不平等のヨーロノ フランス中央部だけではなく、平等主義のヨーロッパが苦境に置かれている。二〇世紀の初 めに遅れていたイタリア、スペイン、ポルトガルが、二一世紀には、北 ヨーロッパに搾取され ている。例外はそのサイズが小さい。フィンランドはスウェーデン側ではない部分において平 等主義で、ごく最近まで共産党が重きを成していた国だが、どちらかというと全般に好調だ 国教の地位にあるルター派教会は一六世紀からスウェーデン人によって押しつけられたのだっ たが、これがもたらした運命予定説の不平等理念により、家族構造に由来する平等主義を和ら げることができた。ギリシャはもう一つの例外である。ギリシャの大陸部分、特にコリントス 湾の北側全体は平等主義的だ。しかし、島々の人類学的素地はきわめて独特で、女系の長子相 ヨーロツ。、 続を中心とする家族システムに基づいている。いすれにせよギリシャは、今日、 に服従させられており、心底から平等主義であるとは され得ないだろう。 何はともあれ、大局的に見て、ドイツの指導下でのヨーロッパの階層秩序化は、明確なひと つの人類学的論理に基づいておこなわれている。不平等主義の「北」が、プロテスタントであ るとないとを問わす、平等主義の「南」に対して、歴史的な優位性をふたたび確然としたもの にしている。ヨーロッパ大陸の階層秩序化は、フランス国土の瓦解に対応している。ヨーロッ パにおいては、ドイツ的で不平等主義的な中核が経済における支配的地位を利して、平等主義 的な周縁部を掌握している。フランスにおいては、平等主義的な中核が経済的に失速し、不平 160
ネオ共和主義 一九九一一年 5 二〇一五年ーーーヨーロッパ主義からネオ共和主義へ ネオ共和主義的現実ーーー中産階級の福祉国家 シャルリは不安なのだ ライシテ ( 世俗性 ) 左翼 カトリシズム、イスラム恐怖症、反ユダヤ主義 第 3 章逆境に置かれた平等 世俗的で平等主義的なフランスが直面する困難 難局にある資本主義の人類学 不平等のヨーロッパ フランス、ドイツ人たち、アラブ人たち ドイツと割ネ 二〇一五年一月二日のヨーロッパ主義的大ハプニング ロシアという例外 リの不思議 場所の記憶 176 143 リ 4 147 170 110
文春新書 II ⅢⅧⅢⅡ服 II Ⅷ 旧 BN978-4-16-661054-9 C0298 ¥ 920E 人種差別とエマニュエル・トッド シャルリとよ唯 ~ 一”カ ? ・没落する西欧堀茂樹〔訳〕 シャルリとは誰か ? 人種差別と没落する西欧 一一〇一五年一月の『シャルリ・エブド 襲撃事件を受けてフランス各地で行 われた「私はシャルリデモ「表現 の自由を掲げたこのデモは、実は 自己欺瞞的で無自覚に排外主義的で あった宗教の袞退と格差拡大によっ て高まる排外主義がヨーロツ。ハを内 側から破壊しつつあることに警鐘を 鳴らす 1054 9 7 8 41 6 6 61 0 5 4 9 エマニュエ ) レ・トッド 襯川 4 〃″ e / 7 わイイ 1951 年生まれ。フランスの歴史 人口学者・家族人類学者。国・地 域ごとの家族システムの違いや人 ロ動態に着目する方法論により、 「最後の転落』 ( 76 年 ) で「ソ連 崩壊」を、「帝国以後」 ( 2 開 2 年 ) で「米国発の金融危機」を、「文 明の接近」 ( 07 年、共著 ) で「ア ラブの春」を次々に戔予言洋。「「ド イツ帝国」が世界を破減させる』 ( 文春新書 ) は、 13 万部を超える 大ベストセラーに 訳者 堀茂樹 ( ほりしげき ) 1952 年生まれ。慶應義塾大学総合 政策学部教授 ( フランス文学・思 想 ) 。翻訳家。アゴタ・クリストフ の「悪童日記」をはじめ、フラン ス文学の名訳者として知られる。 定価 ( 本体 920 円 + 税 ) シャルリとは誰か ? 人種差別と没落する西欧 エマニュエフレ・トッド 堀茂樹訳 ] 1 9 2 0 2 9 8 0 0 9 2 0 4 文春新書 文藝秋
