まったのだ。 ここでふたたび阪神大震災の問題にもどっていえば、じつに多くの人びとが被災地でさま ざまな救援活動にかかわった。さまざまの報道機関によってその状況が知らされていたこと は周知のことだ。しかしながらさきにもふれたように、その被災地の現場に、宗教家の姿は ひとつも見出すことができなかったのではないだろうか。なぜなら被災地の現場で活発に働 いていたのは全国から集まった「ボランティア」たちであり、「精神科医」や「カウンセラ ー」たちであり、そこに「宗教家」の姿は影も形もみえなかったからである。 宗教の権威が地に堕ちてしまったのである。宗教の言葉がまったく力を失ってしまったの である。ブッダやイエスの一言葉をただオウム返しにいっているだけでは、もはや人びとの心 をつかむことができない時代になってしまったということだろう。とすればその人びとの心 をつかむためには、ブッダやイエスの言葉や「真理」の言葉をただオウム返しにいうのでは なく、あたかもブッダやイエスのように生きる人間になるほかはないのかもしれない。たと えそれが中途半端な偽物ではあっても、ともかくプッダやイエスのような教祖の言動を模倣 し、そのように生きてみようとする人間にしか、世の苦しめる人びとは望みを託せなくなっ ているのである。 宗教の言葉が一挙に説得力を失った「宗教的ニヒリズム」の時代がやってきているのであ
聖書によれば、イエスは処刑ののち三日にして蘇って昇天したといわれるから、むろんそ こにイエスの遺骸が横たわっているはずはない。聖墳墓教会はイエスの空墓なのである。埋 め墓ではなく詣り墓ということになるだろう。そのイエスの詣り墓にいたる参道は巡礼や観 光客であふれ、ありとあらゆる土産物で埋まっていた。 ユダヤ教徒の「壁」、キリスト教徒の「墓」、そしてイスラーム教徒の「岩」がエルサレム の地に共存して、危うく聖都の均衡を保ってきたのである。世界史上に栄光と苦難の足跡を のこす三つの一神教が、壁と墓と岩によって互いをへだて、そのたぐいまれな棲み分けのシ ステムをつくりあげてきたといってよいだろう。 そのように考えてくるとき、この砂漠の上に建てられた廃墟のような神聖都市は、人類が 生き残るためのほとんど最後の砦のようにみえてくる。終末の世界においてなお、この世に 踏みとどまろうとする選民たちの牙城である。ノアの方舟に乗って生き残った人間の正統の 後裔といってもよい それに反して、この神聖都市をとりまく俗界においては、血を血で洗うテロの嵐が連日の ように吹きまくっている。目には目を、歯には歯をの報復の応酬があとを絶たない。あのラ ビン首相すらが、世俗都市テルアビブにおいて銃弾を浴びて倒れたではないか。 一神教的世界の土台が揺らぎはじめているのである。一神教の超越的価値が三つどもえに
たことは一度もないのである。「世紀末」ということが、ただ漠然と話題になっているだけ なのではないのか。「末法」という言葉が挨拶がわりに使われているだけなのではないのか。 その一九九五年の五月に、オウム真理教の麻原彰晃教祖が逮捕された。それで想いおこし てほしいのだが、それから旬日を経ないうちに貴乃花が結婚し、テレビ各局はその一部始終 を追ってなりふりかまわぬ狂騒曲を奏で、視聴者にありったけのコビを売った。全国あげて の「オウム」逮捕劇もそれで一件落着したのであった。そのようなわれわれの社会のいった いどこに、世紀末の影が落ちているというのであろうか。末法の気配が忍び寄っているとい うのであろうか。にわかには信じがたいのである。 それにしてもオウムの麻原教祖は、今後どのような運命をたどるのだろうか。世間のさげ すみをうけ、雨あられのような石つぶてを投げつけられ、一片の同情も注がれることなく、 ずっしりと重い十字架を背負ってゴルゴタの丘をのばっていくのだろうか。そして、情容赦 もしも のないリンチを全身に受けて血祭りにあげられるのだろうか、イエスのように : そのイエス・キリストがこの日本に復活してきたら、いったい何というのか。ひょっとした ら「麻原彰晃よ、汝はもう一人のイエスなり」というかもしれない。 それとも麻原教祖は、サリン事件の犯罪者すなわち「極重の悪人」というレッテルをはら れ、永遠の地獄の闇に追放されてしまうのであろうか。そしてその地獄の果てで、はたして
