宗教の権威が失墜した三つの背景 しかしよくよく考えてみると、日本の宗教がその権威を失墜しはじめたのは、周知のよう に今日このごろのことではなかった。たとえば仏教についていうと、この伝統宗教の空洞化 焉かいわれだしてからでもかなりの歳月がたつ。そのような仏教のあり方を、異ロ同音に「葬 の式仏教」といって冷笑する態度がすでにわれわれの常識になり、それが「世論」とさえなっ 教 宗ている。宗教法人法によって守護された観光寺院、葬祭寺院というレッテルがいっしか平均 日 的日本人の意識の底にすみつくようになった。オウム真理教の事件をきっかけにして、国会 牛 酬では村山富市首相 ( 当時 ) が宗教法人法の見直しということをいいだした。それはたしかに、 理直接的にはオウム真理教の反社会的な宗教活動にたいして発せられた政治的発言であろう。 ウしかしながら宗教法人法を隠れみのにして自己の利益を追求してきたのはオウム真理教だけ オ ではない。その恩恵を最大限にうけてきたのはむしろ仏教教団だったのではないか。そのよ うに一挙に噴出したからである。その鉄砲水のような宗教批判、宗教不信は今後ますますそ の勢いを強めていくはずだ。冒頭に、一九九五年は日本の宗教が壊滅的な打撃をうける紀元 元年になるだろうといったゆえんである。
現代日本のもうひとつの不幸 少々、ゆううつな気分になってきた。こんどのオウム事件を報道するマスコミ最前線にお いて、右にのべてきたような二つの観点がつねに主流を占めていたことを思うとき、このゆ ううつな気分はここ当分のあいだは晴れそうにない。それというのも、このオウム事件にた いする無数の無神論的な眼差しが一向に変化することなく、またオウムの異常を社会の異常 な変化によって分析し説明しようとする疾病のごとき宗教社会学的思考が、これからもいよ いよ盛んに活用されていく気配が濃厚に感じられるからである。 しかしながら、「宗教」というものにたいするこのような見方はやはり一面的なものでは ないだろうか。なぜなら宗教は一方で歴史や社会によって限定される面をもっていると同時 に、社会的な時空間や歴史そのものをこえる側面をも併せもっているからである。さらにい えば宗教の現象には、けっして社会的な現象へと還元しつくすことなどできない歴史の記憶 が刻みこまれているからである。 論より証拠、そもそも宗教はいつも信仰の名において平和を語り、その舌の根もかわかぬ うちに教団や教会の利害にもとづいて戦争をくり返してきたではないか。西欧世界の十字軍 やわが国の一向一揆をみればすぐにでもわかることであるが、そもそも宗教と宗教戦争は切 っても切れない関係にあったのである。ちょうど科学が文明の進歩と人間の幸福に大いに役 以 6
空気のように無視しつづけてきた社会は、いまさらのように異物のような宗教の影におびえ、 宗教そのものに不信と疑惑の眼差しをむけはじめた。それだけではない。オウム真理教への 怒りと不快の感情を急激につのらせた市民感情は、宗教の活動にひそむ根深いいかがわしさ を告発し、不透明な闇のなかにうごめくデモンの発現を許すべからざる異物として排除しょ うとする勢いをあらわにしている。 そのような社会の動向や市民感情をいち早く察知したためであろう。既成の宗教教団はい っせいにオウム真理教の非宗教性をいい立て、新興の宗教教団もまた麻原彰晃の宗教活動を 反宗教的なハネあがりとして糾弾しはじめた。 宗教教団としての保身のためにはしごく当然のことであったといわなければならない。わ が身にふりかかりかねない火の粉を払うためにも、そういう態度にでざるをえなかったであ ろう。だがそれにもかかわらずそのような反撃は、おそらく宗教にたいする現代日本人の不 信と懐疑の感情を押しとどめることはできないにちがいない。かれらがいかに「善き宗教」 と「悪しき宗教もしくは非宗教」を区別しようと、「善き宗教」の存在理由をいくら主張し ようと、日本の宗教にたいする世論とマスコミの批判はますます加速化されることはあって も、けっして抑制されることはないであろう。なぜなら仏教をはじめとする日本の宗教にた いするこれまでのもろもろの不満と疑惑が、こんどの事件によってダムの決壊にみられるよ
