を、わたしは見ていた。 ならく 彼の立っている舞台は、遠すぎる天国。わたしたちは、その下の奈落にいる。 はたち わたしと三つ編み女の間に入ってくれたショートの金髪のひとは二十歳で、名前はカリンだ った。オーヴァークロームの全国ツアーをほとんど全公演、追いかけていた。あなたもいつも いるよね、と言われた。 「カワイイから気になってたんだよ」 そんなふうに言ってくれるひとだった。 わたしはハナと名乗った。 サヤカ 清花という名前は、清潔すぎて、なんとなく嫌だった。 十四歳だと言うと、エー、そんな若いのに一人でツアー追っかけてたの、ハナちゃんオトナ っぽいね、しつかりしてるね、とカリンの仲間たちにおどろかれた。 ン一人は大変だから助けあおうよ、とカリンが言った。 = あまったチケット流したり、安い宿にみんなで泊まったりできるよ。 ダじゃないと、きつついじゃん。 ア 「ほっといたって、きつつい思いさせてくれるオトコだし ? こ カリンが言った。仲間が笑った。 きんばっ
欲しいものを言いな。 さあ。 死ぬ前に。 ( 彼にあやつられて、客が一斉に答える ) オーヴァーサイト・サイバナイデッド・クローマティック・。フレイドフォース。 ( 彼が創出した、機械仕掛けの ) ( 天国の、名前 ) あア。 そうだろ。 唇で、桐哉が笑った。すべてを、蔑む笑いだった。 こんなモンでも喰えるなら喰っちまえ。 骨まで全部齧ったら、 ン サヨナラだ。 せいそう ン会場がすっかり明るくなって、場内の清掃が始まっても、その晩はあちこちでいつまでも大 ア 勢の黒い服のひとが泣きやまずにいた。カリンの仲間もそうだった。チラシの散らばる汚い床 順につっぷしてルイさんがわんわん泣いた。カリンが彼女の背中をなでた。 かじ
んな彼女とつるんでいる自分たちに一種の誇りも抱いていた。それは、世界が世界であるよう に、自然なことだった。 空が空であるように。 「有栖川ねェ」 ある晩、仲間と電車がわかれて、わたしと二人きりになって帰る真夜中、カリンがぼつりと 一一 = ロった。 わたしと話すとき、カリンは彼のことをあまりマヒロと呼ばなかった。それがたぶん、カリ ンの気遣いだった。 わたしはその日のライブのせいでまた最低に気分が悪くなっていた。電車に酔って、その場 で吐かないように、内心必死になっていた。 「約束、あるんだって。オーヴァークローム結成するときに、桐哉が、自分の音楽に有栖川の もら 腕を貰うかわりに、なんでも欲しいものをくれてやるって言ったんだって。それで、有栖川は ン 『あなたの死ぬところを見たい』って言ったんだって」 「シヌトコロ ンわたしは復唱した。 ア なにいってんだろうと思った。 おかしい。
110 「カワイイねえ ! 怒っていたのをすぐ忘れて、ルイさんと仲間たちが手を握りあって言った。それに、ちよお じだんだ かっこよかったのうつ、とルイさんが地団駄を踏んで、つけたした。 「桐哉、ひとりだった ? こ いっしょ 「なんと、マヒロ様が一緒だったのよ : : : 」 「ぎやリわっけわかんないつ、あいつら何やってんの、ふたりでおでん食うなよ ! 「マネージャーより立場弱いからマヒロ」 「スタッフより便利な男だからー はいた 「排他的だから」 ひま 「暇だからー ヒマなら電話欲しいんですけどー、とカリンが煙草をふかしながら苦笑いで言った。 イ間が笑った。 わたしも、そうした。 ( わたしたちの短く、ささやかな日常 ) ステージで、桐哉が倒れた。 わたしは、会場のずっと後ろで、人の熱の背後で、それを見た。
平然と、おちついていた。 「うん、マヒロにそう伝えとく カリンが一 = ロった。 からだ ( わたしの身体がそのとき震えたのはなぜだったのでしよう ) あかないと思っていた穴が、目の前に、急にあいた感じだった。 さかな 「ダメダメえ、言っちゃ絶対だめ ! 逆撫でしちゃったらやばいよ、だめだよー けっそう 血相を変えてルイさんがカリンに言った。 カリンの仲間たちは知っていた。 カリンは、『マヒロ』と直接に関われる身分を、手に入れていた。 ( 女のファンがそうやって彼らの近くまで行くときは ) 性的な匂いがした。 ンわたしは不快になった。 はんば = けれど、中途半端な感情だった。 ダカリンのことを好きだったからだろう。 ア「あー ハナちゃん、なんでもないよ。あたしなんか、ショポイの。二軍だよ二軍。マヒロの 携帯号もらってるだけ。たまーに、他に女がいないとき思いだしてくれるだけ。それが精一 にお
