のポリスの説明ですから、現実のポリスがこのとおりであったわけではありません。それで もどのポリスにも共通していたのは、絶対的な権力をふるう王や君主が存在しないというこ せんしゅ とだった、といってよいでしよう。時たま僭主と呼ばれる独裁者が出現しましたが、これは 一種の時代の鬼っ子。その支配は長続きしませんでした。その統治は一代限りか、せいぜい 二代程度しか続きませんでした。支配されることを好まない市民たちによって倒されたから です。このような、他者に人格的、経済的に支配されない仕組みをもつ国という考え方を考 案し、それを実現させた点には、現在の私たちの共感を呼ぶものがあります。 ポリスの誕生と特質 いま説明したような特質をもっポリスが誕生しはじめたのは、紀元前八世紀の前半でした。 そう、ちょうど前回お話しした古代オリンピックが始まった頃です。この前八世紀半ば頃の ギリシアは、精神の覚醒を告げるような現象が次々に起こります。前回述べたオリンピック の開始をはじめ、ポリスの誕生、ギリシア文字の考案、ギリシア人の海外進出、等々。これ らを順を追ってお話ししていきますが、これらの現象は相互に関係しあっていて、どちらが 先かどちらが後か、というのもむずかしいものがあります。しかし、このような現象を促し たのが何かというと、それははっきりしているといってよいでしよう。つまり、オリエント 世界との交流の再開です。 ギリシアは紀元前一二世紀から大きな混乱期を迎え、それはしばらくのあいだ、具体的に かくせい 23 第 2 回ポリスと市民の実像
第 2 回 赤リスと市民の実像 都市国家ポリスの特質 前回は古代オリンピックについてお話ししましたが、そのとき、このオリンピックが全ギ リシアを挙げての祭典で、参加者たちはギリシア世界の各地からいくつもの国境を越えて集 まってきた、と申しました。また、戦闘状態にある国どうしも祭典開催の期間は休戦しなけ ればならなかった、とも申しました。この表現からお分かりのように、古代ギリシアはひと つのまとまった国をなしていたのではありません。多数の国に分かれていたのです。多く見 積もれば延べ一五〇〇前後の国が存在していたと推測されています。このような曖味な言い 方になるのは、実際に存在していたすべての国が判明しているわけではないからです。 古代ギリシア語で国はポリスといいます。このポリスは現在の世界を構成している国民国 家とはかなり性格が異なりますし、中世の封建制社会の領主が治めた国とも異なります。古 代のエジプトやメソボタミアで成立した国とも異なる、独特の特質をそなえた国でした。今 回は、古代ギリシアの国、つまりポリスがどのような性格の国であったのか、これを考えて あいまい
いきたいと思います。ポリスを知ることで、古代ギリシアについての理解もぐんと深まるに 違いありません。 ポリスは都市国家である、という説明が普通行われています。高校の世界史の教科書にも そう書かれています。そしてそれは間違いではありませんが、歴史上の都市国家も多種多様 です。最も初期の都市国家はシュメル人の築いた都市国家ですが、それは都市が国家として のまとまりを持っていました。都市国家のイメージとして分かりやすいのですが、古代ギリ シアの場合、都市がそのまま国家を形成していたわけではありません。都市は多くの場合、 城壁に囲まれていましたが、その城壁の外側には農村部が広がっていて、その両者を含めた 全体がひとつの国家を形成していました。都市部、農村部のいずれに住んでいてもポリスの 市民あるいは国民で、身分にも法制上の権利にも相違はありませんでした。ですから、ポリ スを都市国家と呼ぶ場合には、いま述べた点を考慮しながらにしていただきたいと思います。 逆に、歴史上の他の地域、他の時代の都市国家をポリスと呼ぶこともできません。それは、 ポリスには他の都市国家に見られない特徴があったからです。それをこれからお話ししまし よっ すでにいろいろな機会に述べていることですが、ポリスを構成している人々、私を含め多 くの研究者はこの人々を市民と呼んでいますが、国民と呼んでもよいでしよう。この人々が お互いに自立していて対等な立場にあり、ともに自分の国を構成しているという自覚を持っ て国を運営する、このような国がポリスでした。もちろんこれは理念あるいはモデルとして
