たことは一度もないのである。「世紀末」ということが、ただ漠然と話題になっているだけ なのではないのか。「末法」という言葉が挨拶がわりに使われているだけなのではないのか。 その一九九五年の五月に、オウム真理教の麻原彰晃教祖が逮捕された。それで想いおこし てほしいのだが、それから旬日を経ないうちに貴乃花が結婚し、テレビ各局はその一部始終 を追ってなりふりかまわぬ狂騒曲を奏で、視聴者にありったけのコビを売った。全国あげて の「オウム」逮捕劇もそれで一件落着したのであった。そのようなわれわれの社会のいった いどこに、世紀末の影が落ちているというのであろうか。末法の気配が忍び寄っているとい うのであろうか。にわかには信じがたいのである。 それにしてもオウムの麻原教祖は、今後どのような運命をたどるのだろうか。世間のさげ すみをうけ、雨あられのような石つぶてを投げつけられ、一片の同情も注がれることなく、 ずっしりと重い十字架を背負ってゴルゴタの丘をのばっていくのだろうか。そして、情容赦 もしも のないリンチを全身に受けて血祭りにあげられるのだろうか、イエスのように : そのイエス・キリストがこの日本に復活してきたら、いったい何というのか。ひょっとした ら「麻原彰晃よ、汝はもう一人のイエスなり」というかもしれない。 それとも麻原教祖は、サリン事件の犯罪者すなわち「極重の悪人」というレッテルをはら れ、永遠の地獄の闇に追放されてしまうのであろうか。そしてその地獄の果てで、はたして
界 世 の オウム真理教と三つの人間集団 悪 こんどの「オウム事件」が発生してから、私はじつに多くの報道機関からテレビへの出演 ム ウ を含めて意見を求められ、また執筆を依頼された。むろんそのすべてに応ずることはとても オ 代できなかったが、電話で長時間やりとりし、ファックスで意見を交換している過程で不思議 時 なことに気がついた。 る。宗教家がボランティアやカウンセラーに身をやっさなければならないような「宗教的ペ シミズム」の時代があらわになってしまったのである。 麻原彰晃のような教祖が登場し、オウム真理教のような新型の教団が形成された根本的な 背景を、私はそのように考える。そのような教祖や教団はたんなる狂信的な奇型児として突 発的に日本の社会に登場してきたのではない。麻原彰晃はあたかもブッダのように生きよう と欲し、イエスのように世の中を「変革」しようと幻想して、この宗教的ペシミズムの地上 に降下してきたのではないか。すべての宗教的一一一一口語が手垢にまみれ、その生命力を枯渇させ てしまっている宗教的ニヒリズムの荒涼たる砂漠のなかに、ほとんど暴力的に闖入してきた のである。
ジャーナリストの目 オウム真理教の事件がおこってからこのかた、私の身辺にもいろいろなことが発生し、今 でもそれはつづいている。たとえばその直後のこととしていえば、取材の申しこみ、執筆の 依頼が文字通り殺到したということがその一つである。こんなことはむろん、今までに一度 もなかった。なぜそんなことになったのかというと、事件の三年前にたまたま、オウム真理 教の麻原彰晃教祖と対談したことがあったからである。平凡社から出されている雑誌「別冊 太陽」が「輪廻転生」というテーマで特集を組んだのである。そのなかで麻原教祖との対談 が実現することになったのだ ( 一九九二年、七七号 ) 。 おそらくそのことが機縁になったのであろう。取材の申しこみが殺到したのであるが、し 無神論者のまなざし 107
界 世 の 異常増殖する『悪霊』のイメージ 霊 しかしながら、かれがそのような「人神」思想の法悦境に、それこそ五秒以上も耐えられ とるであろうとはとても思われない。キリ 1 ロフも述するように思想的には耐ええたとして ム ウ も、肉体的にもつはずはないだろうと思うからである。観念的に肥大化した想像世界に遊ぶ オ 代ことはできても、そのとき身心の状態の方はかならずや融解と弛緩の方向へと崩落していく 時 ほかはないからである。そしてそのことをむろん、ブッダも空海も知っていた。ブッダが中 いく。キリーロフのように自分を人神に つに一つである」というところに自分を駆りたてて 擬し、最後に生き残るか自殺するか、という問いを発しているのである。 あるいはひょっとすると麻原彰晃教祖は、ブッダとキリーロフを同時に生きようとしてい るのかもしれない。ブッダの成仏思想と反キリストの無神論を同時に掌中におさめようとし ているのかもしれない。 もしもそうであるとするならば、その途方もない傲岸さはほとんど 善悪の彼方をのぞむスタヴローギンの奇怪な誇大妄想に通じていることになるだろう。現に 最近この教団を脱会した若い元信者は、麻原尊師を目して「救世主か、悪魔か」わからない、 といっているのである。
