第 11 章滋賀県にみる日本の稲作 る。 第一は 1920 年代までの神力系品種時代である。「神力」は明治期後半から大正に かけて普及した当時の " 高収量性品種 " であるが、在来品種を含め多様な品種が栽 培されていた時代にあって、神力系品種の作付率は 30 % ( 1920 年 ) と著しく高 かった。 第二は 1930 年代から 1940 年代にかけての旭系品種時代である。純系選抜によっ て育成された多くの旭系品種が登場し、それらの米穀市場における良食味品種とし ての評価はきわめて高かった。滋賀県農業試験場で育成された「滋賀旭 20 号」お よび「滋賀旭 27 号」は、作付率が最高 20 % を超え、他の同系品種と合わせた旭系 品種の作付シェアは、 1930 年代なかばには 3 分の 2 近くにまで達した。 " 江州米 " は当時の有力プランドとして知られるが、それも旭系品種であった。第 2 次世界大 戦後は食料増産要求を背景にして、多肥条件下での収量性にすぐれる改良品種が急 増した。 そして 1970 年代から 1980 年代にかけては、「日本晴」が圧倒的に高い作付率を 示した。「日本晴」は典型的な半矮性品種であり、収量の安定性に加えて相対的に 良好な食味品質を有していることから、特に滋賀県での作付率は、 1980 年代を通 じ 60 % 以上に達した。こういった改良品種の増加期と「日本晴」が卓越した時期 は、後に述べるように、滋賀県の栽培品種の平均的な収量性がもっとも高まった時 期となっており、耐肥性品種時代 ( 第三期 ) とみることができる。その後は " 米余 り " 基調と流通の自由化があいまって、収量性よりも品質を重視する傾向が顕著に 高まった。特に 1990 年代以降は、「コシヒカリ」をはじめとする良質米が圧倒的な 優位を示す時代 ( 第四期 ) に入り、現在に至っている。 このようにみると、近年の生産性・安定性から高品質米への重心の変化は実はは じめてでなく、戦前の旭系品種の普及のように、かってその時代なりに経験されて いたことがわかる。しかし戦後の食糧難の時代になって、栽培の重心が再度生産性 への大きく逆戻りした。 2. 滋賀県の稲作の生産性 滋賀県の稲作は、生産性からみてどのように変遷してきたであろうか。 こでは 255
第 V 部 品質・環境重視段階の稲作 第 11 章 滋賀県にみる日本の稲作 白岩立彦 日本の稲作は、ほば全て灌漑化された水田で営まれ、かっ早くから精緻な肥培管 理が行なわれてきた。肥料・農薬をはじめとする資材投入の種類と量は多く、かっ 常に改良が加えられてきた。しばしば、日本稲作の特徴として " 精密管理 " 指向の 強さが挙げられるが、労働生産性の向上が強く要請されている中にあっても、移植 栽培の圧倒的優位が依然として続いている点にもそれが現れている。そして、 1970 年代半ばには平均収量は精籾として 6t/ha に達した。ところが、その後はコメの過 剰を背景に、増収よりも食味品質向上、および環境負荷の低減が強く指向されるよ うになり、収量の伸びは停滞し今日に至っている。本章では、品質・環境重視の段 階にある日本稲作の現状を、滋賀県の稲作を例にしながら概観し、今後の課題を考 える。 1. 滋賀県の稲作の概要と栽培品種 滋賀県は、水田面積は 5 万 400ha と全国 18 位であるが、全耕地面積に占める水 田面積の割合は 92 % ( 同 2 位 ) と非常に高い。滋賀県産米はかって良質米として 高く評価され、特に 1930 年代後半には、 " 江州米 " の名で市場において全国で最も 高い評価を得ていた ( 野々村 1985 ) 。農業の稲作依存率が高いとともに、歴史的に みて高い技術水準を早くから有した、稲作熱心県でもある。水田の大半は沖積土で 灰色低地土が最も多く、グライ土および褐色低地土が次いで多い。稲作期間の平均 気温、降水量および平均日射量はそれぞれ 21.8 ℃、 920mm および 14.4MJ / m2 / 日 であり、収量形成時期の日射量と気温にもとづく村田 ( 1964 ) の気象生産力示数で みれば、滋賀県は日本全国の中上位に位置し、平均単収でも全国の中上位となって いる。 大正期以降の滋賀県の稲作の変遷を栽培品種からみると、 4 つの時期に区分でき 254
