マグレプに出自をもっ若者たちに対して昔の異端審問所の審問官のように振る舞う彼は、して みると、混合カップルで生きるアルジェリア系二世・三世の半分よりも同化において遅れてい るということになる。加えて、男性性に関する型どおり地中海的なあのご託を聞けは、彼を判 断するには十分だろう。トランス・カルチュラル精神医学なら、おそらくゼムールを「同化不 十分のマグレブ人」に分類することだろう。しかし、社会学の視点を維持しよう。ゼムールが 文化状況の中心にいるのだから、トランス・カルチュラル精神医学は、フランスの中産階級の 精神状態についても何か言わなければなるまい 次に、アカデミー・ フランセーズの方へ寄り道しよう。そこでは平均年齢七八歳の会員たち が過日アラン・フィンケルクロートを選出し、イデオローグをもう一人、紹介してくれた。ア ラン・フィンケルクロートは、本人ももともとはポーランド系ユダヤ人なのだが、われわれの 社会で問題が発生するたびに、その中にいつもいち早く、「アラブ人」的次元、あるいは「黒 人」的次元を探し当てる。だが、彼もまた、混合結婚に飛び込むことはしなかった人物だ。こ の点で、アルジェリア系、モロッコ系、チュニジア系、あるいはプラック・アフリカ系の大勢 の若者たちとは対照的だ。 しうまでもなく、よきフランス人であるためには混合結婚が義務、などということはない。 私のユダヤ人の祖先は一九一四年から一九一八年までのあの第一次世界大戦では兵士として戦 うという国民の義務を果たしたが、それまで混合結婚をしたことは一度もなかった。戦地に赴 244
の形を生み出したことを認める必要がある。ドイツとフランスでは、カトリシズムを実践する 地方は全国土の三分の一しか占めておらす、それらの地方は一九一四年から一九一八年までの 第一次世界大戦によってそれぞれのネイションに完全に統合されていた。しかし、カ = リジズ・・ 云・・の崩壊 - はライン川の両側でユ・に・・ゴ・・ツバ主 - 義 マーストリヒト条約締結に到るヨーロッパ主 義ーーーに大きく貢献した。そのことはフランスのケースでは、主要な選挙や国民投票の結果を 表示する政治地図によって明らかになる。 カトリシズムの瓦解から発生し、た不にフランスにおいて、ネイションのシステムの中核部 分に受け継がれている平等主義および普遍主義と相俟って、異質な要素の混合ではあるけれど もたしかに壮大なイデオロギー、すなわち、マルチナショナルなナショナリズムの試みを浮上 させた。 カトリック的フランスと世俗的フランスーーー一七五 0 年 5 一九六 0 年 機 危実際、カトリシズムに特徴づけられるフランスがただ一つ存在しているのではない。そうで 教はなくてカトリック的フランスが二つあるのだ。すなわち、一八世紀の中葉にはすでに教会を 宗 捨ててしまったカトリック的フランス①と、一九六〇年頃まで信仰を維持していたが、そのあ 章 と遂に熱心さを失って、これまた無信仰に沈んだカトリック的フランス②である。フランス本 第 土には、したがって今日、脱キリスト教化された二つのフランスが並んでいる。一つは昔から
惹きつけることができるというのでしようか。 ここで私は、フランスが今日最悪のネイション〔国民〕であるという印象を与えたいわけで はありません。フランスを批判するのは、そうすることがフランス市民としての自分の義務だ と考えるからであり、また、フランスがひとつの人類学的ケースとして特別に興味深く、他の さまざまなネイションの現実を考察する上でも非常に参考になると思えるからです。フランス の人類学的一一元性ーーー同一の国土に平等主義気質と不平等主義気質が共存していること 注目すると、比較研究の手法により、したがって格別の精確さをもって、先進世界の宗教的危 機、平等原則の失墜、そしてこの二つの崩壊に起因するスケープゴート探しを分析することが できるのです。 