三男・真 子どものころの古い出来事で思い出すのは、引っ越し当日のちょっとした事件である。まだ 4 歳前であったので、あとになって詳しく話を聞いたのだが、新幹線の車両基地に近い国鉄宿舎が 完成したので、博多のマンションからそこに引っ越すことになった。私は母の知人であるおばさ んの家に預けられた。遊んでいるうちに気づくとタ方になっていた。ふと自分の家族が引っ越し する日であることを思い出して、慌てて家に帰ろうとするところをおばさんに引き留められた。 母は引っ越しで忙しいのだから、引き留められるのは当然である。しかし私にとっては一大事 で、引っ越しする家族に置いていかれるのではないかと慌てて家に戻ろうとしたのだ。 「大変だ、ばく、おうちに帰らなくては」といったとかで、おばさんは母にそのことを面白そう に話してくれたそうだ。そのおばさんは兄たちの転校した学校ので、私の母と同じ役員を した人だとあとになって分かった。家電メ 1 カ 1 の転勤族で、子ども 3 人とも、うちと同じ年齢 構成の姉妹である。母とその人は今でも年賀状のやり取りをしている。その後数十年が経って、 母親同士の企み ( ? ) で、うちの兄弟 3 人とあちらの姉妹 3 人が同窓会をすることになった。銀 座での当日、真ん中の次男・次女がドタキャンをして、双方の長子と末っ子 4 人だけのランチと なった。長兄がセッティングして知らせたのだが、すつほかした次兄ゃあちらの姉さんは、周り 170
クリスマスが近づくころ、親戚のおばさんがプレゼントを持って訪ねてきて、子どもたち三人 を相手に遊んでいる。 「優ちゃん、大きくなったら何になりたいの ? 「大きくなったらパイロットになりたい 「そう、飛行機に乗れていいわね 「創はひかり号の運転士さん」 「いいわね、お父さんと同じところで」 「おばさん、ばくにも聞いて」 「真ちゃんは何になるの ? 「ばく、分かんない」 お土産の絵本を三人が読んでいる間、おばさんは、 「あなたは三人の育児をする母親で、それから父親役もやって、その上、夫の母親役もやってい るのよね」 といった。 子どもを育てるのは、全力疾走を繰り返すほど体力を消耗する。三人の子どもを順々にお風呂
り続けていて、自分のことを心配している暇はなかった。 新聞に自分の名前が載っていても、家族と一緒に喜んで祝杯を挙げる気分ではない。 すでに管理局長以上の役職に就いている人は退職して、国鉄時代の責任を取る形になった。 新しい年金制度では、既得権を主張することもなく、国鉄職員はそれを受け入れたのである。 Ⅱ 編その日の夜、お赤飯を炊いてお祝いをした。浩介がまだ帰っていないタ食のテ 1 プルで優が いった。 年 「あんなに働かないと重役になれないのなら、おれは、重役にならなくてもいいな」 「あら、あなたもお父さんを働き過ぎだと思っていたの ? 和多恵は、優がそんなふうにいったのを初めて聞いた。 「お父さんは不平不満をいわす、仕事に全力を出し切った人だと思うわ、自分をよく知っている る 人なのよ、きっと」 わ 変 「その仕事に適性があったってことだよね」 国「仕事の虫だな、だけど親父は詰めが甘いんだな」 章「そうだ、外面かいいのかどうも、ね 第 浩介は人のことをあれこれいったことがないので息子たちも人の噂をしないのだが、この日は 147
