浩介 - みる会図書館


検索対象: 寝ても覚めても国鉄マン : 妻が語る、夫と転勤家族の20年
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1. 寝ても覚めても国鉄マン : 妻が語る、夫と転勤家族の20年

「いいんじゃないの」 浩介がいったので、優と創はおばあちゃんのところに預けられることになった。村田先生は新 編 大幹線の大ファンで、自分の末っ子に「ひかり」という名前をつけたほどである。 年「修学旅行も豪勢になったものだね と浩介は感心した。少しの間、育児から解放されたものの、大勢の高校生を預かり無事に帰宅 させるために神経をすり減らした多恵は、外で働く仕事はやはり厳しいと思ったのだった。 和 昭 一浩介が温度計など一式をそろえて、ペットシ , ップから赤や紫に光る熱帯魚を買 0 てきた。日 た曜日には水槽の前に座って、優雅に泳ぐ魚をじっと眺めている 泣「金魚の世話をする暇があったら、子どもと遊んであげてくださいよ」 発不機嫌そうな多恵の声に、顔も上げずに浩介はいった。 ム 「魚はものをいわんからいい テ ン多恵も負けずにいい返した。 章「あら、あなたの耳は蓋がついているでしよう」 第 いつも浩介は夜遅く帰ってお風呂に入るとすぐに眠ってしまうが、この日はふとんに入ってか

2. 寝ても覚めても国鉄マン : 妻が語る、夫と転勤家族の20年

てになった。大きすぎて多様な環境の変化に対応できなかった恐竜、マメンチサウルスのよ うに、国鉄も舞台から消えて歴史の中に名を残すのみとなった。 になっても浩介の仕事の内容は、今までと同じ輸送の安全を守ることに変わりはない。そ して多恵は同じように車で送り迎えを続けている。 新会社になってから浩介にテレビ出演の話が三つも来た。そのうちの一つは上野駅から中継の 生放送で、浩介は東北・上越新幹線の説明をしながら少し宣伝もして、楽しそうだった。他の一一 つは新しい経営になって、輸送の安全をどのように守っていくのか、というような専門的な番組 だった。浩介も真剣な顔をして質問に答えていた。 地味な鉄道輸送の仕事に携わっている夫が事故で謝罪しているのではなく、笑顔でテレビに 映っているのは、多恵にとっても気持ちのよいものだった。社員の制服も明るい色になって、こ れまでの沈滞した雰囲気はなくなったように見えるが、これからも安全対策は地味に確実な方法 で続けられるのだ。 「お母さん、おれ、下宿したいんだけどだめかな ? 」 大学二年生になった優が突然いった。 150

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「今度、家族そろって花火を見にくるようにいっていたよ」 米倉さんは、自分自身が一人っ子で子どももいなかったから人を呼ぶのが好きで、トランプの プリッジを皆に教えたり水炊きパ 1 ティ 1 をしたりして、浩介も多恵もお宅に呼ばれることが多 かった。 花火見物には同僚の人たちも何人か、米倉さんの新築した家に招かれた。多恵は一一番目の子ど もがもうすぐ産まれるので一緒に行かず、二歳になっていた優が浩介と二人だけで出かけた。 「きれいだね、優ちゃん、見てごらん」 花火が打ち上がるたびに、優は耳を押さえて浩介の背中に隠れてしまうので、米倉夫人が優を 抱っこしてくれた。けれど優は花火の大音響にびつくりして、皆と一緒に楽しむどころではない 頭を抱えて花火に背を向けている。どうしたものかと心配していた夫人も、あきらめて優を浩介 の膝の上に返した。 多恵はその話を聞いて、機関車の爆音に両手を挙げて泣き出した優の、新生児期の厳しい環境 を思い出した。 そう この秋、次男の創が生まれた。しつかりした体格で夜泣きもしなかったが、男の子二人の育児

