同じ - みる会図書館


検索対象: 異邦人
49件見つかりました。

1. 異邦人

そばまで行ったとき、私は、例のレエモンの相手がまた来ているのを見た。 彼はひとりきりだった。くびのしたに手を組み、顔だけを岩かげに入れ、からだは陽をあびな やす がら、あおむけに寝て、憩んでいた。菜っ葉服は暑さのために煙をたてているようだった。私は 少々おどろいた。私としては、もう事は済んだと思っていたから、そのことは考えずに、ここに 来たのだった。 男は私を見つけると、少しからだを起こし、ポケットに手を突っこんだ。もちろん私は、上着 部のなかで、レエモンのピストルを握りしめた。そこでまた、彼はポケットに手を人れたまま、あ まぶた 彼の半ばとじた瞼 とずさりして行った。私はかなり離れて、十メートルばかりのところにいた。 , の間から、時どき、ちらりと視線のもれるのが、わかった。でも、ひっきりなしに、彼の姿が私 の眼の前に踊り、燃えあがる大気のなかに踊った。波音は正午よりもっともの憂げで、もっとお だやかだった。ここにひろがる同じ砂のうえに、同じ太陽、同じひかりがそそいでいた。もう二 時間も前から、日は進みをやめ、沸き立っ金属みたいな海のなかに、錨を投げていたのだ。水平 線に、小さな蒸気船が通った。それを視線のはじに黒いしみができたように感じたのは、私がず っとアラビア人から眼をはなさずにいたからだった。 自分が回れ右をしさえすれば、それで事は終わる、と私は考えたが太陽の光に打ち震えてい る砂浜が、私のうしろに、せまっていた。泉の方へ五、六歩歩いたが、アラビア人は動かなかっ

2. 異邦人

第 弁護士が法服を着け、大勢の同僚に囲まれて、あらわれた。彼は記者たちのところ〈行って、・ 握手した。彼らは冗談をい 0 たり笑 0 たりして、全く気楽な様子だ 0 たが、そのうちにベルが廷 内に鳴りわた「た。みんな自分の席〈戻 0 た。弁護士は私のそば〈来て、手を握り、そして、質 問をうけたら手短かに答えるように、こちらからイニシアチプをとらないように、また、その他 のことについては自分に任せてくれるように、と勧めた。 左手に、椅子を後〈引く音が聞こえ、鼻眼鏡をかけ、赤い服を着た、やせぎすな長身の男が、 部注意深く法服を折「て、腰をおろすのが見えた。それが検事だ 0 た。廷丁が開廷をしらせた。同 時に、二つの大きな扇風器がうなり出した。その二人は黒い服を、三人目は赤い服を着た、三人 の判事が、書類を手にして入 0 て来て、部屋から一段高くな 0 ている壇の方〈と、足早に歩い はげあたま ふち た。赤い法服の男は中央の肘掛椅子にすわり、眼の前に縁なし帽子を置き、小さな禿頭をハンカ チで拭くと、開廷を宣した。 新聞記者たちは既に万年筆を手に握 0 ていた。連第はみな同じように、冷然として、少々皮肉 な様子をしていた。けれども、そのうちの一人、青いネクタイをして、灰色のフランネルの服を ふきんせい 着た、大分若そうな青年は、万年筆を眼の前に置いたなり、私の方を見つめていた。多少不均斉 なその顔のなかで、私は澄み切 0 た両の眼しか見ていなか 0 た。その眼はじ 0 と私の方を食い入 るように見ていたが、は「きり言葉にし一つるものは何一つ表わしていなか 0 た。そして、私はま

