イスラム教 - みる会図書館


検索対象: シャルリとは誰か? 人種差別と没落する西欧
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1. シャルリとは誰か? 人種差別と没落する西欧

外国出身の宗教的マイノリテイから出てきたエリートの流出、地方の離脱、グローバル化し た世界での精神的孤立。そう、フランスの終わり、今やそれも、考えられない見通しではない のだ。イスラム教の過ちのせいではなく、イスラム恐怖症患者たちの過ちのせいで。 未来のシナリオ 2 共和国への回帰ーー、・イスラム教と折り合いをつけること もちろんこのシナリオは、ナショナルな自由が再度見出された文脈においてでなければ意味 を持たないだろう。ューロからの離脱なしには、まともな経済政策は不可能で、失業率を下け ることはできす、経済的に最も脆い者たちーー、・・イスラム教文化圏出身であるとないとを問わず 若者たちーーーの状況改善も考えられない。 ヨーロッパ主義とイスラム恐怖症は今や利害を共に している。対称的に、イスラム恐怖症と反ユダヤ主義の制御は、ヨーロッパ主義の泥濘からの 脱出なくしては考えられない。 あらゆる誤解を避けるため、イスラム教と折り合いをつけていくという選択を検討する前に、 共和国契約〔基本的に共和主義的普遍主義の諸原則を指す〕の核心を念押ししておかなくてはな , らよ、 0 共和国契約は、共和国が何については絶対に譲れないのかを明確にする。 ①冒漬の権利について (<) 冒濆の権利は絶対である。警察は冒漬者の身体的安全を保障しなければならない。 でいねい 286

2. シャルリとは誰か? 人種差別と没落する西欧

ムでした。中東で組織され、都市郊外の若者によって実行されたにもかかわらす、その殺戮行 為は、現実のどんなイスラム教とももはや無関係なように感じられました。ダーイシュ〔「イ スラム国」〕自体と同様、その行為が表示したのは、イスラム教の病的な崩壊であって、どん な再活性化でもありませんでした。 フランス社会の反応はしたがって、イスラム教をめぐる問題という形では直接的かっ公式に 構造化されませんでした。事件直後の数日間、今やフランスでイスラム恐怖症のコードネーム となっている「ライシテ〔世俗性〕ーという言葉と主張はほとんど耳にしませんでした。フラ ンス社会全体がショックを受けた状態にあり、そしてこのたびは、イスラム教徒のフランス人 も他のフランス人同様にショックを受けた状態にあることが明白でした。 しかし、政府による危機への対処はまたも、現政府と、現政府が代表しているフランス中産 階級の無能力さを浮き彫りにしました。相変わらず、真の問題に取り組み、自らの責任を全う することができないでいるのです。悲しみの中でネイションが一つになったことは明白でした。 ですから、それは芝居がかった演出の対象となりませんでした。ダーイシュ〔「イスラム国」〕 によって選ばれた暴力による対決を受け人れる好戦的で権威主義的なスピーチが、社会党政府 が示した主要な反応でした。つまり、シリアをもっと空爆する、警察と軍隊によってフランス をくまなく警備する、憲法がすべてのフランス人に与えているいくつかの保障を消し去ること になる非常事態宣言を発令する、といったことです。その一方で、都市郊外の荒廃、労働階層

3. シャルリとは誰か? 人種差別と没落する西欧

論 結 ナチズム、そしてコミュニズムに到るまで 。ボルシエヴィキの党は実際にはプチ・プルの インテリゲンチャによる創設だったのだから。イギリス人およびアメリカ人中産階級の穏やか さが、英国と米国におけるリべラル・デモクラシーの安定性を作り出したのである。 この結論部の冒頭で示唆したように、今、フランスは岐路に立っている。二つの道が、われ われの前にある。 未来のシナリオ 1 対決 もしフランスがイスラム教との対決の道を歩み続けるなら、フランスはただ単に縮み、亀裂 を起こしていくにちがいない。若い世代の中では、「イスラム教徒」に分類されるフランス人 はおよそ人口の一〇 % を構成する。ラディカルなライシズム〔世俗至上主義〕の信奉者らの警 告に反して、「イスラム教徒」がどっと増えるわけではないのだ。なにしろ、これらの「イス ラム教徒ーの大半は実はさほど熱心な信者ではないし、また、しはしは彼ら・彼女らの父母・ 祖父母よりも古くからのフランス人の子や孫と結婚するのだから。とはいえ、今日以降、フラ ンス社会のいたるところに、そしてすべての階層にイスラム教徒がいるという状況になる。す でに彼らのうちのかなり多くがその家系によってフランス社会の幹のような部分に強力に接合 されている。したがって、イスラム教に対する闘争を強めることは、何がどう転んでも教徒の 数を減らすことにはつながらない。反面、すでに完全にフランス社会に同化しているイスラム 281

