異邦人 - みる会図書館


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1. 異邦人

異邦人 きよう、ママンが死んだ。もしかすると、昨日かも知れないが、私にはわからない。養老院か ら電報をもらった。 「ハハウェノシヲイタム、マイソウアス」これでは何もわからない。恐らく昨日だったのだろ 養老院はアルジェから八十キロの、マラ / ゴにある。二時のバスに乗れば、午後のうちに着く だろう。そうすれば、お通夜をして、明くる日の夕方帰って来られる。私は主人に二日間の休暇 を願い出た。こんな事情があったのでは、休暇をことわるわけにはゆかないが、彼は不満な様子 だった。「私のせいではないんです」といってやったが、彼は返事をしなかった。そこで、こん なことは、ロにすべきではなかった、と思った。とにかく、言いわけなどしないでもよかった。 カ彼が実際悔みをいうの むしろ彼の方が私に向かってお悔みをいわなければならないはずだ。 ; 、 はもちろん明後日、喪服姿の私に出会ったときになろう。差当りは、ママンが死んでいないみた いだ。埋葬が済んだら、反対にこれはれつきとした事柄となり、すべてが、もっと公けのかたち

2. 異邦人

異邦人 を待って、三日間は大を預かっておくが、、そのあとでは適当に処置するのだと、私はいった。老 人は黙って私の方を見つめていたが、やがて、おやすみ、といった。老人は自分のドアを閉めた が、行ったり来たりする足音が聞こえた。そのべッドがきしきし鳴った。仕切りの壁越しに、か すかに、変な物音がしたので、彼が泣いていることがわかった。なぜだか知らないが、私はママ ンのことを考えた。しかし、翌朝は早く起きなければならない。腹もすいていなかったから、食 事をせずに寝床についた。 レエモンが私の事務所の方へ電話を掛けて来て、その友人の一人 ( そのひとには私のことを既 に話してあった ) が、アルジェ近くのちょいとした別荘で、日曜日一日を過ごすようにと、私を 招待したという。私は、もちろん大へん結構だが、実はその日女友だちと約束がある、と答え た。レエモンは直ちにそのひとも一緒に行けばいいといった。その友人の奥さんは、男ばかりの 仲間のなかに女一人でなくなるから、大層よろこぶだろう。 主人は町からわれわれのところへ電話のかかって来るのを好まない。それを心得ているから、 私はすぐに受話器を掛けようとした。が、レエモンは、ちょっと待ってくれと頼み、この招待の

3. 異邦人

異邦人

4. 異邦人

も守擘増 新潮文庫 異邦人 カ 窪田啓作訳 新潮社版 694

5. 異邦人

異邦人 の姿勢を学びとった。彼らは同族みたいな様子だが、互いに憎み合っている。一日に二回、十一 時と六時に、老人は大を散歩に連れてゆく。八年来、その道筋は変わらない。ひとはリョン街に 沿うてこの二人の姿を見ることができる。大が人間を引っぱっている。時にはサラマノ老人がっ まずいてしまう。すると、老人は大を打ち、ののしる。大はおじけて、はいつくばい、ずるずる と引きずられる。今度は老人が引っぱる番だ。大の方で忘れてしまうと、また主人を引きずり出 す。するとまた打たれ、ののしられる。そういうとき、二人は歩道に立ちどまって、互いに顔を ながめ合う、大の方は恐怖をもって、人間の方は憎悪をもって。毎日毎日がこの通りだ。大が小 便がしたくても、老人はその暇を与えない。彼が引っぱるから、スパニエル犬は、自分のうしろ したた に、点々と続く滴りをまくことになる。たまたま大が部屋のなかでやろうものなら、また打たれ る。八年間これが続いているのだ。セレストは「みじめなことだ」といつもいう。が、ほんとう のところは誰にも知られない。階段で出会ったとき、サラマノはその大をののしっている最中だ そこなめ った。彼は「畜生、くたばり損い奴」といい、大はうなっていた。私は「今晩は」といったが、 老人はののしり続けていた。そこで、その大が何をしたのか、と彼に尋ねた。彼は私には答え ず、「畜生、くたばり損い奴」とだけいった。彼が大の上に身をかがめて、何か首輪を直している ところらしかった。私は声を高めた。すると、ー振り向きもせずに、怒りを押さえた調子で、「こ いつはいつもがんばってやがる」と答えた。それから、彼は動物を引っぱって外へ出た。大は四

