学間の誕生 アリストテレス 前回は名前のみ挙げて、それ以上に触れることのできなかったアリストテレスですが、今 回は彼のお話から始めます。彼は「万学の祖」と呼ばれていますが、その著作の題名を見た だけでもそれは納得できます。形而上学、倫理学、論理学、自然学、生物学、プシュケー ( 魂 ) 論、政治学、詩学と多岐にわたり、哲学、天体、動物の分類、生理学、文芸、政治、国家、 歴史と、議論の対象はとめどなく広がります。しかも、彼のとった方法は、まず対象とする 問題について先行研究、先行の諸説を広範に調査し、吟味することから始め、その後に自分 なりの考察を展開させる、という手続きを踏みます。したがって、その著作は膨大にならざ るを得なかったのですが、彼のこの方法はいまだに学間研究の基本です。アリストテレスの 自然学的著作は、現在ではもはやその分野の研究者の出発点とはなり得ないのですが、動物 を観察し、それを記述する際の正確さは他の追随を許さないという点で、対象への迫り方は しさ いまなお示唆深いものがあります。 第 9 回 122
第 7 回映画・ アンゲロプロスと現代のギリシア映画 8 第 8 回哲学・ ソクラテス的対話法の今日的意義 : 2 第 9 回学間の誕生・ 第川回デモクラシーについて 第Ⅱ回デモクラシーについて 第肥回政治思想・政治用語 第回歴史学・ * 本文中の引用文については正確を期していますが、読みにくい漢字には適宜読みがなを付加しています。 * 古典ギリシア語の母音の長短は原則として区別していません。ただし、地名、人名については慣例に従った場合もあります。 なお、をカタカナで表記するにあたってはの音で表記しています。 ヘロドトスの復権 111 ロ 7 万 7 イ 8 * 本書は内容が放送と一部異なる場合がありますので、ご了承ください。
対象を十分に把握、解明できないことを自覚し、そこから歴史学と文化 ( 社会 ) 人類学の協 力あるいは融合が図られるようになり、現在に到っています。 そのような歴史学の現在において、民族誌的叙述を大量に含んだヘロドトスの史書は、ま さに現代的であるのです。フランスの g-v ・アルトーグが言うように、ヘロドトスは二〇世紀 になって「歴史の父」となった、というのもうなずけます。 歴史研究の方法が高度化、複雑化している現状では、歴史学の困難性もますます自覚され るようになっています。各専門分野の研究者養成にも時間がかかりますし、個別の研究につ いても成果を上げるまでに時間がかかり、また即効性も期待できません。しかし、そこにこ そ歴史学が学間としての自己を練磨していることの証があります。優れた研究者養成と充実 しようび した研究環境の提供とが、焦眉の課題であり、また、それが、歴史学が今後の世界の行く末 に的確な指針を提示し、実績を広く世に示すという結果につながります。そのような現状に おいて、古代ギリシアのヘロドトスが復権したことは、歴史学が古代から現代まで一つの流 れであることを実感させてくれます。 187 第 13 回歴史学一一一ヘロドトスの復権
文書院から刊行されました。その翻訳を一瞥す れば、日本における西洋古典学は、このときす でに欧米の古典学と肩を並べるほどの高度なレ ヴェルに達していたことが、明らかです。その 後の人気は最初に述べたとおりです。高度に様 式化された形式の枠内で、人間存在の根本間題 ようしゃ が極限のところまで容赦なく暴かれ、吟味され るという、見るものに大きな重圧をかけてくる のがギリシア悲劇です。そこに、現在の人気の と「、しを - 劇理由があるのかもしれません。それが、日常生 活のなかに埋没されそうな現代人にとって、劇 場という閉鎖的であるだけに、深く解放される 空間において根源的な深部にまで降りていき、 その場に身を晒す経験のできる数少ない機会で あるからでしようか いちべっ 93 第 6 回演劇ー - プロバガンダの提示と事実の相対化