ところがこの神殿の丘の中央に、黄金のドームをもっ八面体の建物が立っている。壁面に は青の美しいタイル装飾がほどこされ、イスラーム風のドームであることがわかる。それも そのはず、その内部の中央には、マホメットが天使を従えて昇天したと伝える大きな岩が、 地上から盛りあがるように露出していた。 もっともマホメットがこの都を訪れたという証拠はない。けれども、預一一 = ロ者の遺志をつぐ カリフ・オマ 1 ルが紀元六三八年にこの聖都を征服して以来、十字軍戦争をへてユダヤ教、 キリスト教、イスラーム教は三つどもえの聖都争奪戦を演じてきた。 こうして黄金色に輝く岩のド 1 ムは、ユダヤ・キリスト教の権威に挑戦するイスラーム教 、の、天空に誇示する記念碑となったのである。そしてそのド 1 ムがそこに立ちつづけるかぎ 宗り、ユダヤ教の神殿が同じ場所に再建される可能性はない。今にのこる嘆きの壁は、永遠に 慟廃墟の姿をとどめたまま生きつづけるほかはないのである。 感 神殿の丘の北側に目を向けてみよう。するとそこに、イエスが十字架を背負って歩きはじ めたといわれる最後の巡礼路がみえるはずだ。 教 宗 の この路はゴルゴタの丘に通じ、イエスはそこで処刑されたのだが、その丘の、イエスの遺 葉体を葬ったとされる場所に聖墳墓教会が建てられている。世界のキリスト教徒を吸引してや まなし ) 、エルサレム巡礼の至上のタ 1 ミナルである。
ドストエフスキーとオウム真理教事件 こんどのオウム真理教の事件の展開をみていて、どうしたわけかある段階からドストエフ スキーの小説『悪霊』を思いおこすようになっていた。『悪霊』の無神論的革命思想の世界 がしだいにその黒い翼をひろげていくようであった。ここでドストエフスキーのいう『悪 霊』とは、周知のように『聖書』のルカ福音書第八章第三十二—三十六節にでてくるイエス の話がもとになっている。悪霊にとり憑かれた人間たちがいたか、イエスの言葉によってそ の人間たちから悪霊が脱けでて、豚のからだに憑く。この悪霊にとり憑かれた豚の群は、崖 体滅却のなかから描きだされた、受動的な無神論といえばいえるかもしれない。だから西欧 近代のそれをハードな無神論とすれば、われわれのはさしずめソフトな無神論ということに なるだろう。漠然たる無神論的気分というわけだ。それが心情的には、宗教にたいする無関 心というもう一つの偽装された態度を生んだのではないか。汝の信仰はいかなるものか、と いう問いにたいして、信仰における無神論、宗教にたいする無関心を自分の内面に見出し、 その両者のあいだを揺れ動きながら、ただ漠然と、そしてあいまいに「無神論者」と応答し てきたのである。
仏の救済の御手に抱きとめられるときがくるのか。かってのインドにおいて、母親を幽閉し 。もしもそのブッダがこ 父親を殺した阿闍世王がブッダに会って改悛し救われたように・ の日本にあらわれてきたとしたら何というか。何かの拍子に「麻原彰晃よ、汝もまたわが仏 弟子の一人なり」と思わず口をすべらすことがあるかもしれない。 麻原教祖は、はたしてそのどちらの運命をたどるであろうか。イエスの最期と自分を同一 化させるのか、それとも仏弟子への転生の道を選ぶのか。しかしながら今日、この日本列島 において右の二つの選択をかれのために差しだそうとする人間は、おそらく一人もいないに ちがいない。イエスがこの世に再臨して麻原に近づくことを喜ぶものは一人もいない。ブッ がえ ダが転生してかれのもとを訪れることを肯んずるものもまた一人もいないだろう。 そして、もしもそうであるとするならば、このような全体の状況において現代の日本人は、 地あの親鸞の世界からはもっとも遠い地点に立っていることになる。親鸞のものの考え方とは 正反対の、逆方向の極に身をおいていることになるはずだ。なぜなら親鸞は、この世におけ る最下底の極重の悪人こそが阿弥陀如来の光明に包まれて救われる第一の人間であると、主 る 張していたからだ。かれの『歎異抄』にでてくる「悪人正機」という考え方がそれである。 お その第三条の冒頭に、誰でも知っている次のような言葉がでてくる。 宗 《善人なをもて往生をとくし冫 、、 ) まんや悪人をや。しかるを世のひとつねにいはく、悪人なを