6. 異邦人

異邦人 134 ュの言によると、十分に読み書きができなかった。カミュはこの状況を三人称で書いている。 「彼らは五人で暮していた。祖母と、下の息子と、上の娘、その娘の二人の子どもである。息子 は唖に近く、娘は病身でもうなにも考えることができなかった。二人の子どものうち一入は、す でに保険会社で働いており、二番目のはまだ学業をつづけていた。七十歳になってはいたが、祖 母はまだこの一家を支配していた」 ( 『裏と表』 ) 。 せんばう 多くの場合貧困は、人びとに羨望と不満とを植えつける。だがカミュ一家は慎み深く控え目 うらや で、なにも羨んだりはしなかった。そして地中海のきらめく風土が彼の救いとなった。「私の少 年期を支配していた美しい太陽は、私からいっさいの怨恨を奪いとった。私は窮乏生活を送って 、また同時に一種の享楽生活を送っていたのである。私は自ら無限の力を感じていた。 : このカの障害となるのは貧困ではなかった。アフリカでは、海と太陽とはただである。さま たけになるのは、むしろ偏見とか愚行とかにあった」と、彼は一九五九年『裏と表』に新たに付 した序文のなかで述べている。ムルソーがそうであるように、彼は自然の移り行きに敏感だった はすだ。カミュと同じく幼いときに父を失ったサルトレ。、、 ノカ祖父の慈愛をうけて、いわば書斎人 として成長したのと対照的に、カミュは自然児として成長する。 カミュは、小学校で早くも優れた資質をあらわし、その才能を惜しんだ担任教師ルイ・ジェル マンは、彼に対して特別に個人教授をほどこした。ノーベル文学賞受賞後の最初の講演が本にな

7. 異邦人

異邦人 124 れは当たり前のことだった。「そのとき、神様があなたを助けて下さるでしよう。私の知るかぎ り、あなたのような場合には、どんなひとでも、神の方へ向かって行きました」と司祭がいっ た。それはそのひとたちの権利だ、ということを、私は認めた。それはまた、そのひとたちに暇 があったことを示していた。私はといえば、助けてもらいたくなかったし、また私に興味のない ことに興味を持っというような時間がなかったのだ。 このとき、彼の手がいらいらした仕ぐさを示したが、彼はからだを起こして、その法衣の皺を 直した。やり終えると、私を「友よ」と呼んで、話しかけて来た。彼がこのように私に語りかけ るのは、私が死刑囚だからではない。われわれはすべて死刑囚なのだ、と彼はいった。しかし、 私は彼の言葉をさえぎって、それは同じことではない、のみならずそれはどんな場合にも慰めと はなりえない、といった。「確かにそうです」と彼は、同意した。「しかし、あなたはじきに死な ないとしても、遠い将来には死ななければならない。そのときには同じ問題がやって来るでしょ う。この恐ろしい試練に、どうして近づいて行けるでしようか ? 」現に、私が近づいているよう に、正確にそれに近づいて行けるだろう、と私は答えた。 この言葉を聞くと、司祭は立ち上がって、私の眼のなかを真っすぐに見た。これは私のよく知 っていた遊戯だ。私はよくエマニュエルとかセレストとこの遊びをしたものだ。たいてい、彼ら は眼をそむけてしまった。司祭もまたこの遊びをよく知っていたのだろう、私にはすぐそれがわ

