アイルランド、北イタリア、北西スペイン、フランス周縁部などであった。これらの地域に共 通する非平等主義的な人類学的素地が、ユーロ圏における不平等主義出現の主要な基盤を構成 しているのだった。そこで、今やわれわれの分析モデルにもう一つ別の、これまた星座のよう に諸地域に散在する要素を、ゾンビ・プロテスタンティズムと名づけて付け加えなければなら よい。ゾンビ・プロテスタンティズムは、ゾンビ・カトリシズムに比べてより北方に所在し、 同じように不平等主義的だが、イスラム恐怖症といえる思念の採用においてはより積極的だ。 ルター派のドイツの場合には、反ユダヤ主義が擡頭した頃もそうであったようにと、やはり付 け加えておくべきだろう。宗教実践としての死のあとのゾンビ・プロテスタンティズムの延命 においては、運命予定説の教義に由来する不平等主義のいっそうの徹底が予感される。ゾン ビ・カトリシズムとゾンビ・プロテスタンティズムという二つの集合が、オランダとドイツで 混じり合い、補完し合っている。 ニ 0 一五年一月一一日のヨーロッパ主義的大ハプニング デモ行進の先頭に立って歩いた国家元首たちは、不平等のヨーロッパを演出していた。イス ラエル首相べンヤミン・ネタニヤフのケースは脇に置く。彼があそこにいたのは、まったく別 の配慮、特にフランスでユダヤ教を実践している人びとが晒されることになったリスクに関す る配慮によって正当化されていたからだ。また、ロシア外相セルゲイ・ラブロフのことも、こ 170
等主義的な周縁部を掌握できなくなっている。いや、中央部が周縁部にコントロールされるよ うになってきているとさえいえる。ゾンビ・カトリシズムの諸地域がヨーロッパのメカニズム を支えにして、フランス全域を牛耳るという構図が見える。事を単純に述べるべく、今やヨー ロッパの中心的パワーとなったドイツを出発点にしよう。ゾンビ・カトリシズムの諸地方は、 フランス領内でドイツ・システムの仲介役を果たしているのだ。 ヨーロッパ全域を包括的に検討すると、ヨーロッパ大陸規模でのゾンビ・カトリシズムが家 族的価値の作用と連関していることが明らかになる。フランドル地方、ヴェネチア、アイルラ ンド、オーストリア、ポーランドのダイナミズムは、カトリック教会の最も確かな拠点のうち に数えられていた地域における宗教的実践の崩壊に関連している。ドイツ国内でも、カトリッ ク教徒が多数派を占めている南部のバイエルン州とバーデンⅡヴュルテンベルク州が、経済成 平長率においてプロテスタントの多い北部に優っている。ただ、ルール地方〔ドイツ中西部のル 畩ール川下流域全体。かっての重工業地帯〕の産業転換のせいで、カトリック的なラインラント 置〔ライン川中流・下流域の総称〕の上昇にはプレーキがかかった。スロヴェニアとクロアチアは、 境経済的適応に成功すれば、ゾンビ・カトリシズムのグループに人れるだろう。これらの地域で は、基底に潜む家族構造がさまざまであるにもかかわらす、平等原則の不在という橋渡しの要 章 素は共有されている。 第 したがって、ヨーロッパ域内にも、フランス国内にも、ゾンビ・カトリシズムの地域が星座 16 ー
第 2 章シャルリ グラフ 1 ゾンビ・カトリシズムの影響力とデモ参加率の関係 参加率 20 % 15 % 11.4 % 10 % ー 5.3 % 5 % 0 % 影響力強い ゾンビ・カトリシズムの影響力 ほとんど影響なし影響力弱い の文化を吸収したと考えていただきた グラフ 1 か示すように、デモ参加率 の平均に関していうと、世俗性を伝統 とする諸都市では平均して , ハ % 、ゾン ビ・カトリシズムを特徴とする諸都市 では一一・四 % である。ここでもまた 相関関係は明瞭で、労働者に関して計 測された相関関係に近いプラス〇・四 ( 4 ) 三という値である。実際には、デモ参 加率の高い順に諸都市を単純にリスト アップすると、そこにゾンビ・カトリ シズムの効果が浮かび上がる。リスト の最上位に位置する都市を順位にした がって列挙すると、シェルプール、プ レスト、レンヌ、サンⅡプリュー、グ丐 ルノープレ、。、 カンペール、ラ
日本の読者へ 外国語版の読者へ 序章 第 1 章宗教的危機 カトリシズムの末期的危機 宗教の崩壊と外国人恐怖症の急増 カトリック的フランスと世俗的フランス 二つのフランスと平等 唯一神から単一通貨へ フランソワ・オランド、左翼、ゾンビ・カトリシズム 一一〇〇五年ーー階級闘争の機会を逃したか ? 無神論の困難さ 第 2 章シャルリ ンヤルリ 管理職、上級職、カトリック教徒のゾンビ 一七五〇年 5 一九六〇年
