ロ早に先手を打った。 「私が出張中だったのがまずかったのです。課長は去年山林課においでになったばかりなの で、ナメられたんですよ。いま資材課の伝票で見ましたが、市価の三倍で買わされていらっ ずうずう しゃいますね。むかしからあいつの図々しさは有名なものなんですよ」 一一 = ロ葉を切って彼は横眼で相手の表情をうかがった。勝負はあっけなく終った。はじめから 相手は誘導されて供応の事実を吐いてしまったのだから、いまさらどうにも身動きがとれな らつわん いのだ。県庁新築にからまる不正事件でしたたかな辣腕の噂をたてられたこの男もとうとう ワナにかかってしまった。・ コミ捨場でネズミにガソリンをかけるときとおなじ快感を俊介は 味わった。 「 : : : しかし、君、それはどうしてわかったんだね ? 」 ようやく課長はショックから立ちなおると乾いた唇をなめつつささやくような小声でたず ふつきゅう ねるのだった。ここでもう一度突くと相手は復仇を考える危険がある。俊介は窓ぎわをはな れるとさきに立って歩きながら、軽い口調で相手の質問をやわらかく流した。 「イタチは放す前に耳のうしろを焼いたんですよ。めんどうな仕事ですから、飼育係の奴が 全部のこらずやっているかどうかは疑問ですけどね。野田動物が買収していなければい ) 思っているんです。ちょうどいま共産党と社会党が共同してリコール運動をやってるでしょ う。つまらないことで足をすくわれるのもばかばかしいんですよ」 課長はなにか抵抗するつもりらしく口をあけたが、あきらめたように頭をふってそのまま
「君、日報は局長室まで行くんだよ。いくらササ原を焼けといったって、現実になにも起っ ていなかったら、焼こうにも焼きようがないじゃないか。局長だって納得しないのがあたり まえだよ」 俊介はこのあたりでちょっと抵抗してみせるのも手だと思ったので、 「おっしやるとおりですが、起ってからではおそすぎるんじゃないかとも思ったもんですか ら」 す といった。すると相手はすぐ餌にとびついて来た。課長は回転椅子に背を投げると、俊介 けいべっ 王の顔をちらりと眺めた。その眼には満足そうな軽蔑のいろがはっきりでていた。 ; 課長はきめ 裸つけるようにいっこ。 ク「当てずつばで役所仕事ができると思うかね。前例もないのに、君の突飛な空想だけで山は 」」焼けないよ。君の企画はお先走りというやつだ。気持はよくわかるがね」 俊介はその言葉で、いままで自分がどういうふうに見られていたか、あらためて知ったよ うな気がした。彼は発明狂や易者とおなじ種類の人間と考えられていたのだ。 「局長はね、こういうんだ」 課長は両手を組んで机におき、俊介を見あげた。眼からは軽蔑が消え、まがいものの真剣 さがのぞいていた。 つまり、ネズミは毎年春になるとわくものなんだ。たとえ君が心配しているほどでは ないにしてもね。それで、一度イタチを山に放してみたらどうかということなんだ。こいっ
巨人と玩具 その反抗ぶりはどこか仔猫に似ていた。合田はそれをおだやかな微笑で受け、何十回めかの あんしよう せりふをいんぎんな口調で暗誦した。 「服もお化粧もそのままでいいんです。春川君のスタジオにはカクテル・ドレスもマック ス・ファクターもある。だからあなたはカメラなんかおかまいなしに、そうね、生まれては じめてキャラメル食べて、アア、ナンテイインダロウというような気分で舌でもだしていた らいいんです。ごく自然な気持でね。あとは春川君がうまくやってくれる」 合田はそんなことをいうばかりで、いっかな相手になろうとしなかった。 ころ 春川は合田の古い友人で、流行作家である。若い頃には軟焦点のタン バールレンズなどを 使って感傷的な作品を発表していたこともあったが、さいきんは女性ポートレートを専門に しんらっ とっていた。それもただの風俗写真ではなく、一癖も二癖もある演出と辛辣な観察で名を売 ねら よろい っている。