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検索対象: いまに生きる古代ギリシア
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1. いまに生きる古代ギリシア

として果たしたことは無効となる。宣誓は以下の者が行う、コスモスとダミオイとポリ スの二〇人。」 これは、現存する石に刻まれた最古のギリシア成文法で、法文はプウストロペドン ( 牛耕式、 つまり、右から左へ、次には、左から右へ、と文字が記される ) で書かれています。同時期のドレ ーロスについて史料は他に残っていませんので、後の時代の例から推測せざるを得ないので すが、ここにあるコスモスという役職は、同じクレタ島のゴルテュンなどのような他のポリ スにも存在した高位の役職です。ゴルテュンではこの役職は一〇名の委員からなっていまし たが、ドレーロスの場合はどうだったのか、残念ながら不明です。違反した場合、つまり、 コスモスの座に再度就いた場合、「いかなる裁きを下したにせよ」とありますから、その職 確実にいえることは、 務のなかには何か裁判に関連したものがあったとみられます。ただ、 コスモスという役職の経験者は、任期終了後一〇年間は同じ役職についてはならないと規定 していることです。つまり、多選を禁じた規定と解釈することができるのです。 前六世紀のゴルテュンの碑文でも、コスモスは離任後三年間は再任を禁じられています。 これは長期の在任が財政面や法的な特権に関して不正を生じさせることを警戒して定められ たのでしよう。ところがドレーロスの場合、三年ではなくて一〇年と大変長いのです。です けんせい から多選を禁じているのではなく、貴族たち相互のあいだの牽制だったのではないか、とい せんしゅ う解釈も出されています。たしかに、僭主の出現を防止しようという目的がこの法の制定の 149 第 11 回デモクラシーについて ( 2 )

2. いまに生きる古代ギリシア

名は、抽籤で選出されるようになると、その権威が低下しました。 現代の日本の場合、公務員は原則として公務員試験に合格した者が就任します。国家公務 員の場合、毎年、公務員の試験があり、試験は—種 5 Ⅲ種、あるいは職種別に実施されてい ます。このような試験に合格するために受験者は専門の勉強をしますから、合格した人はあ る程度専門知識を持っていることが前提となります。 ところが、アテナイの場合、公務員というのは、現在とは少々というより、かなり違って いました。そもそも公務員に相当する役職を担当するのは一般市民から選出された、いわば ' 素人が・・一・年壬期で・担当し引した。言い換えれば、市民が一年交代で役人となるシステム、と いったらよいでしようか。任期一年というのは、もちろん、腐敗を防ぐためでしたが、市民 のあいだで平等に公務を負担する、という意味もあったでしよう。アマチュアリズムが尊重 されたのです。アマチュアで大丈夫なのか、と高度に専門分化し、複雑化した社会に生きる 私たちは一抹の不安を感じてしまいます。しかし、一人前の市民であれば、役人となるだけ の素養は身に着けていて当然とみなされたようです。 デ 1 モスと若者の成長 では、その素養を普通の市民はどのようにして獲得したのでしようか。それは、アテナイ のデモクラシーの制度に由来していたと考えられます。アテナイでは、前五〇八年のクレイ ステネスの改革で、従来の村落 ( デーモス ) がポリスの最小の行政単位デーモスとなりました。 いちまっ 143 第 10 回デモクラシーについて ( l)

3. いまに生きる古代ギリシア

いきたいと思います。ポリスを知ることで、古代ギリシアについての理解もぐんと深まるに 違いありません。 ポリスは都市国家である、という説明が普通行われています。高校の世界史の教科書にも そう書かれています。そしてそれは間違いではありませんが、歴史上の都市国家も多種多様 です。最も初期の都市国家はシュメル人の築いた都市国家ですが、それは都市が国家として のまとまりを持っていました。都市国家のイメージとして分かりやすいのですが、古代ギリ シアの場合、都市がそのまま国家を形成していたわけではありません。都市は多くの場合、 城壁に囲まれていましたが、その城壁の外側には農村部が広がっていて、その両者を含めた 全体がひとつの国家を形成していました。都市部、農村部のいずれに住んでいてもポリスの 市民あるいは国民で、身分にも法制上の権利にも相違はありませんでした。ですから、ポリ スを都市国家と呼ぶ場合には、いま述べた点を考慮しながらにしていただきたいと思います。 逆に、歴史上の他の地域、他の時代の都市国家をポリスと呼ぶこともできません。それは、 ポリスには他の都市国家に見られない特徴があったからです。それをこれからお話ししまし よっ すでにいろいろな機会に述べていることですが、ポリスを構成している人々、私を含め多 くの研究者はこの人々を市民と呼んでいますが、国民と呼んでもよいでしよう。この人々が お互いに自立していて対等な立場にあり、ともに自分の国を構成しているという自覚を持っ て国を運営する、このような国がポリスでした。もちろんこれは理念あるいはモデルとして