「宗教的ニヒリズム」の時代 あの怖るべき、阪神大震災が発生したとき、その被害にあって苦しんでいる人にむかって、 「地獄ぞ一定すみかぞかし」という親鸞の言葉 ( 『歎異抄しをもちだす仏教徒がいたであろ っカ また、いまだに学校の「いじめ」で嘆き悲しんでいる本人や家族にむかって、「右の頬を ぶたれたら、左の頬をだしなさい」というイエスの言葉 ( 『聖書』 ) をさしだして、慰めよう とするキリスト教徒がわれわれの周辺にいるだろうか。 もう一つ、つけ加えよう。オウム真理教に入信したり、そこから退会したりして心の傷を うけている元信者たちにむかって、「人生は苦である、執着を捨てなさい」 ( 仏教 ) とか、 時代とオウムと『悪霊』の世界
無神論者のまなざし 立ってきた半面、原子爆弾や毒ガスのような凶悪な武器をつくってきたように、宗教もまた 人類の精神的救済にかぎりない貢献をしてきた半面、さきの十字軍や一向一揆のような相互 殺戮の消耗戦をくり返してきた歴史をもつのである。 またこんどの事件では、オウム真理教の信者たちの「出家」と「断食」が非難攻撃の十字 砲火にさらされた。たしかに金銭ずくの出家強制や薬物投与にからまる断食など、常軌を逸 したふるまいがなかったわけではない。だが出家や断食の修行そのものには、たとえば仏陀 やイエスの宗教体験につながる主体滅却、法悦実現の伝統があったことに注意しなければな らない。オウム真理教にひき寄せられていった信者たちの心の内景に、そのような欲求がひ そんでいたことはほとんど疑いがないのであるが、さきにあげた無神論的眼差しにそのよう な異次元の世界が切実な意味を帯びて映ることはこれまで一度もなかったのである。 現代日本のもう一つの不幸は、宗教がこのようなほとんど無自覚的な無神論者たちの眼差 しによって包囲され銃撃されているところにあるのではないだろうか。
界 世 の オウム真理教と三つの人間集団 悪 こんどの「オウム事件」が発生してから、私はじつに多くの報道機関からテレビへの出演 ム ウ を含めて意見を求められ、また執筆を依頼された。むろんそのすべてに応ずることはとても オ 代できなかったが、電話で長時間やりとりし、ファックスで意見を交換している過程で不思議 時 なことに気がついた。 る。宗教家がボランティアやカウンセラーに身をやっさなければならないような「宗教的ペ シミズム」の時代があらわになってしまったのである。 麻原彰晃のような教祖が登場し、オウム真理教のような新型の教団が形成された根本的な 背景を、私はそのように考える。そのような教祖や教団はたんなる狂信的な奇型児として突 発的に日本の社会に登場してきたのではない。麻原彰晃はあたかもブッダのように生きよう と欲し、イエスのように世の中を「変革」しようと幻想して、この宗教的ペシミズムの地上 に降下してきたのではないか。すべての宗教的一一一一口語が手垢にまみれ、その生命力を枯渇させ てしまっている宗教的ニヒリズムの荒涼たる砂漠のなかに、ほとんど暴力的に闖入してきた のである。
「悲しんでいる人たちはさいわいである。あなた方は慰められるであろう」 ( キリスト教 ) と いうような言葉をもちだす人がいるだろうか そんなことをいう宗教家は、 ) しま日本に一人もいないのではないだろうか。そんなことを いう宗教家がいるとすれば、その宗教家は世の人びとによって軽蔑され、どやしつけられ、 そして最後は無視されてしまうにちがいない キリスト教徒や仏教徒は、おそらくそのようなことを口にする勇気がないのではないと、 私は思う。たとえそういうことをいっても、それらの一一一一口葉がもはや相手の心にとどかなくな ってしまったということを知っているからなのだ。「仏典」や『聖書』の言葉が、今日ほん とうに苦しみ悲しんでいる人びとの心にとどかなくなってしまったということなのである。 かってイエスの言葉は貧しい人びとの心にとどいていた。ブッダの言葉も苦しんでいる人 界 のびとの心をゆさぶっていた。そういう光景が今日、どこにもみられなくなってしまったので 霊 悪ある。 いったいどうしてそういうことになってしまったのか。おそらく「仏典」にでてくる言葉 ム ウ をくり返しているだけでは説得力をもたなくなったのであろう。『聖書』の文句をただオウ オ 代ム返しにいっているだけでは人びとの心に響かなくなったのであろう。「言葉の宗教」が地 時 に堕ちてしまったということかもしれない。宗教の言葉がもっていたような輝きを失ってし