ー第三章ー白人優越意識 ちならない言動が幅を利かせ、時としてこれが人々の顰蹙を買うかと思えば、又逆に、羨まし がられることもあるなど、悲喜こもごもの社会現象を呈していた。 人々は白色人種が、ことにその中のもっとも活動的な北方民族が全人類の支配者たるべく神 から定められていると思いこんで疑わないようになった。「黄禍論」はまさにそのあらわれで あり、白人は黄色人種に何をしてもいいが、黄色人種は白人に何をしてもいけないという観念 が広まった。竹山道雄はこう記している 「北方民族は金髪獣であり、これがあらゆる生物の中で最高の種であるというニーチェの 説も、この背景の上に成立しているのであろう。純潔な金髪をなびかせ、鋼のような知性 シ 1 クフリード魂の持主ー・これが理想の像だった。 ( 竹山道雄 と峻酷な心情をもった、。 著『竹山道雄著作集第一巻妄想とその犠牲』福武書店 ) ョ 1 ロッパ世界と非ヨーロッパ世界の間に差別の一線を画し、ヨーロッパ文明を上位に置い て、それ以外の地域を低く見下す発想は、こうして世界中に定着してしまった。 ひんしゆく 185
ー第三章ー白人優越意識 過ぎなかったが、 「二十七八年 ( 日清戦争 ) 以降は、単にられざるのみならず、寧ろ憎悪 せられたり。独逸皇帝の黄禍の活ける標 ( 、我が日本国民にあらずや」と記している ( 徳富 蘇峰著前掲書 ) 。 このように、日露戦争は、ロシア皇帝ニコライ二世がアジアで勢いを強めてきた黄色人種国 家日本を、ひと思いに叩き潰す意気込みで乗り出してきた戦争だったのである。その発想が強 烈な「白人優越意識」に裏打ちされたものであったことは、言うまでもない。 日本か辛くもこの戦争に勝利できたのは、まことに幸であった。 ⑤葬り去られた人種差別撤廃提案 われわれ日本人は、人間は誰であれ動物とは違う存在であり、人間の間に区別はないと思っ ているが、白人世界では、人間同士でも異人種、異民族、異教徒は印分たちとは根本的に違う 者たちだと考える根強い人間観がある。これはとりもなおさず「人種差別ーであり、非白人の 人々は禽獣や虫けら同然と見做されてきたのである。 白人国家は長い間、アフリカから奴隷商人を通じて黒人奴隷を買い取り続けてきた。買い付 から 2 13
ー第三章ー白人優越意識 して東京都民十万人を焼き殺した。沖縄においても、民間人に対して仮借なき攻撃を繰り返し、 九万四千人を殺した。 このように敵国の民間人を臆面もなく殺しまくるやり方は、非白人国の日本を相手にするか らこそ、何の躊躇もなく行われたのであった。ヨーロッパの戦線でも、大都市の爆撃などは行 われたものの、木と紙でできた日本家屋を焼き尽くすための焼夷弾攻撃のような、意図的に無 辜の民に照準を当てた攻撃は行わなかった。原爆投下に至っては、ヨーロッパの都市を対象に することなど、ついぞ議論されることすらなかった。ここにも白人優越意識、即ち非白人蔑視 の感情が色濃く覗いている しかもアメリカは東京においても、広島と長崎においても、沖縄においても、アメリカ軍に よって殺された民間人は、すべて「日本が悪かったから犠牲になった人々なのだ」と思い込ま せることを占領政策の眼目とし、によるそのようなマインド・コントロールに、日本人 はまんまとまるめこまれてしまったのである。 広島の平和公園の慰霊碑に刻まれた「安らかにお眠りください。過ちは繰り返しませんからー とは何たる一文か。これは原爆で殺された犠牲者に安らかに眠れと語りかけ、自分たち日本人 は過ちを繰り返さないから原爆はもう落ちないと言っている。この語りかけは、日本が悪かっ 2 引
まる一方であった。新聞は、ノルトマン号遭難者の遺族のために救済金を募集した。白人優越 主義を糾弾する演説会が方々で開かれ、激怒した群集が詰めかけた。英国人たちは救命ポート にすがりつこうと、手をかける日本人の指を切りつけて、海中に突き落としたという噂話まで ささやかれる始末となり、人々をますます激昂させた。 ついに政府もこのような事態を無視できなくなり、船長を裁判にかけるよう英国側に申し入 れた。当時の日本は、哀れ、不平等条約による治外法権のため、直接司法権を行使することは 出来なかったのである。裁判は十二月七日と八日の両日、横浜の英国領事館で開かれた。