第 V 部品質・環境重視段階の稲作 3. 栽培技術の変遷と生産性 3 ー 1 品種の変遷および増収における貢献度 滋賀県において水稲栽培品種は、既にみたように神力系・旭系時代から耐肥性品 種の導入と普及および日本晴時代を経て、現在、良食味品種時代を迎えている。 のような品種の変遷が滋賀県の水稲収量の変化に及ほした効果を、 DYA 手法 ( 長 谷川と堀江 1995 ) によって検討した。それは、過去に行なわれた比較栽培試験 データをもとに各栽培品種の相対収量性 (DYA) を算出し、それを県内の品種別 作付比率を用いて重み付け平均することによって、年毎の栽培品種の収量性の地域 平均値 (RDYA) を見積る、そしてその経年変化を実際の平均収量の経年変化と 比較する方法である。次式のように、ある品種の DYA 値は、その収量 (Y(c)) と 基準品種収量 (Y(s)) との差異を処理区 0 ) 、場所 0 ) および年次 ( んを通じて DYA = l/n (Y(c)ijk ー Y(s)ijk) 総平均した値である。 258 2 2 相対収量性は、前世紀の戦前から戦後にかけては、年代とともに明らかに上昇し 対収量性 (DYA) が、図 11 ー 2 に育成年次に対してプロットされている。品種の 1916 年育成の滋賀神力 7 号以降、現在までに滋賀県で栽培された主要品種の相 RDYA= ()l x DYA 、 )/ ーこで、 ai は 、品種 i ( 1 ~ まで ) のその年の県内の作付比率を で算出される。 比率で重み付け平均すると、地域の稲作の平均 DYA (RDYA) が以下の ( 3 ) 式 準品種として用いている。ある年の全ての栽培品種の DYA をそれぞれの作付面積 それが試験栽培されていない年代においては、金南風または滋賀旭 20 号を間接標 決定調査成績書 ( 昭和 37 年度 ~ 平成 15 年度 ) から得た。基準品種は日本晴とし、 ( 昭和元年度 ~ 5 年度 ) 、原種決定試験成績書 ( 昭和 29 ~ 36 年度 ) および奨励品種 計算に用いたデータは、主に滋賀県農業試験場による滋賀縣立農事試験場業務行程
第 11 章 滋賀県にみる日本の稲作 た。代表的な品種について日本晴を (t/ha) 0.4 100 として比較すると、神力系 ( 滋賀 神力 7 号 ) が 73 、旭系品種 ( 滋賀 20 号、同 27 号 ) が 84 、日本晴以前の耐 肥性品種 ( 金南風、マンリョウ ) が 99 となった。また、図 11 ー 2 による と、日本晴が登場したころを境に、さ らなる高収品種はほとんどみられなく なっている。すなわち、近代的育種事 業が組織されてからのおよそ 50 年間 は収量性の改良は明白であるが、その 後は実用品種の収量性はほとんど改良 されていない。これには、 1970 年代 頃から、育成目標が増収だけでなく なってきたことが反映している。 1950 年から現在までの滋賀県にお ける RDYA の経年変化を、その地域 の平均収量の変化と比較したものが図 11 ー 3A である。籾収量は、 1950 年の 42t / ha から 1975 年の 6.0 レ ha まで増加した。 そのうちの少なくとも最初の 10 年間、すなわち 1960 年代はじめ頃までは RDYA の増加と平均収量の増加がほば同調しており、この時期の増収に改良品種の導入と 普及が顕著に寄与したことが明白である。それは既に述べたように、品質に優れた 旭系品種が、より高収を得やすい耐肥性品種に急速に置き換わっていく過程であっ た。 RDYA は 1970 年代初めにピークに達し、 1950 年に比べて約 0.8 レ ha 増加した。 この時点で、平均収量の増加における寄与率は 44 % であった。 RDYA はしかし、 それ以降増加がみられなくなり、以後現在にかけてわずかではあるが減少傾向を示 すようになった。コシヒカリとキヌヒカリは現在の作付率が合計 64 % に達してい るが、両品種の DYA を式②を用いて計算すると、平均 95 となり、近年急速に 作付率を伸ばしたこれらの極良食味品種の収量性が、必すしも高くないことが、近 年の RDYA の低下の主要因になっているといえる。 0 0 0.0 0 0 0 基準品種 ( 日本晴 ) ◇滋賀神力 7 号 △旭系品種 0 改良品種 ・改良品種 ( 極良食味 ) 2000 年 1950 1975 育成 / 登録年次 図 1 1 ー 2 滋賀県で栽培されてきた水 稲品種の相対収量性 (DYA) 旭系品種は京都旭に由来する純系分離 により育成された品種群。改良品種は 交雑育種によるもの。うち、コシヒカ リ、キヌヒカリ、ハナ工チゼン、ここ ろづくしの 4 品種を極良食味として区 別した。 ー 0.4 0 △′ △ -1.2 ー 2.0 1900 1925 259