る 科学的研究道目のうちでも 弖なもの対ハ ほとんどのケースにおいて、その内部でカや形が互、い・に - 対応・し・て・い・る・均・衡択・、、 ) ' 、態を、つまり、 〈 < 〉の方向の錯誤が不可避的にその対称物を反対方向〈マイナス < 〉の錯誤の内に見出すよ うなひとつの包括的な構造を成す諸要素を統合しいゑしたがって、今や不平等主義的な人 類学的構濡を土台とするようになったフランス共和国という不 平等主義的な人類学的 素地に根ざしていながら国人恐怖症を看板にしている勢力という、ハ的な不条理が対応して いないとしたら、そのほうが意外なのだ。フランス国内でその勢力を特定するのはまったく容 易い。それは国民戦線 ( z ) なのだから。 z は、移民とその子供たちの劣等性を主張し ながら、その実、自らの地理的基盤をかってフランス革命をやってのけた諸地域に見出してい ることが年々明らかになってきている。 フランス中央部への国民戦線のゆっくりとした歩み フロン・ナショナル われわれはこのところずっと、国民戦線 z) が存在している環境で生きている。一九 八八年以来、政治ジャーナリストたちはこれでもか、これでもかとばかりに、フランスの政治 システムがだんだんと極右からの浸水に沈みつつあるとコメントしてきた。しかし、その極右 の伸張は実際にはさほどのスピードではなかった。 一九八八年の大統領選挙で、ジャンⅡマリ ・ルペンはすでに一四・四 % の票を獲得していたのである。二〇一二年の大統領選挙でのマ 188
うに、教育の新たな階層化が不平等主義的逸脱の動因となる。かって、共産主義の労働者は、 全員が識字化された社会のただ中にあって、社会構造の上の方へと目を向けていた。彼の照準 線の先には少数者たちの上級階層があって、彼は上級階層の文化教養を承認するとともに、そ の経済的特権には異議を申し立てていた。彼は将来へ向かって歩んでいたのだ。今日、の 選挙民の目に映るのは、学歴を背景にして自分の上にのしかかるように存在する圧倒的に分厚 い中産階級だ。彼はもはや自ら中産階級のステイタスに到ることを夢見ない。何よりも沈没を 恐れる気持ちから、彼は下の方に目をやる。に、一「ル、て應 .2 移民の方へと転じてしまう。 このように、教育の推移によって起こった平等の理想のぐらっきは、フランス国民の心臓部 に、特にその衆のに影響を及ほした。しかし、 =z と平等主義的な人類学的素地の間に、 政治的な言葉で ち弱まるどころか、むしろ強まる一方の繋がりがあることを忘れてはならない。 人これを言い直せば、のリーダーたちが自分たちの党を共和主義だと言っているのは必すし ンも完全な筋違いではないということになる。ロベスピエールのあの反イギリス的な暴言が思い フ出させてくれたように、共和主義的普遍主義は具体的な外国人に対して常に友好的とはかぎら 、よ、 0 極 平等の価値から日々遠ざかっていくこのフランスで、今日こうして誰もが自分のことを共和 章 主義者だと主張している。こうなると、もっと精確な用語法を提示せざるを得ない。私はすで 第 に「ネオ共和主義ーという言葉を、 ( 共和主義を標榜する政党で構成されている ) フランスの 201
