アリストテレス - みる会図書館


検索対象: いまに生きる古代ギリシア
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1. いまに生きる古代ギリシア

を実感したようです。彼女は前掲書末の「謝辞のなかで次のようにも述べています。「具 体的な状況を鮮やかに感じ取ることの倫理的重要性を強調したアリストテレスの態度は、形 式的なモデル化や抽象的な理論化に囚われ、貧しい人々の日々の現実の生活を理解できない でいた分野において大きな貢献をなした。」 ( 同前 ) 『女性と人間開発潜在能力アプローチ』は、発展途上国において女性は貧困と女性蔑視の 文化的・宗教的伝統の中で男性よりも不利な状況に置かれていることを指摘し、そのような 女性の生活の質を向上させるための方策を、経済面だけでなく、教育水準や行動の自由など についても、具体的に提言しています。 アリストテレスは「人間は本来、政治的動物であると『政治学』の中で有名な言葉を残 しています。現代社会の、特に大都市では私生活に埋没する生き方が好まれる傾向がありま すが、アリストテレスの右の言葉は、人間性の本来のあり方を取り戻すべきではないかと、 現代人に反省を迫っているように思えます。 ヒタコラス 現在存在している学間の多くが、その起源を古代ギリシアに負っている、といわれていま す。たとえば、ピタゴラスの定理、あるいは三平方の定理を含む数理論もその一つです。 アリストテレスよりも一世紀以上前の人ピタゴラスは、「ピタゴラスの定理」で誰一人知 らない人がいないほどの有名人ですが、歴史的には彼は謎に包まれた人で、その人生の詳細 124

2. いまに生きる古代ギリシア

学間の誕生 アリストテレス 前回は名前のみ挙げて、それ以上に触れることのできなかったアリストテレスですが、今 回は彼のお話から始めます。彼は「万学の祖」と呼ばれていますが、その著作の題名を見た だけでもそれは納得できます。形而上学、倫理学、論理学、自然学、生物学、プシュケー ( 魂 ) 論、政治学、詩学と多岐にわたり、哲学、天体、動物の分類、生理学、文芸、政治、国家、 歴史と、議論の対象はとめどなく広がります。しかも、彼のとった方法は、まず対象とする 問題について先行研究、先行の諸説を広範に調査し、吟味することから始め、その後に自分 なりの考察を展開させる、という手続きを踏みます。したがって、その著作は膨大にならざ るを得なかったのですが、彼のこの方法はいまだに学間研究の基本です。アリストテレスの 自然学的著作は、現在ではもはやその分野の研究者の出発点とはなり得ないのですが、動物 を観察し、それを記述する際の正確さは他の追随を許さないという点で、対象への迫り方は しさ いまなお示唆深いものがあります。 第 9 回 122

3. いまに生きる古代ギリシア

アリストテレスが人間の社会にも生物の世界にも階層秩序が存在するという思想をもって いたことはしばしば指摘されています。支配者と被支配者とが本来的にある、という理論で す。確かに、『政治学』でアリストテレスは女と奴隷は自然によって支配される存在である と述べています。奴隷は奴隷として生まれついたのだから、奴隷であることになんら問題は ない、女は生まれながらに男に従属する存在なのだ、というわけです。私は、かねてよりそ のことに違和感を持っていました。しかし、そこにこだわっていては、アリストテレスの今 日的意義を十分に理解できないという不幸な事態に陥りそうだ、と気づいたのは、アリスト テレス哲学の研究者であるシカゴ大学教授マーサ・メスパウムの積極的な姿勢を知ったとき です。彼女は、現代社会において倫理的であるには文化相対主義の立場をとるべきではなく、 発展途上国は、ダイナミックに変化する現代社会の文化の影響を上手に受け入れる必要があ ると説き、『政治学』を引いて、こう付け加えます。「アリストテレスが述べているように、『概 して、人々は先祖のやり方を探し求めているのではなく、善を探し求めている』のである。」 (ä・ 0 ・メスパウム著、池本幸生・田口さっき・坪井ひろみ訳『女性と人間開発潜在能力アプローチ』 岩波書店 ) 書斎で哲学研究を続け、どちらかと言えば孤立した生活を送っていたメスパウムは、 一九八六年に国連大学の世界開発経済研究所 ( 本部・ヘルシンキ ) のアドバイザーに就任し、 発展途上国の間題に直面しました。この研究所の理論的指導者であるノーベル経済学賞の受 賞者アマルティア・センとの共同研究の中で、現実的に善を追求することの必要性と可能性 123 第 9 回学問の誕生

