第 I 部 アジア・アフリカの中のイネと稲作 (t/ha) 8 日本 7 6 中国 一 0 -4 ・つけ インドネシア コートジボワール 収量 2 1 0 2000 年 1950 1960 1970 1980 図 2 ー 2 アジア、アフリカの主要稲作国のコメ収量 ( 籾重 ) の推 移 (FAO 2010 をもとに作図 ) を終えた後、イネ収量の伸びは鈍化した。その傾向は 2000 年代になってより強く なり、「緑の革命」を経ていないアフリカも含めて、世界のコメ収量の伸びが停滞 した。この世界的な収量の伸びの鈍化ないし停滞はイネに限らず、コムギやダイズ など多くの作物で認められている。このことは、アジア・アフリカの引き続く人口 増加や経済発展に伴う食料需要の増加を考えると、極めて深刻な問題である。 図 2 ー 2 に示したすべての国とも収量が頭打ち傾向にある一方で、それらの国間 で収量に大きな違いが認められる。このことは、それぞれの国・地域の稲作が置か れている状況は多様であり、また生産性を制限している要因も地域より異なること を示唆している。次に、そのことをアジア・アフリカの主要な稲作類型について調 べてみよう。 1990 2. アジア・アフリカの主要な稲作類型と直面する問題 2 ー 1 稲作の類型 アジア・アフリカの稲作環境はきわめて多様であり、それに適応して多様な稲作 44
第 I 部アジア・アフリカの中のイネと稲作 増産圧が続くことになり、そこで持続可能な稲作をどのように築いていくかが極め て重要になってきている 2 ー 4 持続性喪失の危機にある焼畑稲作 焼畑稲作は、山の斜面や丘陵地の森林あるいはブッシュを定期的に場所を変えな がら焼き払い、その跡地で行なわれる稲作で、アジア・アフリカの天水畑稲作のか なりの部分がこのタイプに属する。焼畑 ( 移動 ) 稲作は、人類が稲作を開始した当 初の原始的な稲作形態と考えられている。ベトナム北部から、中国雲南省、ラオ ス、タイ北部、ミャンマー北部にかけての東南アジア内陸部やフィリピン、インド ネシアなど島嶼部の山岳地域では、現在も焼畑稲作が様々な少数民族によって営ま れており、それに広大な土地が使用される。アフリカでも、サハラ砂漠以南の西ア フリカから東アフリカにかけて、雨期にまとまった降雨が得られる丘陵地で広く行 なわれている。アジア、アフリカとも焼畑稲作の収量は多くの場合 2 トン /ha 以 下であり、不安定な降雨の影響を受けて、年次間の変動が大きい。 東南アジア内陸部の焼畑稲作とアフリカのそれとは、次の点において違いが認め られる。 ラオスなど東南アジア内陸部では、乾期に叢林を刈り払い乾燥させた後に火入れ し、雨期の開始期に焼け跡に掘り棒で植え穴を開け、種籾を点播してイネを栽培す る。施肥は行なわず、生育期間中に数回の除草を行ない、イネの成熟期をまってイ ネを刈り取って収穫する。イネ 1 作のみでその土地は放置 ( 休閑 ) し、次の年には 場所を移動して同じことを繰り返す。一方、西アフリカ準平原台地で現在多くみら れる焼畑は、叢林を焼き払った後、イネ、トウモロコシ、ワタ、キャッサバなどを 数年間輪作した後、別の場所に移動して同様な輪作を行なう。東南アジアの焼畑稲 作がイネへの強い執着のもとで行なわれているのに対し、アフリカのそれでは、イ ネは多くの輪作作物のひとつに位置づけられているに過ぎない。 森林の回復に必要な十分に長い期間の自然休閑のもとで行なわれる焼畑稲作は、 休閑期間中にイネの生育に必要な十分な量の養分を貯えることができるので、種籾 と労働力をのぞいては、資源投入ゼロの、究極の自然農法といえる。かって人口が 少なかった時代には、アジア、アフリカともに 20 年をこえる休閑のもとで焼畑稲 作が営まれており、十分な養分蓄積のもとで、それなりの収量が安定的に得られて 62
