統一世界暦一一一百六年九月九日標準時間七時十七分。 それでも朝になれば、太陽の光が穏やかな静寂とともに訪れるものだーー・昨夜の出来事を幻 に変えてしまうように。 へいおん この平穏すぎる空気が、彼を不機嫌にさせているのだろう。ウォータータンクの加熱スイツ カガサワシズカ 獄チを入れながら、香ケ沢静はそう思った。 りゅうごくだに 淵ここは〈来〉。竜獄谷から直線距離で一一十五キロ程度、西に位置する。 地下をくりぬいて撼えられた居住用ポッドに、客人が一一名たどりついたのは、夜明け前、四 ころ 時半をわずかに過きた頃のことだった。香ケ沢静の作業室は移動式で、普段はキャンピング・ ーの形態をとっているのだが、監視の厳しそうな土地ではこのように変形して地中に潜 イる。身軽な一人暮らしの立場と、優秀なエンジニアならではの技術が、ともにものをいうの 香ケ沢静。男性である。それもかなりの巨漢だ。身長は二メートル以上あり、肩幅も広くた おだ まばろし
キャラバン 美潮と商隊のメイハー全員が同じ集落を本拠地としていることは、如月も知っていた。 てんりゅう この〈天竜〉という土地には、南北に三十キロ以上のびる深い渓谷がある。かって重要な水 ちかく けんごがんばん 路であった部分が、地殼の変動により大きく裂かれ、水源は失われ、堅固な岩盤と不安定な土 石が混在する谷間として生まれ変わったのだ。 長くつづく谷はところどころ崩れたりれたりしており、荒の気配が色濃く漂 0 ている。 が、そのなかでごく一部、人間が住める程度にはまともな地盤が残っている場所・ーーそこを りゅうごくだに 人々は特に「竜獄谷』と呼ぶ。 美潮たちの家族は、その竜獄谷の谷底でひそかに暮らしているのだという。 「わたしらがどうしてこんな『出稼ぎ』に出てこなきゃならないかっていったら、全部あの谷 のおかげさー 美潮は自分のぶんだけビールの栓をあけて、勢いよくジョッキに流しこんだ。 「当然、谷底にバンクなんかあるわきゃないし、戦える連中が外に出なかったら、女子供は飢 みつき え死にするしかない。 こうやって地元に帰ってこれるのも三月に一度がせいぜいってくらい ど。だけどわたしらはまだいい 自由に動きまわって好きなこともできる。暗い谷底でじっ 何も説明せずにいるのは、この大超能力者本人なのではないだろうか・ : せん
。自分自身の手で。自分ひとりのカで。 響子は現れない いつまでも近づけない。 なぜ 何故ここにいる ? ・ 疑問なら誰にでも抱ける。質問なら誰にでもできる。 誰も迎えないなら、誰も信じないなら、どうして限界を超えてまで戦いぬく必要がある ? 合理的な、自然な解決を求めて何が悪い ? 誰も見つめはしない。誰も責めはしない。 ( 負けたくない ) 獄誰のためでもなく。 淵 ( 僕が負けたくなかったんだ、如月 ) そうだ、自分という存在が。 自分が誰であろうと。自分が自分という存在であるかぎり。負けない。負けてなんかやらな ズ イ 戦うことをやめるその瞬間まで敗北は決まらない。誰に助けられるためでもなく。自分のた めの勝利を。 自分自身への勝利を。 キョウコ
「持ってんじゃなくて」 「 : : : まぎらわしい言い方しないでほしいわね」 「グラススコー。フの。ハンドに装着してる。感知器」 答えた拓己の顔は、暗がりで蒼ざめて見えた。 「感知器が壊れたら自動的にこっちのカード、警告が来るって : : : 」 「壊れたらって、あんたね どういうつもりであの相棒は拓己にこんな物を持たせたのか、と翠は疑わしくなった。試し に = ロくだけ訊いてみる。 「ちなみにあんたの相棒、このサインが出たら逃げろって言わなかった ? 」 獄「うん、言った。余ってる銃貸して」 淵「銃借りてどうすんのよ」 「省吾助けに行くんだろ、決まってんだろ " ・ そっう 「 : : : 意思の疎通ないわねえ、あんたたち」 ズ イ あねご 「変な知らせです、姉御ー 副長の矢吹がふりむき、そう告げた。 ャプキ こわ あお
たのよ」 「場所は ? こ じっと自分の指先を見つめながら、イズミが尋ねた。 「場所と時間は ? 」 「 : : : 天竜基地に、 0 時・ : ・ : 」 「あと何時間あるワこ 「・ : ・ : 一時間くらいしか」 キッ、とイズミが厳しい顔を上げた。 「 : : : わざと最後までそれを言わなかったんだな卩え、違うか卩」 獄「ご、ごめんなさい : ・ こそく 煉あやま 淵「謝ったって遅いっ ! どうせ如月の差し金なのはわかってる。あーのー姑息馬塵かっ " 】」 イズミは勢いよく毛布をはねのけ、床に片足をおろす。静は戸惑いつつ支えの手をのばした が、あっさり払いのけられた。 幻 「お願い、イズミちゃん、悪く思わないであげてね。無理だけはさせられないって、士郎ちゃ イんも・ : ・ : 」 「無理なんてつ : 言い聞かせる静に、イズミは敢と宣言する。