4. いまに生きる古代ギリシア

しています。もちろん個々の人の胸のうちには深い傷が癒されることなく残っていたのでし ようが、まさに便法としての記憶の消去が意思的に選ばれる必要のあることを、このアテナ イの内戦の事例は示しています。 アムネスティ・インターナショナルの扱う事例は、多種多様であるに違いありません。そ れでも、「水に流す」という行為は、妥協的という批判があり得るにせよ、よりよい未来の ために選択しなければならないこともあるのです。アリストテレスの賞賛は納得できるもの でした。 174

5. いまに生きる古代ギリシア

ソクラテスは、弟子のプラトン、孫弟子のアリストテレスとともに古代ギリシアの大哲学 者として名前が挙げられます。哲学はギリシア語のフイロソフィアに相当する日本語で、明 にしあまね 治の思想家西周 ( 一八二九 5 九七 ) が考案した語です。愛するという動詞 ph 一一 eo ( フィレオ ) と、 知を意味する名詞 soph 一 a ( ソフィア ) との組み合わせですから、知を愛すること、知への愛 というのが文字どおりの意味です。 古代ギリシア哲学はソクラテスに始まる、という言い方がされることがありますが、これ はソクラテスの前に哲学は存在しなかったということではありません。一九世紀に「ソクラ テス以前の哲学」という言葉が生まれましたが、その意味するところは、ソクラテスが人間 自身の問題である善とか美を考察の対象にする以前に、人間を取り巻く自然界に関心を抱き、 その意味を考えはじめた人たちがいたということです。紀元前六世紀、小アジアのミレトス に生まれたタレスはアリストテレスによって「哲学の創始者」と評価された人物で、「万物 の元は水であると唱えました。彼は前五八五年に小アジアで起こった日食を予告したとい われていますが、彼の観察の鋭さ、正確さを物語っています。以後、世界をいかに認識し、 理論化するかを試みたアナクシマンドロス、ピタゴラス、デモクリトスらが続きました。 ただし、ソクラテスが先人たちとは異なった新しい流れを作り出したのだから、ソクラテ ス以前、以後という表現は成り立つ、という考え方はもはや捨て去るべきだと言う意見があ ります。なぜなら、哲学者ソクラテスは突然出現したわけではなく、タレス以来すでに 一五〇年におよぶ知的、精神的な探究の運動があり、また、その精神運動の波動を受けたソ 110

6. いまに生きる古代ギリシア

な = ぃ 学飛 間翔 のす 世る 哲学、歴史学、数学、医学など、 学問の分野における 古代キリシアの偉大な文化遺産は、 現代世界かかかえる諸問題への 対処にも示唆を与える 里 OJ( 丈 渡辺崋山筆「ヒボクラテス像」 日本でヒボクラテスは、黎明期 の蘭方医・杉田玄白以来、蘭学 者にとって著名な存在で、医学 の守護神として肖像が掲げられ ていた。本作は洋学者の崋山 らしい写実的な描写で、崋山の 故郷に近い三河吉田宿の医 師・浅井完晁に贈られたもの。 ( 九州国立博物館蔵 ) ラファ工ロ作ヴァティカン宮殿・ 署名の間の壁画「アテネの学堂」。 中央の向かって左がプラトン、そ の右がアリストテレス ( ヴァティカ ン宮殿、写真提供 / W. P. S )

7. いまに生きる古代ギリシア

第肥回 政治思想・政治用語 民主政と寡頭政 アリストテレスが人間は政治的であると述べていることは、すでにご紹介しました。その 際のギリシア語は、「ポリティコン・ゾーオン、で、文字通りには「ポリス的動物という 意味になります。つまり、英語で「政治」はポリティクス、「政治的」はポリティカルとい いますが、いずれもが「ポリス」に由来する言葉なのです。もちろん、言葉は時間とともに さかのぼ 変化しますから、語源に遡ることは必ずしも意味のあることではありません。しかし、今日 の政治について考えるとき、古代ギリシアのポリスについて思いを馳せることによって、比 較という方法で現代の政治について少し距離をおいて、より大局的に評価することができる のではないかと思います。 かとう 国家の政体について、古代ギリシア人は王政、貴族政、寡頭政、民主政というように、経 験に基づきながら明確な概念を作り上げました。古代ギリシアが最盛期を迎えた前五世紀に は、アテナイとスパルタの対立が顕在化し、前四三一年からのペロポネソス戦争を引き起こ 163