章 序 大さ、再生。集合的なものへの渇望を、宗教的不寛容に対抗するものとして改めて公式に定義 されたナショナルな感情の再浮上を、感じないではいられなかった。もちろん、一月一一日の 群衆は感じの悪い群衆ではなかった。さまさまな自由の尊重のために行進していたのたし、あ ちらこちらにすべての国の旗も見え、拒否すべき過激なイスラム原理主義と、ライシテ〔世俗 性、非宗教性、政教分離の原則〕というフランス的原則を尊重しさえすれば、カトリシズム同 様に受け容れられる普通のイスラム教との違いを高らかに強く主張していたしかしながら、 フロン・ナショナル あのデモは平等については語っていなかった。ナショナリズム政党、国民戦線が排除されて いたことにより、デモ行進には「外国人恐怖症ではないことの保証 z (<) 」のスタンプが 押されていた。平和的でお人好しのデモであった。そもそも参加者たちから、なせこの群衆の 中にいるのかという正確な理由づけを聞き取るのは難しかった。恐ろしい出来事のあとで、 二緒にいる」必要、 いくつかのべーシックな「価値」を肯定する必要が社会を支配していた。 したがって、一月一一日の群衆が、すべてのメディアが歩調を合わせたことの必然的結果と して内実において同質的であったと想定するのは誤りであろう 。、ードなライシテ主義者たち、 過激な反教権主義者たち、ユダヤ教シナゴーグの祭司やイスラム教の指導者たちが、それより もっと大勢の、自分たちがそこにいることを表現の自由への一般的なこだわりによって説明し、 寛容さという理想を主張する人びとと肩を並べて歩いたのだった。あの「共和主義の行進」の 翌日ないしその後の数日の間に、私はプライベートに多くの人とディスカッションをした。そ
人類学的な素地が不平等主義である地域には、差異主義の論理が働いている。そしてその論 理は、メンタルなメカニズムとしては次のような単純な連鎖に要約され得る。「兄弟が不平等 ならば、人間は個々に不平等であり、民族も不平等であり、普遍的人間は存在しない。 異邦人、 ユダヤ人、イスラム教徒、黒人は、その本性からして異なる」。こうした差異主義は、「差異へ の権利」という言い方でソフトに主張されることもあり得る。特に、兄弟関係を〔直系家族の ように〕すはり不平等というよりも、それぞれ異なるものと捉える人類学的システム〔絶対核 家族〕においてはそうで、具体的には英米世界、オランダ、デンマークなどのケースである。 「多文化主義」は一般に、標的となるグループの隔離を「固有の文化の尊重」という表現や 「寛容」という言葉で包み隠す。典型的な場合をいえは、差異主義は、移民であれ、ユダヤ人 であれ、黒人であれ、あるいはイスラム教徒であれ、それらのグループが各々の場所にとどま り、異なる人間として ( 期待される ) 役割を果たすならは、そのかぎりにおいてかなりよく許 容する。非平等主義的な素地が違和感を示すのは、問題のグループがマジョリティに同化し、 他と違わない人間、普通の市民として自己を打ち出してくるときなのだ。 基底の家族構造が不平等主義的であるときには、特定のグループに対する拒否が極度に乱暴 なものとなり得る。差異主義的な外 ' 人恐愉定・の・極・限の・ケハ・・ス・が爿・チ・ズーー・′ー予 ムでありあれは、宗 教的信念の崩壊と経済危機が重なった時期に遅れはせながら生み出されたドイツ直系家族の所 産であった。ナチズムの下では、同化したユダヤ人たち、あるいは同化過程にあったユダヤ人 138
政治的代表システムのうち、暗黙のうちに不平等主義的価値観に根ざして排除の論理を受け人 れる部分に対して用いた。そこで今度は、平等主義的な人類学的構造から生まれながら、エス ニシティにこだわる外国人恐怖症的イデオロギーによって平等主義から逸脱しているように見 フロン・ナショナル える国民戦線のことを、「ポスト共和主義」的と呼ぶことにする。 ところで、人類学的分析を進めていくと、また別の驚きに遭遇する。 =Z は常日頃、社会党 むじな (æco) と国民運動連合を同じ穴の狢と見て「」と揶揄しているが、そう いう捉え方は否定される。平等という価値に対して、とは異なるあり方をしている。 