108 「いくら桐哉でも、サヨナラなんて言ったの初めてだよ」 ひど 「酷いよ」 「あたし、もう、今日は、桐哉のこと嫌いになっちゃったあ ! ルイさんが涙声で言った。 「じゃなきや耐えらんない。あたしが耐えらんない。もうやだー」 「舞台裏、何かあったんじゃないの」 「今日マヒロどうだった ? 普通だった ? 「マヒロも機嫌悪くなかった ? 」 「かんべんしてよー、マジでー」 わたしは彼女たちの声をききながら、温度が冷めたライブハウスの真ん中に、ぽかんと立っ ていた。 会場の後ろの壁際に、ひとりで立っている女がいた。彼女は、わたしたちと違っていた。楽 器やモニタースピーカーが撤去される最中のステージを、ずっと見上げていた。 ステージの上では、おそろいの e シャツを着たアルバイトの連中が左右に行き来していた。 もう、どこにも眩しい光はなかった。 うわさばなし わたしはそのひとの名前を知っていた。カリンの仲間たちがときおり、噂話に名前を出す女 だった。アユミ まぶ てつきょ
あきら しかたないことのように諦め顔で笑った。 わたしたちはたやすくお互いの心を共有し、連帯していた。 あの男のおかげで。 テン・プランクサイジョウアカネ 「《 e 》の西条朱音になりたいナアー」 「なりたいネエー」 「なんで ? 桐哉と関係あんの ? こ 「うそ、いまごろなに言ってんのニ。フッ 「マジカノだったらあんな扱いじゃないよ。妹系でしよ、かわいがってるんでしょ 「だからあ、その立場がいちばんいーんじゃん、ラクだよー。マジだったら重たいよ」 「でもけっこーみんなよく一緒に見てるよねえ。連れまわってるよ」 「たまに、仕事してんのか、あっちと会う機会っくってんのかわかんないもん」 こ、つしこん′」う 「もともと公私混同ばっかだよ、あいつ」 「桐哉だからしようがないよ」 「桐哉だから」 「なにしろ桐哉だから」 始発電車を待つまでの深夜のファミリーレストランで半分眠りながら、カリンの仲間たちは 愉快そうに、そんな話をした。
126 「うそオッ、あの子なんでいんの、ハナ」 わたしの耳に、どこかで吐かれたコトバが、鋭く当たってきた。 「よく平気な顔してライブ来れるよねー 「殺されるんじゃないの すきま わたしは顔をあげた。いくつかの鋭い視線の隙間をくぐった。ひさしぶりだった。チケット を握り、コンサート会場のゲートを通った。わたしを待っている、真っ黒い天国。一晩の死を 味わいに集まってくる客。人々の頭ごしに、高い位置に灯る照明。三時間後には残骸と化すだ ならく ろう舞台。乾燥した空気。みんな何を求めて何が望みで、奈落で待つのか、いつまでたっても わたしにはわからない。 「どうして来たの ? こ その日、会場でただひとり、わたしに話しかけた人がいた。 アユミたナ 友達でも仲間でもないのに、わたしたちは、おたがいを知っていた。 奇妙に、知りあっていた。 とも ざんがい
100 杯。桐哉とは全然、何も接触ないし。あのふたり、プライベートは遠いからー カリンが笑いながら言った。さみしい笑顔だった。 ( 愛なんて信じるのは愚かです ) ださん だいしトでつ ( 打算は愛の代償行為です ) けつ。へき わたしは潔癖だった。カリンは、わたしのそういう性格を先回りしてわかっていた。勘がよ かった。カリン自身のなかにも、わたしと似た潔癖さがあったのかもしれなかった。 「わたし」 わたしは、と言いかけた言葉は、途中で、飲みこんだ。 ( あのひとの歌をわたしは ) ( わたしの住んでいるところには彼が ) 彼の歌を。秘密の側面を。 ( 一一 = ロってはいけない : うらやましいな、とわたしはカリンに言った。カリンは複雑な笑い方をした。ハナちゃん可 愛くてスキよ、と言われた。 しばらく彼女たちとライブの会場をめぐるうちに、カリンの仲間たちが、裏ではカリンに嫉 妬していることもわかった。カリン自身がショポイと言う彼女の特権に嫉妬して、同時に、そ かん しつ か
した。 そんな難解な言葉をわたしたちに与える桐哉に、罪があると思った。 「大丈夫 ? 気分悪い ? 」 わたしの隣に立っていた、わたしより年上のおねえさんが、わたしの腕をつかんで言った。 曲間の、ざわめきのなかだった。 ( わたしの気分はいつも悪かった ) いつだって吐きそうだった。でも、そのせいで立っていられないのではなかった。 「こうやって聴きたいんですー けしよ、つ わたしはそう答えた。すると、黒い服を着て美しい化粧をした相手は、わたしの言葉が凄く うか 9 良く伝わったようすで、頷いた。 「きつくなったら言いなよー」 ほほえ そう優しく言われた。わたしたちは、微笑みあった。痛い、重い波が次に来るまでの間、 すき なんばせん 瞬だけの隙に、生存を確認しあう難破船の仲間だった。わたしは、自分の肩を両腕でつかん で、丸いアルマジロになって、床にちちこまって次の歌を待った。 エレクトリック 機械仕掛けの、つめたい騒音がわたしたちのいる箱を満たした。 ( エレクトリック・ローゼス ) それが曲の名前だった。