( 思考なんて結局は人体の都合に従属する ) 気合いよりも、脳の問題。 おやじ 高岡尚の親父が倒れたので至急病院にかけつけなさいという話。マネージャー上山源司 が説明した。そっちもどうやら『脳の問題』らしくて、 ( いちおう俺も医者の家の子供なんだ けどそんなこと普段は凄く忘れてるし、俺が医学を勉強したわけじゃない ) 俺の知ってる範囲 で脳梗塞とか脳出血とかのケースを想定すると、それは現場の処置の早さによってかなり明暗 が違うんで、ここで考えててもわからない。 上山源司が ( いつだって手回しがいいけど今も ) 決定事項みたいに言う。 「病院の場所も聞いたんで、なんなら俺も同行するから。都内だから、クルマで、高速とばせ ばそんなにはかからん」 じゃま 「いや、あのさ源司さん、俺のプライバシーに入りすぎだろう。俺の仕事を邪魔しないでくだ さい。お願いだから」 ていねい いつもより丁寧に高岡さんが話す。 一 ) 「あんた何の権利があって、俺の身内の話を職場にばらまくの」 「スミマセン。けど、ここは帰ってくれや」 さしず ス 「俺は指図されたくないよ」 「スマンけども、高岡がプロ意識でがんばってギター弾いても、今から三年後五年後に今をふ のうこ、っそく
すぎていた。 秋もすっかり後半戦になってるのにたてつづけに台風が発生して、接近する低気圧の影響 あっさく で、俺の気管は圧搾されて余分な音が鳴る。ついでに藤谷さんは余計に悪い足をひきずるよう じびよう ぜいじゃく になる。肉体的に脆弱で、面倒が多い連中。持病のあるミュージシャンなんて契約無理だよハ ードな仕事だよ学生の遊びじゃないんだよプロだよ、って、いつだったか俺のこと迷惑そうに 言われた。前にマネージャーをやってた人間に。 あのとき藤谷さんどういう理屈で、敵にオーケーと言わせたんだったか。 ( 毎回ものすごく へりくつくし 屁理屈を駆使するひとだからもうディテールは忘れた ) 坂本君いなかったら俺できないよ音楽。いいんだそれで ? たしかそんな理屈で言ってた。 ( 卑怯 ) 当然、卑怯の一一文字はデフォルトで標準装備なの知ってるからそこには驚かないけど、音楽 いま 6 宀ら ツに対して非道だなと今更あらためて思った。 イ ラ「あっ。わかった。色で言うならば黄色じゃないんだよ、それだとヒマワリなんだよ。けどな んだかどっかに治りかけの切り傷のカサプタみたいなもの欲しいんだよ。あれつ、だめだ、ち ものすご スよっと待って物凄く俺今変になってきた ! 」 「あなたの発一一 = 口を翻訳するならば、要するに全然わかってないということ ? こ ひきよう ほんやく
「うわあ、やだな ! すみ 収録スタジオの隅で、藤谷さんがしやがみこんで苦笑いしてた。 におうだ 「司馬さん、そこで仁王立ちで聴いてたよね ? やめてよ、司馬さんの前では歌いたくない よ、ものすごく恥ずかしいよ ! 」 「こら、恩知らず。オムツかえてやったのに。俺あナオくんおっきくなったなあって、感動し てやってたんだよ」 会ったことない、ヒゲのおじさんが藤谷さんに答えてた。かなり貫禄ある太い声してた。誰 なのかは、わかんなかった。でも、藤谷さんの話し方で、たぶん業界の古株の人なんだろうな と思った。藤谷さん昔から音楽の仕事してるから、こういうことよくある。 「俺は絶対オムツかえられてないよ、そういう記憶ないよ ! でもありがとうー 「歌なんか、恥ずかしがってもしようがないだろう、のんびりしたやつだなあ。そんなだから 弟のほうが売れちまんだそ。まっ、弟あ長くもたねえだろつけどよ。ありや解散するだろ、オ ーナントカ」 れいか 「ひどいよ。司馬さん、血の温度が零下だよ」 藤谷さんが普通の声で言ってる。わはははと司馬さんて人が楽しそうに笑ってた。 そっちに近づかないで距離あけた方角に、あまり機嫌よくない顔で坂本くんが歩いていくか じゃま ら、あたしも一緒に行った。スタジオの出口近くで、他の人の邪魔にならないところで、あれ かんろく ふるかぶ
