文明 - みる会図書館


検索対象: 宗教の話
20件見つかりました。

1. 宗教の話

うな歴史は要するに伝記的歴史、挿話的歴史であり、究極的に「弱い歴史」なのだという。 だが、これにたいして万年、千年といった記号であらわされる歴史では、個人の影が消 失し、時代の全貌が図式化され抽象化されている。つまりそれは、もはや伝記や挿話などに よっては微動だにしない「強い歴史」なのだ。サルトルのいう「弁証法的理生」は「弱い歴 史」に立脚する方法であるが、民族学が掲げる構造主義の「分析的理性」は「強い歴史」を 対象にするのである : 私はこのレヴィストロースの議論を面白いと思う。とりわけ人類の運命を考える場合、 重要なポイントになる論点だと思う。それだけではない。 このような「野生の思考」は、 「文明」という名の年代コードを考えるときにも示唆的な尺度となるにちがいない。 そこで思うのだが、これまでの「文明論」の多くは、「近代」や「現代」にむけてその議 論をあまりにも収斂させてきたのではないだろうか。いわば「弱い歴史」にむけて発想の照 準を定めてきたのではないかということだ。たとえば梅棹忠夫氏の『文明の生態史観』 ( 中 央公論社 ) は、日本の高度文明をイギリスのそれと対照させ、その両者を高度の近代文明を 達成した「第一地域」の文明であるとみなした。また上山春平氏は文明を「農業革命、産業 革命を経験した文化」と定義し、自然社会↓農業社会↓工業社会という線型的展開に着目し

2. 宗教の話

斑時代に裏切られるステロタイプな尺度 ところがこの「文明の衝突」論にたいしては、はたせるかなわが国でも反論の大合唱がま れきおこった。その第一が、現代における真の「衝突」は文明間にあるのではなく、依然とし 忘 教て近代と前近代の間にあるというものだった。第二に、その近代によって生みだされた人権、 宗 自由主義、民主主義、市場原理こそが普遍的価値をもつのであって、宗教、民族の要因はす である。 そういう「文明」という名のエゴイズムの問題が、ちょうど時代の表面に浮きでるように ード大学の・ハンチントン教授によって書かれた「文 なった一九九三年のことだ。ハー 明の衝突」という論文が世にあらわれて大きな反響を呼んだ。 その論旨は、「冷戦」というイデオロギー対決の時代が終り、それに代って世界は、西欧、 儒教、日本、イスラーム、ヒンズー、スラブ、ラテン・アメリカの七つの大きな文明に区分 され、その文明上の対立・衝突が、世界政治をめぐる紛争を引きおこすことになるというも のだった。この世界見取図のなかでは、強力な対立・葛藤の要因として、宗教の役割が大き くクローズアップされていたのである。

3. 宗教の話

でに過去のものになっているという。そして第三に、そのような普遍的価値を信奉する「中 間層」が、さまざまな地域に形成されつつあり、それが文明間の差異をこえて、新しい時代 の担い手になるだろうと予想するのである。 みられるとおり、この反論には「普遍的価値」を実現した西欧文明に進歩の跡をみ、それ に後れをとっている非西欧文明に前近代もしくは反近代の烙印を押そうとする、ステロタイ プの尺度が見え隠れしている。宗教的信条を過度に主張する文明の反時代性と、同じそれを 適度に抑制する文明の近代性という対照の構図といってもよい。物質的繁栄と生活の利便性 を掌中にしたわれわれにとって、どうしても手放すことのできない最後のイメージの砦であ る。 しかし私は、このような見方はあまりに楽観的にすぎるのではないかという不安をもつ。 そのような見方はこれからの時代によってすこしずつ裏切られていくのではないかという予 感をもつ。なぜなら、そのような楽観を許さない「地獄」的状況がこの地球上を覆いはじめ ているように思うからである。地球環境の悪化ととどまるところをしらない人口の爆発とい う一事をみただけでもそのことは知られるが、その地球上の「地獄」的状況が加速されてい くにつれて、宗教と民族という名の前近代的契機はますます息を吹きかえし、地球の表面に そのガン細胞をさらに増殖させていくのではないだろうか。