8. 異邦人

異邦人 山いたが、それが近いのか遠いのか、わからなかった。やがて、廷内で低い声が何か朗読するのが 聞こえた。再びベルが鳴り、 - 被告席の扉がひらかれたとき、私の方へ押しよせたのは、廷内の沈 黙だった。沈黙と、例の若い新聞記者が眼をそむけたのを確認したときの、あの異様な感じだっ た。私はマリイの方は見なかった。私にはその瑕がなかったのだ、というのは、さっそく、裁判 長が奇妙な言葉っきで、あなたはフランス人民の名において広場で斬首刑をうけるのだ、といっ たからだ。そのとき、私は顔という顔にあらわれた感動が、わかるように思われた。それは、た しかに尊敬の色だったと思う。憲兵たちは私にやさしかった。弁護士は私の手首にその手を載せ た。私はもう何も考えてはいなかった。しかし、裁判長は何もいい足すことはないかと尋ねた。 私は考えてみた。私は「ないです」といった。そのとき私は連れてゆかれた。 三たび、私は御用司祭の面会を拒絶した。、何もいうべきこともない。しゃべりたくもない。そ のうちに会うことにしよう。今私の興味を引くものは、メカニックなものからのがれること、不 可避なるものに抜け道がありうるかを知ることだ。独房が変えられた。その部屋で長く寝そべる ちうよらく と、空が見える。そして空しか見えない。その空のおもてに、昼から夜へと移る色彩の凋落をな ざんしゅ

9. 異邦人

104 異邦人 すみや それからあとは、万事速かに進んだ。法廷は閉じられた。裁判所を出て、車に乗るとき、ほん の一瞬、私は夏のタベのかおりと色とを感じた。護送車の薄闇のなかで、私の愛する一つの街 の、また、時折り私が楽しんだひとときの、ありとある親しい物音を、まるで自分の疲労の底か らわき出してくるように、 一つ一つ味わった。すでにやわらいだ大気のなかの、新聞売りの叫 び。辻公園のなかの最後の鳥たち。サンドイッチ売りの叫び声。街の高みの曲がり角での、電車 こうしてすべてが、私のために、 のきしみ。港の上に夜がおりる前の、あの空のざわめき。 それは刑務所に入る以前、私のよく知っ 盲人の道案内のようなものを、つくりなしていた。 すっと久しい以前、私が楽しく思ったのは、このひとときだった。 ていたものだった。そうだ、・ そのとき私を待ち受けていたものは、相変わらず、夢も見ない、軽やかな眠りだった。けれども、 もう何かが変わっていたのだ。明日への期待とともに、ー私が再び見出したのは自分の独房だった むく から。あたかも、夏空のなかに引かれた親しい道が、無垢のまどろみへも通じ、また獄舎へも通 じうる、とでもいうよ一つに。 被告席の腰掛の上でさえも、自分の話を聞くのは、やつばり興味深いものだ。検事と私の弁護

10. 異邦人

異邦人 6 こしうとうとした。 マリイが私を揺りおこして、マソンはうちへ戻ってしまったし、昼めしにしなければ、といっ た。私も空腹だったから、すぐに起き上がったが、マリイは朝から一度も接吻をうけていないと いう。事実そのとおりだった。私も接吻したいとは思っていたのだ。「水へ入りましようよ」マ いそなみ リイがいったので、われわれは駆けて行って、低い磯波のなかへ身をのべた。われわれはしばら く平泳ぎで泳いだが、彼女はびったり体を私にすりよせて来た。その足が私の足に巻きついてい るのを感じると、私はマリイに欲望を感じた。 われわれが戻ると、マソンが呼んでいた。大へんおなかがすいたと私がいうと、マソンはすぐ 女房に、このひとが気に入ったといった。パンがうまかったし、私の分の魚をがつがったべた。 それから肉や油で揚げたじゃがいももあった。誰もかも、ものもいわずにたべた。マソンはよく 酒をのみ、いくらでも私につ・いだ。コーヒーになると、私はいくぶん頭が重たく、しきりに煙草 をふかした。マソン、レエモンと私とは、金を出し合って、八月を一緒に海岸で過ごすという計 画を練った。突然マリイが、「今何時だか知っていて ? 十一時半よ」といった。われわれみん なびつくりした。マソンは、食事をするのがはやすぎたようだが、食事の時刻というものは、腹 がすく時刻なのだから、ちっとも変ではない、といった。なぜだかわからないが、それを聞く と、マリイは笑いころげた。マリイは少々飲みすぎていたのだと思う。そのとき、マソンが、一