第 11 章滋賀県にみる日本の稲作 物群落の収量生産力の上限は、生育期間に群落に到達する日射エネルギーの積算値 によって基本的に決まる。それは第 ( 1 ) 式のように表わされる。 Ymax=HxRUExE(FXS) こで、 S は日々の日射量、 F は葉身の展開量によって決まる群落の日射受光率で ある。 RUE は、受光量 (F x S) 当たりの乾物生産量であり、群落の光合成の効 率に左右される。 H は全乾物生産量に占める収穫器官 ( 籾 ) の割合であり、 対象にしている " 好適 " 条件ではもつばら品種特性に依存している。 第 (I) 式に、滋賀県の年々の日射条件、およびこれまでの圃場試験から得た日 本晴の特性値を与えて求めた可能最大収量が、図 11 ー 1 に示されている。なお、生 育期間 (n) は各年の平均移植期、同出穂期および収穫期を参照して求めた。これ より、滋賀県における日本晴の可能最大収量は、概ね 10.5 ~ 11t / ha の水準にあっ ーーでの可能最大収量は、速やかな葉群の発達とその維持により、日々の日射 エネルギーが最大限捕捉され、群落による受光エネルギーの利用効率が高い値で維 持され、かっ光合成産物の穂への分配率も品種固有の値が維持される ( すなわち、 低下しない ) 時に得られる収量である。言うまでもなく、病害虫や低温・高温スト レスによる減収も仮定として起こらない。この水準と、既にみた試験場および農家 収量との比較から、滋賀県では、理論的に限界と考えられる収量に対して 75 % 前 後の収量が試験場での栽培試験で得られており、さらに地域の実収量は、理論限界 値の 55 ~ 60 % の水準で推移してきたと評価される。 Horie ら ( 1992 ) は、水稲生育モデル SIMRIW を国内 8 ヵ所の条件に適用して、 品種 IR36 の可能最大収量を推定し、平均して実収量の 2 倍強の値を得た。上述の 可能最大収量の推定はこれよりもやや低いが、日本晴と IR36 の特性の違いを考慮 すると、概ね妥当な範囲にあると考えられる。理論限界値の 6 割近い水準が、滋賀 県においては 1970 年代半ばに達成され、現在まで維持されてきた、あるいは今も 漸増していることが、上述の検討結果は示している。 257
/ 収量性 4 ー 3 発育特性 245 / 耐倒伏性 リべリナ地域の多収要因 . 乾物生産 248 / 収穫指数 246 249 246 / 生態特性 5. オーストラリア稲作のかかえる問題 3 ー 2 生産性の向上と栽培技術および環境・・ 3 ー 1 品種の変遷および増収における貢献度・・ 3. 栽培技術の変遷と生産性・ 2. 滋賀県の稲作の生産性・ 1. 滋賀県の稲作の概要と栽培品種・ 第 11 章滋賀県にみる日本の稲作・・ 第 V 部品質・環境重視段階の稲作 まとめ・・ 6. 稲作の今後・ 5 ー 3 環境への負荷の面から・ 5 ー 2 コメの品質の面から・ 5 ー 1 水稲収量の面から・ 5. 稲作技術の到達点をどうみるカ 4. 窒素施肥技術の発展・ 6 ー 2 多様な稲作を持続させる耕地管理の確立・・ 6 ー 1 食味と多収を併せもっ品種開発と生産技術の確立・・ 目 247 白岩立彦 次 248 I I 269 268 267 266 265 264 264 262 260 2 ぅ 8 2 ぅ 8 2 う 5 2 う 4 2 う 4 2 5 1 250
第 11 章滋賀県にみる日本の稲作 も進んでいる。これらを活用して有用遺伝子の集積が加速され、収量と品質の両立 が実現すれば、稲作の収量水準、ひいては日本の稲作が新しい局面を迎えることが 期待される。 6 ー 2 多様な稲作を持続させる耕地管理の確立 今ひとつの課題は持続性であろう。日本の稲作は、極高品質生産から加工用・飼 料用を含む他用途米生産、大規模低コスト稲作から無施肥・無農薬の稲作まで、 1970 年代までの増収による食料安定供給が主目的であった時代に比べると、格段 に多様化した。そして重視される生産目的と技術はそれぞれに異なっている。多様 な展開は、今後も社会状況に応じた変化をみせながら続くと思われる。しかし、い すれの形においても共通するのは、生産が、水田という生産基盤に立脚しているこ とである。その持続性はどうであろうか。 