詐欺師 - みる会図書館


検索対象: 僕たちの背に翼はない
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1. 僕たちの背に翼はない

し取ろうと努めてきたどんな風景よりも、目の前の少年の方が 輝かしく美しい。 30 く頼りなさげな表情が。 強気な言動と裏腹に、ときおりその整った顔をよき、る、はかな そして、心に焼きついて、どうしても離れようとしないのだ。 大な謎を内包して、何食わぬ顔で微笑んでみせるその姿が。 気になって仕方なかったのだ。まだほんの子供のくせに、巨 を極めるためまっすぐに突き進んでいくその姿が。 ばかりの自分と比べて、 ( たとえ法律に違反していても ) 職業 まぶしかったのだ。不本意な生き方を強いられ、迷い悩んで ドックスの向こうにある。 どこまで信じたらいいのか ? 」という昔ながらの嘘つきのパラ 真実はすべて、「『私は嘘つきだ』と言っている人間の言葉を としない。 何が真実かなんて、わからない。アステイも教えてくれよう かもしれない。 家の子弟のように見える」ことがすでにプロの詐欺師の技なの しかしもちろん、アスティ自身が明言しているように、「良 美術に対する造詣の深さ。見え隠れする教養。 のではないかと思わせられることが何度もある。品の良い容貎。 そのチンピラの顔こそが見せかけで、本当は裕福な生まれな 慣れているふてぶてしいチンピラの少年。 詐欺を生業とし、カードのいかさまが上手で、年齢の割に世

2. 僕たちの背に翼はない

思い出す。 今のテランスを見たら、アスティはどんな言葉をくれるだろ 空を見上げるのを止め、着実に地面を歩き始めたテランスを 平価してくれるだろうか。 それとも、詐欺師の約束を真に受けて、それを心のよりどこ ろに生きている彼のことを嗤うだろうか。 つ。 一三ロ あんたが有名な画家になったら、顔を見に来るよ。 その約束を何より大切に抱きしめているのだ、月日が流れた 今でも。 60

3. 僕たちの背に翼はない

第 2 章孤独に届く刃 ポール・ドルべースはテランスのアトリエに出入りする依頼 主の中でも、最も紳士的な外見の男だった。年のころは五十歳 前後。豊かな茶色の髪は常に流行の型にセットされている。色 素の薄い瞳には知的な光が宿り、厚めの唇をかすかに開いて微 笑む顔はチャーミングそのもの。無駄な贅肉のない体に、仕立 ての良いスーツがびたりと合っている。 ドルべースはイギリスで鳴らした腕利きの詐欺師だと、テラ ンスは他の依頼主から聞かされた。魅力的な物腰も商売道具の ーっなのだろう。 当時のパリは、全面的なフラン安のおかげで、外国人にとっ て暮らしやすい街だった。そのためサン・ジェルマン・デ・プ レ辺りを中心に、大勢の外国人が住みついていた。ドルべース はもつばら、そういった外国人を相手に詐欺を働いているらし い。 ドルべースは、弟子だという、十七、八歳のやせっぽちの少 年を伴っていることが多く、やがて金や物のやり取リについて はその少年を代わりにアトリエに寄越すようになった。 テランスは、アスティと呼ばれているその少年に注意を払っ たことはなかった。 そもそも裏世界の人間には興味がなかった。贋作を描くのは 単に生活費を稼ぐ手段であって、それ以上ではない。いつか逮 14

4. 僕たちの背に翼はない

第 6 章失われた面影 二十代の体力は伊達ではなく、一晩眠ったテランスはすっか り回復した。迷いを振り捨て、目前の仕事に全力で没頭した一 ーオランダ画家の絵を偽造するという、いつもながらの非合法 な仕事だったが。 完成したフェルメールとハルスの絵を受け取りに来たのはア スティではなく、珍しくも詐欺師ポール・ドルべース本人だっ た。表情に出さないよう努力したが、テランスは非常に落胆し ぐ えラ る 与テ え をて と 定な なと よ 確の も 明も うな て 鋭 な事 恋そ っ ら仕 まの た造 想肩 て偽 く画 く感 巻の た絵 渦そ 会け 中来 イめ 胸以だ テた のてん スの 分っ苛 アそだ自まを しス リし きみが欲しい。ああ、こんなにも、欲しくてたまらないんだ。 居ても立ってもいられないほど。渇望でこの身が焼け落ちて しまいそうなほど。 もちろん理解している。決して遂げられない想いだというこ とは。 5 1