彼は好んで有名女優を狙い、ポーズの鎧のすきまからすかさず虚栄や孤独や皺を さめはだ ぬすみとった。 売りだしたばかりの純情女優の鮫肌を公表して映画会社から抗議を受けたり、 やきいも イヴニングを着たまま焼芋をかじるファッション・モデルの楽屋姿をスクープしたり、その ふと 身辺にはいつもなにか生いきとした醜聞があった。彼は中年をすぎても独身で、みにくく肥 り、女をいじめぬいた作品をつくるにもかかわらず女たちに愛されていた。 あらかじめ電話で連絡がとってあったので、春川は助手や照明の準備をととのえて私たち を待っていた。彼の顔は過労のため傷のような皺に荒らされ、目のしたには打撲傷を思わせ るくまがついていた。そばによると、はっきりそれとわかる昨夜のコニャックの名残りが発 こねこ しわ
とであった。 「たしかにそうかもしれないがスターにはファンがいるんじゃないかな ? ファンの連中な らよくおぼえてくれるし、よく見てくれる。それに、ファンという奴はばかにできない人口 なんだ」 この質問が重役陣から発せられたとき、合田は深くうなずいたが、いんぎんに否定するこ あいぶ とにはかわりなかった。彼はファンの注目率を高く評価することで重役を愛撫し、ついでそ やくさっ の注目率の特質をあばくことで相手をそっと扼殺した。ファンはスターの顔が見たくてポス 王ターを仰いでくれるだけで、スターの推薦する商品が何であるかは見てくれないというので 裸ある。つまり ク「サムソンがプロマイド屋やったらそれでもよろしおまんねんが : 。」重役は眉をしかめてだまりこんだ。 正午すぎから午後三時頃まで、ほば三時間ほどかかって合田はひとりで英雄たちとたたか ろうかい きべん さまざまな詭弁やトリックや老獪な話術で彼らを殺した。この地ならしが成功したため に彼は京子の弁護士としては長い時間を要さなかった。三時をすぎると検事たちはすっかり 混乱し、疲労し、途方に暮れてしまったのである。部長や課長は五月の日光とタバコのけむ りのなかで居眠りをはじめた。 : つまり、無名でもよいから手つかずの新人がいないかということだね ? 」 重役が交戦権を放棄すると合田は相手の深傷を見とどけたうえで自分は一歩ひきさがった。 ふかで
得ているのだった。、 との伝票にも彼の判はなかった。 彼はだまって伝票と帳簿を資材課員にもどすと、その足で山林課の部屋へいった。運よく しっしょ 廊下の途中で便所からでて来た課長に出会ったので、彼はさりげなく寄っていき、 に肩を並べて歩きながら世間話の間へ探針を入れてみた。 「こないだイタチの野田動物とお飲みになったでしよう ? 意外なくらい相手はやすやすと餌に食いついた。 「うん、ちょっと個人的なっきあいでね」 王「あれは気前のいい男ですね。ちょっとむこう見ずなところもありますが : ・ : ・」 くちびる 裸課長は唇に針がかかったことにまだ気のつかない様子だった。 「だけど、根はいい男なんだよ」 」」「どうでしようかね、その点は。あんなに気前のいい奴は危険じゃないですかな」 なが 課長は立ちどまると顔をあげて俊介の眼を上目づかいにじっと眺めた。あいかわらず胸の わるくなるような口臭だ。顔をそむけて俊介は短剣を相手の心臓に打ちこんだ。 「あの男の出入りをさしとめてください。そうでないと告訴しなければなりません。あいっ はわれわれの放したイタチを密猟して、おまけにそれをもう一度売りこみに来ているんです。 ね、お会いになったときもむこう見ずな奴だったでしよう ? 」 ろうばい 課長の眼をはっきりと狼狽の表情がかすめた。そしてふいに焦点のさだまらぬ顔つきにか わった。それを見て俊介は薄笑いをうかべた。とぼけるつもりだな、と思った彼はつづけて やっ