第 2 章 (t/ha) アジア・アフリカ稲作の多様な生産生態と課題 環境重視栽培段階とい えなくもない。アフリ カ諸国でも、同一国内 に、焼畑や低湿地での 稲作など粗放段階のも のから灌漑稲作地域で の資源多投型稲作ま で、様々な段階ものが 混在している。アジ ア・アフリカの稲作は その立地環境が多様で あるとともに、発展段 階からみても極めて多 様である。 マレーシア 2 3 4 5 6 7 1860 0 1 量 収 中国 ベトナム インドネシア フィリピン ノヾングラデシュ スリランカ ネ / ヾール パキスタン ・韓国 1880 1900 1920 1940 1960 1980 2000 2020 年 図 2 ー 12 明治以降の日本の水稲籾収量の推移曲線上 にプロットした、 2009 年のアジア各国の籾 収量 ( 農林水産省および FAO の資料をもとに作成 ) 75 めて重要になっている。このことは、日本とて例外ではあり得ない。 1970 年頃か 踏まえて、より生産性と持続性の高い稲作への発展の道筋を明らかにすることが極 いる。それゆえ、アジア・アフリカのそれぞれの地域稲作の立地環境と発展段階を を招いたり、あるいは稲作の持続性や環境を脅かすなどの深刻な問題を生じさせて 滞しており、そのことが食料の安全保障を不確かにしたり、農村社会の貧困や袞退 しかし、すでにみてきたように、ほとんどすべての国・地域とも稲作の収量は停 大変なことかが理解されよう。 考えると、東アジアを除くアジア・アフリカ諸国の稲作収量を高めることがいかに 代以前ということになる。日本が今日の稲作にたどり着くまで要した年数の長さを 平均収量は 2t / ha 以下であり、この図からははみ出るが、その収量レベルは江戸時 が約 100 年前の明治末期の収量水準にあるといえる。アフリカ諸国の多くは現在の 「緑の革命」開始当初の今から約 50 年前の収量に相当し、インド、タイ、ネパール 中国の稲作収量は現在の日本と同水準にあり、ベトナム、インドネシアが、日本の な収量の増加曲線上にプロットすると図 2 ー 12 のようになる。この図から、韓国、 みにした現在のアジア・アフリカの国別平均収量を、明治以降の日本稲作の歴史的 このように、同一国でもその稲作には様々な発展段階が存在するが、それらを込
第 2 章 アジア・アフリカ稲作の 多様な生産生態と課題 堀江武 私たち日本人が見慣れている稲作は、畦で囲って整然と区割りされた水田に水を 引き込み、規則正しく一定間隔で移植した苗を育てる灌漑移植栽培稲作である。し かし、アジア・アフリカ地域を見渡したとき、このような稲作はむしろ例外に属 し、山の斜面の叢林を焼き払って行なわれる焼畑稲作、丘陵地の窪地を畦で囲い 降った雨をためて行なわれる天水田稲作、あるいは大河川河口のデルタで、雨期に は lm を超す氾濫水が滞留する上地で行なわれる深水稲作など、様々な形の稲作が 営まれている。そのいずれもが、引き続く人口増と貨幣経済の浸透に伴って増産が 域環境の破壊など様々な問題を生じさせている。 フラ整備と技術普及などにより、生産は低迷している。このことが農村の貧困や地 求められる一方で、水や土地などの資源制約の強まり、あるいは進まない生産イン 41 1 韓国などの東アジアでは大部分が収量の増加によるものであるのに対し、ベトナ 1960 年から今日までの間に約 3 倍に増加した。この生産量の増加は、日本、中国、 ー 1 に示した。図に示したアジアの 3 地域とも、コメの生産量と消費量はともに アジア、アフリカの地域別にみた、 1960 年以降のコメの生産と消費の動向を図 2 ー 1 逼迫するコメ需給と食料危機 1. アジア・アフリカの地域別コメ生産と消費の動向 述べたい。 ら多様な生産生態を稲作の発展段階という視点で捉え、持続的発展に向けた課題を 主要な稲作類型についてその生産生態と直面する問題について述べる。さらにそれ 本章ではアジア・アフリカの地域別にみたコメ生産と消費の動向を俯瞰し、次に
第 I 部 アジア・アフリカの中のイネと稲作 第 1 章 イネと稲作の生産生態的特徴 堀江 1. 稲作圏の広がり 武 稲作は中国雲南省からインドのアッサム州にかけての地域 ( 渡部 1977 ; 中川原 1985 ) 、あるいは長江 ( 揚子江 ) 流域 ( 佐藤 1992 ) で始まったとされ、その時期は 今から 1 万年ほど前と推定されている。その後、稲作は人々の移動とともに長い年 月をかけて世界に広まっていった。日本には縄文期に伝わり、イネは長い間、ア ワ、ヒ工などと並ぶ雑穀の一つとして焼畑などで栽培されていたと考えられる ( 渡 部 1983 ) 。