8. いまに生きる古代ギリシア

だが事公けに関するとき〈タ・デーモシア、形容詞形はデーモシオス〉は、法を犯す振舞いを深 く恥じおそれる」 ( 久保正彰訳『戦史』岩波文庫、〈〉内は引用者注 ) とあります。このような言 説からは、当時のアテナイ社会において、公 ( デーモシオス ) と私 ( イディオス ) の区別が意 識され、個人の生活における自由が保障されていたような印象を受けます。公共のためにど う行動するかは個人が自由に決定できるような響きがありますが、実際には公共の生活を優 先させることが当然視されていました。 ポリスのために個人はあった、といってよいでしよう。いったん戦争で敗北を喫したなら ば、ポリスそのものが消滅することもあり、市民たちは全員死刑、女と子供は奴隷として売 却される、という運命もありましたから、ポリス存立のために尽くすことが、自分と自分の 家族の利益と直結したことは確かです。私的 ( イディオス ) という語は、今日の「私的」と はかなり意味するところが異なりました。近代的な自我など成立していない当時にあっては、 近代的な個人主義もありません。そのような古代ギリシアでは、「私的な」という語は「個 別の人間にかかわるというほどの意味でした。 まだ、基本的人権という考え方が誕生する以前で、生来奴隷として生まれた者は道具とし て扱われても当然、とアリストテレスは公言していますし、女性については、姦通の罪より も、強姦の罪のほうが軽い、といわれていました。なぜなら、姦通の場合、当事者である女 は夫に知られないように注意を払うので、生まれてきた子供の父親がたとえ夫ではなくて姦 通の相手であったとしても、それを夫に明かしたりはしない。したがって、夫の家の財産が 166

9. いまに生きる古代ギリシア

の上に登って、正しく法律に従って治め、その役目柄収賄するようなこともせず、もし 収賄した場合には黄金製の像を奉納すべきことを誓う。誓いが終わった後にそこからア クロポリスに進み、そこでも再び同じ誓いを為し、しかるのち任務に就く。 ( 村川堅太郎訳「アテナイ人の国制」『アリストテレス全集』岩波書店 ) しささか、心もとないよ一つにも田ハえます ほとんどの役職担当者が抽籤で決まるというのは、、 が、抽籤後に行われるこのような資格審査によって、不適格者はふるい落とされました。「不 適格者といっても専門の知識を欠いているとか技能の点で劣っているとかが審査されたの はたん ではなく、市民として破綻のない生活をしているかどうかが調べられたのです。税の滞納は ないか、両親を虐待していないか、兵役にちゃんと従事しているか、等々。 任期中や終了時の執務審査 審査を無事に通過して、役職に就任した者は、任期中に不正や怠慢があれば民会で不信任 され、毎月会計報告を評議会に提出し、さらに任期の終了時には厳しい執務審査を、まずは 公金の取り扱いについて、次に執務の内容そのものについて、受けなければなりませんでし た。その審査に当たる役人は、やはり抽籤で選ばれた市民でした。役人ばかりでなく、一般 市民も役人の不正を告発することができました。告発が受理されれば、民衆法廷において裁 はくだっ かれます。もし有罪の判決が出れば、軽くても罰金、財産没収、さらに市民権剥奪や死刑と やくめがら 154

10. いまに生きる古代ギリシア

婦ィリヤを演じ、カンメ映画祭主演女優賞を受賞しました。首都アテネから七キロ南西の港 湾都市ピレウスを舞台とした映画で、明るくおおらかなイリヤと青いピレウスの海は、たい そう魅力的でした。この映画のおかげでギリシアへの観光客が飛躍的に増大したそうです。 美しく、気取らないイリヤを崇拝する男たちがたくさんいるなかで、浮いていたのは、ア メリカからやって来た教養豊かなホーマー ( ホメロスの英語名 ) でした。彼は哲学の愛好者で、 ソクラテス、プラトン、アリストテレスを崇拝しているインテリで、出会った瞬間にイリヤ あが に魅了されます。彼女を女神と崇めるホーマーは、古代ギリシアについて何もこだわりのな いイリヤ、ギリシア悲劇もすべてハッピー・エンドにして物語るイリヤを教育し、商売を止 めさせようとしますが、結局、ホーマーのもくろみは失敗し、それどころか、彼自身も古代映 ギリシアなど知ろうともしないピレウスの男たちの仲間に加わり、一緒に歌い、踊ることに の 代 なります。 現 娼婦たちに部屋を貸し、売春の元締めをしていた男が、かねてから家賃の値上げを女たち プ に通告していたのですが、値上げ反対の女たちは、ピレウス港に大型船が入港し、多数の船 ゲ 員たちが娼婦を求めてやってきたとき、客をとらず、家に閉じこもって抵抗したため大騒ぎ となり、留置場送りとなります。そこで家主とイリヤの交渉の末、家賃の値上げは小額で収 映 回 まり、娼婦たちはまた商売を始めるのですが、この場面はアリストフアネス作の『女の平和』 第 を思い起こさせます。ただし、映画では家賃値上げに反対する娼婦たちのストライキですが、 古代ギリシアの喜劇では、ペロポネソス戦争を終結させるために女たちが夫にセックス・ス