5. 僕たちの背に翼はない

んだろ、あんたも ? 甘いんだよ。どんな世界だって、一流にな ろうと思ったら、努力と研究か不可欠だ。俺は一流の詐欺師に なるぜ。今はまだガキだから、やれる役柄も限られてるけど ・・・大人になったら誰にも負けない。世界へ打って出て、稼き、 まくってやる」 その声、表情ににじみ出る熱意は、まき、れもなく本物のよう に思われた。 世間の基準からすれば熱意の方向性が間違っているのだろう が、テランスはただ、少年のひたむきな生き方を好ましく感じ、 微笑んだ。 「だからきみは絵にも詳しいのか。勉強したんだね、それも」 「ああ。あんたにいろいろ教えてもらえて、ためになるよ」 「絵に詳しいのは仕事のためだけ。本当は絵なんて好きでも何 でもない。 ・・・そういうことかい」 「そういうこと。あいにく育ちが悪いんでね。高尚な趣味は持 ち合わせてないのさ」 テランスは息を深く吸い込んだ。 「きみが今言っているのは・・・・・・本当のこと ? それとも、嘘 ? 」 こちらへ向かって挑戦的に微笑み返す少年が、まるで天上の 存在のように思えて、テランスはつかの間呼吸を忘れる。 「本当のことなんか言うわけないだろ。俺はプロの嘘つきだ ぜ ? あんたが見ている俺は、俺があんたにそう思わせたいと これまで目にしてきたどんな自然の美。彼がキャンバスに写 ああ、綺麗だ、とテレンスは感じた。 思っている俺さ」 29

6. 僕たちの背に翼はない

アスティの今の居所をテランスが知らないのは本当のこと だったが、相手は「知らない」という答えを額面通り受け取っ てくれる人種ではなかった。 男たちは手慣れたやり口でテランスを痛めつけた。 苦痛と恐怖に錯乱し、彼はむせび泣きながら知っていること をすべて喋った。 とは言っても、大した内容ではない。五年前に仕事を依頼さ れ、その関係で何度か会ったこと。当時アスティがポール・ド ルべースという詐欺師と一緒にいたこと。突然音信不通になり、 それ以来会っていないこと。それぐらいしか話せる事はなかっ 五年前の当時、アスティたちがパリ市内のどこに住んでいた かさえ、テランスは知らなかったのだ。 男たちは、画家であるテランスに最大のダメージを与えるた め、絵筆を持つ彼の利き手を集中的に痛めつけた。 もうこれ以上彼から引き出せる情報はないと男たちが納得 し、引き上げた頃には、彼の右手は完全に破壊されていた。 手首から先は血まみれの肉塊と化し、五指はほとんど原形を とどめていなかった。 冷たい床で、自分の血でできた血溜まりの中に震えながら横 たわっていた。肉体的にも精神的にも打ちのめされ、しばらく 体を動かす気力も湧いてこなかった。傷の痛みは気が狂うほど 激しかった。 男たちが完全に立ち去り、二度と戻って来ないと確信が持て 63

7. 僕たちの背に翼はない

し取る技術に長けていた。勉強のためルーヴル美術館でレンプ ラントを模写していた時、見知らぬ男に「その絵を売ってほし い」と頼まれたのだ。 9 かりになっていた。主に詐欺師たちだ。真作でない絵を真作と ところがいつの間にか、彼に複製画を依頼するのは犯罪者ば して悦に入っていた。罪がないと言えば、罪がない。 かせた複製画を、本物と偽って自宅に飾り、知人に見せびらか う見栄っぱりな金持ちが依頼主だった。彼らは、テランスに描 初めは、員重な名画を所有しているように見せかけたいとい テランスにもよくわからない。 依頼主の人種が変わり始めたのは一体いつのことだったか。 て売るようになった。 それからもテランスは、依頼があれば、名画の複製画を描い 腹はかえられない。 自分の絵よりも模写の方か高く売れたのは屈辱だったが、背に けれどもアパルトマンの家賃をすでに三か月滞納していた。 テランスにもそのことはわかっていた。 術家のやることではない。芸術家なら己の芸術を追求すべきだ。 金のために、他人の作品をまて描いた絵を売るなんて、芸 はるかに高い金額だったのだ。 これまで自分の「オリジナルの」絵につけられた値段より、 テランスは金を受け取って困惑した。 ばえだった。 鑑定眼のある人間でなければ本物と見分けられないほどの出来 テランスの模写は単なる模写のレベルを超えていた。よほど