171 静は無言で、如月士郎の姿をじっと見つめた。ようやくわかってきたのは、彼が実はとても 傷つけられているのかもしれない : : ということだった。 「ツカサちゃんのやり方が許せないんじゃないのね。信じてもらえなかったことが辛いのね」 そっと静に言われて、如月はやや驚いたように目を上げる。 「それって、士郎ちゃんが本気になっているからだわね。今までは信じられていてもいなくて 獄も、どちらでもよかったんだもの。士郎ちゃんは何にも本気になれない人だったから」 「裏切られる気持ちにも、縁がなかったのね」 決して傷つくことはありえないと、自分の心に言い聞かせて。 まひ 麻痺した感鱆傷つかないために。 ズ これ以上、絶望しないために。 「 : : : 風間も同じことを言っていたの。士郎ちゃんを許せるだろうかって。今の士郎ちゃんと 同じ言い方をしたわ」 如月は首を横に振り、吐き出すように言った。 「師の犯した間違いもそれだ。 : : : 急ぎすぎている。俺を信じることができなかったのか
115 「・ : : ・わたしは腑甲斐ないリ ーダーだな」 ぼつんと美潮が言った。 かわい 「可哀そうだ。この子も。おまえたちも」 「俺は 利光が息を和むようにして、顔を上げた。 あねご 「だ、だけど俺はーー姉御じゃなかったら、嫌です。 : : : 姉御の気持ちわかるなんて言ったら うそ 俺、大嘘つきになるんだろうけど、でも」 でも、その悲しみはわかりたい そう一言葉にできないうちに、美潮が微笑するのを利光は見た。 獄「ありがとうね、利光」 淵ああ、俺はやつばりこの人が本当に好きなんだ。 利光は泣きたくなるほど強い思いを抱きしめた。誰よりも痛ましいのは、年をとることのな い、老いることのないサイボーグの彼女だ。 立派なことを言えるような大人の男ではないけれど、自分は。 イ「あの、俺・ : : ・」 「姉さん、逃げられました ! 誰か手引きした気配で」 せりふ 言いかけた台詞は、とびこんできた松本によって遮られた。美潮の表境か変わった。 ふが さ、ズ、
ばんつ、と派手な音をたててバンガローの扉が開いた。 「如月の部屋はここかっ卩」 獄「確かに」 せりふ すかずかと入りこんできた相手 淵そうだが、と言いかけて、如月の台詞は止まってしまった。・ は、勝手にぐるりと整った室内を眺める。 韓「よし、このぶんだといつでも出られるな。優秀だ。なんでも静が京都までつきあうそうじゃ ミないか。当然、アシは確保してあるんだろうな。はっきり言って翠はいらないぞ、うるさいだ い、いつまでそこで・ほけっと突っ イけだからな。で、あとはおまえが動けば済むだけの話だ。お 立ってるんだ卩つくづく気のきかない奴だなあっ」 「・ : : ・何があったんだ ? ー 「他に何があるんだ、【 ごめーんっリ許して ! ごめん ! 責任すごく感じてるから許してリ」 「だー、またかー 「やつばりおまえは何も考えてないっ : 省吾の声が、次元のみに消える。 そして : ・
七年前の〈崩壊〉から二か月後に、奇跡的にめぐり会えた、たったひとりの肉親なのだと けれど、と利光は言った。 「けど、お嬢さん、本当は姉御の妹じゃないんです。姉御の『娘』なんです」 キャラスンの人間でなければ知らないことだ。 サイボーグである彼女は年を取らない。いずれ娘は母親を追い越して老いてゆくだろう 美潮は自身を『姉』とり、母親であるという事実を捨てなければならなかった。いっか二 人の間に訪れる悲劇を、少しでも軽いものにするために。 獄「 : : : それも秘密なんですね ? 」 淵省吾が、静かに確認した。 うなす 利光が目を伏せて頷く。拓己は何を言ったらいいのかわからない様子で立っていた。 「わかりました。これで条件は五分五分だ」 あくまで事務的にそう告げてから、省吾はふと思いついて尋ねた。 イ「なんていうんです ? お嬢さんのお名前は」 キョウコ 「はい、あの : : : 京子さんって」 「があーんつ」 245 クライシス
キサラギ 如月に肩を貸しーーほとんどひきずりながらーー基地の外へ脱出した翠は、そこで問題の大 攻撃を恥した張本人に出くわした。 ジープのスモールライトが、・ほんやりと彼の姿を浮きあがらせている。やわらかい髯か砂ま あおむ みれになるのもかまわず、彼は車の前で、ごろりと仰向けに倒れていた。 獄「なんだか陸にあがったクジラみたいだわねー つぶや 淵翠が呟く。 ひゅ 「もう少し芸術的な比喩はないのか ? 」 不機嫌に注文をつけたのは、やはりというべきか当然というべきか、美貌の超能力少年であ イ「陸にあがった人魚姫かワこ どな ・ほそりと如月が言う。王子だろ、王子っ ! とイズミが怒鳴りつけた。 ひんし 「せめて瀕死のロミオとか白鳥の王子とか勇者とか騎士とか、そういうセンスを期待したかっ 221 びばう