縄文晩期になって、佐賀県唐津市菜畑や福岡市板付の水田遺跡にみられ るような、灌漑技術を伴った水田稲作が大陸から伝来し ( 佐々木 1987 ) 、やがて九 州や本州各地に拡がり、弥生時代中期には岩手県江刺市の反町水田遺跡にみられる ように東北地域にまで及んだ。一方、東南アジアに伝わった稲作は、マレー系の 人々の移動にともない、紀元前後にはアフリカ大陸の東に位置するマダガスカル島 にまで達した (Carpenter1978)0 ヨーロッパに稲作が伝わったのは 6 ~ 7 世紀、 そしてアメリカ大陸へは 16 世紀に入ってからである ( 星川 1985 ) 。 一方、西アフリカでは、このアジアに起源するアジアイネ ( 0 記廂協 L. ) と は別種のアフリカイネ ( 0 記 g / 〃厖 " / 襯〃 Steud. 、写真 1-1) が、 3000 年以上も 昔からニジェール川流域で栽培されていた (Carpenter 1978 ) 。しかし、アフリカ でもヨーロッパの植民地時代以降、生産性の高いアジアイネがアフリカイネに次第 に取って代わり、現在、アフリカイネは、河川の氾濫源など一部の地域で栽培され ているに過ぎない。このようにして今や稲作は、北は北緯 50 度のアムール川河畔 に位置する中国黒竜江省黒河市から、南はアルゼンチン、サンタフェの南緯 35 度 付近までの広い範囲に広がり、世界人口の約 3 分の 1 を扶養するまでになった。 現在の主要な稲作国を、その国の全穀物生産量に占めるコメの生産割合として、 14
物生産を 2 倍以上高め、 20 世紀の人々の飢餓解放に貢献した。しかし、この増収 技術がその適応可能地域に一通りの普及を終えた 1990 年頃を境に、アジアのイネ 生産の伸びは鈍化した。一方、アフリカでは、まだアジアの「緑の革命」に相当す るような稲作の技術革新は見られない。アジア、アフリカともに高い人口増加が続 くことに加え、経済発展に伴う穀物需要の増加を考慮すると、今後 30 年間にイネ 生産を約 40 % 高めることが必要と予測されているが、それを実現する手だてはい まだ見つかっていない。 アジア・アフリカの稲作は、欧米の数十 ~ 数百 ha ( ヘクタール ) の農地所有の もとで行なわれる農業に比べ、多くても数 ha 、大部分が lha 未満の小農や、土地 なし農民によって営まれている。その稲作は、日本で見慣れている整然と区割りさ れた平坦な水田に灌漑・排水路で水を調節して行なう稲作とは異なり、山の斜面を 焼き払って行なう焼畑稲作、丘陵地の土地を高畦で囲み雨水を貯めて行なう天水田 稲作、山の谷筋や扇状地で季節河川の水を引いて行なう半灌漑稲作、水深が lm を 超す滞水が長期にわたって続く大河川のデルタやマングロープ湿地帯で深水イネや 浮イネを栽培する深水稲作など、生態的にみて極めて多様である。その生態的多様 性に加え、地域間で稲作技術や農民のイネへの接し方にも大きな違いがあり、それ らが相まってアジア・アフリカ稲作の多様な世界を形作っている。 実におびただしい数の農民が、様々な環境のもとで狭い農地にしがみついて、 様々な方法でイネを栽培し、生活の糧を得ているのがアジア・アフリカ稲作の姿で ある。そういうところにも貨幣経済が浸透し、また経済グローバル化の影響が及ん でくるなかで、ほとんどの稲作農民は貧しく、日々の生活に追われ、子供の教育も ままならない状態に置かれている。生活のために、規制を超えて山林を焼き払って 焼畑稲作を拡げたり、資源収奪的な稲作に向かったりすることで、環境破壊や農業 持続性の喪失が問題化しているところも見られだした。それぞれの地域で生産性の 高い持続的な稲作の姿を明らかにし、それを現地に適応できる方法で実現していく ことがアジア・アフリカの稲作社会の発展に求められており、そのことは不確実性 を増す 21 世紀の世界の食料安全保障や環境保全にも不可欠である。 現在、途上国の食料・環境問題の解決を目指していろいろな提案を聞くことがあ る。すなわち、バイオテクノロジーによる収量性や環境ストレス耐性の飛躍的に高 い品種の作出と導入、灌漑インフラの整備、肥料などの資源投入の増加、農業機械
