寝る ! 」 ふいにカジャは立ち上がり、体に巻いた敷布をからげるようにして奥に引っ込んだ。寝台に ふとん 転がり、布団をかぶる音が聞こえる。残されたヴュティーラとカロウは、なんとなく顔を見合 わせる。 「ほらね。 : : : 失礼なャツでしよ」 ここまであからさまにならなくても、いいような気がする。カジャが従うと決めたのは、ヴ ュティーラではないのだ。 ヴュティーラだって、選べるのなら、レオンやナイザのように、自分に優しくしてくれる人 を選びたい。 「わたしなんか、あんたの三十倍も、嫌いなんだからねー、だⅡ」 寝室に向かって、そう怒鳴った。アキエの恋人でなければ、とっくにのしている。 「それなら俺は百倍だよ ! 」 じだんだ くぐもった声が返り、ヴュティーラは地団太を踏んだ。 「落ち着いて」 カロウが飲み物を渡してくれる。ひったくるように受け取ったヴュティーラは、ぐいぐいと あおった。 「くっそー」 やさ
「退く ? 」 エストウーサは笑い出した。 「だれが何を持って、わたしを退かせると ? 背後のドウミリアンが見えぬか ? 焼き滅ばし てくれるわ ! 」 かたまり ナハルーンの占い盤が揺れる。ドウミリアンが身をよじり、白い光の塊を吐き出した。 「アキエやめろ ! 」 カジャの声に、光が二つに割れて行く。まるで岩にぶつかった川の流れのように、それはヴ ュティーラたちをよけて飛び去った。 「まだ 1 つか ! 」 ナハルーンの怒気を含んだ声がし、金色のものが絶叫する。 「アアアアアアアⅡ」 滝のように緑玉色の水が溢れ出して〈それ〉の体を濡らす。 「あれはなに ? 」 紋「知るかそんなこと ! 」 のど カジャの喉が震える。アキエが苦しんでいることだけはわかるのだ。 砕 ( そんなにまでして、カジャを傷つけたくないの ) ヴュティーラはたまらなくなった。これで自分は死んでも、彼女は後悔しないに違いない。 エメラルド あふ
「ヴュティーラ」 ふさいでいるヴュティーラの頭にレオンが手を乗せる。 「うん・ : : ・」 『これは、あなたがたが持っていてください』 そんな言葉と共に託された、〈夢見る青〉。 それは約束の印だった。いっかカリス湖に戻ってきたときに、彼らに幸せをほんの少し分け ることの。 これをヴュティーラが身につけることになったのは、成り行きからだ。シヴェックが持ち帰 り、フイゼルワルドに置くのは危険過ぎる。 一つところにはとどまらずに。 彼女はこれからも旅を続ける。おそらく長い間、 るてん ( 流転 ) それがヴュティーラの一生なのかもしれない。 ( ナイザ、アキエ ) ちゃんと、会えるといし 二人とも無事に。 紋「ヴュティーラ、室内のものに触れるなよ。墜落は、二度とごめんだからな」 ほおふく レオンに言われ、ヴュティーラは頬を膨らませた。 砕 「しつれいねつ」 そしてヴュティーラは窓の外を見る。レザンティア。もしふたたびこの地を踏むことがあれ
いっか、カジャが離れていくとアキエは泣いた。 あの時の予言はヴュティーラたち自身のことではなくて、〈星〉同士の結びつきを示したも のだったのだろうか。 「なあ、ほんとに湖の底なのか ? 信じないなら結構よ、と言ったきり黙りこくったヴュティーラに、カジャが訊ねた。いつも のように食ってかからないのを見て、逆に説得力を感じたのだろうか。 「ほんとよ」 ヴュティーラはなかば無意識のように答えていた。アキエに気を取られていたのだ。 「カジャ」 いくら彼を嫌っていても、これだけは伝えなければならない。ヴュティーラは顔を上げた。 「アキエからの伝言があるの」 「アキエから ? 」 「だれです ? 」 カロウがささやくように訊ねる。ヴュティーラは〈魔女神〉の星を持つ、カジャの恋人だと 小さく答えた。 「ドウミリアン ? 」 カロウの驚きの声を耳にし、うなずきながらヴュティーラは言った。 「『お別れです』」 ドウミリアン
たずねながらも、なんとなくわかる気はした。ヴュティーラたちの体は、未来に向かって進 もうとしているのに、それを流れない時が鴉魔するのだろう。 さかま 吹き出そうとする泉をふさぐようなものだ。行き場を失った水は、泉のなかで逆巻き、やが くさ て腐るかもしれない。 「寝たほうがいいわね。あとでつらくなるのも困るし 「そうして下さい。ここに布団持ってきましよう。うちには、部屋が二つしかありません」 彼はヴュティーラが女性だからというよりも、カジャと同じ部屋ではいやだろうと気を遣っ たようだった。 いやみ もちろん、ヴュティーラも貞操の危機よりも、一晩中聞かされるかもしれない厭味のほうが 恐ろしい。 「ありがとう。そうしてもらえますか」 「もちろん」 歩きかけたカロウを、ヴュティーラは呼び止める。ずっと気になっていたことがあるのだ。 「あ、カロウ。これからは、わたしを『ヴュティーラ』って呼んで ? 」 きゅうくっ タカノヒメでは、窮屈だ。 カロウは笑った。うなずく。 「わかりました。ヴュティーラ」 ていそう
