たとえばコートⅡダルモール県であったが、この県は人類学的に見てきわめてオリジナルで、 その西の部分を占めていたのは母系制共同体家族の一タイプであった。しかし、カトリシズム の定着と共産主義の定着の地理的補完性に注目すると、共犯関係とまでは言わないまでも、ひ とつの構造、ひとつのシステムを想起せざるを得ない。 一七八九年から一九八一年にかけて、 フランスの中央部分と地中海沿岸地方の革命的イデオロギーはこうして、フランス周縁部のカ トリシズムの防衛拠点を支えにしていたように見える。革命の大帆船がカトリックの支索によ って安定させられているという思いがけないイメージが脳裡に浮かぶ。いずれかの時期に革命 的イデオロギーが、カトリシズムから提示される矛盾に支えられることなしにそれ自身の力だ けで存在し得たなどと、人は果たしてしつかりと確信できるのだろうか カトリック教会の最終的な消滅は、世俗主義に立っフランス人の生活に空白を残す。カトリ シズムの終焉は世俗主義的フランスにとっても危機なのだ。フランスの現代史の流れの中で、 共産党の支持率が宗教の実践率の低下にどう続いたかを見ると、否応なしに強い印象を受ける。 機 オオ二〇 : ハ % から一五・ 危フランス共産党がガタンと得票率を落としたのは一九八一年ごっこ。 教三 % へと急落したのだ。ソ連のシステムが内部崩壊するより一〇年近くも前だった。しかし、 宗 カトリシズムの衰退からは一五年が経過していた。 章 フランス周縁部の諸地方、すなわちフランス西部、西ピレネー、中央山岳地帯の南と東、ロ 第 ーヌⅡアルプ地方、ジュラ山脈地帯、ロレーヌ地方、アルザス地方、フランス北端などで宗教
〇年代以来、不幸にして「普遍主義的外国人恐怖症」のとてつもない波を作りだしているのだ。 もっとも、その波は、不平等へと向かうフランス社会の主要な動きの余波にすぎない。 危機の四段階 ドラマの主要な要素を分析し終えたので、われわれは今や、かなりシンプルな図式でもって、 フランスにおけるイデオロギーの逆転を、平等原則からその反対物へという逆転を要約するこ とができる。 ( 1 ) 出発点。不平等という価値にとって二箇所、安定した錨の下ろし所がある。すなわち、 非常に限られた上級階層と、カトリシズムの拠点地域である。 ( 2 ) 最終的な脱キリスト教化によって、フランスの三分の一に相当する周縁部のゾンビ・カ トリシズムと、その不平等主義的な基盤が擡頭する。 ( 3 ) ゾンビ・カトリシズムであるとないとを問わず、教育の進展によって膨張した上級階層 が、不平等の価値そのものによる支配ではないとしても、漠然とした不平等主義的感情による 支配を、下方へ向かう社会的な毛管を通じて拡げる。 ノのメカニズムの重心が北方へ、また不平等原則の方へと移ると、そのヨーロ ( 4 ) ヨーロツ。、 ・メカニズムが、フランス内部で不平等を支持する勢力にとってきわめて重要な支えとな る。それに対応して、フランスの三分の一に相当する諸地方と、中産階級の一部分が、ドイツ
同じタイプのメカニズムがクロアチアという、カトリシズムを特質とするネイションの分離 独立においてひとつの役割を果たしたと考えることは不可能ではない。とはいえ私は、クロア チアをポーランドや西部ウクライナと同じカテゴリーに人れるのを躊躇する。なせなら、ユー ゴスラビアはたしかにカトリシズム、ギリシャ正教、イスラム教という異なる宗教的アイデン ティティの混在を特徴としていたけれども、あのユーゴスラビアを破壊した内戦は教会の崩壊 よりも共産主義の崩壊によって起こったのだったからだ。ガリツィア、ヴォルイーニ、ルテニ アといったウクライナの地域で、ネオナチの色彩を帯びた極右が登場したことは、人びとが不 当な支配から解放されれはメンタル面でよりよいバランスが生まれると期待する者には意外で あろう。しかしそれは、バスク地方で、アイルランドで、フ一プーン・ドル・地方で、またケベック州 でナショナリズムの登場を観察した経験を有する者にとっては、まったく普通の現象にすぎな 、 0 こういうわけだから、われわれは、ポーランドや西部ウクライナでのロシア恐怖症がたと え過去に遡る象徴のシステムを用いていても、それは現在経験されている宗教的危機を表現す るものであって、ロシアがパワーを持とうとしていることとはあまり関係がないということを 理解しなければならよい。 ナショナリズムがその攻撃の標的と嫌悪の対象の選択において独創的であることは、めった にない。それでもわれわれは、カトリシズの末期的危機がフランスとドイツにおいて、あり きたりの自民族中心主義的ナショナリズムよりも遥かに興味深い移行期イデオロギーのひとっ
