よみがえ に七十二人も封じ込めた歴史的悪夢が、一瞬にして蘇ったのだ。 「でもあれって、結局、召還されちゃっただけなんでしょ ? たまたま日本の女子中学生が、 魔王の『隠し名』を探り当てて、それを唱えちゃっただけで」 エルは簡単に言ったが、呼ばれた魔王本人は、それどころではなかっただろう。「隠し名」 を知られるのは、命を握られるのと同じなのだ。 くつじよく 「まあ、偉い人だからちょっと屈辱だったかもしれないけどお」 ぞうきん 屈辱は、ちょっとどころではない。誇り高き魔王が、女子中学生に命じられ、雑巾がけやら しようじ 障子の張り替えやらをさせられたのだ。 「でもいいじゃん。あとで魔王様無事に帰ってきたんだ、し。あ」 け すっと血の気が引いた。消えた魔王が誰だったかが、記憶の底から浮かんできたのだ。 消えたのは、メエルドウシアス。 そして。 女子中学生は、三国栄子 キ ( うそお ) 子工ルは、ゼンマイ仕掛けの人形のように、栄子を振り向いた。視線が合うなり、栄子が高笑 王 いする。 うわさ 「おほはほほほほほほ。そうよ、わたしが噂の残酷栄子よ ! 」 0 につばん
ボタンを押してしばらくしてから、呼び出し音が聞こえはじめた。魔王の家にどんな風に国 際電話がかかるのかを知りたくて、エルはヴァイネににじり寄る。 ほかの二人も同じようにした。コードレス機に耳をくつつけんばかりにした彼らは、向こう の受話器の上がる音を聞く。 魔王伝言サービスです』 女性の明るい声が響き、栄子が吹き出した。人を刺し殺すような眼差しをし、自宅に氷嶺邸 なんて名前を付けているのに、魔王伝言サービス。 エルたち三人の魔族は、必死で笑いをこらえた。ここで爆笑したら、ドライアイスの煙つき で、怒れる恐怖の魔王が、空から降ってきてしまう。 「貸して」 栄子がコードレス機を受け取る。忍び笑いながら髪を耳にかけ、首をかしげるようにして電 を話に押し付けた。 キ 「そこにいるのはわかってんのよ。本人出してちょうだい 子 ( うわあ、借金取り : ・・ : ) こうじよう 王 いきなりの切り口上に、三人の魔族は怯んだ聞き耳を立て、とばっちりを食らうのがイヤ あとじ なので、ずずずず、とエビみたいに後退さる。 ひる まなざ
人衆だろうが ! 」 「あのーう ? 」 話の飛び方についていけない。栄子と父と、どういう関係があるのだろうか。 「バ。ハの知り合い ? 「ぜんぜん」 栄子が否定する。しかし彼女も変だ。残酷栄子と呼ばれたはずなのに、笑みを浮かべてい る。 「そうじゃない。二年前、十三人衆も特務機関も動いただろうが」 ヴァイネの疲れた声に、エルは宙をにらんだ。つまりは大事件が起きたわけだが、あったっ けか、そんなこと。 しっそう 「魔王失踪」 「あー」 何となく、思い出した。そういえば、十三人衆の魔王が消えたと大騒ぎになったことがあ る。 しようかん けん 人間には呼び出せないはずの高位の魔王が、召還されたかのような消え方をしたため、賢 じゃ 者の封印かと、魔界は一時大パニックになった。その昔、ソロモンという人が大暴れして、壺 ぎんこく
( 魔王が、魔王が並んでいる それは魔界がバニックになるような光景だった「魔界十三人衆に属するような魔王サマは、 ゆず 並んだりしないのだ。なぜなら、みんなが恐れをなして譲るから。いや、彼の望みだとあれ ば、馬券売り場の方が御前に馳せ参じるだろう。 「もうダメ」 エルはその場に座り込んだ。その横で、貧血を起こしたツアーが地面に手をつく。 「あのひと、間違えねえかな ? 」 がん ! ごんー 不安そうな青路の声に、エルたちはそろって額を地面に打ちつけた。恐ろしい、恐ろしすぎ る。 「だいじようぶでしよ」 待ち時間にと、哲剣が一服を始めた。エルはこのまま地面にめり込みたくなる。 を栄子は腰に手を当てて、メエルドウシアスの背中を見ていた。子供がきちんと言いつけに従 キ うかどうかを見張る、母親にそっくりだ。 やじうま 子栄子たちの態度に、野次馬がざわめき始めた。テレビの撮影 ? なあんだ、大したことねえ 王 よ、と声が乱れ飛ぶ。 、やめてやめてやめて。みんな殺されちゃう ( ひ、 ひたい
「きゃーっ」 エルは叫んで飛び退いた。だが一歩遅く、栄子にがっちり腕を掴まれる。 「あんた、このあたしを裏切ろうとしたね ? 神聖な契約を反故にしようとしたね」 「してない、 してないよう ! あれはふざけたの ! ちょっとふざけただけですー ! 」 んなわけはなかったが、ここはそうするしかない。なにせ相手は魔王サマの、女主人。あの ぎんこく メエルドウシアスを、あごでこき使うのが⑩の残酷栄子サマだったのだから。 どうりで、魔王を呼んでも平気なはずだ。魔界の通貨を知り、エルを魔族と見破るはすだ。 ( ああ、くらっ ) 意識が遠のきかける。まるで悪夢だ。カフェで助けてくれた人が、魔王よりも怖い人。 なんであたしだけ、こんな危険人物と出会っちゃうの何にも悪いことしてないのに , 「悪いことは、した」 なぐ ヴァイネが、うつろな声を出した。知らなかったとはいえ、彼は栄子様を、二発も殴ってし まったのだ。エルのせいで。 ヒコピコハンマーを拾い上げた。ぎりぎりと音を立てて握りしめる。 彼ま、。 「エル・ゼールバール やつばりやってくれたな、キサマ 「あああっ。先生事故です、これは事故〉、 ! 」 「ワイバーンの時も、そう言っていたなああ ~ 」 の
