御嶽橋 ~ ハ幡橋 川の右岸は高台となっており、左岸側 は住宅地として開けている状況がし ばらく続き、新道大橋を過ぎ本八幡橋 付近以降は両岸が住宅地となる。 そして川は両岸の千本桜といわれる ほどの見事な桜並木に守られるよう にして南へと流れて行く。 御嶽橋 ( H10. 11.4 撮影 ) 「おんたけばし」という。 橋の欄干や標柱には桜の花形が飾られ 母 ている。また下流の護岸壁面には色鮮 やかにポスター風の絵が描かれ、殺風 景な川岸にアクセントをつけている。 御嶽橋の西側は小高い台地となっており、階段を登ると道路沿いに細長い緑地公 園がある。幅田 6 号公園、通称御嶽山公園である。その北端に御嶽山神社が祀ら れている。 一新をを第 王橋 厚木航空基地 御嶽山神社 \ 福田 6 号公園 ( 御嶽山公園ー ( 陸上自衛隊宿舎 ) 嶽橋 本八幡橋 八幡橋 東側から見た御嶽橋 護岸に描かれているレリ ーフ 199
新屋敷橋 ( S 42 年架設 ) 川は上山本橋から緩やかに湾曲して新屋敷橋にさしかかる。この辺りに来ると川 岸寄りにボートが繋留されはじめ、海に近づいてきたという感じがする。 夕方になるとボラが跳ねているのがよく見られる。 あらやしきばし かみやまもとばし 新屋敷橋の上流 ( H11. 5.25 撮影 ) 西側から見た新屋敷橋 ( H11. 5.25 撮影 ) この橋のたもと ( 上流側 ) のコンクリートに下記の内容が鋳込まれた板がはめ込 まれている。 型式ポストテンション T 型単純桁橋 橋長 26mX2 竣工年月昭和 4 2 年 9 月 幅員 16m 施工業者三井建設株 橋格 T L -20 境川橋 ( S61 年架設 ) 藤沢市の主幹線道路の一つ国道 467 号 境川橋から見た上流の眺め ( H11. 5.25 撮影 ) 境川橋 上流側の欄干 ( H11. 5.25 撮影 ) 161
立石橋 ~ 大道 明神社 東西橋 幵 横わ道境川水隆橋ー 立石橋 ー横浜市 ュ石神社 ヾ ' 呂総 月田急電鉄江ノ島 ド 境 . 、 大 ) 水橋Ⅱ 鎌倉市 0 6 幵柄沢神社・ / 、 白旗神 卍隆昌院卍慈眼 、小轆 - 、卍 卍諏訪 殿橋。 橋 。。光寺卍 王社藤市 、丞勝卍 藤沢橋卍感こ、院 卍天嶽院 耳船玉神社 肖荷 大正橋 御所 / 橋 境月大橋 遊行寺 尾 東橋 卍去善寺 勒了 J R 東海道本線 藤沢 道 境川は立石橋を過ぎると横浜市との境界を離れていよいよ藤沢市の中心部へと向う。 藤沢市の現在の中心は J R 藤沢駅周辺であるが、かっての藤沢地区は藤沢・大鋸・西 富の三つの大字からなり特に藤沢橋付近の旧東海道に沿った「藤沢宿」一帯が中心で あった。従ってこの付近には遊行寺や白旗神社をはじめ由緒ある神社仏閣が多い。 立石オ喬 ( H2 年架設 ) 東側から見た立石橋全景 ( H11. 6. 12 撮影 ) 133
. 大 . 清アオ喬 ( s 54 年架設 ) この橋から境川大橋までの間の左岸 側に県立大清水高校、大清水小学校、 大清水中学校、藤沢市教育文化セン ターがある。 橋の入口にはコンクリートの車止が あり、また橋の中央上流側に監視用 のセンサーが取り付けられている。 この付近の境川沿いはかっては湿地 で清水が湧き出しており、そのうち 小さな泉の有った所を小清水、中位 の泉の有った所を大清水と呼んだこ とから現在の地名となったという。 東側から見た大清水橋 ( H11. 6. 12 撮影 ) 大清水橋の上流 ( H11. 6. 12 撮影 ) 鷹匠樛 ()2 年架設 ) 江戸時代に将軍が鷹狩をするために架けられた橋を鷹匠橋とか御鷹橋と呼ばれ、 藤沢周辺には数多くあったが、この橋 ( 「たかしようばし」 ) もその一つである。 東側から見た鷹匠橋 ( H11. 6. 12 撮影 ) 135
ニ州橋 ( S10 年架設 ) 青木屋敷から南へ町田街道を横切 り、堺中学校を右手に見ながら細 い道を通って境川へ行くと、朽ち かけた小さな鳥居と神社があり、 その奥に二州橋がある。コンクリ ート製の低い欄干のついた古い橋 である。橋の上流側の右岸は竹薮 で鬱蒼としている。川は橋の下流 から左へカープしている。 稲荷橋 町田街道の上を国道 16 号八王子 バイバスが直角に走っている。 そのバイバスと並行に二本の橋が ある。いずれも稲荷橋といわれて いる。 稲荷社 町田街道から北側の八王子バイバ ス入口付近の住宅に挟まれるよう に鎮座する小さな稲荷社がある。元 は稲荷橋の近くにあったのを移設 したとのことである。 ( H11. 5. 18 撮影 ) 稲荷社 37
新橋な建 道緑模が 海び規ル 東及大ビ 設を岸の層 左営高 年凵 学 南県の 高 流のは 団る のり岸う 橋橋通両よで側あ 緑が流ちん西が 並の の線下 こ幹の ち橋園 ふれ逢い橋 ()3 年架設 ) 下分橋の下流、右岸の公団上和田団地と東の横浜市泉区上飯田町の住宅とを結ぶ 人道橋で、ふれ逢い橋という名にふさわしく、その欄干は人の形を模したものと なっている。 ふれ逢い橋の上流側欄干 東海道新幹線 ふれ逢い橋の下流を東海道新幹 線が通っている。 境川上の鉄橋は防音壁で覆われ ている。 114