ク ッ の新解釈だね」 農学者はそこで一息つくと腰をすえて食いさがって来た。 「しかし、君。君はどうやら方針をまちがったらしいね。なぜなら、ミニ・マックス戦術と さいやく いうのなら、どうしてネズミがわいても知らん顔をしていなかったのだ。今度の災厄は君が どうジタバタしたってかないっこないんだよ。最大のエネルギーを使って最大の損失になる んだ。これほどむだなことはない。おまけに、上層の奴らはこの事件に手を焼いて責任を全 部君にかぶせてくるかもしれないんだ。そこを、君、どう計算しているの ? 」 「たいくっしのぎですよ」 俊介の答えに農学者はあっけにとられたらしくボカンと口をあけた。厚い眼鏡の奥でまじ みは まじと眼を瞠っている相手の様子に俊介は後悔した。彼は相手の言葉に好意を感じたし、自 分をするどく追いつめたその思考の速度に敬意を抱きもしたので、こんなはぐらかし方をす ることはいかにもやましい気がした。彼はいそいで言葉をつけたした。 「たいくっしのぎなんです。もちろんぼくは役人ですから自分の地位を高めるためなら他人 をだしぬいてでも点数稼ぎをやりたいと思います。ミニ・マックス戦術ということも考えま けんたい す。しかし、今度のネズミ騒ぎは、それよりなにより倦怠から逃げたくて買って出たことな んです。良心からとは思えないんですよ。それに、おっしやるとおりこの災厄はばく一人の 手ではどうにもならぬことくらい誰にもハッキリわかっていることなんですから、たとえ かせ
・つまりだナ、どうしてそれほどネズミがいるのにいままでわからなかったかというこ とだ。ついこないだまで、日報はどれもこれも特記事項ナシばっかりで、なにもネズミのこ となんかにふれていなかったじゃないか」 俊介はばからしさのあまり、あいたロのふさからないような気がした。 。いいかげんなことをいってるぜ、雪がとけてみたら木がまる 「その報告書を読んで見給え 裸になってたんでびつくりしたなんてトッポイことをヌケヌケ書いている。どうしてそんな ことかいままでわからなかったんだ」 王課長は目的を発見したので語気するどく、かさにかかった口調でそういった。俊介にはそ 裸の思わくがすぐのみこめた。この男は早くも責任回避の逃げ道を発見したのだ。予防策をな クにひとっ講じなかったくせに、 ) しまとなって事の原因がまるで派出員の怠慢だけにかかって ニいるかのようなもののいい方をする。派出員がどれほど熱心に山のなかを歩きまわったとこ ろで、雪のためにネズミの音信は完全に断たれていたのだ。かろうじて雪の上にでた木の幹 だけがネズミの活動を知らせる唯一のアンテナだったのだ。それに、なによりも問題なのは こうしよう 派出員が幹の咬傷をどれほどくわしく熱心に調査したところでいまさらどうしようもなかっ たということである。いっそここでいやがる相手に動物学を講義して真相をすっかりさらけ だしてしまうか、それともその場かぎりのいいかげんな同意でお茶をにごすか、あるいはこ れを機会に相手の歓心を買うべくはじしらずに媚びるか。いろいろと手はあると思ったが、 事件ははじまったばかりなので、いままでどおり俊介はどっちつかすに黙っていることにし
「禁猟の指令を流すのさ。イタチだけじゃない ヘビでもモズでもとにかくネズミをとる動 物は全部禁猟ということにして、密猟した奴は厳重処分、つまりイタチの皮の闇値の十倍ぐ らいの罰金をかけるんだ。それで万事解決だよ、君」 そういって立ちあがりしなに課長は軽く俊介の肩をたたいた。すっかり得意になっている らしかった。俊介はばかばかしさのあまり手の書類を思わずたたきつけたくなるような衝動 を感じたが、なんとかやりすごして表情にださぬよう、顔を窓の方にそむけた。窓外の前庭 ーし雪かつもり、踏み固められてコンクリートのように光っていた。人影はなかったが、ち 王ようどそのとき一台の高級乗用車がすべりこんで来て、するどくきしみながら氷の上にとま かばん 裸った。待ちかねたように課長が鞄を持って椅子から立ちあがった。 「じゃあ、君、お先に失敬するよ」 とびら 」とっさに俊介は書類を抱えたまま飛んでゆくと、課長のために部屋の扉をひらいてやった。 相手が小走りに通りすぎかけたとき、とっぜん俊介は相手の足をすくってみたい誘惑を感じ て、声をかけた。 「課長、「つた家』ですか ? これは不意打ちだったらしい。ぎくっとしてふりかえった課長の眼にはうろたえた表情が こうかっ でていた。それはすぐに狡猾そうな薄笑いに変った。俊介は胸のポケットになにかがおしこ ほお まれるのを感じ、おなじような薄笑いを頬にうかべた。 「 : : : 部外秘だよ」 やみわ