本書はたしかにフランスについての本ですが、私の確信するところでは、先進国のあらゆる 読者に語りかけ、話を通じさせることができるはすの本です。この本にはフランスに関して宗 教、格差、外国人恐怖症の変数が挙げられていますが、読者はきっと即座に、それぞれ自分の 国の変数を当てはめてみるでしようから。 フランスはおそらく、ここで取り上げた宗教的・社会的危機が最も顕著になっている国です らないでしよう。本書の中にも書き記しておきましたが、ヨーロッパにおけるイスラム恐怖症 の重心は欧州大陸のプロテスタンティズムの地域ーー。ーすなわちデンマーク、オランダ、ドイツ 北部。ーーに在るのです。それゆえ、シリアやアフガニスタンその他からやって来る難民の波に
たとえばコートⅡダルモール県であったが、この県は人類学的に見てきわめてオリジナルで、 その西の部分を占めていたのは母系制共同体家族の一タイプであった。しかし、カトリシズム の定着と共産主義の定着の地理的補完性に注目すると、共犯関係とまでは言わないまでも、ひ とつの構造、ひとつのシステムを想起せざるを得ない。 一七八九年から一九八一年にかけて、 フランスの中央部分と地中海沿岸地方の革命的イデオロギーはこうして、フランス周縁部のカ トリシズムの防衛拠点を支えにしていたように見える。革命の大帆船がカトリックの支索によ って安定させられているという思いがけないイメージが脳裡に浮かぶ。いずれかの時期に革命 的イデオロギーが、カトリシズムから提示される矛盾に支えられることなしにそれ自身の力だ けで存在し得たなどと、人は果たしてしつかりと確信できるのだろうか カトリック教会の最終的な消滅は、世俗主義に立っフランス人の生活に空白を残す。カトリ シズムの終焉は世俗主義的フランスにとっても危機なのだ。フランスの現代史の流れの中で、 共産党の支持率が宗教の実践率の低下にどう続いたかを見ると、否応なしに強い印象を受ける。 機 オオ二〇 : ハ % から一五・ 危フランス共産党がガタンと得票率を落としたのは一九八一年ごっこ。 教三 % へと急落したのだ。ソ連のシステムが内部崩壊するより一〇年近くも前だった。しかし、 宗 カトリシズムの衰退からは一五年が経過していた。 章 フランス周縁部の諸地方、すなわちフランス西部、西ピレネー、中央山岳地帯の南と東、ロ 第 ーヌⅡアルプ地方、ジュラ山脈地帯、ロレーヌ地方、アルザス地方、フランス北端などで宗教
章 序 テレビ局と新聞が果てしもなく、われわれは国民一体化の「歴史的な」瞬間を生きていると 繰り返していた「われわれは一つの国民である、フランスは自由によって、自由のために再 建され、逆境の中で一つになった」というのたった。もちろん、イスラムという固定観念がい たるところに表れていた。政治記者たちは、イスラム教の指導者や一般のフランス人イスラム 教徒が皆と同じように、暴力は受け容れがたい、テロリストたちは卑劣だ、自分たちの宗教を 裏切っている、と言うのを聞くだけでは満足しなかった。彼らはイスラム教の人びとがわれわ れ皆と同じように、「私はシャルリ」という決まり文句、すでに「私はフランス人」の同意語 のようになった決まり文句を口にするよう要求した。イスラム教徒も、申し分なく国民共同体 の一部分となるために、諷刺によるムハンマドの冒漬がフランス的アイデンティティの一部分 であると認めなけれはならなかった。冒漬することが義務となっていた。テレビ画面で、ジャ にわか ーナリストたちが俄に教師面をして、人種・民族的憎悪を焚きつける行動 ( これは悪い ) と宗 教的冒漬 ( これは善い ) との違いを、学者先生よろしくわれわれに教えるのだった。フランス 文化の中心的人物と言っていいジャメル・ドウブーズ二九七五年生まれのモロッコ系フランス 人俳優、映画『アメリ』などに出演〕がテレビ局 1 のスタジオでこのような厳命に晒され るのを見て、私は辛い田 5 いをした。彼がそのスタジオに行ったのは、自分がイスラム教徒であ ることを、都市郊外の若者たちに変わらぬ友情を抱いていることを、そしてフランスと、イス ラム教徒ではない自分の妻と、混合結婚で生まれて、「明日のフランス」ともいえる自分の子
