三人 - みる会図書館


検索対象: 寝ても覚めても国鉄マン : 妻が語る、夫と転勤家族の20年
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1. 寝ても覚めても国鉄マン : 妻が語る、夫と転勤家族の20年

クリスマスが近づくころ、親戚のおばさんがプレゼントを持って訪ねてきて、子どもたち三人 を相手に遊んでいる。 「優ちゃん、大きくなったら何になりたいの ? 「大きくなったらパイロットになりたい 「そう、飛行機に乗れていいわね 「創はひかり号の運転士さん」 「いいわね、お父さんと同じところで」 「おばさん、ばくにも聞いて」 「真ちゃんは何になるの ? 「ばく、分かんない」 お土産の絵本を三人が読んでいる間、おばさんは、 「あなたは三人の育児をする母親で、それから父親役もやって、その上、夫の母親役もやってい るのよね」 といった。 子どもを育てるのは、全力疾走を繰り返すほど体力を消耗する。三人の子どもを順々にお風呂

2. 寝ても覚めても国鉄マン : 妻が語る、夫と転勤家族の20年

三男・真 子どものころの古い出来事で思い出すのは、引っ越し当日のちょっとした事件である。まだ 4 歳前であったので、あとになって詳しく話を聞いたのだが、新幹線の車両基地に近い国鉄宿舎が 完成したので、博多のマンションからそこに引っ越すことになった。私は母の知人であるおばさ んの家に預けられた。遊んでいるうちに気づくとタ方になっていた。ふと自分の家族が引っ越し する日であることを思い出して、慌てて家に帰ろうとするところをおばさんに引き留められた。 母は引っ越しで忙しいのだから、引き留められるのは当然である。しかし私にとっては一大事 で、引っ越しする家族に置いていかれるのではないかと慌てて家に戻ろうとしたのだ。 「大変だ、ばく、おうちに帰らなくては」といったとかで、おばさんは母にそのことを面白そう に話してくれたそうだ。そのおばさんは兄たちの転校した学校ので、私の母と同じ役員を した人だとあとになって分かった。家電メ 1 カ 1 の転勤族で、子ども 3 人とも、うちと同じ年齢 構成の姉妹である。母とその人は今でも年賀状のやり取りをしている。その後数十年が経って、 母親同士の企み ( ? ) で、うちの兄弟 3 人とあちらの姉妹 3 人が同窓会をすることになった。銀 座での当日、真ん中の次男・次女がドタキャンをして、双方の長子と末っ子 4 人だけのランチと なった。長兄がセッティングして知らせたのだが、すつほかした次兄ゃあちらの姉さんは、周り 170

3. 寝ても覚めても国鉄マン : 妻が語る、夫と転勤家族の20年

いる。どこにいても腕白ぶりを発揮して肩身の狭い思いをしていたから、同じように三人の子ど 見 もを持っ秋野さんがいれば、親の思い通りこ、、 ( し力ない子育ての悩みを、相談できるかもしれない 清 港と多恵は思った。 一口 門 年「ほらほら、だめでしよう、きちんとしまっておかないと、明日登園するとき困るでしよ」 幼稚園から帰って帽子やバッグを放り投げた真を叱った。厳しい調子でいわれた真は、 「お母さん、僕を見捨てないで」 昭 といって泣いた。 ア「見捨てるわけないでしよう、真ちゃんはうちのお宝坊やだよ」 オせつかく馴染んだ博多の幼稚園を変わったので動揺しているのか、繊細なところもある真には イ 少し辛い環境のようだった。 言葉を覚えるように小さいうちから善悪の別を覚えさせるのは、躾の第一歩だと多恵は信じて 走いるが、叱られて見捨てられると思ったのなら、脅していることに変わりはない。 章三人育てても、子どもは一人一人感受性も違い、いつまで経っても手探りの状態で子育ては次 第から次へと悩みの多いものなのだ。 101