黙ってしまった。その場ではしおれきった様子に見えたが、まもなく態勢をとりもどし、山 つまようじ 林課の部屋に入るときはなに食わぬ顔で爪楊枝をくわえていた。そのあとで報告書や陳情書 を持っていくと、課長は彼を近くへ呼びよせた。 「 : : : 今晩、君の体をちょっと借りたいんだがね、川端町の「つた家」へ六時頃に来てくれ ないか」 追及が少し露骨すぎたかと、いくらか計算しなおすような気持になっていた俊介はその言 葉で自分の快感を一挙に是認してしまった。 王 ( : : : みごと、一〇〇点 ! ) 裸彼は課長のまえに立って、相手の禿げかけた頭を見おろした。一 = 課長は彼の視線を感じて眼 クを伏せ、急所を思いのまま観察させてくれた。俊介は薄い髪のしたに相手の頭蓋骨をありあ 」りと感じ、縫合部の地図を指さきでたどってみたいような誘惑をおぼえた。そして鈍器で一 撃したときに灰色の球が分解するありさまをあれこれと想像した。危険人物をまえにして課 長はそれきりものをいわず、書類をはぐるしぐさをいたずらにくりかえすばかりだった。 りようてい その夜、俊介は悪名高い料亭で意外な人物に出会った。 川に面した奥座敷で、彼は課長と、 おたがいに刃をかくした世間話をさかなに酒を飲んでしたが、 ) ' 、そこへ局長が仲居に案内され て何の予告もなく入って来たのである。なぜこんな卑屈な取引場に登場したのか、ふいを打 たれた俊介にはしばらく見当がっかなかった。 「いや、一度あなたに会って、おわび申上げたかったのでね」 1 ずがいこっ なかい
ろうば、 かにも学者めいて澄んだ研究課長の眼を狼狽の表情がかすめるのを見た。この男は純真だ 自分の手の内を見すかされたと思って恥ずかしがっている、と俊介は田 5 った。 結局、この企画は水に流されてしまい、俊介は課長から反感を、同僚からは軽蔑を買うこ ととなった。仲間はササとネズミの関係をおばろげに知ってはいたものの、誰も積極的に発 言しなかった。彼らはその日その日のあたえられた仕事をなんとかごまかすことだけで精い つばいなのだ。来る日も来る日も、一日はろくにわかりもしない伝票に判コをおすことだけ じちょううた ですぎてしまう。そんな生活を酒場で " ポンボコ人生、クソ人生 ~ などと自嘲の唄でまぎら しているばかりなのである。はじめ彼らは俊介がべつに命令されたわけでもない仕事に熱を 入れるのを酔狂だといって相手にしようとしなかったが、そのうち彼がほんとうに企画書を しっと ニ書きあげて局長宛に提出するのを見ると、にわかにだしぬかれはしないかという不安と嫉妬 そがい を感じた。俊介は急に課内でけむたがられ、うとんじられた。その疎外は、しかし、永つづ きしなかった。みごとに彼が失敗したからである。安心した仲間はふたたび友情と、あるや きえん ましさのまじった同情を抱いて彼にちかづいて来た。彼らは酒場で気焔をあげ、しきりに俊 介を弁護して課長の官僚意識をののしったが、俊介自身は意見を求められても薄笑いするば かりで相手になろうとしなかった。 企画が却下されても彼はまったく平静だった。公的な場所でも私的な場所でも、抵抗らし いそぶりや不満の表情を彼はみじんも見せなかった。それどころか、酒を飲むと彼はしきり に課長と握手し、いわれるままに猥歌を歌ったり、踊ったりさえした。 わいか けいべっ