4. 宗教の話

これらの文明論の特徴は、すべて「弱い歴史」のうえにあらわれた文明の性格をいかに読 み解くかというところにあったといえるだろう。それはけっして「強い歴史」という年代コ ードのうえに立って文明の展開を眺望しようとするものではなかったのである。 しかしながらどうだろう。湾岸戦争とソ連の崩壊以後、「宗教」と「民族」という名の妖 怪がわれわれの歴史のうえに不気味な地鳴りのような変動をひきおこし、奇怪なサインを現 代のわれわれに送りはじめている。ところがこれまでのところ、その「宗教」と「民族」は、 近代化という名の「弱い歴史」の流れのなかにあってしばしば制御・抑圧の対象とされ、 わば日陰の場に追いやられていた。だが、それがいつのまにか、そのような弱い歴史の皮膜 を食い破って身じろぎをはじめ、攻撃的な鎌首をもたげようとしているのではないか。それ 学 は、レヴィ日ストロースのいう「強い歴史」が「弱い歴史」にたいして発する黙示録的なメ 史 歴 ッセージであるように私にはみえるのである。 学 治 とするならばわれわれはいま、弱い歴史に収斂する文明論を、強い歴史の足音に耳を傾け 政 る文明論によって変換すべき時代を迎えようとしているのではないだろうか。 れ いささか大袈裟な話になってしまったが、じつは私が以下において考えてみたいのはもう 忘 教すこし個別具体的なテ 1 マについてである。はじめにそれをいってしまえば、その一つが一 宗 九三〇年代に急進化した「超国家主義」と宗教の連関の問題であり、第二がさらに歴史をさ

5. 宗教の話

宗教は一神教であるのか多神教であるのか」と問うことである。あるいは「ユダヤ教徒であ るのかキリスト教徒であるのか」と問うことである。さらにいえば「キリスト教徒か仏教徒 か」と問うことでもあるだろう。このアグレッシプな問いがわが国にもたらされたのは、十 六世紀のキリシタンの時代と十九世紀の明治時代と二度あった。十六世紀の一度目のときは、 幕府による禁教と鎖国の政策によってこの問いは闇から闇に葬られた。しかし十九世紀の二 度目のときは日本の開国と明治国家の近代化政策を背景に、この問いが文明開化の足音とと もにわれわれの社会に浸透していった。なぜならその「問い」のなかには、ヨ 1 ロッパ近代 の市民倫理のなかで培われた宗教理念が有無をいわさぬ形で反映していたからである。 みられる通りこの問いには、宗教や信仰についてあれかこれかと二者択一を迫る態度がき しすれかの教派や宗派に排他的に所属するこ 界わ立っている。宗教を問い信仰を問うことは、ゝ、 世 のとを意味し、何よりも主体的な決断を要請するものだった。そしてこのような問いがキリス 悪ト教的思考そのものに由来するものであったことはいうまでもない。それはまさに、海の彼 方の文明の側から発せられる問いかけであったのだ。 ム ウ 1 ) ゝプこたいして、われわれはいったいどのように応 ところがこの西欧文明の側からのし力し。 オ 代答してきたのだろうか。元日の初詣でや村祭りの情景を思いおこして神道と答えたらよいの 時 か。彼岸やお盆の季節の墓詣りや葬儀を念頭において仏教と答えたらよいのか。ところが他

6. 宗教の話

宗教的憎悪の火花というのがいいすぎならば、文明の衝突とゝ しいかえてもよい。西欧文明 とイスラーム文明の衝突ということだ。その衝突の背景に、それぞれに「正義」の旗をかか げる宗教伝統の執拗な自己主張が隠されていたのである。 さて、この問題にふれて思い出されるのが、一九六〇年代におこなわれたレヴィⅡストロ 1 スとサルトルの論争である。サルトルはかってレヴィ日ストロ 1 スの構造主義を批判して、 『弁証法的理性批判』を書いた。それにたいしてレヴィ日ストロースも負けずに構造主義の 「分析的理性」の意義を説いて、サルトルのいう「弁証法的理性」の一面性を衝いたのであ った。その論争のなかでかれは「強い歴史」と「弱い歴史」ということをいっている ( 『野 生の思考』Ⅱみすず書房 ) 。 学 史 レヴィⅡストロースによると、歴史学の重要なコード ( 尺度 ) に「年代」があるという。 歴 しかもその年代には、それぞれ質を異にするパターンがある。たとえば先史学時代というの 学 治 は、一万年から十万年単位でコード化される年代である。また考古学時代は紀元前四千年、 政 三千年と千年の単位でコード化される年代といえるだろう。とすれば歴史学時代はさしずめ れ世紀単位の年代ということになる。ときにそれは一年単位、一日単位にもコード化されるだ 忘 を 教ろ一つ。 宗 換言すれば歴史学年代というのは、年月日といった記号であらわされるが、このよ

7. 宗教の話

ここで詳しくのべているいとまはないが、かって内村鑑三は、日本の「大困難」は、日本 人がキリスト教を採用しないでキリスト教文明を採用したことにある、といったことがある。 キリスト教抜きの西欧文明の受容に血道をあげてきたと批判したのである。 考えてみれば、これは明治以降の日本が歩んできた道でもあった。近代の「精神原理」を 棚にあげて、近代の「制度」や「文明」の果実だけをひたすら盜用しつづけてきたというこ とだ。そのことを、さきの内村鑑三の言葉は鋭くいいあてている。近代日本における西欧文 明受容の仕方が、近代日本における知識人たちの無神論的な心情を育むうえで大きく作用し ていたのだといってもよいだろう。その意味において右の内村鑑三の指摘は、近代日本にた いする批判であると同時に、近代日本の知識人にたいする内在的な批判でもあったといわな 焉 のければならない 宗そのことに関連して、もう一つだけいっておかなければならないことがある。それは、明 治にはじまる日本の「近代化」にたいして、日本の伝統的宗教はほとんど抵抗らしい抵抗を 示さなかったということだ。抵抗どころか、むしろその近代化の路線にすり寄り、その尻馬 理にのって自己の延命、保身につとめてきたといった方がよいかもしれない。その点では伝統 ウ的な神道も仏教も何ら変るところがなかった。たとえばヨーロッパの近代史を彩るような政 オ 治と宗教 ( キリスト教 ) のあいだの深刻な対立がわが国において生ずることはなかった。経