4. シャルリとは誰か? 人種差別と没落する西欧

諷刺は猥褻だと言うことを拒否できるわけがない。 今述べたことは、問題のごく小さな部分で しかない。イスラム教はもうそろそろ全体として受け人れられ、かってカトリック教会がそう 3 だったように、ネイションの構成要素として正統化されるべきなのだ。われわれはモスクの自 由な建設を受け人れるべきだし、さらにはこの領域での遅れを取り戻すべきである。 いまざっと描いてみたのはユートピアではない。 これは共和国の実在した過去への復帰の要 ライシズム 請なのだ。世俗至上主義が支配的なこの時代においてわれわれは、かってカトリシズムに与え たものをイスラム教に与えなけれはならない。イスラム教圏出身の人口規模はささやかなもの だし、それがさらに郊外で細分化されているのだから、カトリック的周縁部の諸地方との比較 は不用意に推し進めるわけにいかない。イスラム教徒は、年寄りたちを数えるか、若者たちに 注目するかで数値が揺れるが、せいぜい五 % から一〇 % までの間だ。しかも、グループは分散 していて、元の国籍も、宗教実践の度合いも同質的でない。そこから考えて、かってカトリッ ク教会の傘下にいた人口ほどの重みを持っことは将来にわたってあり得ない。カトリックだっ た諸地方は国土の三分の一を占め、当時ははるかに同質的で、中産階級や指導階層にも、今の イスラム教徒人口に比べたら遥かに多く人を擁していたのだ。というわけで、ややもすれば今 後まとまって出現してくるかのように言われているイスラム教の人口は、その勢力において、 かって共和国の中でカトリック教会が代表したものの三分の一から二〇分の一というところだ。 結局、リアリズムと実際上の必要の名において、ずばり完全に、しかも愉快な気持ちで、今

5. シャルリとは誰か? 人種差別と没落する西欧

教徒を疎外するだろう。フランスの都市郊外や地方で穏やかに暮らしているイスラム教徒の自 己防御的な信仰を硬化させるだろう。失業率がいっこうに下がらず、ユーロという「金の仔 牛」を崇めるヨーロッパの先行きが暗く、理解可能な将来が見えない状況の中で、そのような 強行策を採れば、ます確実にイスラム過激主義への賛同者が増えるだろう。ヨーロッパ出身の 若者のイスラム教への改宗が特に多数に及ぶのは、国土の中でも人類学的素地が核家族的で個 人主義的な地域、つまり広大なパリ盆地、すなわちノルマンディ、ピカルディー ニュ、トウーレーヌ、プルゴーニュといった地方であるに違いない。 世代間の連帯がさほどし つかりしておらず、若者が放置されていることの多い地域だからである。 理解すべきは、仮に一部の若者たちが「意味」に飢え、「宗教的なもの」に飢えているとす れは、イスラム教を罪あるものとして標的にするのは、その若者たちにイスラム教を現実から の理想的な脱出口のように見せるだけだ、ということである。年寄りの目には実に厄介な問題 と見えるものが、若者の目には実に素敵な解決策と映る。もし、メディアでしばしば解説され ているように、途方に暮れた若者にとって本当にイスラム教が悪夢の展望となりつつあるのだ とすれば、それなら、高校で生徒たちにライシズム〔世俗至上主義〕という新しい宗教を吹き 込もうとするのも、市民奉仕活動に学生や失業者を動員するのも、若者を次々に刑務所に放り 込むのも、彼らが出て来るところを尾行するのも、事態の深刻化にしかつながらない。 この国がプロテスタント 現代のフランスに、そんな対決を続けていけるような体力はない。 2 82