黒狼が、足元にひれ伏した。あなたの〈従者〉だとしめすように。 あのカジャが。 『乗れ ! 』 彼の声を聞いた気がした。狼が吼える。 『早くしろダナクルー ヴュティーラの中は突き動かされたようにカジャの背にまたがった。はっとしたレオンが、 ティーバの鎖をとっさにつかむ。 「フイゼルワルドの思想を教えてあげる」 ヴュティーラはカロウに言い、その言葉に狼が立ち上がった。 「守るためには、『ためらわずに斬れ』」 するどい視線をカロウに飛ばし、ヴュティーラは普段からそうしていたかのように、カジャ に命じた。 じようき 狼はヴュティーラを乗せて駆け出す。その軌跡が、白い蒸気となって吹き上がった。 ただごとではない。 「待てヴュティーラ ! 」 く ) め・ きせき
もの 「あなたがあれらを見て、感じた想は残るかもしれませんが」 カロウは足に力の入らないヴュティーラを支えている。夢の中なのに体温が伝わってくる気 がして、ヴュティーラは少し肩の力を抜いた 「来て、くれてよかった」 一人だったら、あの幻に押しつぶされてしまったかもしれない。クインティーザの消えた瞬 幻は幻のはずなのに、毒の刃よりも鋭くヴュティーラの胸をえぐる カロウがいることで、気持ちがしつかりとしてくる。余裕を取り戻し、ヴュティーラはふと 思いついて笑った。 「これはわたしの夢なんだから、あなたが〈来て〉くれたんじゃないのよね。わたしが誰かに 助けてはしいって思って、あなたを思い浮かべたから現れただけなのに」 さっそう 颯爽と現れた騎士のように感じたが、それはヴュティーラが望んだからなのだろう。 「わたしの〈存在〉はあなたの夢ではありませんよ。あなたがカリス湖ではなく、外の世界で 眠ったのならばその通りですが」 カロウは笑っている。ヴュティーラの立ち直りの早さに感心したのだろうか、あきれたのだ ろ , つか 「これはあなたの夢ですが、この湖の底に漂い出したものでもあります。起きて片づけものを していたわたしのもとに流れてきて、あなたがうずくまっていたから、心配になって声をかけ
順夏の幻も消え、一つの虹が通り過ぎるたびに、ヴュティーラは次々と過去を見た。 した 互いが殺しあう運命を知った日。嵐の夜に城を出ていったポルドウェイ。彼を慕っていたシ ヴェックがその後を追い、やがてこの夏がくる。 日の出と共に始まる、レオンとの騎馬競走に勝った日、ヴュティーラは故郷をあとにした。 十日かかって国境に辿り着き、門を出て次の町トラドに向かって。 ヴュティーラはすくんだ。 あかね 夕暮れのトラドが見える。茜と紫色の混じった空に向かって、ヴュティーラが鷹を呼んでい る。けれど、降りてくる気配はなくて。 暮れて行く空を見ても、クインティーザはいなくて。 どこにもいなくて。 目をそらしたかったが、出来ない。出来ない ! あた ヴュティーラの十六年の中でもっともつらかった瞬間を、彼女は見ていた。辺りを捜しまわ ゆが り、幾度も声を上げ、泣き出しそうに顔が歪んで、やがて泣きじゃくる自分を。 まだ、ついこの間のこと。 ヴュティーラはその場にしやがみこんだ。目だけはそらせなかったけれど、立っている力は 。な . かつ」。
ヴュティーラとレオンの言葉が重なった。レオンが、聞きとがめたように眉を上げる。 「ヴュティーラ、ワルド人にはテューナスが」 「ない人もいるんだわ。現に王女さまのわたしだって、いまクインティーザはいないんだか ら」 低く返して、ヴュティーラはカジャをにらんだ。 「こっちむきなさいよ」 「んだようるせえな」 「むきなさいよっリ」 ヴュティーラは床を踏み鳴らし、カジャの肩に手をかけた。払われそうになるのをかわし、 後ろ髪をつかんで頭を引き起こす。 痛みと怒りに、カジャの顔が赤く染まった。だがその倍はヴュティーラは憤激しているだろ ( あの敬礼の仕方 ! ) 紋特別なものだ。王立軍以外では、使われない。 ( あの時の、太刀筋 ) おそ 砕 るいじ 初めて化け物に襲われた時、王立軍との類似を感じた。 ( それから、あの剣 ) ふんげき まゆ
知る。少年のほうがヴュティーラの弟だと名乗った。 ナイザが先日テ・クラッドに連れ帰った少女の名に、 : ホウウエルが反応した。彼はふたたび 映像に現れ、リカレドと視線をかわす。 『あの娘が』 まばた はやが ふたたび係わっているのかと言いたげなボウウエルに、リカレドは瞬きほどのしぐさで早合 てん 点するなと応じる。 ヴュティーラは皇太子と行動をともにしているとナイザが説明する。彼らは、ナイザとひと ます退散することを決めたようだった。リ 男の足音が近づいてくるなか、彼らは森の奥へと消え て行く・ : 『議長、ナイザ・グランディスを助けた者は、あのレオン・ローですか』 ボウウエルが口を開いた。 『ヴュティーラがテックにいないと知り、帝国に追いかけてあの事故に遭った : : と』 事実のみを言えばそうなる。だが、リカレドはどこか出来過ぎな気がしてならなかった。 フイゼルワルド近郊で、ナイザに偶然出会ったと言うヴュティーラ。それを探しに来た男 めぐ 章が、何故、かの地で彼に巡り合うのか。 ( 〈カ〉を持っているヴュティーラ ) きこうじゅう そうとうたか 砕 〈気吼銃〉から、双頭の鷹を出現させたヴュティーラ。 「〈カ〉はやはり、呼び合うのか : : : 」