ドレ イク船長は怠慢殺人罪で有罪となり、禁固三か月の刑を申し渡されたが、他の英国人乗組員は、 全員無罪放免とされた。 ドレイクに対する刑の軽さは、多くの日本人にしこりを残したが、海事法に詳しい専門家は この判決を妥当とし、政府もこれ以上、事を荒立てないよう、事態の沈静化に努めた。 何はともあれ、この事件は露骨な「白人優越意識」、白人以外の人間など虫けら同然にしか 見なさない「有色人種蔑視」の感情を顕わにした出来事であった。 流石にこの事件の非を唱えたのは、日本人だけではなく、ヨ 1 ロッパでもこれはあまりにも ひどいという声が聞かれた。フランスの画家ジョルジュ・ビゴーの風刺漫画にこういうのがあっ 204
ー第二章ー支配・搾取型の統治 この例に見られるように、独立に向けた運動に携わったのは常にクリオーヨたちであった。 従って独立達成後、政治の表舞台に立ったのはクリオーヨの大土地所有者や大商人たちであり、 追い出された本国生まれのスペイン人に代わって、彼らが政治の舵取りを握った。ところがそ こではメステイソや原住民はすっかり置き去りにされてしまう形となり、あくまで白人主導で 事が進められた。つまり常に白人優越意識が強く働く結末になっていたのである 一九世紀に、中南米各国の政治で幅を利かせるようになったのはカウディーヨたちであった。 カウディ 1 ョとは、配下の者たちとの個人的関係で結ばれ、家父長的な権威をもって政治を支 、 ' 皮らよ腕つぶしが強く、頭が切 配した独裁者であり、その多くは私的な軍事力を備えてした。彳 ( れ、同時にカリスマ性のある人物でなければならず、ある意味では「清水次郎長ーのような任 侠道の親分に似ているようにも思えるが、モラルの面では全く異なる存在であった。その出自 はまちまちで、中にはメステイソの者もいたが、多くの場合、彼らが代表していたのは地主や 大商人などの裕福なクリオーヨたちの利益であった。 当時の中南米各国はまだ都市化が進んでおらず、リマやプエノスアイレスのような首都でも たかだか数万人程度の人口に過ぎなかったので、このような都市を武力で制圧して、地方の小
( 注 ) 三圃制 ()h 「 ee ・ field system) とは、農地を大麦などの夏期耕地、小麦やライ麦などの冬期耕地、收草地に当てる休耕地に 三分し、一年ごとに順次この三つの割り振りをシフトさせる制度で、中世イギリスに始まり、一ニ世紀頃にはフランク王国の ロワール河一帯にも広がり、農業生産力を高めた。 そしてルネッサンスを経て、自分たちの文明こそ優れた文明だとの自信をもつようになるに 従い、ヨーロッパ人の優越意識が段々と芽生えてきた。憧れと畏敬の念で見られていた中東イ スラム世界の人々も、徐々に差別、敵視、排除の対象へと転じていったのである。 その後、彼らか植民帝国主義の波に乗って外部世界への進出を開始し、ひとたび中東や北ア フリカを軍事的に制圧すると、一転してこれら地域の人たちを見下し、その文明を侮蔑の目で 見るようになったフランスの代表的思想家モンテスキューの主著『法の精神』には、「黒人 は人間ではない。なぜなら彼らはお金よりガラス玉を喜ぶのだからーという記述があるが、こ れは大真面目で書かれた彼の偽らざる気持ちなのである。 こうして西洋列強が植民帝国主義の旗を掲げ、世界制覇に乗り出してきた時代背景では、西 洋人が白人優越意識を臆面もなく露わにする一方、アジアやアフリカや中近東の人たちは白人 コンプレックスに陥り、西洋志向を強めることとなった。これは日本を含め、世界中どこにで も見られた現象だったのである。非西欧の国々では、おしなべて「西洋かぶれーの連中の鼻持 184