3. 異邦人

異邦人 1 OS 際、あの男には魂というものは一かけらもない、人間らしいものは何一つない、人間の心を守る 道徳原理は一つとしてあの男には受け入れられなかった、といった。更に「恐らく」と彼は付け 加えた。「われわれは彼をとがめることもできないをしよう。彼が手に入れられないものを、彼 にそれが欠けているからといって、われわれが不平を鳴らすことはできない。しかし、この法廷、 についていうなら、寛容という消極的な徳は、より容易ではないが、より上位にある正義という 徳に替わるべきなのです。とりわけ、この男に見出されるような心の空洞が、社会をものみこみ かねない一つの深淵となるようなときには」それから、私の母に対する態度を論じた。検事は弁 論中にすでに述べたことを、また繰り返したが、それは、私の犯罪について述べたところより も、ずっと長かった。あまり長々しくて、しまいには、この朝の暑さを私が感じなくなったほど だった。そのうちに、次席検事はいったん言葉を途切り、一瞬の沈黙ののちに、またごく低い浸 . み入るような声で言葉をついで、「この同じ法廷で、明日は、最も憎むべき大罪、父殺しの審判 が行なわれます」といった。彼によれば、このような残虐な犯罪は想像も及ばぬほどの恐ろしい おく ものだった。検事は、人間の裁きが、臆するところなく処罰することをあえて期待する、といっ た。しかし、あの犯罪のよびおこす恐ろしさも、この男の不感無覚を前にして感ずる恐ろしさに は、及びもっかないだろうと、はばからずにいい切った。同じく彼によれば、精神的に母を殺害〕 まっさっ した男は、その父に対し自ら凶行の手を下した男と同じ意味において、人間社会から抹殺さるべ しんえん

4. 異邦人

弓き続き同じ調子で母を愛していたか、と彼は 前に、彼はなお二、三の質問をしたいといった。ー 私に尋ねた。「そうです。世間のひとと同じように」と私は答えた。すると、書記は、それまで は規則的にタイプをたたいていたのだが、キイを間違えたらしかった。彼はすっかり混乱して、 後戻りを余儀なくされたからだ。相変わらず、はっきりとした論理的脈絡なしに、判事は今度 は、五発つづけてピストルを発射したか、と尋ねた。考えた末、私は、最初一発だけ撃ち、数秒 の後、あとの四発を撃った、と確言した。「第一発と第二発とのあいだに、なぜ間をおいたので 部すか ? 」と彼はいう。もう一度、私は赤い浜を眼にし、焼けつくような太陽を額に感じた。が、 こんどは何も答えなかった。これに続く沈黙のあいだ、判事は興奮した様子だった。彼は腰をお ひじ ろし、髪の毛をかきみだし、机に肘をついて、奇態な風で、私の方に少し身をかがめた。「なぜ、 なぜあなたは、地面に横たわった体に、撃ち込んだのですか ? 」それでもなお、私は答えるすべ がなかった。判事は両手を額にあて、声までいくぶん変わりながら、「なぜです ? それを私に いってもらわなければならない。なぜなのです ? 」と繰り返した。私は相変わらず黙ったままだ にわかに彼は立ち上がると、大またに、部屋の端の方〈歩みより、書類箱の引き出しを開い た。そこから銀の十字架を抜き出して、ぶらぶら振りながら、私の方〈戻 0 て来た。そして、普 段とは違った、慄えるような声で、「あなたは、これを、こいつを知「ていますか ? 」と叫んだ。 第

5. 異邦人

第 ] 2 ) ていたようだった。何ものも何ものも重要ではなかった。そのわけを私は知っている。君もまた そのわけを知っている。これまでのあの虚妄の人生の営みの間じゅう、私の未来の底から、まだ いぶき やって来ない年月を通じて、一つの暗い息吹が私の方へ立ち上ってくる。その暗い息吹がその道 すじにおいて、私の生きる日々ほどには現実的とはいえない年月のうちに、私に差し出されるす べてのものを、等しなみにするのだ。他人の死、母の愛ーーそんなものが何だろう。いわゆる 神、ひとびとの選びとる生活、ひとびとの選ぶ宿命ーーそんなものに何の意味があろう。ただ つの宿命がこの私自身を選び、そして、君のように、私の兄弟といわれる、無数の特権あるひと びとを、私とともに、選ばなければならないのだから。君はわかっているのか、いったい君はわ かっているのか ? 誰でもが特権を持っているのだ。特権者しか、いはしないのだ。他のひとた ちもまた、いっか処刑されるだろう。君もまた処刑されるだろう。人殺しとして告発され、その 男が、母の埋葬に際して涙を流さなかったために処刑されたとしても、それは何の意味があろ う ? サラマ , ノの大には、その女房と同じ値うちがあるのだ。機械人形みたいな小柄な女も、マ ソンが結婚したパリ女と等しく、また、私と結婚したかったマリイと等しく、罪人なのだ。セレ ストはレエモンよりすぐれてはいるが、そのセレストと等しく、レエモンが私の仲間であろう と、それが何だろう ? マリイが今日もう一人のムルソーに接吻を与えたとしても、それが何だ ろう ? この死刑囚め、君はいったいわかっているのか。私の未来の底から : : : こうしたすべて