確信するに到るとすれば、その時にはすでに手遅れとなっている可能性が高いからだ。その時 には、イスラム恐怖症がすでに十分に拡がり、伝統的右翼の反ユダヤ主義にも劣らず危険なも のとなっているだろう では、状況を評価するために、二〇一五年のこの時点でわれわれはどんな手がかりを持って いるたろうか。 ①問題のデモの地理的・社会的アイデンティティ・カードはここにあり、そこにはゾンビ・ カトリシズムの多くの拠点が示されている。この資料は真に説得的で、ライシテ〔世俗性・非 宗教性〕についての気休め的な言説のすべてに無効宣言を下すに十分だ。フランス各地の街を デモの先頭に立って歩いたのは、昔からのライシテではなく、かってカトリック教会を支持し た勢力の変異体だった。イスラム教を前にして最前線に立ち現れるのはゾンビ・カトリシズム ゾンビ・カトリシズムはムハンマドを諷刺する義務 であって、フランス革命の精神ではない。 を宣言する。もはや神を信じない世界のただ中で、われわれにある種の宗教戦争を呼びかける。 ウィ ②一月一一日のデモへの参加と、マーストリヒト条約への「諾」に共通する宗教的かっ社会 ャ経済的な特定の性格が示唆するのは、単一通貨と同じように、シャルリもダイナミズムを秘め た現象であって、今後、時とともに、その本来の準拠価値である権威と不平等をますます強く 章 、大人になった、り、シ ) 2 にじませていくかもしれないとい一つことだ。、、 ノヤルリは子供にすぎない。 ャルリは誰に似るのだろう ?
の邪魔をしないだけでもよい。できれは、戦闘的な無神論からくる侮辱や攻撃から、またラデ イカルなライシズム〔世俗至上主義〕という、今ではむしろ信仰の自由に対する新たな脅威と なってしまっているものから、それらの家族を護るのがよい。付け加えていえば、この極端な ライシズム 世俗至上主義はそれ自体が新しい種類の信仰なのだから、カトリシズムや、プロテスタンティ ズムや、ユダヤ教や、イスラム教とまったく同じように公立の学校の中に人り込ませてはいけ ないのだ。 イスラム教と平等 ち フランス社会に対してイスラム教が投けかける問いの主要なものは、形而上学的に空白化し 人 スている社会の中で、古い宗教として、代替物として名乗り出るが、よろしいか ? ということ ラでまよ、 0 もともとイスラム教を担っていた人 イスラム教はもはやそんな力を持っていない。 のびとの集団は他の集団と同様に、若干遅れながらも世俗化の過程にある。しかし、を・テ教ー ムはカトリシズムやプロテスタンティズムと同じように、その固有の価値観をしまではその一口仰 。ることが可能だ 4 ・プ・てし・ま・つ、た人びどに伝達し生きた信仰として消えた後も イ われわれはゾンビのカトリシズムの存在を、次にはゾンビのプロテスタンティズムの存在を認 章 5 めざるを得なかった。今度はゾンビのイスラム教の存在を考えてみることができなくてはいけ 7 さて、イスラム教が持っているもので特徴的なのは、人び・ど・の平等とい・う力強・い価直観
まで進むことができる。統合の失敗について嘆くよりもむしろ、われわれがすべきは、ゾンビ のイスラム教がフランスの政治文化をポジテイプに回復することに貢献するのではないかと問 うてみることである。というのは、人類学的に明白なのが、いったんアラブ文化の中にある反 リ盆地ないしは フェミニストな要素が解体されれば、イスラム教はその平等主義にゆえに、。、 地中海沿岸地方の平等主義と高度に共存可能であることだからだ。 私は今日のフランス社会について、主観的な価値であり、かっ客観的な現実である不平等性 の作用を受けていると述べた。不平等への傾向をあらかじめ持っている地域と階層、すなわち ゾンビのカトリシズムと社会的上層階級によって、イデオロギー的、政治的権力が握られてい ち たることを示した。その結果、フランスの中央部に所在して、平等主義的でフランス革命を成し ス遂げ、真に共和主義的な共和国の開花の立役者となった文化が相対的に崩壊していることを認 ラめなくてはならない。国民文化のこの転倒の主要な政治的エージェントは社会党であった。社 の会党こそが一見慎み深く見えながら、強い力をもって不平等主義をプロモーションしているの ムゞ」 0 ス平等の価値に照らして、アラブ家族とそのイスラム教は、ゾンビのカトリシズムの地方やネ イ オ共和主義のイデオロギーよりも、フランス中央部の伝統に近い。イスラム教圏出身のフラン 章 ス人が極左への強い投票傾向ーー「赤い郊外地域での共産党への投票の継承性ーーを持って 第 いる点にわれわれはそれを感じとることができた。したがって人類学は、その有効性と固有性 263
