な = ぃ 学飛 間翔 のす 世る 哲学、歴史学、数学、医学など、 学問の分野における 古代キリシアの偉大な文化遺産は、 現代世界かかかえる諸問題への 対処にも示唆を与える 里 OJ( 丈 渡辺崋山筆「ヒボクラテス像」 日本でヒボクラテスは、黎明期 の蘭方医・杉田玄白以来、蘭学 者にとって著名な存在で、医学 の守護神として肖像が掲げられ ていた。本作は洋学者の崋山 らしい写実的な描写で、崋山の 故郷に近い三河吉田宿の医 師・浅井完晁に贈られたもの。 ( 九州国立博物館蔵 ) ラファ工ロ作ヴァティカン宮殿・ 署名の間の壁画「アテネの学堂」。 中央の向かって左がプラトン、そ の右がアリストテレス ( ヴァティカ ン宮殿、写真提供 / W. P. S )
ちろん論じるテーマと内容とは異なり、プラトンの作品のような抽象的な間答とは異なり、 クセノフォンの場合はより身近で、分かりやすいと言えます。そうであるからこそなおのこ と、問答あるいは対話の方法、進め方が両者に共通しているとすれば、そこにソクラテスが 実際に採った方法をみてよいでしよう。 その対話は原則として一対一で進められます。人と人との出会いの場でこそ成立します。 納富氏の説明を引いておきましよう。 ソクラテスの対話は、けっして彼がもっ知識を相手に与えるようなものではない。むし ろ私たち一人ひとりがになう知の可能性を対話によって導き出しながら、自らの内から 実現させる企てなのである。対話とは、魂の目を向けかえるこころみ以外ではない。そ しんし うである以上、対話の言葉に自らをさらす真摯な態度こそが哲学を可能にするのであり、 たとえ「ソクラテスの対話」や「プラトンの書物」であろうと、読み手や聞き手が自ら うの その対話に参画することなくそれらを鵜呑みにしてしまうとすれば、哲学とはおよそ対 極にある、死んだ言葉、自らを見失わせる欺きの言葉にしかならない。「対話篇」をあ らわすプラトンは、こうして読者である私たちに、書き言葉への根本的な警告を書きし るしている。 ( シリーズ・哲学のエッセンス『プラトン』 Z 出版 ) 119 第 8 回哲学 - ーーソクラテス的対話法の今日的意義
ソクラテスは、弟子のプラトン、孫弟子のアリストテレスとともに古代ギリシアの大哲学 者として名前が挙げられます。哲学はギリシア語のフイロソフィアに相当する日本語で、明 にしあまね 治の思想家西周 ( 一八二九 5 九七 ) が考案した語です。愛するという動詞 ph 一一 eo ( フィレオ ) と、 知を意味する名詞 soph 一 a ( ソフィア ) との組み合わせですから、知を愛すること、知への愛 というのが文字どおりの意味です。 古代ギリシア哲学はソクラテスに始まる、という言い方がされることがありますが、これ はソクラテスの前に哲学は存在しなかったということではありません。一九世紀に「ソクラ テス以前の哲学」という言葉が生まれましたが、その意味するところは、ソクラテスが人間 自身の問題である善とか美を考察の対象にする以前に、人間を取り巻く自然界に関心を抱き、 その意味を考えはじめた人たちがいたということです。紀元前六世紀、小アジアのミレトス に生まれたタレスはアリストテレスによって「哲学の創始者」と評価された人物で、「万物 の元は水であると唱えました。彼は前五八五年に小アジアで起こった日食を予告したとい われていますが、彼の観察の鋭さ、正確さを物語っています。以後、世界をいかに認識し、 理論化するかを試みたアナクシマンドロス、ピタゴラス、デモクリトスらが続きました。 ただし、ソクラテスが先人たちとは異なった新しい流れを作り出したのだから、ソクラテ ス以前、以後という表現は成り立つ、という考え方はもはや捨て去るべきだと言う意見があ ります。なぜなら、哲学者ソクラテスは突然出現したわけではなく、タレス以来すでに 一五〇年におよぶ知的、精神的な探究の運動があり、また、その精神運動の波動を受けたソ 110
プラトン テルフォイ遺跡のアポロン神殿跡 ソクラテス 1 15 第 8 回哲学一一ソクラテス的対話法の今日的意義