「お母さん、今日はウルトラの母が出る日だよ、早く帰ってテレビが見たいー 「何いってるの、テレビより国東半島のほうがすてきよ、めったに来られないでしょ 三十分もするといつの間にか晴れ間が覗き、快晴になった。車に閉じ込められて一時はどうな ることかと心配したが、 洗い流された木々の緑は美しく輝いて、快適な行楽日和になった。 夜遅く仕事を終えた浩介がやってきて、次の日、皆一緒に石仏のある場所や縄文人が住んでい た丘の上に行った。人間が一人入れるくらいの穴があり、これが住居跡だと表示してある。 優は早速、穴に入ってうずくまってみた。なんとも気持ちのよい空間で、大昔の人間はこの寝 室でぐっすり眠れただろうと思われる。多恵も試しに穴に入ってみた。穴の曲線が体を包み込む ように優しく、安心感をもたらした。 大昔の人間が自然と一体になり、気持ちのよい中で暮らしていたことを考えると、土にかえる とい、つのは恐ろしいことでもないようだ、と多恵は思った。 二回目の八月がやってきた。国鉄アパ 1 トにいる二十数人の子どもたちが、花火大会をするた めに係を決めている。創も買い物係になって友達三人とバスで、駅近くの商店街へ行くことに なった。一人百五十円ずつ出し合ったお金を四人が預かり、停留所でバスを待っていると、真が 112
「今度、家族そろって花火を見にくるようにいっていたよ」 米倉さんは、自分自身が一人っ子で子どももいなかったから人を呼ぶのが好きで、トランプの プリッジを皆に教えたり水炊きパ 1 ティ 1 をしたりして、浩介も多恵もお宅に呼ばれることが多 かった。 花火見物には同僚の人たちも何人か、米倉さんの新築した家に招かれた。多恵は一一番目の子ど もがもうすぐ産まれるので一緒に行かず、二歳になっていた優が浩介と二人だけで出かけた。 「きれいだね、優ちゃん、見てごらん」 花火が打ち上がるたびに、優は耳を押さえて浩介の背中に隠れてしまうので、米倉夫人が優を 抱っこしてくれた。けれど優は花火の大音響にびつくりして、皆と一緒に楽しむどころではない 頭を抱えて花火に背を向けている。どうしたものかと心配していた夫人も、あきらめて優を浩介 の膝の上に返した。 多恵はその話を聞いて、機関車の爆音に両手を挙げて泣き出した優の、新生児期の厳しい環境 を思い出した。 そう この秋、次男の創が生まれた。しつかりした体格で夜泣きもしなかったが、男の子二人の育児
ところが船を下りると、その人たちが左右に分かれて通り道を空け、旧知の間柄のように挨拶 編 高をしてくれたのである。 年「こんにちは」 「海を渡って、ようおいでました」 人波にもまれ、とまどいながら挨拶をして通り過ぎた多恵は、ようやく夫の職場の人たちが出 昭迎えてくれたのに気がついたのだった。 二人は共に東京育ちである。結婚して一年目に浩介が四国の高松機関区長で赴任することにな る 渡り、転勤生活の第一歩が始まった。 海機関区は列車を動かす現場の人たちの職場で、車両の整備を行うため大きな車庫があり、助役 戸さんは十三人もいる。 で これから住むことになっている国鉄宿舎は町から離れた瀬戸の浜近くに建っていて、蒸気機関 船 絡 車やディーゼル機関車が止めてある高松駅構内操車場の線路際にあった。 連 宇多恵が木造二軒長屋の宿舎に着くと、すでに助役夫人たちが引っ越しの手伝いに来ていた。手 章際よく段ボ 1 ル箱を開けて家財道具を取り出し、品定めをしながら所定の場所に収めている最中 第である。
キ 1 パンチャ 1 は四十五分働いて、十五分の休みを取る勤務体制になっている。休憩室には 編が流れ、柔らかいソフアや観葉植物が置かれて気分転換を図れるようになっているが、 大十五分の休憩時間にここを使う社員は少なかった。トイレタイムやお茶を入れているうちに時間 年が過ぎてしまうのだ。文明の利器が開発されて仕事が細分化されるようになると、一人の不注意 は重大な過失を招くことにもなって、それが大きなストレスになっている。精神的にバランスを 崩す社員も増えた。 昭「へえ、霧が喘息の原因になるの ? 