し民衆の支持をえてきたのである。そういう歴史の実態を見ずに、建て前では合理的仏教、 本音のところで先祖供養、といった使い分けをつづけているかぎり、日本の仏教が人びとの 心をつかむことはますます困難になるのではないだろうか。 一にいいたいことは、時代はようやくたんなる言葉の宗教に見切りをつけて、体験の宗 教、感性の宗教、と大きくカープを曲りつつあるということだ。戦後五十年、日本の仏教は あまりにも言語に頼りすぎてきた。仏教の解説や啓蒙に力を注ぎすぎてきた。筆者もそれに 手を貸してきたのであるから、むろん大きなことはいえない。 しかし今日、仏教の言葉は人びとの心を打っことがなくなった。啓蒙や解説の言葉の無責 任な弱々しさに、人びとが気づきはじめたのである。いまわれわれの社会でもっとも強い言 葉を発しているのは自然科学の分野であり、医療の現場ではないだろうか。 たとえば Z ( 遺伝子 ) という言葉がもっ衝撃力、そしてエイズという言葉がもっ無気 味な喚起力がそれだ。今日これらの言葉に対抗しうるような仏教の一一一一口語を、われわれははた してもっているのだろうか。 いま日本の仏教は、体験の宗教という原点に立ち返るべきときにきているのかもしれない。 言語の宗教から感性の宗教へ、といってもよい。言語という観念の膜を通してではなく、身 体の感性的な鉱脈を掘りおこすことで、宗教体験の深みへ降りていくということだ。それは リ 0
わち「宗教を信ずる者」たちにおける宗教は本物の宗教であるが、第二のカテゴリー 、すな わち「神や仏の存在を肯定する者」たちの宗教は贋物の宗教であるといっていることになる。 本物の宗教を信ずる者は一一六パ ーセントに減少したけれども、贋物の宗教を信ずる者は四四 ーセントに上昇したというわけだ。なるほど宗教社会学的調査というものは、まさに「神 になりかわって本物の宗教と贋物の宗教を仕分ける方法をあらかじめ身につけているものな のであろう。しかしそのように仕分けるための基準を、その方法を用いる者たちはいったい どこから借りてきているのだろうか。その手の内の秘密を、宗教社会学的思考はなかなか明 かそうとはしない。新聞の世論調査もまたその原理的なニュース・ソースを読者の前には開 陳してはくれないのである。ただ漠然と知らされているのが、さきにものべた宗教社会学的 な思考実験の第一テーマ、すなわち世の中には善良な宗教と邪悪な宗教が存在するという命 題らしきものである。神の代理人としての宗教社会学者によって編みだされた、先験的命題 といってもいいようなものである。 「カルト」とい、つキーワード それではつぎに、宗教社会学的な思考実験の第二の観点とは何か。社会急激な変化によ
仰が槍玉にあげられたのである。 それだけではない。そのようなョ 1 ロッパ産の知的批判の刃は、さきにのべた仏教の空洞 化現象にたいしても容赦なくふりおろされ、そのほこ先は神道の非宗教化の問題にたいして もむけられてきたのである。このような知的習癖を、私はここでもさきの例にならって近代 日本知識人の無神論化、と呼んでみようと思う。 以上私は、日本宗教における権威の失墜、崩落という問題をとりあげ、その背景には大づ かみにいって仏教の空洞化、神道の非宗教化、知識人の無神論化という三つの要因が横たわ っているのではないかということを指摘してみたのである。そして大切なことは、この三つ の要因が、現代日本における宗教の頽勢もしくは宗教の世俗化という現状をよく説明すると ともに、今回のオウム真理教の事件にみられるような一種の宗教反乱の発生にたいしても、 ある種の暗い影を投げかけているのではないかということである。その点に注意をむけない かぎり、オウム真理教の「犯罪」はたんなる反国家的、反社会的な逸脱行為という面からだ けとらえられ、この異常な事件によって浮き彫りにされつつある現代日本宗教の危機的な状 況とその深部にメスを入れることにはつながらないことになるであろう。 とするならば、右にあげた三つの要因、すなわち仏教の空洞化、神道の非宗教化、知識人 の無神論化という事態を、われわれは全体としてどう考えたらよいのだろうか。そのような
とえば、オイル・ショックの年 ( 一九七三年 ) における『ノストラダムスの大予一言』のベス トセラー、翌七四年に来日した超能力者ュリ・ゲラーによるセンセーショナルなパフォーマ ンス、さらにさかのばって、オイル・ショックの前年 ( 一九七二年 ) における連合赤軍の浅 間山荘事件を引き合いに出す場合もある。 いずれにしろ「オイル・ショック」という経済・社会システムにあいかかわる心理的な事 件が時代を画する分水嶺と意識されている。このオイル・ショックはいうまでもなく経済的 な繁栄とその一時的なゆらぎを象徴している。そこから導きだされるキー・コンセプトが、 たとえば豊かな社会が胚胎する病理、というようなものだ。病理はやがてえぐりだされ、除 去されなければならない。オイル・ショックのショックがいずれ癒されるであろうように、 病理の方も正しい処方によって除去されるであろう。社会学的年代記が最後にもちだす見通 しめいたものには、こうしていつでもややオポチュニスティックな味つけがほどこされてい る。社会が変れば宗教も変る。社会が善くなれば宗教も善くなる。しかしいまのところ社会 が善くなりそうもないから、宗教も邪悪な道を走っているのだ : 。以上が、宗教社会学的 な思考実験の第一テーマである。ここで、とくに注意しておかなければならないことがある。 この宗教社会学的な思考実験における主語は「社会」の方にあって、宗教「社会学者」の側 にはないということがそれだ。社会が宗教を診断しているのである。宗教社会学者が宗教を