ほかの方では、井鷺先生に顔が立たないところが出てきますし、それは仁義で」 「おかしいなあ : : : なんでそんなに世界が狭いんだろ。音楽なんだよ、音楽なんて、だれだっ て簡単に触れるものじゃないの ? ほんとうに俺より優れた音楽なんか、海の水くらいたくさ んあるんじゃないの ? なんで僕と井鷺さんの二者択一に話が帰ってくるのかな。僕らがやっ てる仕事ってそんなに狭いのかな ? くだらないよ」 「センセイ、そのへんで」 源司さんが片手あげて、藤谷さんのセリフとめた。間嶋プロデューサーのお使いの人に、ペ じぎ ていねい こんと丁寧にお辞儀した。 「藤谷もこの時間、スケジュール入ってますんで、また改めて」 ぎさつぎ お時間いただいてすみませんでした、って、行儀よく作った笑顔で言って、女の人、ひきさ がってスタジオの外に出ていった。 まね とたんに源司さんが藤谷さんの頭、たたく真似した。 けんか 「すぐにホンネ言うな。弱っちいキャラでグチってつだけならともかく、マジで喧嘩は売りつ のけんな。吐かねえと我慢できねえことあれば、俺に言っとけ、敵にむかって言うな」 「俺、親切心でおせつかいなこと言ったつもりなんだけど違ってた ? 「あんたは自分の才能の売り値を下げんな。俺らに失礼だそ。スタッフ全員、あんたの音楽に
「短っー 「僕のキモチで七分」 「実質一一十一分ほど ? 」 「三倍計算はないよさすがに」 「ふうん ? 」 からだ ギター、身体の一部をとりはずして置くみたいにスタンドに残して、高岡尚、レコーディン グ・ブースからこっちがわに戻ってくる。手を洗いますと言ってコントロール・ルームの厚い 防音ドアの外に出ていった。 せがき ミキシング・コンソールにずっと忍耐強く向かってるエンジニアの瀬垣さんが「そんならポ てんしんはん クも食っとこう」と言って、椅子のキャスターころがしてテー。フルに寄ってきて、天津飯のラ みついし ップをはがした。アシスタントの三石さんに「タイシも食えば」と声かけた。ウィッスと答え たいし すみ てフルネーム三石大志が来る。スタジオの隅の席でロケーターを使うのが主な仕事で、音響の 専門学校出て就職したばかりっていうから俺のたぶん少し年上だと思う。べテランの瀬垣さん イ してい 一 ) に絶対服従みたいな態度で、テーブルの狭い角にちちこまって座った。師弟関係の構図。 ( 世 とてい 間一般の目線だと俺も藤谷さんの徒弟のポジションに見られやすい、のに俺の態度って最初か ス らそういうモードと無縁だなとそのときなんとなく思った ) あおき レコーディング・ディレクターの青木さんは早めに食事を済ませて、濃いコーヒーをすすっ みじか
てるんだかわからない。 ( というか正直なところ俺には凄く簡単にわかる科白なんだけどそれが俺とか自分自身とか以 ばうじゃくぶじん 外の人間にも通用すると思いこんで使う傍若無人なところがだめだと思う。対象に正確に伝え ること前提に使われてないと、コトバは無力だと思う ) 「つまりどういう音 ? こ 「あー、ええとねえ : : : 死ぬほどいかしたカッコイイ音をください」 「それさっきたくさん弾いてあげました」 さいげん たかおか 「うん、わかるけど。もっと際限なく弾いとこうよ。高岡君ギター弾くの好きでしょ ? よか ったね得意なものが好きなもので。幸せな人生だよねー 「はあ、そりや大好きですよ。ありがたいことに。泣くほどに」 しっ ギタリスト高岡尚、時給換算すると本当に安い仕事をしていると俺は思う。もともとこのひ とが藤谷さんに限界なしにつきあうのが、うちのバンドの良くない慣習のはじまりで、最初の 罪は深い。藤谷さんなんか甘やかしてもろくなことはない。反省とか自重とかしないタイプだ し恩は三歩目で忘れる。 ペットボトルのミネラルウォーター、白い紙コップで飲むとどうしてか不味さが二割増しだ ほっさ きかんしかくちょうざい ぜんそく と思いながら俺は喘息の発作がでないように気管支拡張剤を飲んでおく。眠くなってきて、微 妙に頭痛がしはじめたから、スタジオの外は雨かもしれない。壁掛け時計を見たら午前二時を かんさん せりふ じちょう