仏の救済の御手に抱きとめられるときがくるのか。かってのインドにおいて、母親を幽閉し 。もしもそのブッダがこ 父親を殺した阿闍世王がブッダに会って改悛し救われたように・ の日本にあらわれてきたとしたら何というか。何かの拍子に「麻原彰晃よ、汝もまたわが仏 弟子の一人なり」と思わず口をすべらすことがあるかもしれない。 麻原教祖は、はたしてそのどちらの運命をたどるであろうか。イエスの最期と自分を同一 化させるのか、それとも仏弟子への転生の道を選ぶのか。しかしながら今日、この日本列島 において右の二つの選択をかれのために差しだそうとする人間は、おそらく一人もいないに ちがいない。イエスがこの世に再臨して麻原に近づくことを喜ぶものは一人もいない。ブッ がえ ダが転生してかれのもとを訪れることを肯んずるものもまた一人もいないだろう。 そして、もしもそうであるとするならば、このような全体の状況において現代の日本人は、 地あの親鸞の世界からはもっとも遠い地点に立っていることになる。親鸞のものの考え方とは 正反対の、逆方向の極に身をおいていることになるはずだ。なぜなら親鸞は、この世におけ る最下底の極重の悪人こそが阿弥陀如来の光明に包まれて救われる第一の人間であると、主 る 張していたからだ。かれの『歎異抄』にでてくる「悪人正機」という考え方がそれである。 お その第三条の冒頭に、誰でも知っている次のような言葉がでてくる。 宗 《善人なをもて往生をとくし冫 、、 ) まんや悪人をや。しかるを世のひとつねにいはく、悪人なを
さて、ここでふたたび「オウム真理教」と麻原彰晃教祖その人に視線をもどして考えてみ ることにしよう。そのとき私の脳中に生ずる問いは、一見荒唐無稽の言辞とうけとられるか もしれないけれども、およそっぎのようなものだ。われわれの眼前に展開する「オウム真理 教」の事件において、麻原教祖ははたして日本のスタヴローギンなのか、またはキリーロフ か。それともブッダの日本的亜流であるのか否か : 知られているようにかれは「出家」や「修行」を説き「最終解脱」の意味を論じていると き、あたかもかってのブッダのように空海のように、それを語っている。それはおそらくか れのインドにおける体験に由来し、その地で密教やヨ 1 ガの世界を遍歴して仏教の内懐に入 っていったときの体験に根ざしているのであろう。かれはそのブッダ的瞑想、ヨ 1 ガ的瞑想 のなかで、「五秒間の永久調和の瞬間」を手にしたこともあったはずだ。ところがその同じ かれが、近年の説教のなかでは自分のことを「信仰的独裁者」といし その信仰的独裁によ って「世界の独裁者」になると宣一言している。とすればかれはそのとき、ほとんどキリーロ フのいう「人神」願望を口にしているのではないか。さらに驚くべきことに、かれはそのと き「政治的独裁者」であったヒトラーのように、「思想的独裁者」であった毛沢東のように、 「君たち」を最終解脱にみちびくための「信仰的独裁者」になるのだといっているのである。 こうしてかれは「シヴァ神とは私である」としし ゝ ) 、「修行においては狂うか解脱するか、二
そのマスコミの、いわば最前線でこの「事件」を見守っている人びとのほとんどすべてが 例外なく「無神論者」であったということがそれだ。問わず語りにそのことを告白する編集 者がいた。私の問いに答えて、学校で宗教のことをまったく教えられることがなかったと歎 いて、自分の無神論的心情を語るディレクタ 1 がいた。その「無神論者」たちが、こんどの 「事件」に際会し、麻原彰晃とその信者たちの行動や考え方に接していらだちをつのらせて いたのである。かれらの表青こよ ) ゝ、ゝ ↑。。しカカわしい存在としての宗教、得体のしれぬ無気味な異 物としての宗教、という不信と疑惑のまなざしが宿っていたのである。そのかれらの無神論 的まなざしの背後に、私は社会のきわめて多くの人びとの同種の視線を感ずる。この社会の 世論とマスコミ最前線のあいだにはられた黙契のアンテナが、私には気になるのである。そ こから発せられる無神論的な電波が「事件」の背景と根元を見にくくし、不透明なものにし ているように思えてならないのである。しかしこのことについては、もうすこし注釈が必要 であろう。 まず、「オウム真理教」は三種の人間集団によって構成された教団であることに注目した いと思う。第一はもちろん教団のリ 1 ダ 1 としての麻原教祖とその側近たち、第二はその教 祖に救いを求めてこの教団に入信し出家した一般信者、そして第三がさまざまな科学 ( 化 学 ) 知識をもち、最新のテクノロジー 、情報機器を操る幹部層、がそれである。ここで大切