第 8 回 哲学ーーソクラテス的対話法の今日的意義 ソクラテス・メソッド 二〇〇四年に優秀な法律家を育成するための法科大学院が各地に開校しました。この法科 大学院の教育方法のひとつにソクラテス・メソッドがあります。アメリカのロースクールで 実践されていた方法を導入したこの教育方法は、講義形式の授業ではなく、教師と学生が対 等な立場で間答を交わしながら、教師がその都度、適切な質間をして学生を誘導し、より高 度な次元の理解に到達させることを目指す、というものです。ただし、これは特に新しい方 法ではなく、既存の教育学でソクラテスの対話法として長年提唱され、実践されてきた方法 とほとんど変わりありません。そして、この方法こそが、紀元前五世紀のアテナイでソクラ テスのとった、若者たちとの、善とは何か、美とは何かについての間答 ( 対話 ) の方法をさ す言葉なのです。その方法の有効性が、現在でもソクラテス・メソッドのように認められ、 多方面で実践されているというわけです。 また、大きな病気をしたとき、たとえば手術を受けるなどという事態になりますと、イン 108
第回 歴史学ー、。ドトスの復権 「歴史の父」へロドトス 「歴史学 . がかってのような影響力を失っている、と感じることがあります。というよりも、 歴史に向き合うことを避ける姿勢が、政治家や財界人の一部に見られます。過去など参考に ならないというのでしようか。とんでもない。現在の背後には、長い長い人類の歴史の流れ ル ) う・ A ソっ . が滔々と脈打っているのです。その流れを注視しなければ、現在の複雑な情勢の意味も的確 に理解できないという事態に陥ってしまいます。 他方、歴史の研究が低迷しているのかといえば、むしろその逆です。歴史研究者の営為は 地味ではあるけれども、その史料を分析し、解読する力、史料から間題を解明する能力もか ーバル化する世界において、歴史を動かす力も複雑に って以上に増強しているのです。グロ 絡み合っていることが改めて認識されたため、史実の確定と史実の意義の解明も一筋縄では いかないという思いがこれまでになく強くなっていますが、優れた研究も次々に専門誌に発 表されています。 175
は不明です。前六世紀半ばサモスに生まれ、前五三〇年ごろに南イタリアのクロトンに亡命 し、以後も南イタリアで生涯を送ったようです。 ピタゴラスはピタゴラス学派を形成していました。ピタゴラスとピタゴラス学派の学説は、 「万物は数からなる」、すなわち、世界の事物を現にあるように秩序づけ、形成しているのは 数的な秩序である、というものでした。ただし、残存する学派の文献は断片的であるため、 研究者の解釈も多様で、科学的・数学的思考の創始者とする者もいれば、それを批判して、 ピタゴラスをシャーマン的な存在だったとする者もいます。 しかし、彼の名前あるいは彼の学派の名前で伝えられた数学の概念、数学的知識が、果た して本当にピタゴラスに帰することができるか否かはここでは問題ではなく、そのような伝 承が成立し、数学的理論、概念の発展を促し、その流れを導き出したところにこそ、重要性 があると思われます。 ピタゴラスの定理の内容そのものは、前一五〇〇年頃のメソボタミアで、そしておそらく エジプトでも同様に知られていたようですが、ピタゴラス学派の関心の的は、このような理 論の実用的認識ではなく、むしろそれを一般化した形にして証明することにありました。ま さにそこに、ピタゴラスらの貢献がありました。それが学間としての定理の成立です。ピタ ゴラスとその学派、彼らの影響を受けたその後の数学者たちによって前六、五世紀に幾何学 とら は高度に発展しました。実用を目的としない、また私欲に囚われない、一貫性と合理的証明 を目指す幾何学が誕生したのです。ピタゴラス幾何学の心得があったに違いない前五世紀の 125 第 9 回学問の誕生
トンの著書を通してです。幸いなことに、現在プラトンの著作はすべて翻訳されているので、 私たちはそれを日本語で読むことができます。その著作の中で描かれているソクラテスは、 という考え方もでき プラトンの理解したソクラテスであって、ソクラテスの実像ではない、 るでしよう。この問題自体が深刻です。しかし、同じくプラトンの弟子であったクセノフォ ンによる『ソークラテースの思い出』 ( 佐々木理訳、岩波文庫 ) という本もありまして、私たち は複数の視角からソクラテスの実像に近づくことができます。もちろん、人間としてのソク ラテスその人を全面的に理解することはまず不可能です。しかし、彼が弟子に対して行った 実践方法については、かなりその全体像を捉えることができるのではないかと思います。そ 間答を通して正しい認識、新しい理解を世に送義 れがさきほども触れた対話法です。