えて生き延びていることに注目した。その確認において、本書でもすでに述べたとおり、われ われの考察の理論モデルの中にゾンビ・カトリシズムという概念を導人することが必要になっ たのである。数多くの統計学的指標から見て、平等に無関心であったり敵対的であったりする 諸地域では何かが相変わらす活発であることが明らかだった。学校の生徒の成績が良い、家庭 環境の問題の発生件数がより少ない、失業率が相対的に低い、経済活動の転換が成功したケー : といったことにそれが表れていた。対称的に、平等主義的で世俗主義的な昔から スが多い : のフランスの不調が確認できた。二〇一四年における失業率を県別に示した地図 3 ー 2 に目を やると、失業率と宗教実践の残存、すなわちゾンビ・カトリシズムとの間に、僅かではあるけ れども意味深長な負の相関関係 ( マイナス〇・三〇 ) のあることが看て取れる。 教育成果の格差がゾンビ・カトリシズムの好調さと世俗主義の不調さを隔てる動因であると 見て、まず間違いないだろう。この点で最も驚くべきはおそらく、教育上の二極化がより鮮明 に確認されるのが平等主義気質の地域においてであるということだろう。その諸地域では、初 等教育にとどまる人口も、高等教育まで受ける人口も、共に多いのである。 われわれが『不均衡という病』に提示した分析結果と平行して、他の研究者も教育上の困難 地図 3 に直面している地域の特定に努めた。われわれは同じ結論を共有することになった。 1 が表示しているのは、二〇〇一年 5 二〇〇二年度に中学一年生〔年齢的には日本の小学六年 生に相当する〕の能力を評価するために全国一斉におこなわれたテストの結果を、社会経済的 148
〇年代以来、不幸にして「普遍主義的外国人恐怖症」のとてつもない波を作りだしているのだ。 もっとも、その波は、不平等へと向かうフランス社会の主要な動きの余波にすぎない。 危機の四段階 ドラマの主要な要素を分析し終えたので、われわれは今や、かなりシンプルな図式でもって、 フランスにおけるイデオロギーの逆転を、平等原則からその反対物へという逆転を要約するこ とができる。 ( 1 ) 出発点。不平等という価値にとって二箇所、安定した錨の下ろし所がある。すなわち、 非常に限られた上級階層と、カトリシズムの拠点地域である。 ( 2 ) 最終的な脱キリスト教化によって、フランスの三分の一に相当する周縁部のゾンビ・カ トリシズムと、その不平等主義的な基盤が擡頭する。 ( 3 ) ゾンビ・カトリシズムであるとないとを問わず、教育の進展によって膨張した上級階層 が、不平等の価値そのものによる支配ではないとしても、漠然とした不平等主義的感情による 支配を、下方へ向かう社会的な毛管を通じて拡げる。 ノのメカニズムの重心が北方へ、また不平等原則の方へと移ると、そのヨーロ ( 4 ) ヨーロツ。、 ・メカニズムが、フランス内部で不平等を支持する勢力にとってきわめて重要な支えとな る。それに対応して、フランスの三分の一に相当する諸地方と、中産階級の一部分が、ドイツ
六五年から二〇一五年の年月における最も重要な社会現象である。それこそが結果としてフラ ンスをひとつのイデオロギー的冒険に引き込んだのだ。そのイデオロギー的冒険にはいくつも の断面があって、そこには新しいタイプの社会主義の擡頭、地方分権化、ヨーロッパ主義の巻 き返し、被虐的な通貨政策、共和国の変質、さらには本書のもっと後の方で明らかになるよう に、特に陰険な形をとるイスラム恐怖症、さらにはたぶん反ユダヤ主義、等が含まれている。 フランソワ・オランド、この人は極右陣営に属するカトリック教徒の医者と、左翼でカトリ ック教徒のソーシャルワーカーの間に生まれた息子であるが、ゾンビ・カトリ、、スムの完璧な ー的な意味における理念型と見 体現者だ。彼はカトリック教徒のゾンビというもののウェ 做されてもよいだろう。オランド自身はき「と自分を左翼だと思「ているのだろうし 0 彼が、し、ーー / 朝 ( の中の深い部分で肯定している諸価値が彼の子供時代のそれ、すなわちヒエラルキー、従順さ、 そしてもしかすると母権であることを容易には認めることができないだろう。カトリシズムの 最新の形は実際、マリア信仰にフォーカスした母親の宗教であり、とりわけフランス西部では その傾向が顕著だといえる。 大統領の宗教的アイデンティティ・カードをこうして一瞥してみると、たくさんのことが分 かる。困難に晒されるネイションのリーダーの座にいながら、大統領は実に頑固に何もしない ことに、決断しないことに、偉大にならないことに、彼が受けた教育と合致して倹しくあるこ ジョンにお とに執着している。しかし、まさにこの種の直ましさこそが、そのオリジナルバ