残香のなかで目だけするどい光を浮 かべていた。彼は席につくやいなや、厚い封筒をテープルに投げだし 「あの子、貰ろた」 そういってニャリと笑い、手の甲で目やにをぬぐった。 しらが なが

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巨人と玩具 んだとかいってたよ。ほかの女の子とちがう点といったらそれだけだったね」 のちに雑誌記者や新聞記者にゴシップをもとめられると、春川は無愛想にそう答えた。 『オオ、ジュニア ! 」を検討してみて私は京子の顔の特徴にはじめて気がついた。大きすぎ る目、大きすぎるロ、濃い眉、しやくれた鼻。彼女は美少女ではないが、写真にするとふし ぎにこれらの欠点が特異な個性となって生きる顔をしていた。春川が合田に、ネガ美人だと いっていたことはそれだった。人びとに魅力をあたえたのはその奇妙な顔にあふれた若わか ーサルのときにはあれほどぎこちなかった彼 しさと感情のゆたかさ、新鮮さであった。リ、 女がライトにむかうとまったく警戒をといてしまい、虫歯をみせて笑いかけ、のびのびと歩 きまわり、表情たつぶりに訴えかけていた。春川はどういう導きかたをしたのだろうか。目 ばかり光った、とけかけたバターのかたまりのように肥った彼の体にどんな説得力がひそん でいるのだろうか、また合田はそれをどこまで計算して京子を彼におしつけたのだろうか。 私はただ自分の肉眼の稚拙さを知らされ、その成果に感嘆するだけであった。 ひとっき ーサルがあってから一月ほどたった。そのあいだに「カメラ・アイ」が発行され、週 刊誌が共鳴し、新聞にも反響がでたが、合田はそ知らぬ顔をしていた。彼は春川と京子の二 人に厳重な約束を守らせ、自分の名が発見者として発表されることをふせいだ。彼はそうや ってひそかに時間をかせいでいたのである。彼の行動には誰よりもくわしいはずの私ですら その計略をかぎつけることができなかった。彼は引延ばし作戦の計画をたて、時間ぎれでむ 四りやり強引に勝ってしまった。 シャン

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巨人と玩具 その反抗ぶりはどこか仔猫に似ていた。合田はそれをおだやかな微笑で受け、何十回めかの あんしよう せりふをいんぎんな口調で暗誦した。 「服もお化粧もそのままでいいんです。春川君のスタジオにはカクテル・ドレスもマック ス・ファクターもある。だからあなたはカメラなんかおかまいなしに、そうね、生まれては じめてキャラメル食べて、アア、ナンテイインダロウというような気分で舌でもだしていた らいいんです。ごく自然な気持でね。あとは春川君がうまくやってくれる」 合田はそんなことをいうばかりで、いっかな相手になろうとしなかった。 ころ 春川は合田の古い友人で、流行作家である。若い頃には軟焦点のタン バールレンズなどを 使って感傷的な作品を発表していたこともあったが、さいきんは女性ポートレートを専門に しんらっ とっていた。それもただの風俗写真ではなく、一癖も二癖もある演出と辛辣な観察で名を売 ねら よろい っている。彼は好んで有名女優を狙い、ポーズの鎧のすきまからすかさず虚栄や孤独や皺を さめはだ ぬすみとった。 売りだしたばかりの純情女優の鮫肌を公表して映画会社から抗議を受けたり、 やきいも イヴニングを着たまま焼芋をかじるファッション・モデルの楽屋姿をスクープしたり、その ふと 身辺にはいつもなにか生いきとした醜聞があった。彼は中年をすぎても独身で、みにくく肥 り、女をいじめぬいた作品をつくるにもかかわらず女たちに愛されていた。 あらかじめ電話で連絡がとってあったので、春川は助手や照明の準備をととのえて私たち を待っていた。彼の顔は過労のため傷のような皺に荒らされ、目のしたには打撲傷を思わせ るくまがついていた。そばによると、はっきりそれとわかる昨夜のコニャックの名残りが発 こねこ しわ