4. 寝ても覚めても国鉄マン : 妻が語る、夫と転勤家族の20年

今度の住まいは高田馬場にあり、転勤の多い職員に配慮して、五階建てアパ 1 トの地下一階に 物置があった。そこを五世帯ごとが共同で使い、段ボール箱や一時的に不要な家具が収納できる 造りになっている。近くには木造平屋の公務員宿舎が戸山公園から明治通りまで並んでいた。ひ ときわ高い早稲田大学理工学部のビルには、学生が国鉄団地の中を通り抜けて通うため、朝夕は 混雑するほど人通りが多く、知る人ぞ知る近道である。 幼稚園の年長組を半ばにしてきた優は、次の年の春までおじいちゃん、おばあちゃんのところ へ行って遊んだり、家で本を読んだりテレビを見たりして過ごし、幼稚園を卒園することができ なかった。 秋に三番目の男の子が生まれて三人兄弟になった。病院にお見舞いに来た多恵の母が、持って きた新生児用のカバ 1 オ 1 ル ( 全身を包むつなぎの服 ) を広げて見せながら、 「お姉さんが、また男の子なのねえって大笑いしてたよ、三人も男の子では子育ても容易じゃな いわねっていってたけど、がんばってね それを聞いた多恵は突然涙をこばし、タオルで顔を覆って泣き始めた。マタニテイプル 1 の言 葉があるが、まさにその言葉通り平静でいられず、がんばってといわれて急に悲しくなったのだ。 もうこれ以上、動きの激しい男の子に体力がついていかないような気がしていた。自分の娘を泣

5. 寝ても覚めても国鉄マン : 妻が語る、夫と転勤家族の20年

門司から一駅先の小倉には有田焼の店が並んでいる。多恵は近所の人と一緒に優たち二人を連 れて、店に出かけた。 美しい焼き物が飾られている棚を眺めながら三階に上がると高級品が陳列してあり、多恵はう れしそうにガラスケ 1 スの中を覗いて優にいった。 「ね、これって小さいけど、いばった形をしているでしよう、安定してかっこいいねー 三人用の小さなティーセットの前では長い間考え込んで迷っていたが、ようやく決心し、店員 さんを呼んだ。 ティーポット、シュガ 1 ポット、クリ 1 マ 1 の三点が他にはないデザインで、和食器のメ 1 カ 1 には珍しい幾何学的な模様なのである。 店員さんが、 「明日お届けします」 といった。お金を払って商品と引き換えにならないところがいかにも高級品を扱う店らしく、 奥ゆかしいところである。 博多名物のお菓子を買って帰ってくると、ほどなく店から電話がかかってきた。 「あの商品には小さな傷があってお売りできません、窯元に同じデザインのものがありますの

6. 寝ても覚めても国鉄マン : 妻が語る、夫と転勤家族の20年

編「区長は元気でやっていますよ」 高「奥さん、機関区長は三国一の婿さんですよ、ああいう人は鉦や太鼓で探しても見つかりまっせ 年ん」 「そうですか、感謝しなければいけませんね、 一人で宿舎にいる多恵を安心させようとして、助役夫人は世間話をして帰って行った。 和 昭 ストライキが終結して三日目に夫が帰ってきたとき、ズボンのベルトが男性とは思えないほど 細く締まり、そのやつれように多恵は驚いて声も出なかった。 る 渡「三日間、。、 ノンと牛乳しか食っていない、吊るし上げとはよくいったものだ」 海 ストライキでは、現場の管理職を部屋に閉じ込め軟禁状態にする。される側は多数を相手に眠 内 戸ることもできない で現場を知らない現場長では、労働争議のときなどは憎しみの対象でしかないのだろうか それでも浩介はストライキが終結するといつもと同じように、何事もなかったような感じで出 連 宇勤して行った。 章 第古めかしい木造の宿舎は、間仕切りの襖を全部取り払うと三十人ほどが集まれる座敷になっ かね