図 11 ー 5 に、全国および滋賀県における水田面積の中で、水稲が作付されなかっ た面積の割合 ( 水稲 " 非 " 作付割合 ) を示した。水稲 " 非 " 作付割合は、いわゆる 減反が始まった 1970 年以降、紆余曲折を経ながら漸次増加し、 2001 年には全国平 均 30 % を越えた。水稲 " 非 " 作付水田の増加は担い手の減少もあるが、主にコメ 生産調整によって水田の転換畑利用期間が長くなってきたためであり、特に、 2000 年以降は、非作付割合の増加は一段と高くなった。また滋賀県では多くの地域と同 様に、圃場整備が進められてきた結果、近年ではほとんどの水田が乾田化してい る。このように、滋賀県あるいは日本の水田をめぐる環境は、土壌が、その乾燥し やすさと乾燥期間の長さの両面から、今までにない酸化的な条件、すなわち土壌有 機物の分解が促進されやすい条件にある。 農水省の土壌保全対策事業として実施されている、土壌環境基礎調査・定点調査 ( 1979 ~ 1983 年の 1 巡目から、 1994 ~ 1998 年の 4 巡目まで ) の滋賀県の結果によ ると ( 武久ら 1999 ) 、水田土壌の土壌全炭素含量、腐食含量、可給態リン酸、ケイ 酸などは土質、資材投入などの影響を受けるが、一部を除いて全体に十分な水準に あり、かっそれがよく維持されていた ( 図 11 ー 6 ) 。柴原ら ( 1999 ) は、水田の土 壌有機物の維持において、近年ほとんどの水田で行なわれている、稲わらの全量還 元が重要な役割を果たしていることを指摘している。一方、具体的な試験結果は限 られるものの、近年、転換畑作ダイズの収量が、畑作の累積期間が長いほど低化し 269
第 V 部品質・環境重視段階の稲作 33 : 59-63. 中田均 ( 1980 ) 肥料三要素および堆肥の長期連用が土地生産力に及ばす影響の数理統計的 解析 . 滋賀農試特別研究報告 13 : 1-108. 野々村利男 ( 1985 ) 近江米品質改善の変遷に関する研究 . 滋賀県立短期大学作物学教室彙 報 4 : 1-68. 農林水産省ホームページ http://www.maff.go.jp/j/wpaper/w maff/h22/pdf/z_topics_4. pdf ( 2015 年 3 月現在 ) Ohsumi, A. ら ( 2007 ) A model explaining genotypic and ontogenetic variation of leaf photosynthetic rate in rice ( 0 り , 2 〃 sa たツ〃 L. ) based on leaf nitrogen content and stomatal conductance. Ann. Bot. 99 : 265-273. 奥村利勝 ( 1988 ) 水稲の N 栄養の動態からみた無施肥田と施肥田の比較栽培学的研究 . 博 士学位論文 , 京都大学 , pp. 1-108. 柴原藤善ら ( 1999 ) 水稲に対する有機物および土づくり肥料の連用効果 ( 第 1 報 ) 水稲の 生育収量 , 養分吸収および土壌の化学性の変化 . 滋賀農試研報 40 : 54-77. 鈴木守 ( 1993 ) 農民に学ぶ技術の総合化ー多収穫栽培技術ー . 農水省農林水産技術会議事 務局昭和農業技術発達史編纂委員会編 , 昭和農業技術発達史水田作編第 3 章第 3 節 . 農 文協 , 東京 , pp. 124-135. Takai, T. ら ( 2013 ) A natural variant of NALI, selected in high-yield rice breeding programs, pleiotropically increases photosynthesis rate. Scientific Reports 3 : 2149. 竹内善信 ( 2011 ) 米の外観品質・食味研究の最前線〔 10 〕ー米の食味に関連する形質の遺 伝解析とその育種的利用ー . 農業および園芸 86 : 752-756. 武久邦彦ら ( 1999 ) 滋賀県における農耕地土壌の実態と変化 ( 第 1 報 ) 最近 5 年間の土壌 理化学性の実態 . 滋賀県農試研報 40 : 39-53. 272