6. シャルリとは誰か? 人種差別と没落する西欧

分を船で強制退去させることを述べるのに適切であったか、それとも不適切であったか。 イスラム恐怖症の拡大には固有のテンポがある。イスラム教徒たちを象徴的に国民共同体か ら外へ締め出すかぎりにおいて、イスラム恐怖症はテロリズムの結果であるのと同じくらいに、 その原因でもある。それは、都市郊外に客観的に存在する危機と相俟って、絶望的な弁証法の 中で相乗効果を上げてしまうイデオロギー上のヒステリーなのである。 しかしながら、他の多くのケースと同様にここでも、われわれは現象を社会学的に、かっ統 計学的に位置づけることを忘れてはならない。ウエルべック的・ゼムール的な発想のイスラム 恐怖症への賛同は、その成り立ちからして、彼らの本を買ってそれを読む時間のある人びと、 フロン・ナンヨナル つまり中産階層に属する一定年齢以上の人びとに限定される。ナショナリズム政党、国民戦線 に投票する民衆層も、所得が低下している若い高学歴層も、ゼムールやウエルべックの本を買 って読むだけの金や暇に恵まれてはいない。 イスラム教の赤い布きれ (LeChiffonrouge ( 赤い布きれ ) は、一九七七年に作詞作曲され、八 機 危〇年代までフランスの左翼労働者運動の中で好まれた闘争歌〕、あるいはむしろ緑色の布きれ〔緑 教色はイスラム教を象徴する〕に向かって突撃するよりも、もともとキリスト教である九四 % の 宗 フランス人を襲っている精神的な混乱を考察しよう。フランスというネイションの存在に貢献 章 する四・五 % ないし五 % のイスラム教徒たちの心理的、社会的状態については、本書のもっと 第 後の方で言及する。

7. シャルリとは誰か? 人種差別と没落する西欧

章 序 テレビ局と新聞が果てしもなく、われわれは国民一体化の「歴史的な」瞬間を生きていると 繰り返していた「われわれは一つの国民である、フランスは自由によって、自由のために再 建され、逆境の中で一つになった」というのたった。もちろん、イスラムという固定観念がい たるところに表れていた。政治記者たちは、イスラム教の指導者や一般のフランス人イスラム 教徒が皆と同じように、暴力は受け容れがたい、テロリストたちは卑劣だ、自分たちの宗教を 裏切っている、と言うのを聞くだけでは満足しなかった。彼らはイスラム教の人びとがわれわ れ皆と同じように、「私はシャルリ」という決まり文句、すでに「私はフランス人」の同意語 のようになった決まり文句を口にするよう要求した。イスラム教徒も、申し分なく国民共同体 の一部分となるために、諷刺によるムハンマドの冒漬がフランス的アイデンティティの一部分 であると認めなけれはならなかった。冒漬することが義務となっていた。テレビ画面で、ジャ にわか ーナリストたちが俄に教師面をして、人種・民族的憎悪を焚きつける行動 ( これは悪い ) と宗 教的冒漬 ( これは善い ) との違いを、学者先生よろしくわれわれに教えるのだった。フランス 文化の中心的人物と言っていいジャメル・ドウブーズ二九七五年生まれのモロッコ系フランス 人俳優、映画『アメリ』などに出演〕がテレビ局 1 のスタジオでこのような厳命に晒され るのを見て、私は辛い田 5 いをした。彼がそのスタジオに行ったのは、自分がイスラム教徒であ ることを、都市郊外の若者たちに変わらぬ友情を抱いていることを、そしてフランスと、イス ラム教徒ではない自分の妻と、混合結婚で生まれて、「明日のフランス」ともいえる自分の子