ー第三章ー白人優越意識 知を高く評していた ほば中央に描かれていることからも、当時の西洋人は外部世界から ことが窺える。ここには非西洋世界への尊敬が見られるし、外部世界との交渉が彼らにとって 大きな課題であったことを物語っている。 一部の西洋の学者は、この壁画が布教の結果、東洋が既にカトリックの支配下にあることを 宣伝する意図があるものと解しているが、これは正しくない。事実ここに描かれた人たちは、 ベルシャ人にせよ、コンゴ人にせよ、支倉使節団の人たちにせよ、決してカトリックの影響力 月や持ち物には、キ に染まり、これに改宗した人々の姿ではなく、図の中に描かれた彼ら リスト教にまつわるものは一切見られない。いずれも生き生きとした異郷の人物として描かれ しオカった当時の、好奇心に満ちた画家の眼があった ている。そこには、まだ東洋を と言ってよい。異文化の人々を目の当たりにしたことがなかった画家たちの、正直な観察がこ の壁画となっているのである。 やがて西欧世界は中世の停滞を脱し、農業における三圃制 ( 注 ) の導入による生産力の増大 や商人の台頭などで徐々に力をつけ、軍事力を蓄え、独自の文明形成を進展させた。 さんぽせい 183
ー第三章ー白人優越意識 ミニバス程度の大きさの護送車がある。しかし、この時トロカデロ広場に居合わせた警官は、 市内をパトロ 1 ル中にたまたまここにやってきたものと見え、普通のパトロール・カーで来て いる。そう大きくない四人乗りセダンの中型車だ。このパトロール・カーの後の荷物入れに、 取り押さえた男を無理やりぶち込んでしまったのである。警官たちは、まるで暴れている動物 を押さえこむように、足で男を蹴り上げて、ギューギュー詰めに押し込むやバタンと蓋を閉め、 警笛を鳴らしながら立ち去ってしまった。 この様子を目撃した通行人の中には、勿論非白人の移民がたくさんいた。私もなんと手荒な ことをするものか、と度肝を抜かれたのであるから、居合わせた移民の人たちがどのように感 ひど じたかは、想像に難くない。取り押さえるべき対象が白人男性であれば、こんな酷いやり方は しなかったであろう。非白人蔑視の感情をまざまざと思い知らされた一幕であった。 日本近代史に見る白人優越意識 近・現代における世界の歴史を振り返ると、一方において西洋人が「白人優越意識」を振り かざし、他方で非白人であるアジアやアフリカの人たちは「対白人コンプレックス」にとりつ 193
を支持する声はあがらす、結局、日本の「諸国民平等の原則ーの主張は葬り去られたのである。 まさに「白人優越意識」をまざまざと思い知らされた一幕であった。 ⑥大東亜戦争の真の原因も白人優越意識 わが国は、日清、日露の両戦争に勝利し、第一次世界大戦においても、日英同盟が幸いして、 戦勝国に名を連ねた。しかし、根強い白人優越意識は一向に変わらず、変わらないばかりか、 むしろ頭角を現した日本には一段と厳しい目が向けられるようになってきた。 それまで植民帝国主義列強を独占してきた白人たちからすれば、列強の仲間に割りこんでき た日本は、目障りでならない。欧米のマスメディアの論調も、日本への風当たりを強めて行っ た。黄禍論が盛んにもてはやされ、米国では排日移民法ができ、やがて日本との戦争が始まる と、日系人収容となったのである。 大東亜戦争勃発の原因については様々な議論があるが、一つの大きな要因が、白人世界、こ とにアメリカ人の白人優越意識、つまり有色人種蔑視の感恤に・あ・・つ・た、こど・よ疑、いをい。 ョ 1 ロッパで始まった第二次世界大戦では、当初枢軸側が目覚ましい戦果を挙げつつあり、 アメリカの参戦が戦局の帰趨を左右する鍵となっていた。こうした状況下、ルーズベルト大統 216
ー第三章ー白人優越意識 既述の通り、ロ 1 マ帝国が広大な版図を配下に治め、「パックス・ロマーナ」を実現した経 過を見ると、決して口 1 マ人が優越感を抱き、他者を蔑視する態度に出ていた訳ではなかった。 それどころか、支配下に置いた各地の文化を尊重し、そこから自分たちが学ぶという態度に徹 していた。とりわけギリシャなどは、首都ローマにおいてすら、ギリシャ語に堪能なことかイ ンテリのステータス・シンボルとされて、ギリシャ語が盛んに教えられ、貴族は競ってギリシャ 人の家庭教師を招くという有様だった。 このように「共存・同化型」の統治で平和と繁栄を誇ったローマ帝国に対比し、「支配・搾取型ー 統治一本槍だった西洋列強の植民地支配の原動力となっていたのは、何と言っても彼らの白人 優越意識だったのである。 西洋人の白人優越意識は、裏を返せば有色人種蔑視の感情に他ならないが、このような白人 の優越感がどのようにして醸成されてきたのか、まずその由来を振り返ってみよう。 白人優越意識の由来 ロ 1 マ帝国の没落後、中世の暗黒時代に至るまでの間、ヨーロッパは沈滞を続け、外部世界 179