第 I 部アジア・アフリカの中のイネと稲作 地盤がゆるみ土壌が侵食されるところも生じてきている。 同様なことはアフリカでも認められ、多くの地域で 10 年を待たすして叢林を再 び焼かなければならない状態になってきている。コンゴ共和国のルワンダとの国境 に接するプシュンバの民族バシ人による焼畑では、人口密度が高まった今日、休閑 期間は 2 年にまで短縮してきている ( 末原 1995 ) 。 この焼畑稲作のような焼畑移動農業は、いまなおアジア、アフリカで多くの農民 によって広く営まれている農業形態である。人口増加の著しいこれらの地域では、 休閑期間は減少の一途をたどっており、そこでは生産性の低下と不安定化、さらに はその持続性が脅かされる事態にいたっている。数千年は続いてきたこの農業形態 は、崩壊の危機にあると言っても過言ではない。それが崩壊したとき何が起きる か。農民は住み慣れてきた土地を捨て、より山奥の本来自然林として保護されるべ き森林地帯に移動して焼畑を行なうか、あるいは農業難民となって都市のスラムの 住人となるかのいずれかであろう。現に、この両方ともがアジアでもアフリカでも 発生しつつある。焼畑稲作の現状の中から、生きるための農業と環境のせめぎ合う 姿が見えてくる。 このような焼畑稲作の発展方向として、山や丘陵地の斜面に沿っていくっかの平 坦な土地からなるテラス畑にし、そこで緑肥作物など多様な作物を組み込んだ常畑 輪作システム、あるいは水の便のよい沢筋では棚田稲作が考えられる。しかし焼畑 農民は一様に貧しく、その日の生活のための労働に追われる状態で、将来の農業に 向けた基盤作りに向かう余力がないのが現状である。焼畑稲作の現状を改善し、少 なくとも農民が食うには困らない程度のコメを安定して生産できる方法を開発する ことが、現在最も必要なことであろう。このような考えのもとに、ラオスの焼畑稲 作の改善に向けて取り組んだ調査・研究 (Saito ら 2006 ) が、本書の第 3 章に述べ られている。 3. 発展段階からみたアジア・アフリカ稲作の多様と課題 アジア・アフリカの稲作環境は極めて多様であり、それに応じて様々な稲作が営 まれている。しかしそのいすれもが、人口増加、資源の枯渇、さらには貨幣経済の 浸透などの影響を受け、深刻な問題を抱えていることはすでに述べたとおりであ
第 2 章アジア・アフリカ稲作の多様な生産生態と課題 作は、ほとんどの地域で旱ばつもしくは冠水、あるいはその両者の被害を受けるこ とになる ( 表 2 ー l) 。 天水低地稲作の水環境は、降水量とその季節分布、および地域の水田面積に対す る集水域の面積比率、土地の傾斜度、起伏、標高や海岸からの距離などの地形要 因、さらには土壌の透水性、および畦や灌漑・排水路の有無などの水田インフラな どに支配される。このなかで、アジア・アフリカの途上国では降水量と地形の影響 が圧倒的に大きい。 タイ国東北部に広がる広大なコラート台地では、乾期には水量が激減するムーン 川とチー川が同地域を横切るだけで、とても灌漑稲作に必要な水は得られない。し かし、そこにはタイ語でノングと呼ばれる窪地が無数に連なっており、その窪地に たまった雨期の降水を利用した稲作が行なわれている。その水田面積に対する集水 面積の比率は 1 をわすかに上回る程度であり、稲作はもつばら水田に降った雨に依 存して行なわれ、水田水位は概して浅い。 一方、西アフリカの河川の源流部に当たる山間部や、丘陵地の枝分かれした谷筋 とその下流の扇状地で稲作が行なわれているが、そこでの集水域の面積は水田面積 の 10 ~ 20 倍 ( 若月 1998 ) もあり雨期の水量は十分にあるが、土地に傾斜がある ため水田の水深は概して浅い。アジアではこのような谷筋で、土地の傾斜を利用し た重力灌漑による稲作が古くから行なわれてきているが、アフリカでは、水のコン トロールがほとんど行なわれない湿地としか言いようのないものから、半灌漑水田 と呼ぶべきものまで多様な形態の稲作が営まれている。他方、メコン川下流のメコ ンデルタ、ガンジスとプラマプトラ両河の河口のべンガルデルタなどアジアの大河 川の河口には、 100 万 ha を超える広大な稲作地帯が広がっており、アフリカでも ニジェール川流域の内陸デルタには大きな稲作地帯がある。そこでは、雨期にデル タ面積の数十倍もの集水域に降った多量の雨水が流れ込み、しかも土地の傾斜が緩 やかなため、 lm を超す滞水が長期にわたって続く。 小規模な投資により灌漑が可能なアフリカの谷筋の天水田稲作を除き、天水低地 稲作の灌漑には日本では想像できないほどの大規模な河川改修とダム建設などが必 要であり、とても近未来の実現は期待できない。アジア・アフリカの天水低地稲作 は、圧倒的に大きな気候と地形の支配下にあり、それに適応した稲作が食料を得る 主要な手段となっている。このような天水低地稲作の生産生態の概要を、比較的に 5 5