黒いびろうどのような声が、聞く者を痺れさせる。圧倒的な魔王の波動に、エルはヘたり込 そそう みそうになった。粗相でとばっちりを食らわぬようにと、ツアーが必死でエルを引っ張り上げ る。 メエルドウシアスは続けた。周りの反応などおかまいなしに。 「何用だ。そこな女」 ばけん 「馬券を買ってきてちょうだい」 ( ひ とうふ お使いでも命じるような栄子に、エルは気を失いかける。子供にお豆腐を買わせるのとは、 わけが違うのだー 魔王は無言で栄子を見下ろす。表情に、目立った変化はない。 「未成年と学生には、馬券は買えないのよ」 ス キ 「どうしても、必要なの」 様 王 「あと五分で売り場が閉まるわ」
だとは、思わなかった。 ( 先生のうそっき。日本は安全だから研修地になるんだって言ったのに ) ェクソシスト けん 本気の悪魔払いがうろついている、キリスト教圏での研修が命がけになるのを思えば、その うそ 言葉に嘘はない。 エルの認識には間違いがあった。危険なのは日本ではなく、三国栄子本人である。 そろそろと、音を立てないようにして、エルはテープルを離れかけた。その途端聞こえたっ きも ぶやきに、彼女は肝をつぶした。 「ふふふふふ。ざまあみろ、メエルドウシアス」 ( メ す まゆね エルは椅子に倒れ込んだ。顔を上げた栄子が、青ざめたエルに眉根を寄せる。 「どうしたの ? 」 「あなたあなたあなた、いいい、い ま、いま何て ? 」 「 ? メエルドウシアス ? 」 「きや エルは叫んだ。メエルドウシアス それは魔王の名前だ。酷で凶悪で魔族にさえも恐れられる王で、魔界十三人衆と呼ばれ る、もっとも力のある魔王たちの一人に数えられている。
何も答えないメエルドウシアスに、エルははらはらした。次の瞬間、いきなり「栄子ミン チ」が出来たりしないのだろうか。 「どれがほしいの、哲剣」 「ああ、これ。二万円分」 哲剣が、記入済みのマークシートを出した。財布の上に重ね、メエルドウシアスに差し出 す。 ( どひ 目ん玉が飛び出しそうになる。魔族でさえ、取り次ぎの者を介してしか物を渡せない魔王 に、直接ロ メエルドウシアスは動かなかった。じれたように、栄子が一一 = ロう。 ばけん 「それがなくちゃ、馬券は手に入らないわ。それをもって、あそこに行って」 栄子は売り場をあごで示した。あごー 風のような動きで、哲剣の手から、財布とマークシートがメエルドウシアスに移る。彼は顎 をあげ、ゆうゆうと歩き出した。人波が二つに割れて、魔王を通す。 メエルドウシアスは、彼らに対して何の注意も払わなかった。存在していることすら気づい ていないといった様子で、馬券売り場へ向かう。 メエルドウシアスは、顔色をなくす人々には目もくれず、列の最後尾についた。 さいふ
王子様±.•にキスを びた ヴァイネと、栄子が止まった。飛んでいたコウモリたちが、気絶して落ちる。 「あとでまたかける」 栄子は問答無用で長距離電話を切った。魔王メエルドウシアスの声が途中で切れた。 だぶん とうへんばく 『聞いてんのか、この唐変木 ! 駄文作家志望 ! つか 栄子がコードレス機を放り投げて走ってきた。ツアーの腕を攫んで、振り向かせる。 「ツアー ハザール」 を「そんな、期待に満ちたまなざしされると困るんだけど : : : 」 キ 「おい、こら。委員長」 くだ 子聞き間違いだろうかと、疑う顔をヴァイネはした。ツアーが静かに希望をうち砕く。 王 「ゲイです」 「本当に ? 」 えいこ
いらだ さつばり意味がわからない。苛立った栄子が、哲剣を激しく揺さぶる。 「はっきり一一 = ロってよ、はっキ、り ! 」 「いい、栄子。どけ」 栄子を押しのけた青路が、哲剣のジーンズから、財布を引っ張り出した。差し込まれていた 馬券を抜き出す。一目見るなり、青路は叫んだ。 「なんじゃこりや 「貸して ! 」 栄子がひったくった馬券を、エルは横からのぞき込む。 数字が二つ並んでいた。ー 「はれ ? 」 エルはきよとんとした。栄子の髪が、怒りでうねる。 「くつ、メエルドウシアス 「いや」 こぶし キ 悪魔の嫌がらせかと、拳を握る栄子を青路が押さえた。 子「哲、馬券もらってうなずいてただろ」 王 魔王の仕業ではないというのだ。だとするならば : 。いけると思ったんだけどねえ、これで 「ははは : しわざ さいふ