ロッシュⅡシュルⅡョンとなる。西部地域の都市〔プレスト、レンヌ、サンⅡプリュー、カンペ ール、ラ・ロッシュⅡシュルⅡョン〕が突出して多くランクインしている事実は、あたかもカ ごと トリシズムの署名の如し。これは、アンドレ・シーグフリード〔フランスの歴史家、社会学者 で、投票行動研究のパイオニア。一八七五 5 一九五九年〕が早くも一九一三年に、フランス西部 の抜きがたく根強い保守傾向におけるカトリシズムの役割を研究して著したフランス政治学の あの傑作、『第三共和制下におけるフランス西部地域の政治一覧』への、遅まきながらの、そ して奇妙なオマージュとも一一一口えよう。シーグフリードの分析は、あの時代の共和主義者たちに とって見落とすべからざるものであった。彼らに、カトリック教会と共存していくことを学は ねはならない と告けていたからである。しかし、今日われわれが理解しなけれはならないのは、 あの西部地域が共和国的価値の名において立ち上がったのはなか、という点である。なにし ろ、それは奇蹟的な変化であるからだ。もっとも、西部地域が今日擁護する共和国が、ほかで ま もないその地域が一七九一年から一 してひどく嫌ってきたのと同じ共和国で あると信じることをわれわれが受け人れるのであれば、という条件のつく話ではある。 とはいえ、ゾンビ・カトリシズムの効果は、同じ西部地域の中でも、ラヴァル、アンジェ、 ショレ、サンⅡナゼールのような労働者の比率が大きい都市部ではかき消されている。サンⅡ ナゼール〔プルターニュ半島の南側に位置する港湾都市〕を別として、西部地域の諸都市は稀に しか「労働者の」町と思われていない。なせなら、この地域への工業導人は最近のことだから 104
実際、アプラハム、ダビデ、イエス、ヨセフ、ユリアヌス、モーゼ、パウロ、ベトロ、ソ ロモンについての記事はあるが、ムハンマド、ルター、カル ンについては記事が一つもな い。シャルリの場合とは反対で、ヴォルテールが糾弾したのは他者たちの宗教ではなかった。 彼は、自分の宗教と、自分の宗教の源である宗教を冒漬したのである。 マーストリヒト条約からと同様に、二〇一五年のデモ行進からもわれわれはまだ十分に遠ざ かっていないから、この距離のなさでは、今日の時点で、シャレ丿ゞ ノーカ権威主義的で不平等主義 的な怪物を生み出すと断言することは許されない。それに、。、丿 ー地域は全体として、決して不 平等を代表的な価値としている地域ではないので、現在、首都の中産階級にいったいどの程度 不平等の価値が浸透しているのかという点は不明だ。実はこの先の数章で指摘しようと思って いるのだが、パ リでのデモには、カトリシズムの伝統とはまったく別個で、むしろカトリシズ ムとは逆方向の革命的・共和主義的伝統の暗い側面を思わせる外国人怖症の要素が含まれて いた可能性も否定できなし 、。シャルリはフランス現代史の暗黒の時期につながる性格を帯びて しる力と , っ力とい , っ . し ( リ、こ、最終的な答えを与えることはできない。 しかし、われわれは今、一一〇一五年のフランスにいて、不 ' ズ・・ラ・ム・恐怖どの剌羽第 0 店 情に引っ張られている。そうであってみれば、ネオ共和主義が新手のヴィシー主義であること が「確実」となるまで待って、その後にその命題の正しさを宣一言するというような贅沢を、わ れわれは自らに許すわけにいゝよい。なせなら端的にいって、将来のある日そのことを本当に 114
等主義的な周縁部を掌握できなくなっている。いや、中央部が周縁部にコントロールされるよ うになってきているとさえいえる。ゾンビ・カトリシズムの諸地域がヨーロッパのメカニズム を支えにして、フランス全域を牛耳るという構図が見える。事を単純に述べるべく、今やヨー ロッパの中心的パワーとなったドイツを出発点にしよう。ゾンビ・カトリシズムの諸地方は、 フランス領内でドイツ・システムの仲介役を果たしているのだ。 ヨーロッパ全域を包括的に検討すると、ヨーロッパ大陸規模でのゾンビ・カトリシズムが家 族的価値の作用と連関していることが明らかになる。フランドル地方、ヴェネチア、アイルラ ンド、オーストリア、ポーランドのダイナミズムは、カトリック教会の最も確かな拠点のうち に数えられていた地域における宗教的実践の崩壊に関連している。ドイツ国内でも、カトリッ ク教徒が多数派を占めている南部のバイエルン州とバーデンⅡヴュルテンベルク州が、経済成 平長率においてプロテスタントの多い北部に優っている。ただ、ルール地方〔ドイツ中西部のル 畩ール川下流域全体。かっての重工業地帯〕の産業転換のせいで、カトリック的なラインラント 置〔ライン川中流・下流域の総称〕の上昇にはプレーキがかかった。スロヴェニアとクロアチアは、 境経済的適応に成功すれば、ゾンビ・カトリシズムのグループに人れるだろう。これらの地域で は、基底に潜む家族構造がさまざまであるにもかかわらす、平等原則の不在という橋渡しの要 章 素は共有されている。 第 したがって、ヨーロッパ域内にも、フランス国内にも、ゾンビ・カトリシズムの地域が星座 16 ー