4. いまに生きる古代ギリシア

第 7 回映画・ アンゲロプロスと現代のギリシア映画 8 第 8 回哲学・ ソクラテス的対話法の今日的意義 : 2 第 9 回学間の誕生・ 第川回デモクラシーについて 第Ⅱ回デモクラシーについて 第肥回政治思想・政治用語 第回歴史学・ * 本文中の引用文については正確を期していますが、読みにくい漢字には適宜読みがなを付加しています。 * 古典ギリシア語の母音の長短は原則として区別していません。ただし、地名、人名については慣例に従った場合もあります。 なお、をカタカナで表記するにあたってはの音で表記しています。 ヘロドトスの復権 111 ロ 7 万 7 イ 8 * 本書は内容が放送と一部異なる場合がありますので、ご了承ください。

5. いまに生きる古代ギリシア

つを担当し、各作者の悲劇三作品と一種の滑稽劇である サテュロス劇一作品とが朝からタ方まで上演されたので ー第第館す。ただし、ペロポネソス戦争中は喜劇競演のための一 学 日はカットされ、悲劇競演のための三日間に、それぞれ 悲劇上演後に一篇ずつ上演されました。日本では、悲劇 作品の公演が圧倒的に多いので、ここでは悲劇を中心に お話を進めてまいります。 悲劇は作品によって違いますが、登場人物が男女合わ せて多数であるにもかかわらず、役者は男のみ三名と決靴 まっていましたから、一人が複数の登場人物を、仮面と 衣装を着けて演じ分けなければなりませんでした。ただ 示 し、舞台に同時に四名の登場人物がいる場合があって、 それには黙り役が起用されたのだそうです。 悲劇では三名の俳優の他に、コロスと呼ばれる合唱隊 が不可欠の存在でした。劇に関連する過去の神話がらみ の因縁、舞台上の出来事の意味に関する深慮、近い未来 についての不安や警告を、多くの場合舞いながら歌う、 という重要な役割を担っています。蛇足ながら、コーラ 喜劇の仮面 ( アテネ国立考古学博物館蔵 )

6. いまに生きる古代ギリシア

はない ) や後述のアレイオスパゴスが担当する場合もありました。 当初は政権の中枢は富裕な上層市民によって占められている体制でした。行政担当の最高 の役職である九名のアルコンも富裕な市民たち ( 市民を四等級に分けた場合の上位二等級から選出 された市民 ) が就任しました。また、クレイステネスの改革以前には、国政に関して最高の 権限を保有していたアレイオスパゴスの会議は、前四六二年までいまだ政権のお目付け役の ような存在でした。このアレイオスパゴスの会議はアルコン職を経験した者が所属し、任期 は終身でした。それが、次第に制度が整備され、アレイオスパゴスの会議の権限も縮小され、 ちゅうせん 前五世紀半ばまでには、財産に関係なくほとんどの役職が抽籤で選ばれた市民によって占 められる、いわゆるラディカル・デモクラシーと呼ばれる内容の制度が出来上がったのでし 行政上の役職担当者は、評議会があらかじめ選出した候補者を、民会において選出するの が普通でしたが、選出は原則として抽籤で行われました。抽籤に頼るということに、違和感 や不安を抱く人もいるかもしれません。しかし、アテナイ民主政においては、民主政の基本 部の役職を除き、大半の政務 である平等を保障するのは抽籤であるとみなす傾向があり、 担当役人は抽籤で選出されました。ただし、軍事の最高責任者である将軍や財担当の役職 のような最も重要な役職は、選挙で選ばれました。選挙は多くが挙手による多数決で行われ ました。同時に、抽籤で選ばれた役人は次第に軽視されてしまう傾向もありました。たとえ ば、クレイステネスの改革後しばらくは、行政上の最も責任の重い役職であったアルコン九 142

7. いまに生きる古代ギリシア

いるのですが、女性に関する記述が全体の中でこれだけ高い比率を占めているのは注目に値 します。なぜなら、ただでさえ史料の少ない古代ギリシア史研究において、女性によって書 かれた文献はもちろんのこと、少し譲って女性に関する史料を探しても、決して多くはない からです。これは、古代ギリシア世界において女性が文字で自分の思いを表現する機会が稀 であったということ、それほどに女性の表現活動が制約を受けていたこと、さらには、女性 は社会的にマージナル ( 周縁的 ) な存在であるとみなされていたことを物語っています。 古代ギリシアの女性に関するフェミニズムの立場からの研究は、一九七〇年代半ばにアメ リカで始まり、以後、欧米におけるこの分野の研究は長足の進歩を遂げました。八〇年代、 九〇年代前半には、毎年おびただしい数の研究書や論文が発表されました。先に述べたよう に文献史料が少ないために、神話分析や図像解析によって間題の本質にアプローチしようと いう工夫がなされてきましたが、そのような実情の中で、『ヒボクラテス全集』のなかの婦 人科関係の記述は、医学史の観点からはもちろんでしようが、女性史研究の側からもきわめ て貴重な史料となっていて、優れた研究成果が出されています。 これまでのところ史料が最も多く残存し、研究が進んでいるのは、前五世紀から前四世紀 にかけてのアテナイの場合ですが、そこでは、女性はできるだけ人前に出ず、身内以外の男 という社会通念がありましたから、男の医者が女 性と顔をあわせるのは避けたほうがよい の患者を診察する場合は、女の助手が仲介役となって触診を担当したり、患者の側に内診を させて、結果を報告させる、という方法がとられたりしました。しかし、もちろん男性の医 まれ 132