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て笑うことを命じたのである。春川がそれを演出して、写真をとった。合田はこのポスター であらゆる約束を無視して成功をおさめた。まず第一の常識はキャラメル会社の広告なのに 虫歯を強調したこと。第二は京子が美少女でもなく有名スターでもないこと。女の子に男の おもちゃ 子の玩具をもたせたこと。ポートレート作家の写真をそのまま商業写真として使ったことな ど、このうちのたったひとつの条件だけでも窒息には充分すぎるほど充分な常識の力があっ 事実、合田も不評判だったときに重役陣から食う反撃を打算して、京子のポスターを進 行させるかたわらひそかに少年スターを使ったポスターも準備することをおこたらなかった。 王しかし、それが刷りあがったときには、すでに一歩さきにでた京子が圧倒的な人気を得てい 裸たので、結局使わずじまいだった。 人間は人間の顔に興味を抱く。どんな人間でも顔にはドラマがある。強弱の差こそあれ、 かならずドラマをもっている。その訴求力はなにものにもまさってつよいのだ。だから演出 と印刷によって生身の顔よりさらに個性を増す、そんな顔を選びだしてポスターにしなけれ ばならないというのが合田の持論であった。彼の感性は一貫していた。はじめにガラス窓の ひざ むこうの陽射しのなかで笑っている京子を発見した瞬間から彼はレンズと印刷機と春川の演 出力、この三つの関係だけをとおして彼女の顔を計測していたのである。 レタッチ・マン いくらカタロ 「あれはどんなに印刷屋の修整工が失敗しても生きのこる顔なんだ。しかし、 だって、ただニタリと笑っただけじゃ、見られたもんではない。春川だからこそ生かせたん だね」 102

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である。それは編集者によって「オオ、ジュニア ! 』と題され、「ありふれた少女の非凡な 一日』という副題がついていた。グラビア六頁にわたるカ作であった。それは週刊誌に大き な話題を提供し、『カメラ・アイ』は創刊以来の反響を呼んだ。私はこれを見て、はじめて 合田と春川の二人が新しい型の発掘に成功したことを知ったのである。レンズをとおして京 子は完全につくりなおされていた。 「オオ、ジュニア ! 」は貧しい少女の生活報告だった。春川は刑事のように京子を追いまわ し、朝起きてから夜寝るまでの彼女の一日を演出と記録をまじえて描きだしたのだ。彼は京 王子をいくつかの型にわけて表現した。貧乏や孤独や小さな虚栄やわびしい歓楽など、そのい 裸ずれについても彼はためっすがめつ吟味して、彼女独特の個性がもっとも痛切にでていると ク同時に背後にひかえる何百万人かの十代少女の大群がそのまま想像される、そんなものだけ 」を選んで発表したのである。解説によれば春川は十二枚の作品のために六〇〇枚のネガをむ だにしたということであった。 表題どおり京子はありふれた少女だった。彼女の生活を代表するものは満員電車やプロマ イドや屋上の日なたばっこであった。三時のアミダ。服飾店の飾窓。公開録音の長い列。夜 ふけの大衆食堂のラーメン。おそい銭湯のどぶの匂い。スー ーマン気どりで毛布をかぶつ て押人れからとびかかる弟。そんなものが彼女の身辺を飾っていた。 きんぎよばち やっ しよくようがえる 「あ 0 子は会社 0 炊事場 0 隅金魚鉢」オタ「ジ ~ →を飼「〔るんだよ。それも小さな 奴じゃない。フグみたいな面をした、食用蛙のオタマンヤクシさ。餌にはカツオプシがいい つら えさ

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合田は待っていましたとばかりに私から受けとった封筒の中身を大テープルにぶちまけた。 「私がつばをつけましたんや」 彼はそういって京子を発見したいきさつや春川のスタジオでやったカメラ・リハーサレの ことなどを説明し、サムソンから正式に声がかかるまではすべてのスポンサーをことわるよ むね ) くめてある旨をつけくわえた。 う京子こ ) 勝負はそこでおわった。重役はにがにがしさをおしかくし、合田から目をそむけてつぶや 王「なにしろもう時間がないからな」 裸賛成も反対もあったものではない。合田は難破者たちのすがりついている流木をかたつば クしからっきはなし、時間という唯一の武器をひとりじめにしたあげく、救命プイをたった 」コだけ投げたのだ。一カ月たらずの時間で舞台や撮影所をかけまわってスターと交渉し、ギ これは合田の ャラをきめ、写真をとり、印刷してしまうなど、とてもできた相談ではない。 一方的勝利であった。 その日彼は会議がおわるとさっそく春川に電話をかけ、あらためてポスター写真依頼の旨 を話し、撮影の日時を打合わせた。それがおわると近くのビルにいる京子を電話で呼びだし、 酒場に誘った。ちょうど五時の退社だったので京子はその場で賛成の声をあげた。私と合田 は自動車で彼女を迎えに行った。彼女は車のなかで合田から専属契約と契約料の額を聞かさ れると、昂奮のあまり