しかし、このような市民は成年男子に限られるわけで、市民の妻や母のような女性は市民 のなかに数えられていませんでしたから、彼女たちは、政治ばかりでなく、社会的活動もほ とんどできませんでした。また、市民たちの多くは奴隷を所有し、政治や軍事に従事するた めに自分の生業を彼らに任せることもしばしばだったのです。これらの点を見落とさないよ うにしながら、ポリスの特質を理解する必要があります。また、いま例として取り上げたア テナイは、前四七八年に結成されたデロス同盟という攻守同盟の盟主になり、この同盟に参 加していた諸ポリスが納める年賦金を次第に自国のために使用したことも、その繁栄の要因 のひとっとなっていました。言い換えれば他国の富の一部を自国のものにすることでギリシ ア第一の大国となったのです。年賦金は貢租と変わりなくなり、デロス同盟は「アテナイ帝 国」となりました。 これらの点を十分にわきまえた上で、ポリス市民であれば従軍の義務を負うと同時に、自 己の才覚で能力を発揮して世の賞賛を浴びることもできたこと、そして、そのような人間こ そを望ましいとする土壌がそこに存在していたことを、指摘したいのです。なぜならば、そ うであるからこそ、彼ら古代ギリシア人は独特の文化を築き上げ、今日私たちのもとにまで それを遺産として伝えてくれているからです。 35 第 2 回ポリスと市民の実像
初期ポリスにみられる人間像 ここでは、ポリスの特徴を知っていただくために、具体的な人間像をご紹介しましよう。 それも、初期と盛期とに分けてご紹介したほうがよいでしよう。史料の残存状態からやむを 得ず、少し後の時代に成立した文字史料のなかにそれを探っていくという方法をとりたいと 思います。その史料としてへシオドスの『仕事と日』をご紹介します。 へシオドスはギリシア中央部ポイオティア地方のアスクラという小さな村でその生涯のほ とんどを送った農民でした。彼の代表作には『仕事と日』と『神統記』とがありますが、こ れらはおおよそ紀元前七〇〇年頃に書かれたものとみなされています。当時のポイオティア 地方にはまだポリスは成立していませんでしたが、誕生間もないポリスにおける農民もまた 同様の思いを抱いていたと想定して、その作品を読んでみましよう。さいわい、松平千秋氏 による日本語訳が岩波文庫に収められていますので、この農民詩人の歌から、当時の庶民の 思いを探ってみます。 像 実 へシオドスという人物の履歴や生活の背景については、彼がその作品『仕事と日』の中で の 語っていることから知ることができます。それによれば、ヘシオドスの父親は小アジア西岸 のキュメから貧困を逃れてアスクラに移住してきて農業に従事するようになった人で、アス 回 クラ村ではよそ者でした。この父にはヘシオドスとベルセス、二人の息子がおりましたが、 第 兄弟の仲はあまりよいものではなかったようです。へシオドスはベルセスに次のように言い ます。
す。鍛錬に鍛錬を重ねての競技が、金銭的な見返りではなくて、栄誉を求めてであるとギリ シア人を誇っているのです。生きていく上で何が最も重要か、その価値観が此処に語られて いるといえましよう。都市国家ポリスの特質は、このようなギリシア人の特質がその根底に あるからこそ、現実化したと考えます。 今お話ししたような特質をもっポリスの誕生については、その当時のことを明確に知るこ とは大変むずかしいのです。文字が考案される前後の頃で、文字による記録がまだありませ んでしたから、考古資料、つまり発掘で出土した資料に依拠しなければなりませんが、ポリ スの建設という抽象的な思考に基づく営みについて知ることは、なかなかむずかしいといわ なければなりません。 文字史料を手がかりにその時代の社会がわずかでも明らかにできる紀元前六世紀には、ス パルタ教育で有名なスパルタはすでに強力なポリスとしてギリシアじゅうに知れ渡っていま きざ した。紀元前五世紀に最盛期を迎えるアテナイは紀元前六世紀末に発展の兆しを見せはじめ、 この頃になってようやく、現存の文字史料は、ある程度の情報を伝えてくれるほどの量にな るのです。このスパルタとアテナイという二つのポリスが中心となって、紀元前四九〇年と 紀元前四八〇年の二回にわたり侵攻してきた東方の大帝国ベルシアの大軍を撃退するべルシ ア戦争が戦われます。この戦争について詳しいことはこの講座のテーマではありませんので お話ししませんが、興味のある方はぜひヘロドトス作『歴史』をお読みになってください。
第肥回 政治思想・政治用語 民主政と寡頭政 アリストテレスが人間は政治的であると述べていることは、すでにご紹介しました。その 際のギリシア語は、「ポリティコン・ゾーオン、で、文字通りには「ポリス的動物という 意味になります。つまり、英語で「政治」はポリティクス、「政治的」はポリティカルとい いますが、いずれもが「ポリス」に由来する言葉なのです。もちろん、言葉は時間とともに さかのぼ 変化しますから、語源に遡ることは必ずしも意味のあることではありません。しかし、今日 の政治について考えるとき、古代ギリシアのポリスについて思いを馳せることによって、比 較という方法で現代の政治について少し距離をおいて、より大局的に評価することができる のではないかと思います。 かとう 国家の政体について、古代ギリシア人は王政、貴族政、寡頭政、民主政というように、経 験に基づきながら明確な概念を作り上げました。古代ギリシアが最盛期を迎えた前五世紀に は、アテナイとスパルタの対立が顕在化し、前四三一年からのペロポネソス戦争を引き起こ 163