6. 異邦人

112 異邦人 そのとき、喉もとまでこみ上げて来て、私はたった一つ、これが早く終わり、そして独房へ帰っ て眠りたい、ということだけしかねがわなかった。・終わりに当たって、弁護士が、陪審員方は一 瞬の錯乱によって破滅した一人の誠実な勤め人に死刑をのそむはずはないと大声をあげ、最も確 かな罰として、既に永遠の悔恨を引きずっている一つの犯罪に対し、情状酌量を要求するといっ ていたのも、ほとんど私の耳には入らなかった。法廷は審問を中止し、弁護士は精根っきはてた 様子で腰をおろしたが、同僚がやって来て彼の手を握った。「りつばなものだ、君」という声が した。その一人は私の証言を求め、「ね、そうでしよう ? 」といった。私は同意した。 . が、あま り疲れていたので、私の賛辞には心がこもっていなかった。 ところで、戸外では時は傾き、暑さも衰えていた。耳に入る街の物おとから、私は夕暮れのな ごやかさを感じていた。われわれは、みんな、そこで待っていなければならなかった。そして、 みんなが一緒に待ち受けていたものは、私にしかかかわりのないものだ。私はまた傍聴席をなが めた。すべて第一日と同じすがただった。私は灰色の背広を着た新聞記者と、機械人形みたいな 女の視線に出会った。そのことが、訴訟の間じゅう、マリイを眼で追わなかったことを、思い出 させた。マリイを忘れたわけではないが、あまりなすべきことが多すぎたのだ。セレストとレエ モンの間に、彼女の姿が見えた。「やっとねーというかのように、小さな合図を送ってよこした。 のど

7. 異邦人

異邦人 124 れは当たり前のことだった。「そのとき、神様があなたを助けて下さるでしよう。私の知るかぎ り、あなたのような場合には、どんなひとでも、神の方へ向かって行きました」と司祭がいっ た。それはそのひとたちの権利だ、ということを、私は認めた。それはまた、そのひとたちに暇 があったことを示していた。私はといえば、助けてもらいたくなかったし、また私に興味のない ことに興味を持っというような時間がなかったのだ。 このとき、彼の手がいらいらした仕ぐさを示したが、彼はからだを起こして、その法衣の皺を 直した。やり終えると、私を「友よ」と呼んで、話しかけて来た。彼がこのように私に語りかけ るのは、私が死刑囚だからではない。われわれはすべて死刑囚なのだ、と彼はいった。しかし、 私は彼の言葉をさえぎって、それは同じことではない、のみならずそれはどんな場合にも慰めと はなりえない、といった。「確かにそうです」と彼は、同意した。「しかし、あなたはじきに死な ないとしても、遠い将来には死ななければならない。そのときには同じ問題がやって来るでしょ う。この恐ろしい試練に、どうして近づいて行けるでしようか ? 」現に、私が近づいているよう に、正確にそれに近づいて行けるだろう、と私は答えた。 この言葉を聞くと、司祭は立ち上がって、私の眼のなかを真っすぐに見た。これは私のよく知 っていた遊戯だ。私はよくエマニュエルとかセレストとこの遊びをしたものだ。たいてい、彼ら は眼をそむけてしまった。司祭もまたこの遊びをよく知っていたのだろう、私にはすぐそれがわ