島橋 ~ 境橋 木曽森野トンネル のき橋 住吉神社、 J R 卍妙延寺 母智 島橋 芹ケ、公 社 器時代遺跡 町田 延 延 神 寺 寺 橋 谷口 社 千寿橋 社 卍 ' 楽寺 境川は東南に流れ、 左岸はいよいよ町田 市の中心街へと入る。 J R 横浜線がひのき橋の下流 から川を横切り町田市側をⅡ 金山神社耳 に並行して走り町田駅に至る / 線 上鶴間橋・ 右岸は相模原市の鵜野森・上鶴間へと移っ ーく。 島橋 - ( s 48 年架設 ) この橋の付近から下流は両岸に沿 って自転車と歩行者専用の道路が 設けられている。橋から下流を眺め ると、森野橋とその下に榎堂橋が見 え、町田市中心街のビルも見える。 また、左岸側には J R の電車が川に 並行して走っている。 橋 町田天満宮 南側から見た島橋 ( H11. 7. 16 撮影 ) 64
境川大橋 国道 1 号が通っている橋で、上流 の鷹匠橋はごく近い。 下の写真は境川大橋と次の御殿橋 とのほぼ中間地点で白旗川が合流 している所で、白いビルは藤沢市 民病院である。白旗川は亀井野の 南を源流として白旗神社の前を通 下流側から見た境川大橋 ( H11. 6. 12 撮影 ) り境川に注いでいる川である。 彡ミ主ー 御殿橋 ( S47 年架設 ) 藤沢公民館から妙善寺の東北あた りに江戸初期に将軍宿泊用の藤沢 白旗川合流点 ( H11. 6. 12 撮影 ) 御殿が作られ、徳川家康・秀忠・家光が頻繁に利用した。この橋はその地に因んで 名づけられた。この御殿橋を渡り東へ行くと遊行寺の人口である総門と赤い橋の遊 行寺橋へ出る。また、西へ行くと藤沢公民館、市民病院を経て白旗神社へ至る。 西側から見た御殿橋 ( H11. 6.6 撮影 ) 136 御殿橋から見た上流
上俣野橋 ( S54 年架設 ) 青色に塗装された鋼鉄の橋桁と内側に 白色の手摺が取り付けられた橋である。 かみまたの 上俣野橋の上流で横浜市泉区内を流れる 和泉川が合流している。その合流点のす ぐ上流に水門がある。水門の上には人が 一人通れるほどの狭い橋 ( 通路 ) がつい ているが通行止めとなっている。 またこの付近の左岸東側一帯は湿地帯で、土地改良工事が進められている。 合流点からはこの水門と和泉川の「一丁田下橋」 ( S54 年架設 ) が見える。 水門 俣野橋 ( H5 年架設 ) 県道 403 号が通る橋で、 交通量が多く前後に信号 がないため橋を横切るの に一苦労する。北東には 横浜ドリームランドがあ り、その南に聳える。ホ テル・エンパイア”が見 える。地上 77m ある由。 横浜方向に橋を渡ると左 俣野橋 ( 西側から見た下流側の欄干 ) ( H11. 6.24 撮影 ) 手に「観音堂」がある。更にその先へ行くと「福泉寺」がある。 127
高砂、橋 - ( S61 年架設 ) 小山橋から川はまっすぐ流れ、ほぼ 250 m 下流に高砂橋がある。この間の東京 都と神奈川県の境界線は境川より離れ 南に湾曲して線引きされている。 蓬来橋 ( s 52 年架設 ) 川は大きく南にカープし、町田街道か ら少し離れ、下流の坂本橋でまた近づ くことになるが、その途中に蓬来橋が ある。 ( 「蓬莱橋」とも書く ) ニ十三夜様 蓬来橋のすぐ南に二十三夜堂 ( 二十三 夜様 ) があり、傍の石碑にはこの由来 について右記の如く記されている。 二十三夜堂 ( H11. 5. 18 撮影 ) 。、なイ : ァ薹 賺繼 iü第 43 に至っている。 待講を中心に広く深く住民に信仰され現在 が、いっしか「足の神様」として二十三夜の月 こでは「橋の神様」として崇められていた 脇侍で弥陀三尊といわれ智慧の象徴である。 菩薩はまた観世音菩薩と共に阿弥陀如来の 置されているのがその時の尊像である。勢至 菩薩を祀って橋供養を行った。この堂内に安 永 10 年 ( 178D 4 月二十三夜講の本尊勢至 大塚市左衛門氏は武相講中の願主となり安 安に怯えた。それに心を痛めた地元の有力者 の崇りとか妖怪の仕業とか言って村人は不 数々の悲しい事故が起こるたびにそれを神 と、橋は古くから精進橋と呼ばれ橋の近くで 境界と定めた。蓬莱橋と改名される前のこ 呼ばれていたこの境川を以って相武二国の に編入され、当時高座川 ( たかくらがわ ) と 国であった現在の町田市小山地方は武蔵国 文禄 3 年 ( 1594 ) の検地によりこれまで相模 この地方は昔相模国高座郡小山村と呼ばれ、 = 十三夜様の由来 南側から見た蓬来橋の全体 ( H11. 5.18 撮影 ) 高砂橋と下流側の眺め ( H11. 5.18 撮影 )