はしがき 化の促進、あるいはバイオマス・太陽光発電などのエネルギー利用などである。し かし、これらが直ちにアジア・アフリカの稲作社会の抱える問題解決につながると はとても考え難く、これらはそれぞれの地域稲作の環境と発展段階に応じて適切に 導入されていくことが重要である。農業は土地 ( 資源、環境 ) 、生物 ( 作物や家畜 ) および人間 ( 社会、経済 ) の 3 つを不可欠な構成要素として成り立っ産業もしくは 生業である。それらの総体としての地域稲作を見つめ、生産の阻害要因を抽出し、 現地に適応可能な技術・方法によってそれらを一つ一つ解決して、現状の改善を 図っていくことが重要と考える。 このような考え方のもとに、京都大学の若い研究者・大学院生達がアジア・アフ リカおよびオーストラリアの様々な稲作地域に長期滞在して、その生産基盤である 環境と生産技術の総体としての生産生態を調査し、生産性改善のための現地試験を 行なった。この調査・研究はまた、土地一生物一人間系の統合科学としての農学の 意味を自ら問い続けることでもあった。本書は、これらの調査・研究をもとに、ア ジア・アフリカの多様な地域稲作の生産生態と持続的発展のありようを、稲作の発 展段階に沿って整理して述べたものである。著者らの調査が及んだ地域は、広大な アジア・アフリカの多種・多様な稲作のほんの一部に過ぎないが、本書がアジア・ アフリカの多様な稲作の実態の理解を深め、ひいてはその持続的発展にいささかな りとも貢献できれば幸いである。 2015 年 3 月 執筆者を代表して 堀江 武
第 I 部アジア・アフリカの中のイネと稲作 階にあるといえるが、主として日本型水稲を栽培する東北部の一部では、品質を重 視した栽培も行なわれるようになってきている。例えば、黒竜江省の松粳 2 号や松 粳香 2 号、吉林省の宏科 67 号や吉粳 509 が良食味品種とされ、それらの中でも、 五常 ( 黒竜江省 ) や延辺 ( 吉林省 ) など特定の産地のものが高い市場評価を得てい られる。このように中国では東北部で品質・環境重視稲作への移行兆候が認められ るという。それらの栽培法として、疎植、有機物多投や減化学肥料栽培の傾向がみ る。 72 全・安心や環境への配慮に重きを置いた有機農業や自然農業の稲作などは、品質・ 灌漑稲作地域などでみられる資源多投栽培段階の稲作、そして少例ながらも食の安 んだ精緻な稲作は労働・土地集約栽培段階に位置づけられ、チャオプラヤ川流域の 粗放栽培段階にあるもの、チェンマイ盆地周縁でみられる裏作に野菜などを組み込 り様々な段階の稲作が混在する。例えば、タイでは北部山岳地域の焼畑稲作などの なる。しかも稲作技術の均質化が進んだ日本と韓国を除けば、同一国でも地域によ び品質・環境重視栽培段階の 4 段階すべての発展段階の稲作が存在していることに がたどってきた粗放栽培段階、労働・土地集約栽培段階、資源多投栽培段階、およ この日本稲作の発展段階の視点からみると、現在アジア・アフリカには日本稲作 てアジア・アフリカの稲作を先導してきた。 く移行した。このように、わが国の稲作は明治期以降、稲作のトップランナーとし 軽減を図りながら高品質なコメ生産を目指す、品質・環境重視の稲作段階にいち早 命」を成し遂げた。さらに、「緑の革命」の資源多投型稲作がもたらす環境負荷の 日本独自の稲作技術を構築しつつ生産性向上を目指し、世界に先駆けて「緑の革 わが国は明治期以降、欧米の科学技術を日本の集約稲作技術の中に消化吸収し、 3 ー 2 アジア・アフリカ稲作の多様と課題 除けば韓国のみといえよう。 分の稲作が資源多投型から品質・環境重視型に移行したのは、現在のところ日本を いるところは少なからす存在する。しかし、アジア・アフリカでは、その国の大部 地帯でも香り米のカオドマリ 105 が栽培されるなど、食味重視の栽培が行なわれて で取引される香り米のバスマティーの灌漑栽培が行なわれ、タイ東北部の天水栽培 他のアジア諸国でも、例えばパキスタンでは主として輸出用に、プレミアム価格