滋賀県にみる日本の稲作 第 11 章 カ耕耘機は 1950 年代後 半に普及がはじまり、そ の後作期の早期化と併行 しながら急速に進行し 次に、 1970 年代半ば 以降の単収の推移につい て考える。それは、それ までの期間と比べると停 滞気味ともいえるが、 1 年当たり平均 0.3 % とい う緩やかな増加をみせて いる。ます品種について 平 5 / 20 みると、収量性が日本晴 移 5 / 30 を上回る品種の普及がほ 日 とんどない一方で、むし ろ DYA がやや低い良質 米品種の普及により、滋 賀県の RDYA 値は漸減 した ( 図 11 ー 1 、図 11 ー (A) 。また、それまで進 行してきた作期の早期化 も、 1980 年頃には 5 月 上旬移植が一般化するこ とで収東しており、現在まで大きな変化はない。さらに、 1980 年代半ば以降、窒 素施肥量は後述するように減少傾向がはっきりとみられる ( 図 11 ー 3B ) 。つまり、 1970 年代半ば以降は、栽培品種の遺伝的能力の向上を伴うことなしに、窒素の利 用効率が徐々に改良されてきた時代であった。 ただし、近年の緩やかな増収は滋賀県に限ったことでなく、日本全国の平均単収 にも、年率約 0.5 % という増加がみとめられる。水田面積の減少にともなう低生産 (t/ha) 2.4 1 9 2.0 5 0 年 以 降 1.2 の 0.8 0.4 の 化 0.0 (kg/ha) 150 (t/ha) 6.6 ◇◇ (A) ◇ ◇ 6.2 ◇◇ ◇ ′◇ ◇ 1.6 8 一 -4 ◇ ◇ 量 ′◇◇ ◇ ◇る ◇収量 ◆ RDYA ◇ ◇ ( 月 / 日 ) 4 / 30 △ 125 素 △′ 100 量 △ー・ ◆ ◆ 75 カ 耕 50 耘 25 及 (B) 5 / 10 6 / 9 / ー豎 △移植日 ■窒素施肥量 ◆耕耘機普及率 0 2000 年 1970 1980 1990 図 1 1 ー 3 1950 年以降における収量および RDYA ( 栽培品種の相対収量性の重み付 け平均、本文参照 ) の推移 (A) 、平均 移植日、化学肥料窒素施肥量および動力 耕耘機普及率の推移 (B) ( 滋賀県農林水産 業統計データより作成 ) 6 / 19 6 / 29 1960 1950 261
第 11 章滋賀県にみる日本の稲作 減少が寄与している。 肥料・農薬は、言うまでもなく高生産性の維持に不可欠な投入財である。しか し、過度の使用は経営面から望ましくない。さらに、国土保全や環境形成など、水 田の多面的機能の維持を稲作農家が社会から負託されていると考えるならば、その ことを支える合意形成のために、肥料・農薬の効率的使用は避けられない課題であ る。これまでの取り組みには、上述の施肥技術の改良に加え、リン、カリなどの土 壌診断にもとづく施肥や、病害虫発生予察の強化をはじめとして、畦畔除草による カメムシ害対策のような、耕種的防除の工夫も含まれる。より意識的な化学資材の 減量手段として、種子の温湯消毒、中耕管理機 ( 除草機 ) の開発・普及などが検討 され、普及可能な技術として認識されつつある。 さらに、肥料・農薬の使用量を一切無しにする無施肥・無農薬栽培事例も、一部 だが継続的に行なわれてきた。そのひとつである滋賀県および京都府の事例では、 地域平均単収の 5 ~ 7 割に当たる 2.6 ~ 4.0 レ ha の玄米収量が維持されている ( 奥 村 1988 、小林 2014 ) 。そして病害虫の発生は、一部を除きほとんど問題視されて いない。このような事例の収量は、試験場における無施肥継続試験の収量に匹敵し ( 中田 198D 、熱帯・亜熱帯における低栄養土壌環境での低収量に比べて高い。特 殊な例ではあるが、日本の稲作の高い潜在生産力の一面を表してしている。 環境重視の稲作は、このように過去 30 年の間に顕著な進展をみせた。その到達 度は収量のように数値化することは難しい。ただし、技術的に実現可能になった 80 % という高い肥料窒素利用率は、諸外国ではみられない。そのための局所施肥機 や機能性肥料といった技術諸要素の普及は、着実に進んでいる。少なくとも窒素施 肥の面では、環境に配慮した稲作は高い水準に達している。 6. 稲作の今後 灌漑稲作では、労力や資源が許す限り適切な管理をすることにより、収量が確実 に増大する。このことを、滋賀県における過去 60 年の水稲生産性の推移は明療に ロ種と栽培技術の両方 示しており、農家収量は 1970 年代半ばまでの約 25 年間に の改善によって試験場収量の 75 % 程度までに達し、その後も現在まで緩やかな増 加を示してきた。稲作をめぐる社会状況が年々厳しくなってきた中でも収量が微増 267