ソクラテス的対話の継承 ソクラテス的対話がどのようなものか、これでお分かりいただけたのではないでしようか そして、今日からでもそれを私たちも実践できるのではないか、という思いに駆られたので はないでしようか。身近な人々とこのような対話を行うことは、自分自身にも相手にも何ら かのよい方向への変化をもたらすのではないか、という期待が持てます。実際に、このソク ラテス的対話を実践する国際的なグループが存在していることを最近知りました。 ソクラティク・ダイアローグ ( ) というドイツを中心にヨーロッパ各国で行われてい る対話による哲学的実践ですが、この場合の対話の特徴は、一人対一人ではなくて、複数の 参加者によるグループ内の対話であることです。このについては、大阪大学大学院文学 研究科臨床哲学研究室刊行の『臨床哲学のメチェ』第七巻 ( 二〇〇〇秋冬合併号 ) で知ること ができます。この定期刊行物はいまインターネットでダウンロードできます。また、同臨床 哲学研究室では医療における医者と患者とのコミュニケーションの改善のためにソクラテス 的対話を取り人れる試みをしているとのことです ( 中岡成文「医療におけるコミュニケーション と『ソクラテス的対話』」 http://www.med.osaka-u.ac.jp/pub/eth/OJI ・ l/nakaokal. html) 。この場ムロのソ クラテス的対話が、先に触れたインフォームド・コンセントと異なることは、すでにお分か りのことでしよう。医者と患者とが上下の関係に立たずに、よりよい結論に到ることを目指 して、相互に協力し合いながら対話を進めていく、という方法です。時間がかかるでしよう し、命にかかわる重病の患者、あるいはその家族と医者との立場の違いは厳然として存在し 120
アリストテレスが人間の社会にも生物の世界にも階層秩序が存在するという思想をもって いたことはしばしば指摘されています。支配者と被支配者とが本来的にある、という理論で す。確かに、『政治学』でアリストテレスは女と奴隷は自然によって支配される存在である と述べています。奴隷は奴隷として生まれついたのだから、奴隷であることになんら問題は ない、女は生まれながらに男に従属する存在なのだ、というわけです。私は、かねてよりそ のことに違和感を持っていました。しかし、そこにこだわっていては、アリストテレスの今 日的意義を十分に理解できないという不幸な事態に陥りそうだ、と気づいたのは、アリスト テレス哲学の研究者であるシカゴ大学教授マーサ・メスパウムの積極的な姿勢を知ったとき です。彼女は、現代社会において倫理的であるには文化相対主義の立場をとるべきではなく、 発展途上国は、ダイナミックに変化する現代社会の文化の影響を上手に受け入れる必要があ ると説き、『政治学』を引いて、こう付け加えます。「アリストテレスが述べているように、『概 して、人々は先祖のやり方を探し求めているのではなく、善を探し求めている』のである。」 (ä・ 0 ・メスパウム著、池本幸生・田口さっき・坪井ひろみ訳『女性と人間開発潜在能力アプローチ』 岩波書店 ) 書斎で哲学研究を続け、どちらかと言えば孤立した生活を送っていたメスパウムは、 一九八六年に国連大学の世界開発経済研究所 ( 本部・ヘルシンキ ) のアドバイザーに就任し、 発展途上国の間題に直面しました。この研究所の理論的指導者であるノーベル経済学賞の受 賞者アマルティア・センとの共同研究の中で、現実的に善を追求することの必要性と可能性 123 第 9 回学問の誕生
第 7 回映画・ アンゲロプロスと現代のギリシア映画 8 第 8 回哲学・ ソクラテス的対話法の今日的意義 : 2 第 9 回学間の誕生・ 第川回デモクラシーについて 第Ⅱ回デモクラシーについて 第肥回政治思想・政治用語 第回歴史学・ * 本文中の引用文については正確を期していますが、読みにくい漢字には適宜読みがなを付加しています。 * 古典ギリシア語の母音の長短は原則として区別していません。ただし、地名、人名については慣例に従った場合もあります。 なお、をカタカナで表記するにあたってはの音で表記しています。 ヘロドトスの復権 111 ロ 7 万 7 イ 8 * 本書は内容が放送と一部異なる場合がありますので、ご了承ください。