しかもその異なり方が、一般に予想されるであろうところとまったく異なる : ルペン、サルコジ、平等 二〇一二年の大統領選挙の第一回投票でマリーヌ・ルペンへの投票が地理的にどう分布して いたかを示す地図 4 ー 2 を見ると、フランス中央部の平等主義空間へと重心を移していく の動きが継続していることが分かる。今のところ、 v-v z のパワーが最大になっている地域はパ リ盆地の北東部と南仏プロヴァンス方で、前者の震央はシャンパ ーニュ地方にある。この 配置は、フランス革命のときの革命勢力を想起させる。選挙のたびに、では、移民の劣等 性を主張する不平等主義の原理と、投票行動を決する要因になっている平等主義との間で緊張 が高まっている。 エピセンター 202
者が、社会党候補に次ぐ四八・五 % を獲得したのだった。国民運動連合の候補は第 一回投票で敗れ、すでに除外されていた フロン・ナショナル 二〇一五年三月の県議会選挙で、国民戦線は投票総数の約四分の一のラインに到達し、投 票率がふたたび五〇 % を切るような状況の中で地方レベルでの定着をより確かなものにし続け ている。社会党は、投票者の五人に一人を少し上回る率でしか支持されていない。 カトリシズム、イスラム恐怖症、反ユダヤ主義 フランスの人口構成を念頭に置い一月一一日の大デモを観察すれば、全参加者の内に労働 者の占める割合が小さく、「管理職および知的上級職」の占める割合が大きかったことが分か るわけだが、その事実にも増して、デモ参加率の地図とカトリシズムの昔からの分布地図の一 致が、平等を重視する伝統的共和主義と、ゾンビ・カトリシズムを骨組みとするネオ共和主義 との間に連続性があるという見方を許さない。 、実際、ネオ共和主義は、人間の不平等とさまざ まな社会的条件の不平等を主張する人類学的システムに由来している。この主義のアイデンテ イティ・カードを形而上学の面から調べると、より多くのことが判明し、ドクトリンをより的 確に理解できるようになる。とりわけ、シャルリがテロ行為の反ユダヤ主義的次元を相対的に 軽視したことについて、いくつかの仮説を立てることが可能になる。もっとも、ここで企てる のは何らかの結論を下すことではなく、ひとつの研究領域を慎重に切り開くことである 134
も失われた年月だった。円環的なレトリックの中で道に迷ってしまったのだから。しかしなが ら研究者の視点からいえば、過ぎ去ったこの年月にも何らかの値打ちがある。なせなら、この 年月が、社会で主要な役割を演じてきた人びとの潜在的な価値観をついに顕在化させたのだか ら。階層的・序列的秩序という理想こそがマーストリヒト条約体制へとわれわれを導き、今日 も相変わらず、権威と不平等の価値に錨を下ろしてわれわれを統治しているということである。 より、カトリシズムと に由するものだ。 この理想は シャルリも、マーストリヒト条約体制も、異なる二つのモードで機能する。一つは印曲主義ー 社・・響・平等主義的・・・・・・共和主義的で、・新、川心・意・ま窈も、凵日。もう一つは、権威主義 的・不平等主義的で、消極的・ 、・、、・・・・・・、・・・・・ ' ・否定付 - な・無を聞も・Ⅱ・ドでお、これが支配し、排除するので ある。 一月一一日のデモは壮大だった。あのデモが表現した積極的・肯定的なものは参加者たちに よってすでに述べられているので、それをここで詳細に取り上けるのは時間の無駄だろう。表 現の自由の擁護、ライシテの擁護、「よいイスラム教」と世界への開かれた態度などがたしか に表明されたのだった。しかし、デモの具体的な狙いに注意を集中すれば、それだけで、あの デモに潜んでいた価値観を見抜くことができる。何よりもます社会的な権力を、支配の現実を 主張することが狙いだったのであり、その狙いは、あれほどの大集団が自分たちの政府の後ろ に続くことによって、自分たちの警察のコントロールの下で行進したことによって達成された。 1 ー 2