る。つまり、リョンでのデモの動員率は一三・七 % だったのに、マルセイユではそれが六 七 % にとどまったのである。この二つの大都市の間のコントラストがほとんど常に何らかの意 味を帯びるのは、両者かそれぞれ文化的にきわめて特徴的な地域の中心を成しているからた。 リスト マルセイユは ィさた南東部の主要都市で、かっては共産党の強い地盤であった フロン・ナショナル が、今日では国民戦線のそれとなっている。リョンはカトリシズムの伝統の色濃いローヌー 4 ・刀方・の・主要都市でみん。マルセイユは昔からの世俗性を引き継ぐ町として、リョンはゾ ンビ・カトリシズムの町として、いすれも都市部としての変貌を体現している。両者の対立か ら推し測ると、カトリシズムの影響の強いフランスの周縁部の人びとには、このたびのデモに 参加する傾向が強くあったのではないか、他方、昔から脱キリスト教化されていた地域の人び とはデモにさほど熱心ではなかったのではないかと思われる。 この問題を包括的に扱うことが可能だ。そのためには各都市を、カトリシズムが染み込んで いるか、昔からの世俗主義が染み込んでいるかという、周辺地域の文化的特徴によって分類す ればよい。ごく少数のケースでは、私は中間的なカテゴリーを用いなければならなかった。地 図 2 ー 4 は、各都市を一二つのカテゴリーに分けて示している。カトリシズムの浸透度の強い地 シ 域、弱い地域、皆無に近い地域の三つである。この地図は、前章で県ごとに提示した宗教実践 章 の地図から派生している。都市部の宗教色を判断する際に、私は主だった移住の流れを考慮し 第 た。したがってここでは、地方の各都市が農村部から都市部への流人人口とともに、周辺地域 101
第 2 章シャルリ グラフ 1 ゾンビ・カトリシズムの影響力とデモ参加率の関係 参加率 20 % 15 % 11.4 % 10 % ー 5.3 % 5 % 0 % 影響力強い ゾンビ・カトリシズムの影響力 ほとんど影響なし影響力弱い の文化を吸収したと考えていただきた グラフ 1 か示すように、デモ参加率 の平均に関していうと、世俗性を伝統 とする諸都市では平均して , ハ % 、ゾン ビ・カトリシズムを特徴とする諸都市 では一一・四 % である。ここでもまた 相関関係は明瞭で、労働者に関して計 測された相関関係に近いプラス〇・四 ( 4 ) 三という値である。実際には、デモ参 加率の高い順に諸都市を単純にリスト アップすると、そこにゾンビ・カトリ シズムの効果が浮かび上がる。リスト の最上位に位置する都市を順位にした がって列挙すると、シェルプール、プ レスト、レンヌ、サンⅡプリュー、グ丐 ルノープレ、。、 カンペール、ラ
日本の読者へ 外国語版の読者へ 序章 第 1 章宗教的危機 カトリシズムの末期的危機 宗教の崩壊と外国人恐怖症の急増 カトリック的フランスと世俗的フランス 二つのフランスと平等 唯一神から単一通貨へ フランソワ・オランド、左翼、ゾンビ・カトリシズム 一一〇〇五年ーー階級闘争の機会を逃したか ? 無神論の困難さ 第 2 章シャルリ ンヤルリ 管理職、上級職、カトリック教徒のゾンビ 一七五〇年 5 一九六〇年
確信するに到るとすれば、その時にはすでに手遅れとなっている可能性が高いからだ。その時 には、イスラム恐怖症がすでに十分に拡がり、伝統的右翼の反ユダヤ主義にも劣らず危険なも のとなっているだろう では、状況を評価するために、二〇一五年のこの時点でわれわれはどんな手がかりを持って いるたろうか。 ①問題のデモの地理的・社会的アイデンティティ・カードはここにあり、そこにはゾンビ・ カトリシズムの多くの拠点が示されている。この資料は真に説得的で、ライシテ〔世俗性・非 宗教性〕についての気休め的な言説のすべてに無効宣言を下すに十分だ。フランス各地の街を デモの先頭に立って歩いたのは、昔からのライシテではなく、かってカトリック教会を支持し た勢力の変異体だった。イスラム教を前にして最前線に立ち現れるのはゾンビ・カトリシズム ゾンビ・カトリシズムはムハンマドを諷刺する義務 であって、フランス革命の精神ではない。 を宣言する。もはや神を信じない世界のただ中で、われわれにある種の宗教戦争を呼びかける。 ウィ ②一月一一日のデモへの参加と、マーストリヒト条約への「諾」に共通する宗教的かっ社会 ャ経済的な特定の性格が示唆するのは、単一通貨と同じように、シャルリもダイナミズムを秘め た現象であって、今後、時とともに、その本来の準拠価値である権威と不平等をますます強く 章 、大人になった、り、シ ) 2 にじませていくかもしれないとい一つことだ。、、 ノヤルリは子供にすぎない。 ャルリは誰に似るのだろう ?