8. 宗教の話

このような日本歴史にかんする編集パタ 1 ンが戦後一貫して変らなかったということも尋 常ではない。その各項目にたいする比重のおき方、記述の密度を相互に比較してみるとき、 歴史に浮沈をくり返す宗教的契機が政治史や経済史の主流から慎重に脇道にそらされ排除さ れていることがわかる。歴史の進歩によって宗教の前近代的な性格がしだいに克服されてい くという歴史学的深層心理が通奏低音のように流れているのである。戦後の「一揆」研究の 主流が一向一揆における宗教的契機に正面から光をあてることを怠ってきたのもおそらくそ のためであったにちがいない。 しかしながらその宗教は、歴史学的近代がいくら克服をめざそうと、その抑圧の皮膜を破 っていつでも歴史の表面に躍りでてくるであろう。たとえば今日、ボスニア・ヘルツェゴビ ナで火を噴いている民族紛争、そしてさきにもふれた一九九一年の湾岸戦争に、その不吉な 徴候があらわに示されている。五百年、千年にわたる歴史の有為転変をかいくぐって、なお 死滅することなく生きつづける妖怪の身じろぎであり噴出である。 そのことを私は小論の冒頭で「宗教的憎悪」の衝突という言葉で表現したのだが、それが ししカえて 短絡的即断だというのであれば、宗教的動機を過激に内包する「文明の衝突」とゝ もよい。今のべた湾岸戦争の場合でいえば、西欧文明とイスラーム文明の衡突ということだ。 その衝突の背景に、それぞれ「正義」の旗をかかげる宗教伝統の執拗な自己主張があったの

9. 宗教の話

信者であるにもかかわらず、公的な場ではキリスト教徒ではないかのごとくに振舞うという しいたろう。 ビヘイビアをこれにつけ加えてもゝ そこには、キリスト教抜きで西欧文明を受容してきた近代日本人の心の内景が、じつにみ ごとに映しだされているのではないだろうか。宗教というものへの無意識的な軽侮の気持ち、 西欧文明的雰囲気への軽信が、そこには入り混っているといってもよいだろう。そしてその ような知識人の心的な傾向が、いつのまにか、さきにのべたような現代の「隠れキリシタ ン」という現象を生みだしてしまったのではないか。 角を矯めて牛を殺す、ということわざがある。戦後のわが国における「政教分離」のかけ とノ、 声は、ついにそのような驚くべき効果をあらわしはじめているように思えてならない。 にわが国における昨今の政治家や財界人の動きをみていて、私はその感を深くするのである。 私は小論の冒頭で、一九九五年が日本宗教の「終末」元年を画する年になるだろうという 意味のことをいった。阪神大震災における宗教家の自己埋葬の実態とオウム真理教にかかわ る自閉的な「宗教戦争」の異常な展開が、そのことを象徴的に明らかにしているだろうとい ったのである。とりわけオウム真理教が現在なお、社会と人心に与えつづけている衝撃は比 類を絶するものがある。 その衝撃をひきおこした地殻変動は、ゝ しったいどこから襲ってきたのか。そのような問い

10. 宗教の話

もう一つ、オヤッと思うことに出くわしたことがある。ある講演会場でのことであったが、 私と同じくらいの年恰好の人が立ち上って、こういわれた。 「自分は唯物論者であるけれども、無常感の中で生きている」と。 私は、なるほどと思った。西欧の文明を受け入れた以上、唯物論的な生活環境によって周 囲をとり巻かれてしまうのはある意味で必然的ななり行きであったからだ。われわれはその ようにして明治以来の百年以上を生きてきたといえるだろう。しかしそれにもかかわらず、 無常感を手放すことはなかったと、その人はいったのである。 無常感とは、一切のものは消滅し無に帰するという認識から生まれた感覚である。万葉集 の挽歌、平家物語、能、浄瑠璃をつらぬいて、日本人の心の底を流れつづけてきた感覚とい っていいたろう。 唯物論者であることと無常感を信奉することはけっして矛盾するものではなかったのであ る。それは多くの日本人に共有されてきた生き方だったのではないだろうか。そしてそのよ うな重層的な感覚の中にこそ、「近代」を受け入れた日本人の知恵のようなものがあったこ ともたしかである。 むろんそのような生き方を批判して、上半身の近代唯物論、下半身の伝統土着思想といっ 122