8. シャルリとは誰か? 人種差別と没落する西欧

②被支配的状況にあるマイノリティの宗教であるイスラム教への敵意 ③被支配的状況にあるそのグループの内部での反ユダヤ主義の擡頭 ④その反ユダヤ主義擡頭に対する、支配的世俗社会の相対的無関心 このような文脈においては、次のことが社会学的に、政治的に、人間的に明白だ。すなわち、 、・ズ・ラ・ム・教む、「こフンス社会の中心的問題としてすれば、フランス人のマジョリティにと「 てではなく、ユダヤ系の者にとって、身の危険が増大するのが必至であるということ。 戦闘的無神論の拡大がイスラム恐怖症の拡大につながり、イスラム恐怖症の拡大が反ユダヤ 主義の拡大につながるというこの連鎖は、偶発的なものと見做されるべきだろうか。もちろん、 政治的・社会的な当事者たちの意識的動機だけに注目するのならば、偶発的と言えるだろう。 しかしながら、シャルリ現象の中心にゾンビ・カトリシズムを見出した以上、われわれは慎重 にならざるを得ない。もはや、社会的メカニズムを「意識」のレベルだけで読み取って、それ ( ( ( しかないのである。人類学的慣性という仮説と、歴史的諸力には継続性 でよしとするわナこま、 があるという自明の理を受け人れるならば、われわれはまた、イスラム教との関係で輪郭が明 ャ 確になるシャルリの中核に、過去においてユダヤ人に対して必すしも好意的でなかった諸力の シ フラン 日遍主義のイデオ 末裔を見ることをも受け人れなくてはならない。 章 カらなるとえるタイプのフランスもまた 2 ロギーにさ てしるた。 13 7

9. シャルリとは誰か? 人種差別と没落する西欧

ム教徒と感じている。イスラム教の悪魔化がまだ、彼らが自分たちの宗教を隠さなければなら ないと感じるほどのレベルには達していないことを喜ほう。定期的で、標準化されていて、完 全な形をもっ観察はかなり稀なので、われわれとしては、調査対象となった人たちの七八 % が 自分の宗教を真面目に考えているというふうに自己定義したのは、単に私がツヴァイク効果と 呼ぶものではないかと考えてみる必要がある。つまり、もし社会全体があなたをイスラム教徒 というレッテルのついた袋に人れれば、あなたはイスラム教徒と感じるというわけだ。 ユダヤ人の歴史との比較に立ち返ってみよう。一九三〇年頃、西ヨーロッパで暮らすユダヤ 人のマジョリティは、いわば、自らの宗教的アイデ ' ン・テイディい忘却に向かって歩んでいた ち た一九四五年以降、一人、二人、三人、あるいは四人、祖父母にユダヤ人がいる人はみな、ユダ スヤ人であることは必すしも個人的な選択ではないと承知するにいたっていた。要するに、イス ララム教への思い人れや関わりの同質性は失業率の同質性と実際に関係づけられるべきなのだ。 のもっともこのように言うからといって、失業の経験が強制収容所に閉じ込められる経験と同じ ム程度にドラマチックだというわけではない。 ス イ マグレブ文化の瓦解 コミュニティ 章 私は一九九四年に『移民の運命』を上梓し、共同体の枠の中でイスラム教圏出身の人びとを 第 描くと主張するのは筋の通らない企てであることを示したつもりだ。移民が自分の周りのフラ 23 )

10. シャルリとは誰か? 人種差別と没落する西欧

もし無神論が曇りのない心理的な安らぎを長期にわたってもたらしてくれるどころか、逆に なら ( 、われわれはフランス国民を形而上学的 むしろ不 」 - 「・山険・択態に・いるものとして表象しなけれはならない。そして、分析のこの段階に到ったな らは、次にわれわれはフランス国民が自らの状況を構造化してくれるのに役立つような敵対者 を、標的を求めているというようにさえ思い浮かべてみなければならない。さて今、いわば手 の届くところにイスラム教がある。先進資本主義の危機によって破壊されたわが国の都市郊外 に、また、近代への移行期の危機に見舞われて混乱する中東や北アフリカのイスラム教国に イスラム原理主義やテロリズムの具体的存在を軽視することなしに、われわれは、無信 仰のフランスが自らのバランスを見つけるために、もはや使えなくなってしまった自前のカト リシズムに代わるスケープゴートを必要としていることを認めることができなくてはいけよい。 イスラム教の悪魔化は、完全に脱キリスト教化した社会に内在する必要性に対応する。この 仮説なしには、多めに見積もってもこの国の住民のわずか五 % 、しかも社会的にも弱く、最 機 ノンマドという宗教的人物を諷刺 2 危も皀い立場にある % の人びとにとって尊敬の葵 す第籬悧を絶対のものとして主張するために、数百万もの世俗的・非宗教的人間がゾンビ・カ トリシズムの大統領を先頭にして街頭を行進する、などという事態は理解できない。 章 たしかにこの型の分析では、一月一一日のデモにより積極的だったのがフランスの二つの非 第 宗教性のうちのいすれなのか、古いほうか、新しいほうかは分からない。しかし、その問いー ロ心