4. 寝ても覚めても国鉄マン : 妻が語る、夫と転勤家族の20年

父親を肴にしていつまでも話が弾み、誰も食卓を離れなかった。 浩介はいつも仕事のことばかり考えていて、優は勉強を見てもらったこともないが、子ども心 にもその責任の重大さは理解することができた。一度も父親のことを批判がましくいったことが ないのもそのためだ。 けれど大学生になって自分の進路について考え始めたとき、自分はこうした生き方はしたくな いと思ったのも事実だ。忙しくて自分の時間もない生活なんてとてもできない。四六時中走って いる列車の動静が休日にも報告される、そんなストレスの多い仕事を父さんは長い間なぜ続けて いられたのか。家族を養っていくためにはもちろん働かなくてはならないし、自分たちが安心し て生活できるのもそのおかげだが、それだけではない何かがあるのだろうと、優は考えた。 かって、浩介がコンピュ 1 タ 1 部で開発に携わっていた運転計画伝達システムが未完に終わっ たとき、上司は責任を取り、米倉さんはその数年後に亡くなった。そのことが浩介の心の中に鉛 のように重たいものを残した。浩介はそのプロジェクトに最後まで関わっていたわけではなかっ たが、国有鉄道の仕事に失敗はあってはならないと考えていた人だから、相当に辛い出来事だっ たはずである。 苦い思いを抱えながら、輸送の安全という仕事を精一杯続けてきたのは、社会的責任というも 148

5. 寝ても覚めても国鉄マン : 妻が語る、夫と転勤家族の20年

かせてしまった母は大いに困惑した。親戚中に電話をして「また男の子か」とはいわないように 場頼み、浩介にもそのいきさつを話した。 田「また男の子だけれど、多恵にはそういわないでくださいね、あの子が泣くからー 「そうですか、家庭のことは彼女に任せきりで済まないとは思っているんですがー 年 「あの子が泣くくらいだから、よほど女の子が欲しかったんだねえ、と皆で話しているところな んですよ」 和話は大げさに伝わって、浩介は病院へお見舞いに行くとき何かお祝いをしなければならないと 考えて、腕時計を買って多恵にプレゼントした。浩介の妹に子どもが生まれたとき、夫に腕時計 を買ってもらったと聞いて、腕時計なら自分にも買えると思ったのだ。 出 へ気分が安定した多恵は、きらきらしたオメガの文字盤を見て冗談をいった。 グ「列車ダイヤを守る人からのプレゼントだから、この時計、すごく正確で丈夫なんでしようね」 しん 末っ子の真が生まれて半年ほど過ぎた昭和四十九 ( 一九七四 ) 年の三月、浩介は海外技術協力 章事業団 ( 現 ・ O ) のメンバ 1 の一員として、一カ月ほどパラグアイへ派遣されることに -4 第なった。南米大陸の内陸部にあるこの国は、豊富な水資源を利用して水力発電所が造られ、近隣

6. 寝ても覚めても国鉄マン : 妻が語る、夫と転勤家族の20年

回かスキ 1 やハイキングに行くうちに、結婚を決めたのだ。 編高松に行く前の浩介は、鉄道技術研究所の自動制御研究室に勤務していた。そこの上司である へ、婚約者の多恵を紹介するために連れて行き、そのとき「国鉄職員は安月 大米倉さんのアパ 1 ト マンとそんなに変わらない」という話を聞いた 年給だけれど、年金などを考えると民間のサラリー のである。 「どんなに難しい課題でも、あの人のところへ持っていけばなんとか解決してくれるのさー 昭米倉さんはフルプライトの留学制度でアメリカに渡り、勉強してきた秀才である。夫人もその 当時アメリカに留学していて、当地の教会で結婚式を挙げた。 「運転性能曲線自動化の研究をしている人だと聞いていたが、多恵には難しくて何のことか分 泣からない 発「列車ダイヤの元になるデ 1 タを、コンピュ 1 タ 1 で作ろうとしているんだ」 ム と浩介がいった。列車運行表を作るためには、駅と駅の間を電車が何分で走るか細かく調べる テ シ必要がある。浩介はその研究の一端として、線路のカ 1 プや勾配の状況を入力するプログラムを 章作っていた。 第米倉さんは研究所に採用された職員であるが、本社に入った浩介はこの研究をずっと続けると