第 4 章極右のフランス人たち グラフ 4 2012 年フランス大統領選第 1 回 サルコジの得票率と平等指向の度合い 28.0 % 27.5 % 27.0 % 26.5 % 26.0 % 25.5 % 25.0 % フランス周縁部の不平等主義的なカ トリシズムの拠点群の地図を見慣れて いる者にとって、二〇一二年の大統領 選挙の第一回投票におけるニコラ・サ ルコジへの投票の分布 ( 地図 4 3 は、さらにいっそう驚くべきものだ。 合 なるほどこの地図を見ると、サヴォア 度 の地方〔スイスおよびイタリアと国境を 指接するフランス東部の地方〕、アルザス 1 平地方、ヴァンデ地方、マイ・・エーンズ県 〔フランスし西部の県〕、さらには西部 の内陸側一帯に、ガドリ。ク的保守地 盤の残存をたくさん確認できる。しか しサルコジは、プロヴァンス地方やハ リ盆地の中心、つまり革命的フランス の中央部でもすこぶる好成績を上けて いる。つまり、グラフ 4 が一小すように、 20 )
論 結 ナチズム、そしてコミュニズムに到るまで 。ボルシエヴィキの党は実際にはプチ・プルの インテリゲンチャによる創設だったのだから。イギリス人およびアメリカ人中産階級の穏やか さが、英国と米国におけるリべラル・デモクラシーの安定性を作り出したのである。 この結論部の冒頭で示唆したように、今、フランスは岐路に立っている。二つの道が、われ われの前にある。 未来のシナリオ 1 対決 もしフランスがイスラム教との対決の道を歩み続けるなら、フランスはただ単に縮み、亀裂 を起こしていくにちがいない。若い世代の中では、「イスラム教徒」に分類されるフランス人 はおよそ人口の一〇 % を構成する。ラディカルなライシズム〔世俗至上主義〕の信奉者らの警 告に反して、「イスラム教徒」がどっと増えるわけではないのだ。なにしろ、これらの「イス ラム教徒ーの大半は実はさほど熱心な信者ではないし、また、しはしは彼ら・彼女らの父母・ 祖父母よりも古くからのフランス人の子や孫と結婚するのだから。とはいえ、今日以降、フラ ンス社会のいたるところに、そしてすべての階層にイスラム教徒がいるという状況になる。す でに彼らのうちのかなり多くがその家系によってフランス社会の幹のような部分に強力に接合 されている。したがって、イスラム教に対する闘争を強めることは、何がどう転んでも教徒の 数を減らすことにはつながらない。反面、すでに完全にフランス社会に同化しているイスラム 281
ムでした。中東で組織され、都市郊外の若者によって実行されたにもかかわらす、その殺戮行 為は、現実のどんなイスラム教とももはや無関係なように感じられました。ダーイシュ〔「イ スラム国」〕自体と同様、その行為が表示したのは、イスラム教の病的な崩壊であって、どん な再活性化でもありませんでした。 フランス社会の反応はしたがって、イスラム教をめぐる問題という形では直接的かっ公式に 構造化されませんでした。事件直後の数日間、今やフランスでイスラム恐怖症のコードネーム となっている「ライシテ〔世俗性〕ーという言葉と主張はほとんど耳にしませんでした。フラ ンス社会全体がショックを受けた状態にあり、そしてこのたびは、イスラム教徒のフランス人 も他のフランス人同様にショックを受けた状態にあることが明白でした。 しかし、政府による危機への対処はまたも、現政府と、現政府が代表しているフランス中産 階級の無能力さを浮き彫りにしました。相変わらず、真の問題に取り組み、自らの責任を全う することができないでいるのです。悲しみの中でネイションが一つになったことは明白でした。 ですから、それは芝居がかった演出の対象となりませんでした。ダーイシュ〔「イスラム国」〕 によって選ばれた暴力による対決を受け人れる好戦的で権威主義的なスピーチが、社会党政府 が示した主要な反応でした。つまり、シリアをもっと空爆する、警察と軍隊によってフランス をくまなく警備する、憲法がすべてのフランス人に与えているいくつかの保障を消し去ること になる非常事態宣言を発令する、といったことです。その一方で、都市郊外の荒廃、労働階層