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巨人と玩具 103 合田はそういって説明した。 京子のポスターについて私たちはさまざまな批評を聞いたが、そのほとんどすべてに共通 なのは、若わかしさ、新鮮さ、意表をついた表情、類型のない魅力というようなことであっ た。これは『オオ、ジュニア ! 』にむけられた感想とおなじものである。人びとは京子とそ の虫歯を見て、キャラメルの害を考えるよりさきに迫力を感じたのだ。そこにある貧しさと 若さと笑いはあくまで大衆のものだった。その親密感がまず迫力を支えたのである。さらに しこうひん 合田の功績は京子によってキャラメルをキャラメル以上のもの、ただの嗜好品としてではな く、なにか新鮮な感動をさそう生活必需品として人びとに意識づけたことにあった。味覚の 古さを彼は視覚の新しさでよみがえらせたのである。私たちは京子をいたるとこに送りこん だ。壁や駅や菓子屋や劇場や動物園で彼女は笑い、たまげたような身ぶりで人びとの微笑を さそった。 ポスターは『オオ、ジュニア ! 」より一カ月後に街を飾った。それを見てオタマジャクシ を飼っていた少女をファッション雑誌の編集者が思い出し、合田はいくつもの電話を受けた。 彼は京子をつれて出版社を歩きまわった。京子は彼に智恵を借りて、自分の写真に春川の推 薦状をそえた、三〇通ほどの自己紹介状を雑誌社やモード写真家にあてて発送した。三週間 めに彼女はもう会社に勤める必要がなかった。服飾雑誌やファッション・ショウが彼女を追 いまわし、呼びつけて、ポーズを命じた。いつでもどこでも彼女は合田と春川に教えこまれ た表情をし、型としてそれを使って成功した。。、 ホスターの効果はこういうことで知られるも

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巨人と玩具 「さあ、そんなもんでつしやろかな。そういうことになりますかいな : 彼のとばけぶりに重役は苦笑を浮かべた 時間がもったいない 「もういいよ、君。さっさとだしたらどうだい。 そういわれて合田が書類入れのなかからおもむろに『カメラ・アイ」と週刊誌をとりだす ーサルの写真の人った封筒をも のを見て私は席をたち、自室にもどると、ひきだしからリハ ひざ一 ちだして会議室にひきかえした。合田は陽射しのよい窓を背にたちはだかり、自信たつぶり の胸をそらして室内を観察していた。 はじめて京子の顔を見せられた関西出身の重役の一人は私や合田や春川がひそかに感じな がらいいあてられなかったことをずばりといった。彼はつくづくグラビア頁を眺めて、素朴 な声をあげたものである。 がたろ 「なんや、河童みたいな子やないか」 二冊の雑誌は重役から部長、課長、支店長、出張所長の手から手へわたった。彼らは『オ オ、ジュニア ! 」を見ないで週刊誌を読んだ。週刊誌には「オオ、ジュニア ! 」の批評と反 響と京子についてのニュースがすべて要約されて掲載されていた。なかには雑誌から顔をあ 合田のくちびるでピクピクしているらしい大阪弁の気配 げる検事がいないでもなかったが、 を察すると、すばやく目をそむけた。 しばらく沈黙したあとで重役がやおら顔をあげた。 「この子はまだどこも手をつけていないのかい ?

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をモデルにしてどこの工場で印刷するかというようなことは彼がきめる。そこで、いきおい スカウト役までひきうけてしまうことになるのだ。劇場でも電車のなかでも雑踏でも、たえ ず彼は目を光らせている。気に入った女を見つけると、あとをつけ、あらゆる角度と光線と ーサル 表情のなかで、ためっすがめつ観察し、話しかけて会社へつれてくる。カメラ・リハ をするのである。たいていうまくいかない。彼のひきだしにはボツになった女の写真が無数 に入っている。彼は廩重な技巧家だが、それでもときには失敗することがある。あるときな どは一人の女を電車にのったり、バスにのったりして三時間ちかくもあとをつけたあげく、 王話しかけたら人身売買業者とまちがえられて逃げだされたことがあった。あいにく名刺をわ 裸たしてしまったので、翌日、娘の母親が会社へ抗議にやってきた。重役に呼ばれて合田はさ としが しっせき クんざん年甲斐もなく叱責を受けたが、その後もあいかわらずである。女を見ると反射的に目 ニと足がうごく。やめられないのだという。 京子のときもそうだった。喫茶室で会った日から二、三日すると合田はこっそり私を呼び、 タクシーをひろってこいといった。いわれるままにタクシーをひろい、広場の出口で待って いると、いつのまに呼びよせたのか、彼は京子をつれて喫茶室からでてきた。彼女はその日、 ふいに電話で呼ばれ、帳簿に紙をはさんだまま会社をぬけだしたのだった。合田からテスト 撮影の話を聞かされると彼女はまっ赤になった。そして、車のなかで春川の名を聞くと、 こうふん よいよ昂奮し、服も髪も化粧もととのえてこなかったことの不平と落胆をぶちまけた。泣か んばかりであった。合田の肩をゆすぶるようにして彼女は身もだえし、自動車の床を蹴った。