7. 寝ても覚めても国鉄マン : 妻が語る、夫と転勤家族の20年

兄弟 3 人がまだ学生のときに、両親も一緒に 5 人で 2 泊 3 日の旅行に出かけたことがある。「一 緒に旅行できるのも今のうちだからーと計画を立てたのは母である。我々兄弟が乗る車が先導し て、両親があとから続き高速道路を走った 2 日間、 2 台の車の間に他の車が入り込むことはな かった。母はそれがよほど気に入ったらしく、兄の運転技術をほめて「車線変更をするときに後 続車のその後ろの車の状況までよく見ていて、お父さんの車が安心して車線変更できるようにし てくれた」と。 その後も旅行好きな母は、自分でプランを立てて強引に我々を誘った。新宿発の「特急あずさー に乗りたくて、小淵沢まで行き小海線にも乗った。帰りの列車の中でも次の予定を話した。 それからあるとき、兄弟が家に集まり、母が鍋料理で皆をもてなしたときのこと。立ったり座っ たり一人で台所からテ 1 プルの間を動いていた母が重い鍋を持ってよろけ、私だけが気づいて急 いで椅子から立ち上がり、母を支えて危うく火傷をせずに済んだ。母は自分の体がバランスを 失ったのに、鍋だけは水平を保っていた。いつの間にか家にあった大きなテ 1 プルがなくなって いた。弟が引っ越しするときに持って行かせたと聞いた。それ以来、宴会の機会が少しずつ減っ ている。 166

8. 寝ても覚めても国鉄マン : 妻が語る、夫と転勤家族の20年

新たに加わった第 9 章では、 3 人の息子たちが子ども時代の出来事や両親の思い出を書きまし た。第川章は、夫が自分の仕事の内容を書いています。ときが過ぎ去り、穏やかな気持ちで振り 返ることができたのでしようか 社会人になった息子たちが父親と同じように一生懸命働いているのを見ると、父親の背中を見 て育っというのが本当だったのかと複雑な思いで見ています。 あの時代の雰囲気や国鉄職員の働きぶりなど、ひたむきで温かいものがあった当時を懐かしく 思い出していただければ幸いです。

9. 寝ても覚めても国鉄マン : 妻が語る、夫と転勤家族の20年

帰りの電車の中で試験の問題を思い返して、たぶんできたはずだと思っている。熊本で会った 見初対面の人とも話ができたのは、転校ばかり繰り返しているおかげかもしれないと優は思った。 港 アパートに住む主婦が集まって、山口方面に小旅行を計画した。日本海側の漁村に近いテニス 年コ 1 トでゲ 1 ムをしたあと、新鮮な魚料理を食べて帰るコ 1 スである。 運転の腕を上げて遠出ができるようになった多恵も、マイカ 1 で参加することにした。助手席 には学生時代から車を運転しているべテランの本田さんが乗ってくれることになって、ときどき 昭適切なアドバイスをしてくれたので、初心者マ 1 クの多恵は大いに助けられた。 誰が考えたのか、五台の車を連ねて、アンテナにピンクのリポンを結んで走った。多恵の車は ア オ前から三番目である。道路状況はよく、混雑もないので自信を持った。 イ 免許を持ったおかげで三人の子どもを連れてどこへでも出かけられるようになり、多恵は少し ずつ元気になった。 続 走 ′、にさ」 章秋になると大分の国東半島へ一泊旅行を計画して、多恵はますます張り切っている。 第「僕たちのお父さんと一緒に大分に行くんだよ」 109

10. 寝ても覚めても国鉄マン : 妻が語る、夫と転勤家族の20年

「お母さん、今日はウルトラの母が出る日だよ、早く帰ってテレビが見たいー 「何いってるの、テレビより国東半島のほうがすてきよ、めったに来られないでしょ 三十分もするといつの間にか晴れ間が覗き、快晴になった。車に閉じ込められて一時はどうな ることかと心配したが、 洗い流された木々の緑は美しく輝いて、快適な行楽日和になった。 夜遅く仕事を終えた浩介がやってきて、次の日、皆一緒に石仏のある場所や縄文人が住んでい た丘の上に行った。人間が一人入れるくらいの穴があり、これが住居跡だと表示してある。 優は早速、穴に入ってうずくまってみた。なんとも気持ちのよい空間で、大昔の人間はこの寝 室でぐっすり眠れただろうと思われる。多恵も試しに穴に入ってみた。穴の曲線が体を包み込む ように優しく、安心感をもたらした。 大昔の人間が自然と一体になり、気持ちのよい中で暮らしていたことを考えると、土にかえる とい、つのは恐ろしいことでもないようだ、と多恵は思った。 二回目の八月がやってきた。国鉄アパ 1 トにいる二十数人の子どもたちが、花火大会をするた めに係を決めている。創も買い物係になって友達三人とバスで、駅近くの商店街へ行くことに なった。一人百五十円ずつ出し合ったお金を四人が預かり、停留所でバスを待っていると、真が 112