進めは、反ユダヤ主義がそのもともとの発生源である中産階級に舞い戻って、さらにいっそう 危険な状況に到るであろうことも示唆しています。しかし、それはフランスに限ったことでは ありません。著者はとりわけてフランスがこのような退嬰的な推移に蝕まれているとは考えて いませんし、自分の国がとりわけおぞましいとも、特別に罪深いとも思っていないので、もし 読者がそのように信じることがあるとしたら、それはとんでもない間違いです。フランスは平 均的なケースにすぎません。他の国や地域では、それぞれの人類学的背景が平等主義的か不平 等主義的かによって、宗教的背景がカトリックかプロテスタントかによって、事態がよりマシ であったり、より深刻であったりするだろうと考えられます。 実際、本書がおこなっている分析の台座は家族構造の人類学と宗教社会学であり、この二つ が、退嬰的現象の普遍性を超えて、西洋の各社会のリアクションの多様性を把握させてくれる のです。フランスを対象とするケース・スタディが不可欠なのですが、それはフランスのケー スが極端だからではなく、フランスの人類学的で宗教的な二元性に注目すると、家族システム へにおいて平等主義的で、昔からライシテ〔世俗性〕の伝統が定着している中央地域と、不平等 読主義的で、「ゾンビ・カトリシズム」の濃厚な周縁地域の間に存在する振る舞い方の差異を観 版察することができるからです。フランスの多様性を考察することで、西洋各国・各地域へのア 国プローチを適切に差異化することができるわけです。それぞれの家族構造に由来する価値観の 違いが、アングロⅡアメリカンの世界、ゲルマン世界、あるいはラテン世界のそれぞれの気質 二 1 ロ たいえい
有効であることのなんと雄弁な裏づけであったことかー 事態のその後の推移も、現在のフランス社会を支配している中産階級が自己批判能力を欠き、 うが 経済的特権の中に閉じ籠もり、宗教的不安によって内面を穿たれ、イスラム恐怖症にのめり込 んでいるという診断の正しさを示しました。現在のイデオロギー・コード名は「『ライシテ 〔世俗性〕』のための闘いーです。失業率が上がり続けています。都市郊外の環境が劣化し続け ています。そんななかで、中等教育課程の歴史の教員は今後、あらかじめ失業の見込まれてい る生徒たち相手に、世俗的・非宗教的道徳の授業をしなくてはなりません。不公正であって、 しかも蟻地獄のようなこのメカニズムはきっと、拒絶としてのイスラム原理主義を活性化させ るでしょ , っ シリア難民危機に際して、フランスのメディアはまたもナルシシズムの頂点に達し、世界の 現実がまったく見えていないことを示しました。二〇一五年一月、「私はシャルリ」運動は、 もはや自由も平等も友愛も実践していない社会のただ中で、フランス的諸価値の卓越性を宣言 しました。二〇一五年九月 5 一〇月、フランスのメディアは難民受け人れに関する広範な討論 へに打って出ましたーーー報道界はどちらかというと賛成、人びとはどちらかというと反対でした 読 が、それでいて、実際にはフランスへの人国を望むシリア難民はごく少数だという事実を の 本見てもいなかったのです。いったいどうして、失業率の高いフランス、反ムハンマドのデモ行 進で有名になったフランスが、多くはきちんと教育されていて、イスラム教徒でもある難民を