一面的な宗教社会学的思考 まずその第一の観点というのが、一九七〇年代のオイル・ショック以後、日本の産業構造 が激変して高度消費社会が出現したという点に着目することである。将来への漠然とした不 し安と退屈な日常が若い世代を呪術や神秘の世界へと追いやり、ポスト冷戦構造の渾沌が終末 な論やメシア思想の幻想をかれらにかき立てたというわけだ。ここでいう「呪術」とか「神 の 秘」というのは、具体的にいうとオカルトや超能力への関心のことをいう。さらに教義らし 者 論 袵きものの特徴として原理性の強さ、閉鎖性と攻撃性をあげることもある。こうして最後に 無 ( もしくは最初に ) 、つぎのような社会学的年代記がいわば事件史的に重ね合わせられる。た め宗教社会学的思考、もしくは宗教人類学的眼差しということになるであろう。要するに宗 教の現象を、社会学や人類学の枠組みのなかで料理しようという魂胆である。沸騰する宗教 の諸現象を、社会や文化の同時代的な文脈のなかで思考実験の具に供してみようというわけ である。 この思考実験にはむろんいろいろなパタ 1 ンがあるのだが、その基本的な論調を整理する と、おおよそっぎの二点にしばることができるのではないだろうか。 109
しれない。「カルト」と「隠匿物資」のあいだに因果の糸がはられているらしいことに疑念 を抱きいらだちをつのらせながら、しかし確たる証拠をつかみだすことができない。その土 壇場で宗教社会学的な思考実験はどうするのか。すなわち逃げ道をどこに求めるのかという ことだ。 そこからでてくる一つの選択は、すべてその先のことを警察の捜査にまかせるという逃げ 道である。餅は餅屋、その道のプロにまかせるということだ。犯人を「カルト」と名指しな がら、最後の検挙は司直の手にゆだねる。その検察の内部で明らかにされ、そこからリーク される情報にもとづいて、ふたたび宗教社会学的思考を作動させるという行き方である。利 ロな選択といってよいだろう。 もう一つの方法が、当の異常なカルト集団を精神病棟の中に隔離してしまうという逃げ道 である。カルトと隠匿物資のあいだの因果の糸をたどることを断念して、異常な教祖 ( しば し しばカリスマと呼ばれる ) を変質者、先天的サギ師、多重人格者等々のカテゴリ 1 に格づけ なして、われわれの正常社会や正常心理の側から追放してしまうやり口である。このとき宗教 社会学的思考は、「カルト」を分析しその存在を証明する権利を、宗教社会学の側から精神 論 袵病理学の側へとひそかに譲りわたすことになる。狡猾な選択であるといってよいだろう。 無 115
もっともこれは、あまりにもステロタイプのいい方にすぎるのだ 診断しているのではない。 オカルトや超能力についての宗教社会学的もしくは宗教人類学的な眼差しということでい えば、もう一つだけつけ加えておきたいことがある。よく新聞などで紹介される世論調査の 内容についてである。なぜなら宗教社会学的な思考というのは、つねに社会学的調査、すな わち世論調査なるものを第一義的なデータとして重視しているからである。たとえば、こん どの事件に関連して私の目にとまった記事に、こういうのがあった。ある「調査」によると、 ーセント 宗教を信ずる者の数は、一九七九年以降しだいに減少をつづけ、今日ついに二六。 に低下している。ところがこれにたいして神や仏の存在を肯定する者の数は逆に上昇をつづ け、今日ついに四四パーセントに達しているのだという。 この「調査」が面白い ( ? ) のは、「宗教を信ずる者」と「神や仏の存在を肯定する者」 を分けて考えているというところにある。その両者の「信者」がなぜ二つのカテゴリーに振 し なり分けられるのかが私にはよくわからないのであるが、どうやらここでいわれている「神や 仏の存在を肯定する者」のカテゴリーは、占いや霊能者に関心をもつ者たちのことであり、 論 神死後の世界や神秘への関心が高い者たちのことを指しているのであるらしい 無 、すな つまり、あえて細部を捨象していってしまえば、右の図式にいう第一のカテゴリー