学間の誕生 アリストテレス 前回は名前のみ挙げて、それ以上に触れることのできなかったアリストテレスですが、今 回は彼のお話から始めます。彼は「万学の祖」と呼ばれていますが、その著作の題名を見た だけでもそれは納得できます。形而上学、倫理学、論理学、自然学、生物学、プシュケー ( 魂 ) 論、政治学、詩学と多岐にわたり、哲学、天体、動物の分類、生理学、文芸、政治、国家、 歴史と、議論の対象はとめどなく広がります。しかも、彼のとった方法は、まず対象とする 問題について先行研究、先行の諸説を広範に調査し、吟味することから始め、その後に自分 なりの考察を展開させる、という手続きを踏みます。したがって、その著作は膨大にならざ るを得なかったのですが、彼のこの方法はいまだに学間研究の基本です。アリストテレスの 自然学的著作は、現在ではもはやその分野の研究者の出発点とはなり得ないのですが、動物 を観察し、それを記述する際の正確さは他の追随を許さないという点で、対象への迫り方は しさ いまなお示唆深いものがあります。 第 9 回 122
第 8 回 哲学ーーソクラテス的対話法の今日的意義 ソクラテス・メソッド 二〇〇四年に優秀な法律家を育成するための法科大学院が各地に開校しました。この法科 大学院の教育方法のひとつにソクラテス・メソッドがあります。アメリカのロースクールで 実践されていた方法を導入したこの教育方法は、講義形式の授業ではなく、教師と学生が対 等な立場で間答を交わしながら、教師がその都度、適切な質間をして学生を誘導し、より高 度な次元の理解に到達させることを目指す、というものです。ただし、これは特に新しい方 法ではなく、既存の教育学でソクラテスの対話法として長年提唱され、実践されてきた方法 とほとんど変わりありません。そして、この方法こそが、紀元前五世紀のアテナイでソクラ テスのとった、若者たちとの、善とは何か、美とは何かについての間答 ( 対話 ) の方法をさ す言葉なのです。その方法の有効性が、現在でもソクラテス・メソッドのように認められ、 多方面で実践されているというわけです。 また、大きな病気をしたとき、たとえば手術を受けるなどという事態になりますと、イン 108
生んできましたが、そもそも、「無知の知」という言葉は、プラトンの著書には見当たりま せん。しかも、「知らないという状態の知は、いわば「高次の知」とよぶべきものですが、 それは「知ってるか / 知らないか」だけを対象とするだけで、知の内容を間題にしないので くうそ というのです。また、デルフォイの すから、たとえ可能であっても、空疎な知にすぎない、 しんげん 神殿に捧げられた「汝自身を知れ」という箴言はソクラテス哲学の核心に位置づけられてき ましたが、ソクラテス自身は、「自己を知っている」と表明することはありませんでした。 つまり、あくまで謙虚に知を追い求めつづけた、というソクラテスの姿がここに浮かび上が ってくるのです。 この納富氏の指摘は重要です。自分が無知であることを知らない人々のなかで、ただ 一人 的 ソクラテスだけは自分が無知であると知っている、というのであれば、なにやら、ソクラテ 今 の 法 スが、自分は他の無知な人間とは別の存在だと考えているように思えるのです。かって私は 話 対 的 そう理解し、「かねがねあまり好意を抱いてもいなかった、と自著に書きました ( 『ソクラテ ス テ スの隣人たち』山川出版社 ) が、そうではないことが明らかになったからです。ソクラテスは あくまでも「自分は知らないと思う、と言うのみで、「汝自身を知れという箴言にしたがい、 学 さら 哲 「絶えず自己を知に関する吟味に曝すこと ( 納富、前掲書 ) を自己に課していたのです。決し 回 て現状肯定に甘んじないソクラテス、自足を知らないソクラテスの姿がここに浮かび上がっ 第 てきました。