8. 僕たちの背に翼はない

ぐに、イーゼ丿レに架けられたアスティの肖像画に目をとめた。 詐欺師の顔から愛想の良い笑みが消え、難しい表情が浮かび 上がるさまを、テランスはじっと眺めていた。 「この絵は・・・・・・うちの坊主ですか。モデル無しでここまで描け るとは、さすがですね、画伯」 「どうしてモデ丿レ無しで描いたとわかるんです ? 」 ドルべースはゆったりした動作で肩をすくめてみせた。 「あいつが自分の顔を絵に描かせるわけがない。手配されてい ないとは言え、いちおう法の外側を歩く人間ですからな。それ に・・・・・・あいつは人前でこんな顔はしない」 理由ははっきりしないが、ドルべースの態度に、テランスは いら立ちのようなものを覚えた。 「ときどき、なんだか寂しそうな顔をしていることがあリます よ」 きつばりと言い返した。自分でも意外なほど強い口調になっ てしまった。 「なるほど。芸術家の心眼というやつですか。しかし、失礼な がら、少し美化し過ざではないですか。そりゃあ確かに線の細 い顔をしてますがね。うちの坊主は銃で撃たれたって泣き声ひ とつあげない奴ですよ」 テランスは思わず、体の両脇で拳を握リしめていた。どす黒 い巨大な塊が胸元までせり上がってくるような感覚だった。 それは憤怒だった。人と深く関わらないのを常としてきた彼 が、生まれて初めて他人に感じる激情。 この男は、年端もゆかない少年を、銃で撃たれるような危険 に平気でさらしているのか。 今のロぶりからすると、ドルべースは少年を危地に追いやる 54

9. 僕たちの背に翼はない

ていても、人の暮らしを感じさせない。まあ、その、近い視点 から描いてるのにどこか突き放したような遠い感じが、あんた の絵の面白い所だと思うんだけどさ」 高級な紅茶による餌付け作戦が功を奏し、アスティは本当に 急いでいる時以外は、仕事の話の後で世間話につき合ってくれ るようになった。最近はいつも、打ち合わせの後、ゆっくりお 茶を飲みながら話をするのが慣例のようになっていた。 すりきれた木の床に適当に配置された、スプリングが馬鹿に なりかけている古いソフア。会話に没頭している時は、そんな ソフアさえ、優しく体を包んでくれる。 テランスは、この詐欺師の弟子とのささやかな交流によって、 自分の心の奥にある孤独感が癒されるのを感じていた。 たぶん理由は、腹を割って話すことができる唯一の相手だか らだ。お互い法律を破っている者同士、隠しごとをしなくてい いのが何よリも楽だ。贋作を描く際のこだわりや苦労なども、 おおっぴらに話題にできる。画家仲間とは決してできない話だ。 しかもアスティは魅力的な話し相手でもあった。打てば響く ような反応の良さは、とても子供とは思えない。絵画だけでな く、広く世間の事を知っている。ひどく大人びた台詞も吐く。 それでいて、子供らしく表情をころころ変える素直さも持ち合 わせているので、思わず見惚れてしまう。 「俺はプロの嘘つきだ」と公言した割には、アスティは正直 な気持ちを見せてくれている、とテランスは思っていた。ふだ ん話す色々な事に、嘘はないように思える。 27

10. 僕たちの背に翼はない

核心を突き返したつもりだったのに、アスティは皮肉な笑み を浮かべただけだった。 「俺はプロの嘘つきさ。本当のことなんて言わない。俺が、そ の美術鑑賞の教育とやらを受けているようにあんたに見えると すれば、それは俺の偽装がうまくいってる証拠だ」 そう言いながら、フェルメールの絵をイーゼルから取り上げ、 こちらへ歩み寄ってくる。あまり弁の立つ方ではないテランス が懸命に次の言葉を探っているうち、すぐ目の前までやって来 たアスティは、 「でも、俺はあんたの絵、気に入ったよ」 と真実らしい口調で言った。 いたずらっぽい表情でのぞき込まれ、テランスは自分でも理 由がわからずに赤面した。 「・・・・・・きみ、『本当のことは言わない』と言ったばかりじゃな いか ! ってことは・・ アスティは無遠慮な笑い声をあげてテランスを押しのけ、部 屋を出て行った。 テランスは動揺から立ち直れず、しばらくその場に立ち呆け ていた。 この密閉されたアトリエに保管されている彼の「オリジナル」 作品は、彼の魂の分身たちだ。彼の過去であり、未来であり、 夢であり、絶望だ そこにいきなりまっすぐ踏み込まれて、動揺しないはずがな かった。しかも相手が年端もゆかぬ子どもで一一一犯罪者でもあ るとすれば、なおさらだ。 その年、 18 ドルべースは美術品関係の詐欺を頻繁に行っている