」 と不思議がられ、環境汚染の始まりに多くの人がまだ関心がなかったころである 「自然の中に身を置くのが一番自分に戻れるのよ、そうした時間を作らなければ具合が悪くなっ 泣てしまうわ」 発多恵は常々そういって、自分自身はスキ 1 やハイキングによく出かけていた。 ム 街路樹が落葉して歩道に溜まり始めたころ、社員合同のハイキングが企画された。社外の人も テ シ参加できたので、学生時代の友人や家族連れの人も集まった。そのときに浩介と多恵は出会った 章のである。 第 アウトドアの好きな人の集まりであったから細かい打ち合わせもなく、前日の深夜、大宮駅に
引っ越してきて初めての夏休み、上野の国立科学博物館では、中国の恐竜展が開催されている。 編創は新聞広告を見ていった。 「面白そうだね、行ってみたいなあー 年 「上野なら一人で行けそうだねー それを聞いていた真が、いつものように末っ子の本領を発揮していった。 和「ばくも一緒に行く」 多恵は考えて、二人だけで行かせることにした。 忙「二人だけで行くのだから、気をつけて電車に乗るのよ、 六年生の創は、弟を連れて電車に乗るのは初めてだ。 れ 「はぐれないように、しつかりついて来いよ」 れ で都会の人込みにもまれながら念願の国立科学博物館に着くと、爬虫類や魚竜類の化石が並べら 分れ、恐竜の骨が展示されてあった。マメンチサウルスと表示されている骨格は、全長二十二メ 1 割 トルの大きさである。二人は興奮して、 役 章「すっげえ」 第「これ本物だよねー 121
わりの人を呼ばなかったため、列車の通過時刻に踏切が開いたままになっていた。 見職務規程ではあり得ないことで、このようなことが二度とないように指導を徹底すると話して 港した 一口 ことはない。事故で謝っているときばっかりで、周りの人から 浩介がテレビに映るときにいい 年は「事故屋さん」と呼ばれることもある。弁舌さわやかではないが、実直で我慢強い夫のような 人でなければ務まらない仕事だと多恵は思っている。 和 昭優はアマチュア無線の資格を取るために、教本を取り寄せ勉強していた。電波監理局は熊本に あり、試験には一人で行くつもりだ。まったく知らない土地だから多恵は心配したが、優は平気 ア オだった。母さんと一緒でもそうでなくても、自分は大丈夫だと思った。 少し前に東京の有名私立中学校の入試問題集を勉強していて、解けない問題を多恵に聞いたこ とがある。 続 「どれどれ」 章多恵は算数の問題を解き始めたが、それを見ていた優は途中でさえぎっていった。 第「ああ、お母さん、それはだめなんだよ」 107
いる。どこにいても腕白ぶりを発揮して肩身の狭い思いをしていたから、同じように三人の子ど 見 もを持っ秋野さんがいれば、親の思い通りこ、、 ( し力ない子育ての悩みを、相談できるかもしれない 清 港と多恵は思った。 一口 門 年「ほらほら、だめでしよう、きちんとしまっておかないと、明日登園するとき困るでしよ」 幼稚園から帰って帽子やバッグを放り投げた真を叱った。厳しい調子でいわれた真は、 「お母さん、僕を見捨てないで」 昭 といって泣いた。 ア「見捨てるわけないでしよう、真ちゃんはうちのお宝坊やだよ」 オせつかく馴染んだ博多の幼稚園を変わったので動揺しているのか、繊細なところもある真には イ 少し辛い環境のようだった。 言葉を覚えるように小さいうちから善悪の別を覚えさせるのは、躾の第一歩だと多恵は信じて 走いるが、叱られて見捨てられると思ったのなら、脅していることに変わりはない。 章三人育てても、子どもは一人一人感受性も違い、いつまで経っても手探りの状態で子育ては次 第から次へと悩みの多いものなのだ。 101