8. 異邦人

を変えるべき理由が私には見つからなかった。よく考えて見ると、私は不幸ではなかった。学生 だった頃は、そうした野心も大いに抱いたものだが、学業を放棄せねばならなくなったとき、そ うしたものは、いっさい、実際無意味だということを、じきに悟ったのだ。 夕方、私に会いにマリイが来ると、自分と結婚したいかと尋ねた。私は、それはどっちでもい いことだが、マリイの方でそう望むのなら、結婚してもいいといった。すると、あなたは私を愛 しているか、ときいて来た。前に一ペんいったとおり、それには何の意味もないが、恐らくは君 人 を愛してはいないだろう、と答えた。「じゃあ、なぜあたしと結婚するの ? 」というから、そん なことは何の重要性もないのだが、君の方が望むのなら、一緒になっても構わないのだ、と説明 邦 した。それに、結婚を要求してきたのは彼女の方だから、私の方はよろこんでこれを承知したわ 異けだ。すると、結婚というのは重大な問題だ、と彼女は詰め寄 0 てきたから、私は、違う、と答 えた。マリイはちょっと黙り私をじっと見つめたすえ、ようやく話し出した。同じような結びつ き方をした、別の女が、同じような申し込みをして来たら、あなたは承諾するか、とだけきいて きた。「もちろんさ」と私は答えた。マリイは、自分が私を愛しているかどうかわからないとい ったが、この点については、私には何もわからない。またしばらくの沈黙が過ぎると、あなたは 変わっている、きっと自分はそのためにあなたを愛しているのだろうが、いっかはまた、その同 じ理由からあなたがきらいになるかも知れない、と彼女はいった。何も別に付け足すこともなか

9. 異邦人

し付け足すことがあります。この男はあなたの友人ですか ? 」とい 0 て、レエモンに尋ねた。レ 工モンは「そうだ、おれの仲間だ」とい 0 た。すると、次席検事は同じ質間を私に向けた。私は レエモンをながめたが、彼は眼をそらさなか 0 た。私は、そうです、と答えた。そこで検事は陪 審官の方〈向き直 0 て、「母親の死の翌日、最も恥ずべき情事にふけ「た、その同じ男が、つま らぬ理由から、何ともいいようのない桃色事件のけりをつけようとして、殺人を行な「たという わけです」と言明した。 部検事はそこで腰をおろした。しかし、私の弁護士は、たまりかねて、両腕を高くあげて、大声 のり を立てた。そのため、袖がさがて来て、糊のついたシャツの折り目があらわにな 0 た。「要す るに、彼は母親を埋葬したことで告発されたのでしようか、それとも一人の男を殺害したことで 告発されたのでしようか ? 」傍聴人は笑い出した。しかし検事はふたたび立「て、その法服に威 儀をつくろ 0 て、この二つの事実の間に、根本的な、感動的な、本質的な関係が存することを感 じないためには、尊敬すべき弁護人のような純真さを持たなければならない、と申し立てた。「し かり、重罪人のこころをも 0 て、母を埋葬したがゆえに、私はあの男を弾劾するのです」と、彼 は力をこめて叫んだ。この言明は、傍聴席に対して著しい効果を与えたように見えた。私の弁護 士は肩をそびやかし、額をおおう汗をぬぐ 0 た。しかし、彼自身も動揺したようだた。事が不 利に運んでいることを、私は悟った。 第

10. 異邦人

第 をした。ほんのしばらくして、疲れたな、と感じたちょうどその頃、早くもまた私を呼びに来 た。すべてがまた始まった。私は同じ部屋の、同じ顔の前に、自分を見出した。ただ、暑さだけ が一段と猛烈になっていて、まるで一つの奇跡のように、どの陪審員も、鹸事も、私の弁護士 も、新聞記者たちも、いずれも麦藁のうちわを手にしていた。若い記者も、小柄な女も、相変わ らずそこにいた。しかし、その二人だけはうちわを使わず、相変わらずものもいわずに私を見つ めていた。 部私は顔じゅうにふき出た汗をぬぐった。そして、養老院の院長の名を呼ばれるのを耳にしたと き、はじめて、いくぶん場所の意識と、自己の意識とを、とり戻した。ママンが私について不平 をいっていたか、と尋ねられると、院長は、確かに不平はいっていたが、しかし、身よりの者の 不平をいうのは、在院者の狂癖みたいなものだ、と答えた。裁判長は、ママンが養老院に入れた ということで私を非難していたかどうかを、確かめると、院長は、またそうだといった。しかし 今度はそれに何も付け加えなかった。もう一つの質問に対して、院長は、埋葬の日にこのひとが いかにも冷静だったのには驚いた、と答えた。冷静とはどういう意味なのか、ときかれた。院長 つまさき は、そこで自分の靴の爪先に視線を落とし、それから、私が、ママンの顔を見ようとはしなかっ もくと ) た、一度も涙を見せなった、埋葬がすむとママンの墓の上に黙薦もせずに、すぐさま立ち去っ た、といった。院長を驚かしたことはもう一つあった。私がママンの年を知らなかったと、葬儀 マニヤ