往生す、い力。し冫 ゝこ ) よんや善人をやと》 「悪人」こそがまっさきに往生する人間なのだ、という逆説にみたされた親鸞の宣一言である。 われわれは長いあいだその逆説に惹きつけられ、そこに人生の真実を見出し、その言葉のも っ普遍生をほとんど疑うことなくそのまま受容してきた。 しかしその親鸞の逆説を、今日、麻原彰晃の身の上に擬してその運命を考えようとする人 間が、はたしてわれわれの周辺にいるか。もしも親鸞が七百年の歳月をとびこえて現代の日 本に来迎してきたとしたら、かれをどのように迎えたらよいのだろう。ドストエフスキーの 大審問官よろしく、「今、あなたに出てきてもらったら困るのだ、早々に立ち去ってもらい たい」といって追い返してしまうのだろうか ニつの「悪人成仏」論 われわれは今、知らず知らずのうちに親鸞を裏切っているのかもしれない。かれの『歎異 抄』の思想を記憶の背後に押しこめようとしているのかもしれない。日本近代百年のなかで いつも光り輝いていた親鸞の像が、にわかにかげりを帯びてきたのである。その原因は時代 の急激な動きにあるのか。それともわれわれ自身の側にあるのか。
庸の道である「中道」を説き、空海がその著作『十住心論』によって不断の修行を説いて るのもそのためであった。かれらはともに、修行者というものが「解脱」と「世俗」のあ だを永久に往き来する存在であることを、骨身に徹して知っていたのである。 このようにみてくるとき、麻原彰晃という新宗教の教祖のジレンマは、ブッダの「解脱」 とキリーロフの「人神」を同時に生きようとしたところにあったといわなければならないだ ろう。アジアの宗教風土が生みだした「即身成仏」思想と、ユダヤ、キリスト教世界が生み 落とした過激な「無神論」をそのまま接合しようとしたところにあったといえないか。 しかしながらよくよく考えてみれば、小論の冒頭でもふれたことだが、宗教的一一 = ロ語の権威 が地に堕ちた日本の無神論的風土において、このような幻想や妄想が発生するのはある意味 において必然であったと私は思う。 無神論的風土においてさ迷える者たちの心につよく喚起するものは、もはや手垢によごれ た伝統的な宗教言語などではなく、超人のごとく生きる「解脱者」の身体であり、その身体 から発する霊威の輝きにほかならなかったからである。たとえそれがわずか五秒間しかつづ かない「永久調和の瞬間」であったとしても、その瞬間の法こそが何ものにもかえがたい 人生最後の甘露の味であるかもしれないのである。 ただ『悪霊』のキリ 1 ロフは、その最後の「瞬間」の法悦のなかで右のこめかみにピスト し ) し )
麻原彰晃は「救世主か悪魔か」 この人神の考え方が、キリスト教の全体系を根底からひっくり返す思想であることはいう までもない。神なき荒涼たる砂漠に立っキリーロフが神人キリストになり代って、人神を僭 称しようというのであるからただごとではない。キリスト教世界 ( 西欧世界 ) におけるもっ とも過激な無神論が、そこでは表明されているのである。 しかしそのこととならんで私がここでとくに注目したいのは「五秒間の永久調和の瞬間」 の方である。全自然界を実感する明晰な身体感覚についてである。キリ 1 ロフの言葉をかり れば、その瞬間は五秒以上もつづいたら「魂」がもちきれなくなるというものだ。それ以上 つづいたら肉体的な変化が必要になるといっている、その瞬間のことである。身体が変容し、 魂が変容する奇跡の瞬間といってよいだろう。 キリーロフのロをついてでるこの一言葉に直面したとき、私はその身心変容の瞬間がブッダ における悟りの瞬間に重なるような錯覚にとらえられた。なぜなら菩提樹下で悟りを開いた ときのブッダは、まさに身心の永久調和のなかで全自然界をそのまま受容し、宇宙の新たな 誕生をまのあたりに実感していたにちがいないからである。その瞬間がそもそも、俗人のシ ャカが覚者のブッダへと転生した瞬間にほかならなかったからである。 そのブッダの体験は、キリーロフの反キリスト体験の文脈に則していえば、まさに人間で