つまり、 的 り出す、ということなのです。 今 の 法 では、ソクラテスの対話あるいは間答とは何でしようか。それをまず見ておきたいと思い 話 対 的 ます。プラトン作『ソクラテスの弁明』は、ソクラテスが訴えられて、法廷で自分の立場を 述べたときの言葉を、かなり忠実に再現している、と理解されています。そのなかで、ソク ラテスはデルフォイの神託について語っています。ソクラテスの弟子の一人がデルフォイに 学 哲 と巫女 ( ピュ 出かけていって神託を伺うと、「ソクラテスよりも知恵のあるものはいない 回 ティア ) が答えたのでした。自分に知恵があるとは思えないソクラテスは、この神の言葉の 第 意味を考えあぐね、知恵があると思われる人のところに出かけていって話してみたのですが、 話してみると相手が実は知者ではないことを知り、それを彼に分からせようとしたため、か
アリストテレスが人間の社会にも生物の世界にも階層秩序が存在するという思想をもって いたことはしばしば指摘されています。支配者と被支配者とが本来的にある、という理論で す。確かに、『政治学』でアリストテレスは女と奴隷は自然によって支配される存在である と述べています。奴隷は奴隷として生まれついたのだから、奴隷であることになんら問題は ない、女は生まれながらに男に従属する存在なのだ、というわけです。私は、かねてよりそ のことに違和感を持っていました。しかし、そこにこだわっていては、アリストテレスの今 日的意義を十分に理解できないという不幸な事態に陥りそうだ、と気づいたのは、アリスト テレス哲学の研究者であるシカゴ大学教授マーサ・メスパウムの積極的な姿勢を知ったとき です。彼女は、現代社会において倫理的であるには文化相対主義の立場をとるべきではなく、 発展途上国は、ダイナミックに変化する現代社会の文化の影響を上手に受け入れる必要があ ると説き、『政治学』を引いて、こう付け加えます。「アリストテレスが述べているように、『概 して、人々は先祖のやり方を探し求めているのではなく、善を探し求めている』のである。」 (ä・ 0 ・メスパウム著、池本幸生・田口さっき・坪井ひろみ訳『女性と人間開発潜在能力アプローチ』 岩波書店 ) 書斎で哲学研究を続け、どちらかと言えば孤立した生活を送っていたメスパウムは、 一九八六年に国連大学の世界開発経済研究所 ( 本部・ヘルシンキ ) のアドバイザーに就任し、 発展途上国の間題に直面しました。この研究所の理論的指導者であるノーベル経済学賞の受 賞者アマルティア・センとの共同研究の中で、現実的に善を追求することの必要性と可能性 123 第 9 回学問の誕生
生んできましたが、そもそも、「無知の知」という言葉は、プラトンの著書には見当たりま せん。しかも、「知らないという状態の知は、いわば「高次の知」とよぶべきものですが、 それは「知ってるか / 知らないか」だけを対象とするだけで、知の内容を間題にしないので くうそ というのです。また、デルフォイの すから、たとえ可能であっても、空疎な知にすぎない、 しんげん 神殿に捧げられた「汝自身を知れ」という箴言はソクラテス哲学の核心に位置づけられてき ましたが、ソクラテス自身は、「自己を知っている」と表明することはありませんでした。 つまり、あくまで謙虚に知を追い求めつづけた、というソクラテスの姿がここに浮かび上が ってくるのです。 この納富氏の指摘は重要です。自分が無知であることを知らない人々のなかで、ただ 一人 的 ソクラテスだけは自分が無知であると知っている、というのであれば、なにやら、ソクラテ 今 の 法 スが、自分は他の無知な人間とは別の存在だと考えているように思えるのです。かって私は 話 対 的 そう理解し、「かねがねあまり好意を抱いてもいなかった、と自著に書きました ( 『ソクラテ ス テ スの隣人たち』山川出版社 ) が、そうではないことが明らかになったからです。ソクラテスは あくまでも「自分は知らないと思う、と言うのみで、「汝自身を知れという箴言にしたがい、 学 さら 哲 「絶えず自己を知に関する吟味に曝すこと ( 納富、前掲書 ) を自己に課していたのです。決し 回 て現状肯定に甘んじないソクラテス、自足を知らないソクラテスの姿がここに浮かび上がっ 第 てきました。