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その過激さにおいて「鬼の動労ーの異名で知られている動力車労働組合は、蒸気機関車や気動 車乗務員の全国組織である。かって「鬼の動労ーにいたぶられて泣き出した若い機関区長がいた というほど、手ごわい組織なのだ。 「蒸気機関車を動かしている機関士だからね、プライドが高いんだよ」 国鉄宿舎には壁に取りつけた送話機に向かって話す、古めかしい鉄道電話があった。ストライ キの直前、ベルが鳴って多恵が受話器を取った。 「日一那はおるか」 「おりませんが」 「おるだろう、電話口に出せ 「いませんよー 電話はそのまま切れたが、労使交渉の知識もない多恵は、脅されているのか嫌がらせをされた のか分からす、変な国鉄職員がいるものだと思っただけであった。 ストライキに突入した日から浩介は夜になっても帰らず、庶務課の人が助役夫人と一緒に浩介 の着替えを取りに来た。 二、三日帰れないかもしれないが心配はないからといって、浩介は職場へ出かけて行った。

8. 寝ても覚めても国鉄マン : 妻が語る、夫と転勤家族の20年

といいたかったが、目論見通りショック療法が効いたように思えて、多恵は充分満足したのだ。 浩介はこのところ、一年おきに運転局と新幹線総局の職場を行ったり来たりしている。事故が 多く、昼夜を問わす仕事をしているような状態だった。 通勤・通学客が増え続けている駅で、女子高生が押されて鎖骨を折る事故が起きた。浩介は労 働省の委員会に呼ばれて、ホ 1 ムの拡張や列車増発の必要性を問われ、それが新聞記事になった。 「本当にすごいんだよ、ホームで押されると、行き場がないから人が左右にゆれるのさ、知って る ? といった。浩介は黙って聞いていた。乗客の転落事故や踏切事故、自然災害、架線事故、脱線 などによる輸送障害に、気の休まるときはなかった。 夕食の準備どき、遠くのほうから救急車のサイレンの音が近づいてくる。その十数分後に電話 が鳴った。 「お宅の息子さんが交通事故で病院に運ばれたから、急いで病院へ行ってください」 132

9. 寝ても覚めても国鉄マン : 妻が語る、夫と転勤家族の20年

真がジュ 1 スを飲み終わると浩介は、 編「さあ、もういいかな」 と立ち上がった。浩介は自分の机の周りだけを見せて、早々に帰ってもらおうと思っていた。 年 行政側に「危機管理室ーが発足して、テロへの警戒も厳重になっている。部外者が長居をする場 所ではないのだ。 和真は来たときとはまったく違う謙虚な気持ちで、父さんと手をつないでエレベ 1 タ 1 から降り た。それから浩介のほうに向き直り、体を九十度に曲げて深々とお辞儀をした。 忙「ありがとうございました、さようなら が丸の内から八重洲に向かう通路では、緊張のために上気した顔で、右手と右足が一緒に出てし まうような歩き方をしている。その様子を見て、多恵は笑いながら聞いた。 れ そ 「どうだった ? で 分「おとながみんな、真剣な顔で仕事をしていたよ、体を真っ直ぐにしてさっさっと動いていた、 役すごく真剣なの、 章真があまりにも礼儀正しく、今までにない素直な態度だったので、 第「どうだ、参ったか 131

10. 寝ても覚めても国鉄マン : 妻が語る、夫と転勤家族の20年

離れていた浩介は、その後米倉さんに会っていない 多恵は昔を思い出して涙があふれ、食卓に顔を伏せて泣いた。米倉夫人の悲しみの深さを思う といつまでも立ち上がれず、テープルクロスには涙で大きなにじみができた。 国鉄アパ 1 トには朝になると車が二台やって来て、総務、経理、営業、電気、施設等の各部長 が相乗りして管理局へ出勤するが、運転部長の浩介は夜勤の人の引き継ぎを聞くために、一足早 くバスで通勤している。 優と創が通学するとき、バス停に立っている父さんに手を挙げて、いってらっしゃいの合図を すると、父さんも手を挙げて返事をしてくれる。いつも遅く帰る父親と、ささやかなふれあいの 一瞬だ。 夕方、テレビを見ていた創が大きい声で、 「お父さんがテレビに出ているよ」 と叫んだ。台所で食事の準備をしていた多恵が手を拭きながら振り返ると、浩介がアップで 映っていた。 踏切の事故で謝罪しているところだった。踏切手が腹痛を起こして持ち場を離れてしまい、代 106