と断ったうえで長い演説の本論部分を始めるのですが、そのごく一部を紹介します。 も国運が隆盛であれば、自分もやがて身を救う機会にめぐまれる。されば、ポリスはゆ うに個々の市民の犠牲に耐えうるが、個人としてはポリスを犠牲にすることはできない ( 第一一巻六〇章 ) この演説よりも二年前、戦争の第一年目が終わったとき、その年の戦死者のための国葬に おいてペリクレスが国を代表して行ったといわれる有名な演説が、やはりトウキュディデス 『戦史』第二巻三五章 5 四六章に載せられています。その冒頭部分でペリクレスは、アテナ イが現在の繁栄に到るまでを振り返り、 ここに到達するまでの戦の道程は、われらや父たちがギリシアの内外から襲う敵勢を勇 敢に撃退し、かの戦にはこの地を、この戦にはかの地を得たという一々の手柄話に伝え られて、諸君はすでに熟知のこと、長々とこれを繰述べることを省きたい。しかしなが ら、われらがいかなる理想を追求して今日への道を歩んできたのか、いかなる政治を理 想とし、いかなる人間を理想とすることによって今日のアテーナイの大をなすこととな ったのか、これを先ず私は明らかにして戦没将士にささげる讃辞の前置きとしたい。 ( 第二巻三六章 ) 33 第 2 回ポリスと市民の実像
しようけい このようなフィリッポスの行為は、マケドニア人がギリシア文化に対して抱いていた憧憬 とコンプレックスとを物語っているといってよいでしよう。 ここで、マケドニア王をへレネスではないとしてオリンピックから排除しようとした側に 目を向けますと、この「ヘレネス、という語はせいぜい前六世紀になってできた言葉である ということが最近指摘されるようになりました。そうであれば、前五世紀の歴史家へロドト スが述べている「ギリシア人 ( ヘレネス ) は血を同じくし、言語も共通で、宗教儀礼や生活 ま、意外と新しく、たとえばオリン 習慣も同じである」 ( 『歴史』第八巻一四四章 ) という認識ー ピックが始まった前七七六年にはまだ存在していなかったといわなければなりません。しか まギリシアの各地から人々がオリンピアにやって来て、オリンピック競技会に も、その認識ー 共に参加するにしたがって徐々に明確になっていったと考えてよいようです。ポリスについ ては次回に詳しく述べますが、諸ポリスの市民たちはポリスの構成員としての自覚を強めて それぞれの国内整備を進めるとともに、それと並行して、ポリスの枠を超えた全ギリシア的 神域における祭典を通してギリシア人としての一体感を形成していったのです。つまり、古 代ギリシア人が自分たちはギリシア人であると自覚し、あるいは自己認識をもって抱くよう になった一体感は、徐々に形成されたものであって、その形成にはオリンピックの存在が大 きく関与していたということなのです。 現在のオリンピックも、ただ大会開催期間中の参加者の一体感の高揚にとどまらず、人類 が地球人としての自覚を共有するにまでいたることを期待したいものです。
りにされたままに甘んじていながら、他方では、個人的に一人一人のところに出かけて は、まるで父親か兄のように徳に配慮するように説き勧めて、皆さんの利益となること にんげんわざ を常に行っているということは、とても人間業とは見えないからです。 ( 訂 では、ソクラテスの言う「公」と「私。とはどのような公私なのでしようか。彼自身の言葉 から、その活動の場が政治共同体としてのポリスでも、自分自身の家 ( オイコス ) のなかで もなかったことは明らかです。公人としても私人としても生きなかったというソクラテスが 生を送った場はどこだったのでしようか 先ほどの「デーモシオス」は、デーモスの類縁語です。デーモクラティアもこのデーモス という語をその一部に含んでいることは、すでに述べました。したがって、デーモシオスと いう語が指し示す公的領域とは、市民団にかかわる領域、政治共同体としてのポリスと重な 語 るとみてよいでしよう。他方、もう一つの、「コイノス」の領域は、日常生活における様々 用 な集合活動 ( 宗教的、あるいは、村落共同体の結束を図るような ) を行うグループが共有する領域斑 想 思 でした。それは、市民だけでなく、在留外人や奴隷、女性など、アテナイに居住する人々が 治 政 構成する生活の場、つまり、住民のあいだの多様な交流、コミュニケーションが実現してい 回 た空間だったのです。それは、政治的 ( ポリス的 ) 空間でも、オイコスに相当する空間でも 第 ありませんでした。ソクラテスが活動したのは、このようなコイノスの領域だったのです。 現代社会に生きる私たちは、参政権を行使する国民として国の政治に無関心であってはな