8. いまに生きる古代ギリシア

語の中に登場する王とはシュラクサイの僭主として名高かったディオニュシオスです。もっ とも、前五世紀から前四世紀にかけて統治したディオニュシオス一世 ( 前四三〇年頃 5 前 三六七年頃 ) か、その長男のディオニュシオス二世 ( 在位前三六七年 5 前三五七年 ) かは定かで はありません。なお、ディオニュシオス一世は、大哲学者プラトンが理想の支配者を求めて 会いに行き、失望してアテナイに戻ったという有名なエピソードがある、あの僭主です。 ところで、シチリアはイタリア半島の南西、長靴の形をしたイタリア半島のつま先のとこ ろに位置している島ですが、この島の東南部のシュラクサイは、古代ギリシア人が建設した ポリスでした。より詳しく言えば、ペロポネソス半島北東部、コリントス湾に面した有力な ポリス、コリントスの出身者たちが前七三四年頃に植民市として建設したポリスです。です から、メロスもセリメンティオスもギリシア人であったというわけです。 なお、古代ギリシアの植民市は、近代の帝国主義時代の植民地とはまったく異なり、植民 者を送り出した母市 ( この場合コリントス ) と植民市 ( この場合シュラクサイ ) のあいだには 主従の関係はまったく存在しませんでした。いったん建設されたならば、その植民市はまっ たく独立のポリスとして存在したのです。 ヨーロツ。ハ人のギリシア観を基準としてーー和辻哲郎・一一一島由紀夫 太宰は古代ギリシアの伝承から『走れメロス』の執筆を思いついたのではなく、シラーの 詩「人質」に感動し、触発されてこの小説を書いたと思われます。太宰がシラーを愛読して せんしゅ 第 5 回戦前と戦後の日本人のギリシア観

9. いまに生きる古代ギリシア

された者は、就任する前に資格審査を受けることになっていました。九名のアルコンは評議 会と民衆法廷で、その他の役人は民衆法廷で、審査を受けたのです。アリストテレスの『ア テナイ人の国制』第五五章三節 5 五節にはこうあります。 ( 三 ) 審査の際にはまず「汝の父は誰でどの区に属するか、また父の父は誰か、また母 ー一言力また母の父は誰でどこの区に属するか」と間う。次に彼がアポルロン・パトロ イオスとゼウス・ヘルケイオスをもっているか、またその神域はどこにあるか、また家 族の墓はあるか、そしてそれはどこにあるか、また両親に対して親切であるか、また税 は納めているか、またかって遠征に参加したか否かを尋ねる。かかることを尋ねた後 「以上についての証人を呼べ、と言う。 ( 四 ) 証人を出した時「誰かこの人を非難しよう と思う者はないか」と尋ねる。そしてもし非難する者があれば非難と弁解とを許し、し かるのち評議会においては挙手採決にかけ、陪審廷では投票にかける。非難しようとす る者のない場合にはただちに投票にかける。そして以前は単に一人が投票するのみであ よこしま ったが、 今日では候補者たちについて全員の投票が必要とされている。これは誰か邪な る候補者が非難者たちを〔買収や威圧で〕遠ざけた場合にも、陪審者たちが彼を不合格 と為し得んがためである。 ( 五 ) かような資格審査を受けたのち彼らは切り刻まれた犠 牲獣の横たわる石の前に進む。この石の上ではまた仲裁係も仲裁の判決を宣告する前に 誓いを行なうのであり、また証人は何も証言を与え得ないことを誓うのである。この石 153 第 ll 回デモクラシーについて ( 2 )

10. いまに生きる古代ギリシア

第 1 回オリンピック・ 神にささげる祭典とギリシア人意識の形成 ・ 2 第 2 回ポリスと市民の実像・ 第 3 回ギリシア文字の考案と英雄叙事詩・ 第 4 回神話と寓話はイメージの宝庫 第 5 回戦前と戦後の日本人のギリシア観・ ・ 8 第 6 回演劇 プロバガンダの提示と事実の相対化 目次 Z カルチャーアワー歴史再発見 いまに生きる古代ギリシア 6 ラジオ第 2 放送 [ 放送日 ] 火曜日 午後 9 : 30 ~ 1 0 : OO [ 再放送 ] 水曜日 午前 1 0 : 40 ~ 1 1 : 1 0 * 放送日時は変更、休止の場合があります ので、番組案内にご注意ください。